第4想定 第17話
3時34分。
道なき道を歩き続けて俺はようやく作戦地域に到着した。
もちろん民間人には発見されていない。
眼下には小さな村がある。
宗太郎村だ。
俺は村から南東の小高い山に荷物を降ろした。
この位置からでは村全体は監視できない。本来ならば村の北部に拠点を置きたかったけども、いざ介入するとなったら国道と川を横断しなければならない。
万が一の際に現場突入しなければならないという任務の性質上、村全体を監視するのではなく主要関係者の自宅を重点的に監視することにしたのだ。この場所ならば主要関係者両名の自宅が見渡せながら、すぐに介入することができる。
さて、日が昇る前に情報収集と工作活動を済ませておこう。
俺は89式小銃を背嚢の隣に置いた。その代わりに背嚢から
拠点である小高い山を下りると周囲を警戒しながら村を捜索する。高齢者の多い宗太郎村ではあるが、いくら早起きの老人でもこの時間帯に起きている人はいないようだ。俺は余計な物音を立てないように注意しながらも、茂みに身を隠しながら村の情報を収集していく。
ボロボロな軽トラック。
林業で使うであろう道具。
比較的新しいバイク。
下見が一通り終わると宗太郎駅に移動。
年季の入った木造の駅舎。
堂々と掲げられた白いアルミ複合板は新しく感じるけども、駅名を記したそのフォントは古めかしい。
そして外壁には『宗太郎公民館』と筆で記された木札。どうやらこの建物は駅舎と公民館の共用なのだろう。
それにしても不思議な感覚だ。
宗太郎村、宗太郎駅、宗太郎公民館。
俺がたくさんだ。
そして俺というものがよく分からなくなってきた。
いわゆるゲシュトップ崩壊という現象だ。
何と表現すればよいのだろう。
俺自身が人間ではないような気がしてきた。
まるで幽霊や神様のように感じてきた。
そういえばここの村の人たちは俺の存在を知らないんだよな。
今は『にちりん作戦』の真っ最中だが、それを村人は知ることはない。
そして明日の『39号作戦』の最中も俺はSSTの任務としてずっと森の中から村を見守っている。その任務が終われば明後日の6時54分の電車に乗って基地に帰投する。
特殊部隊とは場合によっては幽霊部隊となる。
その場所にいることを悟られてはいけない。
まさに幽霊とならなければならないのだ。
………………。
感傷に浸っている暇はない。
そろそろ早起きのジジイ共が起きてくる頃だ。
俺は工作を済ませるべく駅舎へと入って行った。
駅舎を通ってホームに出る。
何とも言えない神秘的な光景が広がっていた。
向かい側のホームの後ろは崩落防止のために法面加工が施されている。しかしそのうち付けられたコンクリートにも植物がところどころから生えてきている。ここ数カ月で生えてきたようなものではない。長い年数を掛けて育ってきたことがうかがえる。
文面だけで聞くと多くの人はこの施設が風化しつつあると捉えるかもしれない。
しかしいざ現地に来てみるとこの光景は人間と自然の共存を感じるはずだ。朽ちつつある駅舎にひび割れているコンクリート。
同じ名前を持つ俺はこの駅に爆薬を仕掛けようとしている。
この不思議な罪悪感は何だろうか。
いや、必ず起爆するわけではない。
やむを得ない場合にのみ起爆するのだ。
俺が考えなければならないのは任務の事のみ。
くだらない罪悪感は捨てなければならない。
周囲を見回して工作できそうな場所を探す。
この駅の利用者は5日に1人いるかどうかといったところだ。しかしいくら利用客が少ないとはいえ今日と明日でその5分の1を引き当てるかもしれない。その5分の1が爆薬を発見するかもしれない。下手な場所には仕掛けることができない。
ホームに置かれたベンチの下……はダメだ。
……跨線橋の支柱に仕掛けておくか。
電車の待ち時間にホームを歩き回られたら発見されるかもしれない。しかしベンチの下よりかは発見されにくいだろう。もしも発見されたとしても起爆装置は俺が持っているから爆発させることはできない。C4は安全性の高い爆薬だから衝撃を加えても爆発しないし、火であぶっても単純に燃えるだけだ。もし持ち帰ろうとしたら……まぁ自身の好奇心を恨んでほしい。
俺はダンプポーチからC4を取り出すと必要な量をちぎり取り、起爆装置のコードを包んで成形する。ブラックテープで複数のC4を跨線橋の支柱に張り付けて、コードを隠蔽しながら拠点の元へと伸ばしていく。
拠点へと到達するとコードを
これで準備は完了。
安全装置を外してこのクラッカーを握ればいつでも跨線橋を吹っ飛ばすことができる。
さて、事前にやっておくことはすべて終わった。
あとは明日の午前中まで村を監視。
そして大分愛情保安部の『39号作戦』が終わったら、民間人の恰好に着替えて電車で基地に帰投するだけだ。
日もすっかり上って村人が活動を始めた。
農作業に出かける者や隣人の家にお邪魔する者。
日が照っているというのに長々と井戸端会議をしている老人たち。もうそんなに話し込むなら誰かの家の縁側で話せよ。せめて帽子を被ってくれ。冬だって熱中症の危険があるんだからな。
俺は村の様子を森の奥から双眼鏡で眺めていた。これは特殊作戦専用の双眼鏡だ。内部には窒素ガスが充填され、レンズにもコーティングが施されている。太陽の反射光で俺の存在を悟られる可能性は低いだろう。
そして夜間に装着していたヘルメットを脱いでブッシュハットを被っている。自然界にはヘルメットのような丸い形状のものは存在しないから人間の本能で発見されやすいのだ。植物を刺して偽装していたけども丸い形状を完全にごまかすことはできない。それにヘルメットは暗視装置を使用するために必要だが、今は日中だから暗視装置は必要ない。
それにヘルメットって地味に重いからな。
「………………!」
主要関係者の家から人が出てきた。
それは明日上京するという重岡千佳だった。
作戦立案時に顔写真を見ているからすぐに分かった。
その人物は交際相手の自宅に入って行くと、時間も経たずに男性と共に出てきた。その人物は『39号作戦』と『にちりん作戦』における支援対象者。吹田純一だった。
2人は仲睦まじく軽自動車に乗り込むと慣れたような運転で村から出て行った。重岡千佳が上京するのは明日の朝。きっと離ればなれになる最後の1日としてデートにでも行ったのだろう。
俺は双眼鏡越しに2人が乗った軽自動車を見送った。
あ~、これはしばらく暇になるな。
俺は双眼鏡を下げて周辺を見回す。
このあたりは緑に満ち溢れた地域だ。
特殊部隊員が単独潜入しているとは思えないほどに平和な村だ。
きっと俺は任務以外でこの場所に来ることはないはずだ。
任務の最中ではあるけどものどかなこの風景を目に焼き付けておこう。俺は再び村全体を見渡した。
「………………?」
先ほど重岡千佳が出てきた家の玄関先には少年が立っていた。その少年は2人が乗った車を見送っているかのようだった。
俺は双眼鏡でその人物を確認する
あの家の家族構成は両親と姉と弟の4人家族だ。
ヤツが事前情報として送られていた重岡宗太郎というやつか。
それにしてもヒョロっとしたやつだな。
上着を着こんでいても分かる。
貧相な体つきだ。あの腕では腕立て伏せもまともにできそうにない。
………………。
なんか不思議な感覚だよな。
名前が完全に同じ。
苗字も絶妙に似ている。
姉の外出を見届けたようだ。
モヤシ野郎は再び自宅の中へと戻って行った。
……さて、しばらく暇になるな。
宗太郎村と川を挟んだ向かいにある国道は大型トラックがビュンビュンと走っている。宮崎県から出ていくトラックや入っていくトラック。あそこに通っている国道は宮崎県と大分県を繋ぐ重要な道路なのだ。高速道路を使わない場合は必ずあの道路を通らなければならないと言われているほどだ。
俺は村を監視しながらも国道十号線を警戒する。
………………?
トラックが走り回る国道十号線。
その道路沿いに女性が立っていた。
白いワンピースを身にまとった女性だ。
どこかに向かって歩いているわけではなく、ただじっとその場に立っていた。
その立ち姿に違和感を覚えた。
俺の偏見だけども、この山奥の村に白いワンピース姿は浮いて見える。
いや、きっと外出用のオシャレ着なのかもしれない。
しかし今は冬だ。
こんな時期にノースリーブのワンピースなんて季節感がない。
彼女の存在が妙に引っかかった。
「宗太郎より宮崎SST指令室」
………………。
時間をおいて無線が返ってきた。
『姪乃浜だ。宗太郎、どうした?』
「『39号作戦』の参加者は男性隊員だけで間違いないよな?」
『もちろんだ。他の隊員が参加できない理由は宗太郎も知っているだろ?』
それは知っている。
この周辺に一般隊員が潜伏できるような場所はない。
唯一の隠れ場所である森の中は専門技術がないと危険だ。
だから俺が派遣されることになった。
じゃああのワンピースの女性は何なんだ?
『なにかあったのか?』
「村に若い女性がいる」
事前情報では村に住んでいる若い女性は重岡千佳のひとりだけだ。
『支援対象者の女性じゃないのか?』
「いや、重岡千佳は吹田純一の車で出かけている」
『先に帰ってきたとか?』
「出発した時と服装が違う」
『それでは……三角関係か?』
俺が想像した状況を姪乃浜が先に口にした。
明日に実行される『39号作戦』。
そして現在進行中の『にちりん作戦』。
これらはごく普通のカップルのプロポーズを支援するための作戦だった。しかし事前情報にない女性が登場した。これによって作戦は根本的に変更が求められるかもしれない。
今回の作戦が終わったら鉄道を使って基地に帰投することになっているから私服を持ってきている。いったん私服に着替えてあの女性に話しかけてくるか?
いや、今は単独での監視任務中だからこの場所を離れることはできない。それに支援対象のカップル共は出かけてはいるけども、俺がこの場所に存在していることを知られてはならない。わざわざ着替えてまであの女性に話しかけに行くことは自分の存在を暴露することになってしまう。
「姪乃浜、急いで吹田純一と重岡千佳の身辺を洗ってくれ」
『了解。すぐに大分愛情保安部に問い合わせる』
事前情報にない白いワンピースの女性。
俺はただ彼女が関係者ではないことを祈るばかりだった。
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