第2想定 第8話
「こちらむくどり。まもなく現場到着。状況確認のため上空を通過する」
眼下には大小さまざまな巡視船艇。その中央にはひときわ大きな船が横たわり、左舷から黒煙を吹いている。
『巡視船おおすみ。現在消火活動中。該船は左舷に6度傾斜。船内にはまだ七百名が取り残されている』
船舶火災で最も恐れられることは機関室の誘爆。
それを防ぐために火元とは違っても放水する。機関室に注水して引火誘爆を防ぐためだ。
現場をざっと確認するとむくどりはそのまま直進する。現場への潜入を支援してくれる巡視船と合流するためだ。数分も飛行するとその船が見えた。窓から見える海面には一隻の巡視船が
全長はおよそ50メートル。船尾に搭載された黒い複合艇が船上から突き出され、いつでも出発できる状態になっている。
『巡視船『こしき』より愛情保安庁『むくどり』。SST受け入れ準備が完了した』
「むくどり了解。通常通り航行せよ。船尾より接近しロープで降下させる」
小川さんが無線交信している間に、眼下の巡視船ははるか彼方へと遠ざかる。
ヘリは右に傾きながらゆっくりと高度を下げていく。
一分もしなかっただろう。
むくどりは旋回を終え、巡視船の後方に位置していた。
降下の時機が近づいてくる。
三、二、一……。
「現着!」
「この位置ホールド! 降下する!」
姉ちゃんは俺たちに降下を命ずると、足元に置いていたファストロープを機外へと蹴り落とす。
しゅるしゅるとロープが伸びていき、ドアの向こうにピンっと垂れる。
姉ちゃんがそれに飛びつき降下していく。続いて浦上さん、郁美、美雪、愛梨と続いて俺の番。
勇気を振り絞って降下を始める。
目の前をファストロープがスルスルと上に流れていく。顔を撫でる潮風。降下地点の周りはスクリューで掻き回された海面。
怖くないわけがない。
しかしそれを上回る自信がある。
この瞬間のために幾度となく訓練を積んできたから。
無事、巡視船に降り立った。
俺はむくどりに視線を送ることなく、舷側に突き出された複合艇に乗り込む。
船首で切り裂かれ、白くなった海面が轟々と流れていく。
続いて浦上さんが乗り込んできた。
これで全員だ。
「SST乗艇完了。発進時機まで待機する」
「接舷したらボクと浦上さんが乗り込む。完全に移乗したのを確認したら登ってきて。それと該船では鹿児島SSTが活動しているから
姉ちゃんがいつもどおりに指示をだす。
空に立ち上る黒煙。
それを吐き出す豪華客船が見えてきた。
『船橋、複合艇。まもなく現場海域に到着する』
『複合艇、発進!』
ダンッ!
音を立てて、クレーンが複合艇を投下する。
砕ける海面、唸る発動機。
爆走すること数分後、複合艇は作戦現場である豪華客船『イヴァンテエフカ』の左舷後方に占位した。
姉ちゃんと浦上さんが船から下げられた縄梯子にとりつき、移乗を開始した。さくさくと登っていき、デッキに達する直前で止まった。
先頭の姉ちゃんがピストルを抜いてデッキを覗き込む。
誰もいないことを確認したのだろう。そのまま客船へ乗り込んだ。
『クリア。登ってきて』
姉ちゃんから無線が入る。
縄梯子を郁美、美雪、愛梨と登っていく。
俺の番だ。
「お世話になりました」
送ってきてくれた海上保安官に礼を述べて、愛梨に続いて縄梯子を登り始める。
ギシギシと軋む縄梯子。
誤って転落しないように、丁寧に脚をかけながら登っていった。
「姪乃浜、潜入完了。救助の進捗は?」
『まだ二割だけだ。ヘリと縄梯子での救助だからあまり進んでいない』
この高さだ。
縄梯子で脱出するという日常では経験できないことに、一般人は恐怖するだろう。
救助に時間がかかるのはしかたない。
人数も多いしな。
『船内には自力で動けない乗客が多数取り残されているが救助している暇はない』
ヤンデレの鎮圧。
それが俺たちの任務で、最優先目標だ。
悪いが救助部隊をアテにしてもらおう。
『ヤンデレの捜索中に要救助者と遭遇することが考えられる。レベル2での捜索だ』
うちでは進撃の方針をレベル1~4で分けている。
今回発令されたレベル2というものは、民間人の前に堂々と姿を現し、「動くな! 愛情保安庁だ!」と警告をしながら進んでいくというもの。
民間人にとっては何事かと恐怖する光景だろう。
もし現実でこのような状況に遭遇したら、大人しく俺たちの指示に従ってほしい。
間違ってもコーヒーをぶちまけるようなことをしてはならない。脳みそをぶちまけたいのであれば話は別だけど。
それぞれの担当エリアに分かれてヤンデレの捜索が始まり、怪しい部屋はすぐに見つかった。
扉の向こうからは男女の話声。会話の内容までは分からないが、どうやら男のほうは悲鳴のような声で何かを懇願しているようだ。
準備は大丈夫だ。
扉を勢い良く開いて突入。
中には支柱に手錠でつながれた男性。
そして彼の隣には色白の女性。彼女は病んだ瞳をこちらに向けていた。
彼女の胸部に向けて数回発砲。
狭い船内に乾いた銃声が響く。
よし沈静化した。
だけどこの顔立ち、ロシア人か?
俺はロシア語の知識を総動員して話しかける。
「ダスピターニャ! ハラショー! バームクーヘン! ヤパー!」
雰囲気で言いたいこと――俺は敵ではないことは伝わっただろう。
「日本語でオーケー」
なんだよ。
日本語話せるのかよ。
「姪乃浜、ヤンデレを発見した。応援をくれ」
『了解。鹿児島の連中を向かわせる。到着まで対応せよ』
日本語が分かるのであれば手っ取り早い。
ヤンデレ鎮圧作戦の始まりだ。
「日本国愛情保安庁だ」
「なに? 私たちの邪魔をしにきたの?」
「違う。敵じゃない」
「味方でもないんでしょ?」
めんどくせぇなこいつ。
「君たちを救助しにきた。この船は沈む。さぁ早く脱出しよう」
「嫌よ!
「船が沈むんだぞ?
「一緒に死ねるならそれは幸せ。そうよね?」
恍惚とした表情を見せる彼女。
怯えて必死に首を振る正則。
「そうか」
それじゃあ仕方ない。
俺は近くにあった防火用具入れをあさり、目的のものを取り出した。
「斧で手錠を断ち切るか? 彼には悪いが手首を飛ばす自信があるぞ」
「や、やめてくれ!」
正則は必死の形相で懇願する。
まぁそんな無茶、俺はしないよ。
「何よアンタ! 正則をいじめないで!」
ヤンデレの右手にはナイフが出現した。そしてそれを突き出してきた。
俺は彼女の
甘いな。俺たちはこんな時に備えて何度も訓練を……え?
彼女の左腕が俺の右脇へと延びていた。そしてその先にはさっきと同じナイフ。脇から侵入した凶器はあばら骨をかいくぐり、心臓へと達していた。
【SOTARO IS DEAD】
『宗太郎の死亡を確認。残りライフ二つ』
いつもの姪乃浜の格式ばったセリフだ。
「あ~あ、やっちまったよ」
これは帰ったら愛梨に怒られるな。
腕立て伏せ三百回で済むかな?
『というか宗太郎、ぶっちゃけ油断してただろ』
「だってまさかの二刀流だぞ。そんなことあるのか?」
『凶器はヤンデレの狂気が具現化したものだからな。その狂気が強いほど凶器も強くなる。二刀流だって十分に考えられる』
二刀流なんてVRゲームかメジャーリーグだけの話かと思っていたぞ。
『次は油断せずに対処するんだぞ』
【CONTINUE】
「何よアンタ! 正則をいじめないで!」
彼女の右手に出現したナイフが突き出される。
それを俺はさっきと同じように弾き落とした。そして態勢を立て直す。
案の定、ヤンデレの左手にナイフが出現。それを今度は
「ほら、正則君だって逃げたいって言ってるぞ」
「違う! 正則はそんなこと言わない!」
「逃げたいよ!」
ほら正則、その調子で押しまくれ。
「正則は黙ってて!」
俺の味方に八つ当たりしたヤンデレはファイティングポーズをとった。
「ロシア系だな。システマか? サンボか? ボクシングか?」
彼女に応戦しようと俺はサブマシンガンを背後に回してファイティングナイフを逆手に持ち、格闘の姿勢をとる。相手が格闘戦に持ち込むのであればこちらも同じ格闘で迎撃したほうがやりやすい。
「素人と思わないで。サンボを習っているのよ」
「民間用と軍事用は一緒にするものじゃない」
ヤンデレの眉間にしわが寄ると同時に彼女の右手にナイフが出現した。そしてそれを振りかざして襲い掛かってきた。
格闘技を習っていたとしても人体を破壊することを目的に開発された軍事用の格闘術とはまともに相手をすることはできない。俺は振り下ろされたナイフを
「サンボを習っていると言っていたな? もしかして趣味はアームレスリングか?」
「?」
「俺の部隊にはとんでもないマッチョマンがいる。しかも二人だ。やたらと脱ぐ癖があるのは困りものだがいい奴らだ。ほら、早くここから脱出してそいつらに会いに行こう。きっと気に入るはずだ」
関節技を決めたままヤンデレの興奮を鎮めるために俺はそう語り続けた。
五分もしなかっただろう。
逃げる、逃げない、正則はそんなこと言わないの押し問答をしていたら、鹿児島SSTの隊員が二人やってきた。
彼らはヤンデレの顔を見て戸惑い、恐る恐る「ズドラーストヴィチェ」と、カタコトのロシア語で話しかけていた。
バカだな、こいつら。
見た目がロシア人だからといって日本語を話せないとは限らない。
「それじゃあ宗太郎君、彼女は俺たちで対処するから」
「はい、お願いします」
とりあえず俺の仕事はひと段落。
まずは無線だ。
「姪乃浜、ヤンデレを鹿児島SSTに引き継いだ」
『了解。宗太郎は救助作業にまわれ』
「了解」
さてと。
まずはこいつからだ。
「一応聞いておこう。斧とピッキング、どっちがいいか?」
「も、もちろんピッキングで!」
「斧のほうが早いけど?」
「やめてくれ!」
そんなに俺を信じてないのかよ。
「悪いがピッキングツールは持ってきていない」
「そんな……」
彼の顔から一気に血の気が引いていく。
おいおい、斧で断ち切ると決まったわけじゃないぞ。
「まぁ待て。手錠のピッキングなんて針金が一本あればできる」
手錠は簡易的な拘束具。
緊急時に鍵がなくても外せるようになっている。
針金じゃなくてもいい。
ヘアピンやクリップ。ある程度硬さがあって形を自由に加工できるものであればなんでもいい。
俺はしばらく部屋を探し回った。
引き出しから工具箱。使えそうなものがありそうな場所は全て探し回った。
「……見つからないな」
まずいぞ、時間がない。
かと言って応援を呼ぶゆとりもない。他の救助で手が離せないだろう。
「すまん、目をつぶっていてくれ」
「え!? ピッキングじゃ!?」
「針金が無いんだ」
ねぇモンは仕方ないだろ。
それに時間も限られている。
「体には絶対に当てない。俺を信じろ!」
命をかけたっていい。
もしも当てたらピストルで自分の頭をぶち抜いてやる。
俺は言ったことは守る男だ。
だから俺を信じろ。
しかし彼はパニック状態。
早いところ終わらせたほうがいいだろう。
「動くなよ」
俺は斧を振り上げ、力いっぱいに振り下ろした。
ダンッ!
やべっ。
「ぎゃあああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
狭い船室に響く悲鳴。
吹き出る血液。
垂れ下がった手のひら。
「右手があああぁぁぁぁ!!!」
「おい! アンタが動くからだぞ!」
俺は何も悪くない。
これは事故だ。
骨も静脈も動脈も切断され、皮一枚でだらりと垂れ下がっている。
ポーチから止血帯を取り出すと彼の上腕に巻きつけ、ギリギリと締め上げた。
しかしこの状態では移動中に手首がブラブラして困るだろう。
腰からナイフを取り出して、繋がっていた皮に刃をいれた。
右手を完全に切断。
これで移動も楽だろう。
救助されたら凄腕のトナカイにでも縫ってもらえ。
それにしてもアレだ。
体に当てたら自分の頭を撃ち抜いてやると心の中で宣言した。
俺は言ったことは守る男。
しかし口に出してないからセーフ。
「さぁ、脱出するぞ」
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