第1想定 第9話

「むくどりより現場各員、現着まで約5分」

 俺と姉ちゃんは小川さんが操縦するヘリむくどりに乗って、現場の家鴨ヶ高校へ向かっていた。

『各員に通達、これより姪乃浜三監が指揮をとる』

 装着したインカムから現場の無線交信が流れてくる。

 俺はそれを聞きながらMP5SD5とUSPのマガジンに9ミリ弾を詰めていく。

『こちら機動8、隊員2名が到着。日向2、ヤンデレ接触時の状況を知らせ』

『日向2より機動8、監禁性を検知した時点で撤退したため接触していない』

『了解。機動8より姪乃浜三監、現場の高校に通う隊員1名を偵察に出してもよろしいか』

許可するポジティブ。目標を刺激しないよう注意せよ』

 偵察を出すやり取りがされている。

 うちの高校に通う隊員を送り込むということは鬼塚が出るのか。

 がっつり情報を集めてきてくれよ。

「さて、今回はどこに降下するか?」

 ホイストマンを務める高橋さんがスケッチブックを広げながら聞いてきた。

 そこに描かれていたのは俺の学校の見取り図。敷地のレイアウトから教室の配置まで正確に記されている。

「この棟の屋上でお願いします」

 ポーチ類が装着されたハーネスを体に巻きつけながら姉ちゃんは答える。

「降下方法は?」

「ボクが先にリペリング、宗太郎はガイドロープを使いながらホイストで」

「よかったな宗太郎。お姉ちゃんが支えてくれるってよ」

 それはありがたい。

 ホイストだけで下ろされるより、下からガイドロープで支えてくれたほうが安定する。

 むしろ姉ちゃんはガイドロープをたぐり寄せるために、先に降下してくれるのだろう。

 あれっ?

 装備品を見ての疑問をぶつけてみる。

「姉ちゃん、防弾チョッキは着ないのか?」

「着てるとヤンデレを刺激するからね。強襲するとか道中の戦闘が激しいとかじゃない限り着ないよ」

 それに動きが遅くなるし、と続く。

 これは潜入作戦だ。余計な装備は外していたほうが発見されにくくなる。それにいつ狂気性に発展するかは分からない。一刻も早くヤンデレを探し出さなければならない。

 俺も防弾チョッキを着らずに装備品を装着する。

 姉ちゃんのお下がりのハーネス、前の隊員が残していったホルスター。ランヤードは在庫がなくて今回は付けていない。ヤンデレに拳銃を奪われないように気をつけなければ。 

 降下後の動きについて説明される。

「ここに降りたら別行動ね」

「別行動?」

 予想外の提案だった。

「ボクがこっちの棟を捜索するから、宗太郎はこっちの棟を探して」

「でも俺は初めての実戦なんだぞ? 一緒に行動したほうがいいんじゃないか?」

 SSTとしては何回か任務に出て入るが、夜の高校に潜入しての作戦は初めてだ。

 不安しかない。

「大丈夫だよ。人はそんなにいないし、宗太郎だけでもできるはずだよ」

 姉ちゃんは俺を明るく励ます。

 きっと俺を鍛えるために、あえてこの選択をしたのかもしれない。

 だったら俺は与えられた仕事をやり遂げるだけだ。

「分かった。俺はここを捜索する」

 俺にできるだろうか。

 いや、すでに二回も作戦にでているんだ。自信をもとう。

「こちらむくどり。現場上空に到着」

『姪乃浜了解。突入は偵察の帰投後に実施する。別命あるまで待機せよ』

「了解。現場上空を旋回する」

 全開になったドアからは、見慣れた日向市の街並みを見下ろせる。

 こうして上空から見ると結構都会なんだな。暗闇にポツポツと輝く光がなんとも幻想的だ。

 これから降下する現場を眺めていると偵察の情報が入ってきた。

『機動8より各員、偵察に出した隊員からの通信が途絶えた。教員に拘束された可能性がある』

 鬼塚のやつあのバカ

 なにやってんだ!

『姪乃浜より機動8、現場に突入することは可能か?』

『できない。残りの隊員は経験が浅く危険だ』

『了解した。本作戦の現場突入はSSTのみで行う。機動8は現場の封鎖にあたれ』

 ……嘘だろ。

 SSTと機動隊の共同作戦で俺はあまりアテにしていないというから心にゆとりがあったのに、いきなり戦力2人だけで突入なんて。

 ここにきて一気に不安になる。

 しかし作戦の準備は着々と進んでいく。

『姪乃浜よりむくどり、進入を開始せよ』

 とうとうヘリに進入の命令が下りた。

 つまりSSTを投入するということ。

「60秒後に到着する。降下準備にかかれ」

「了解。ドア開きます」

 高橋さんがヘリのドアを開放すると、冷えきった風が機内へと飛び込んできた。 

 ホイストフックにロープが結索され、作戦の準備が着々と進んでいく。

 眼前いっぱいに広がる日向市の夜景。

 この平和な町の高校でヤンデレによる監禁事件が発生している。その現場に特殊部隊員2名が降下しようとしている。

 誰がこの状況を想像できるだろうか。


『現着10秒前』

 カウントダウンが始まった。

『6、5、4』

 ヘリがノーズアップとなり、制動がかかる。

 いよいよ降下だ。

『3、2、1、現着!』

 小川さんの宣言と同時に機体が水平になった。

 リペリングロープが投下され、重力によってまっすぐに垂れ下がる。それが絡まっていないことを確認すると、姉ちゃんはリペリング降下を開始。

 しゅるしゅるとロープをつたって降りていき、あっという間に屋上へ到着。降下器をロープから切り離し、銃を構え周辺を警戒する。

 クリアのサインが送られてきた。

 いよいよ俺の番だ。

 ハーネスに取り付けられたカラビナに、ホイストフックが接続される。

 落下防止の命綱を切り離し、機体の外へ振り出した。

 体を支えているのはこのホイストだけ。足場は何もない。

 ヘリの揺れが大きく感じる。

「大丈夫だ。あとはじっとしてるだけでいい」

 ホイストで吊り上げられるのは日中の訓練で体験している。

 一度経験したとはいえ、簡単になれるようなものではない。しかも今回降ろされる場所は学校の屋上、地上までの高度が追加されているのだ。

「ウインチから外れるとかないですよね?」

 もしくはウインチごと外れるとか。

「安心しろ。今朝、俺が整備した」

 嘘つけ。

 ボディビルしてたじゃねぇか。

 そして副隊長に乳首をつままれてたじゃねぇか。

 安心できねぇよ。

「こいつは300kgを吊り上げる能力がある」

 俺の体重がだいたい60kg。

 五分の一の荷重ということだ。

「だから宗太郎なんて屁みたいなものだ」

 なんだとクソ野郎!

 操縦席から小川さんの励ましが飛んできた。

「安心しろ宗太郎。ここにあるフラップ付きのボタンをぶっ叩かない限り外れんぞ」

 それは黙ってて欲しかったな!

 だけどいつまでもここでこうしているわけにはいかない。

 目をぎゅっと瞑る。

 それを合図に高橋さんがホイストを操作する。俺はゆっくりゆっくりと屋上へ降ろされていった。


 数十秒後、俺は無事に屋上へたどり着いた。

 カラビナとロープをホイストフックから切り離し、『離脱よし』のサインを機上の高橋さんに送る。その直後、ヘリはホイストケーブルを巻き上げ、上空から去っていった。

 いよいよ作戦が始まった。

 姉ちゃんは非常階段の踊り場へ続くはしごの蓋へと近づき、USPでそのヒンジを吹き飛ばした。

 支えるものを破壊された鉄板は自重に負け、裏側についていた南京錠を支点にだらりとぶら下がる。

 露わになったはしご。姉ちゃんはすぐさまそれに取り付くこともなく、穴を覗き込んで索敵する。

 俺に「クリア」という意味のハンドサインが送られた。

 その応答として姉ちゃんの肩をポンっと叩くと、USPをホルスターに戻してはしごに取り付き、非常階段へと下りていった。

 着地した姉ちゃんはMP5SD5を装備し、校舎の中の警戒を始める。俺が降りてくるのを援護してくれているのだ。

 待たせるわけにはいかない。

 俺ははしごにつかまって……ダメだ。怖くてできない。

 はしごの長さは三メートルほど。だけどここは三階建ての校舎の屋上。地上からの高度が俺の恐怖心に拍車をかけているのだ。

 だけどここでじっとしているわけにもいかない。俺は残った勇気を振り絞り、はしごを一段一段、確実に降りていき、無事に着地することができた。

「それじゃあ、ボクは向こうの棟のクリアリングに行ってくるね」

 そう言うと姉ちゃんは非常階段を降り始める。

 さて、俺も捜索を始めますか。

 目の前のドアをピッキングで破り、校舎への潜入を開始した。


 電気のついていない校舎を進んでいると、向こうからコツコツと足音が響いてきた。

 まずい。見回りの先生だ。

「姪乃浜、どうすればいい」

 俺はすかさず無線でアドバイスを乞う。

『物陰に隠れてやり過ごせ。それか無力化しろ』

 周りに隠れられそうなところはほとんどない。隠れられたとしてもすぐに見つかってしまいそうな場所ばかりだ。

 やるしかないのか?

 選択肢は殺害するか気絶させるかのどちらかだ。やり過ごすというのが不可能というわけではないが、発見されればそのどちらかを選ばなければならない。

 だけど俺にできるのか?

 格闘で気絶させるのだったらまだいい。

 最悪、殺害することになったとき、俺は殺すことができるのか?

 そんな葛藤をしている間にも足音は近づき、とうとうこちらの存在に気づかれた。

「そこにいるのは誰だ?」

 低い男の声がしこちらに近づいてくる。

「早く下校しろ」

 奴は生徒指導部の永尾だった。

 永尾は俺のほうを見るなり、首をかしげる。

 それも当然だ、学校の生徒が黒ずくめの格好で銃を持っていたのだから。

「それは何だ?」

 そう言って、俺が持っているUSPを取り上げようと手を伸ばす。

「これは……」

『宗太郎、そいつを始末しろ』

 永尾に銃口をむける。

 人生で初めてだ。生きた人間にましてや実銃を向けるなんて。

「教師に刃向かうとは、お前には教育的指導が必要だな」

 トリガーには指をかけている。

 しかし動揺していてすぐに引くことができなかった。

「大体、エアガンなんて学校に持っ来たらいかんだろ! これは没収だ! ちょっと生徒指導室に来い!」

 USPは取り上げられた。

 近接格闘を使うことも考えたが、今の俺の精神状態ではそれができなかった。


 生徒指導室に連行されるとパイプ椅子に座らされ、反省文の用紙を渡された。

 目の前には俺からUSPを取り上げた永尾、後ろには今年採用されたという教員、長里だ。俺が逃げないように二人でがっちりとマークしている。

「ほら、書け!」

 俺はUSPを没収されたため逃げることも出来ず、どうやり過ごそうかと考えていた。

「まったく学校にエアガンを持ってきて遊んでいたとは……」

 そう言うと、長尾は俺のUSPをちらつかせ、おちょくるように、俺を見た。

「へへっ、俺も昔遊んだことがあんだよ。昔はゴルゴと呼ばれていた」

 永尾は得意そうに、USPの引き金に手をかけ俺の方に向けた。

 銃口を向けんじゃねぇ。

 何がゴルゴだ。完全に素人じゃねぇか。

 完全にそれがエアガンだと思い込んでいる。最近のは作りが実銃そっくりだから勘違いするのはまぁわからなくもないけど、エアガンおもちゃだからって銃口管理をおろそかにするんじゃねぇ!

「なんだ、壊れているのか? 引き金が引けないぞ?」

 安全装置セイフティがかかっているぞ、新人ルーキー

「それにしても精巧にできてるなぁ。まるで本物だ」

 そりゃ本物だからな。

「で、何で学校にこんなものを持ってきたんだ!」

「いや、それは」

 どうする? まさか「ヤンデレを鎮圧する為です」なんて言えないしなぁ。

「早く答えろ!」

 俺は、永尾の迫力に圧倒されて言葉が出なかった。

「お前は、学校を何だと思ってるんだ、なんなこともわからないなんてクズなのかお前は!あぁ~ん」

 何だコイツのキャラは、ヤンデレワールドの影響でおかしくなったのか?

「それと、お前さっき俺に銃を向けたな、まさかエアガンで逃げようとしてたのか? フン、浅はかな考えだな、いかにもクズが考えそうなことだ」

 いや、本物だから。

 撃たれたら死ぬから。

 場所によるけど。

「おい、なんとか言ったらどうなんだ! このクズが!」

 クズしか言えねぇのかよ。このクズ!

 俺が出方を考えていると、イヤホンがら声が聞こえてきた。

『宗太郎、返事をせずに聞け』

 姪乃浜からの通信だ。

『これからありさが宗太郎の救出作戦を開始する。その前の状況確認だが、その教室の標的は二人だけだな? イエスならば沈黙を続けろ』

 標的とはおそらくコイツらのことだろう。

 俺は姪乃浜の指示通り、言葉を発せず、ただひたすら沈黙を続けた。

「オラ! 何か言えよ!」

 おい姪乃浜、ふざけんなよ。

 お前のせいで怒られたじゃねぇか。

 そしてはやく返事をしろ。このまま黙り続けなければならないじゃねぇか。そしてそのぶん怒鳴られるじゃねぇかよ。

『……了解した。これからありさが突入する。絶対にそこを動くな』

 俺は姉ちゃんが突入してくるのを今か今かと待ち構えていた。姉ちゃんのことだ、きっとあの木製のスライディングドアを盛大に爆破して入ってくるだろう。

 ついつい視線がそのドアへ行ってしまう。

「おい」

「!」

 しまった! ドアをジロジロと見ていたから怪しまれた!

「俺の話を聞いていたか!?」

「いえ……」

「人が話すときは、その人の目を見て話を聞けと習わなかったのか? え?」

 あーくそっ。

 早く助けに来てくれないかな。

「さっきからなんだ、ドアをチラチラ見やがって。誰かいるの――」

 永尾は体をひねって後ろのドアを確認する。

 炭酸を開けたような音が響いた。目の前に座っていた彼は頭から血をまき散らしながら椅子から崩れ落ちる。

 !?

 間を置かず今度は長里が倒れた。メガネの破片が混ざった血液を俺の肩にぶちまけながら。

 その直後、覆面をかぶった姉ちゃんが窓を飛び越えて突入してきた。

 USPを手にしている。おそらくアレで二人を始末したのだろう。

 だけどそこまでする必要はないはずだ。

「姉ちゃ――」

標的を排除タンゴダウン

 俺を無視して無線を入れる。

 何か言えばすぐに返してくれる姉ちゃんが。

 標的を殺す恐怖、殺した罪悪感、そして殺意。

 覆面から露出した瞳にはなんの感情も映ってはいなかった。

「隣に感づかれた」

 姉ちゃんはMP5SD5サブマシンガンに持ち替えながら姪乃浜に無線を入れる。

 この部屋の隣は生徒指導部の職員室だ。そしてざわめきと緊張感で張り詰めたただならぬ雰囲気が壁越しに伝わってくる。

 人が倒れる音がしたんだ。しかも2回。

 怪しまれないわけがない。

 隠密潜入した特殊部隊によって同僚二名が射殺されたとは誰も想像していないだろうけど。

「ダイナミックに切り替える」

『レベル4だ、やれ』

「了解、突入する」

 隣の生指部へとつながる扉を目指して、姉ちゃんはまっすぐ突き進んでいく。

 しかしドアノブに手をかける前に向こうから人が入ってきた。

「おい何があっ――」

 奥から現れたのは生指部長の谷井。

 彼の手には警棒が握られている。体罰を疑われてもおかしくないような得物だ。おそらく俺が暴れたと思われたのだろう。

 だけど谷井は飛んで火に入る夏の虫。武器を持ち出したところで結果は変わらない。相手は警棒を持った警察官プロを素手でフルボッコにする特殊部隊員姉ちゃんだから。

 姉ちゃんはサブマシンガンの銃口でそれを払う。そしてストックで谷井を張り倒すと、トリガーに指をかけて止めを刺した。

『消せ!』

 姪乃浜の命令の無線が入るとほぼ同時に、姉ちゃんは生指部へ踏み込んでいった。

 隣からツクッ、ツクッ、っとSDシリーズ独特の銃声が聞こえてくる。

『おい宗太郎!』

 はっ!

 姪乃浜の問いかけで正気に戻った。

 姉ちゃんの冷酷さに圧倒されている場合じゃない。

 俺は慌ててあとを追う。しかし生指部の制圧はすでに終わり、さらに隣の生徒会室へ踏み込むところだった。

 直通のドアが蹴破られる。

 目の前には一人の女子生徒。どうやらこちらの異常に気付いて確認しようとしていたところらしい。

 武器は持ってはいないが姉ちゃんは容赦しない。 

 彼女の肩をつかんで体の向きを入れ替えると、首元にナイフをピタリと当てて人質にする。

 ツクッ、ツクッ、ツクツクツクツクッ!

 そして片手で構えたサブマシンガンで室内を制圧する。

 アニメなどでは絶大な権力を持った組織として描かれる生徒会であるが、所詮、たまたま選挙で選ばれただけの生徒の集まりだ。そんな彼らが特殊部隊の突入に対処できるわけがない。

 あっという間に書類は血に染まり、広げられたポテトチップスにはピンク色の肉片脳みそが混入し、エアコンの効いた室内に硝煙が充満する。

 ある生徒は鼻が砕け、ある生徒は眼球がはじけ飛んでいた。

 うつぶせに倒れている女子生徒の背中は穴だらけ。彼女を貫通した銃弾は目の前のドアに複数の弾痕を残している。脱出しようとしたところを始末されたのだ。

 姉ちゃんは盾にしていた生徒の首をナイフで掻き切った。そして素早いクリアリングをしながら廊下へと出ていった。

 ロッカーの影に身を潜め、廊下の向こうをうかがう。

 消灯した廊下に紺色のアサルトスーツが見事に溶け込む。向こうからこちらの存在を発見することは困難だろう。その前に始末されるはずだ。

 そのまま十数秒。

「脅威を排除した」

『了解、戦果を報告せよ』

「敵対行動のため永尾、長里、谷井の3名を射殺。作戦行動秘匿のため、その他の生指部員2名及び生徒会役員4名を射殺した。味方の被害なし、以上」

 姉ちゃんはナイトビジョンを額に戻しながら結果を無線に吹き込んでいく。

 合計9名……か。

『よくやった、レベル1に戻す』

「了解、ステルスに切り替える」

 姉ちゃんは血に濡れたナイフを太腿で拭ってシースに戻す。

 そしてポーチから粘土の塊や電線などを取り出した。

 あれはプラスチック爆弾。どうやら罠を仕掛けているようだ。

「ねえ…ちゃ……」

「なに?」

 普段からは想像できない冷徹な声が返ってきた。

 人を9人も殺した直後だというのに、姉ちゃんはまったく動揺していない。

 慣れてしまっているのか、それとも精神が狂わないように心を閉ざしているのか。

 そんなことはどっちだっていい。

 俺は対照的な精神状態で姉ちゃんに詰め寄った。

「いくらなんでも殺すことはないじゃないか!」

 長尾も長里も、谷井のやつだって殺す必要はなかった。扉を勢いよく開けて「宗太郎を返せ!」で十分だったはずだ。

 なのにどうして殺してしまったんだ。

「じゃあ、宗太郎ならどうしてたの?」

「勢い良く突入して「そいつを開放しろ!」ってする。それなら誰も殺さずに済むぞ!」

「その方法であいつらが素直に宗太郎を開放したと思う?」

「……」

 それはないだろうな。

 生徒の俺があんな恰好をしていて連行されたのだから、生徒じゃない姉ちゃんが同じ恰好でやってきたら不審者として警察を呼ばれるはめになっていたはずだ。もっとも、いま俺たちがここで活動しているというのを警察は把握しているみたいだから逮捕とかはないだろう。

 だけど騒ぎになる。

 作戦は確実に困難になっていたはずだ。

 姉ちゃんは爆弾の設置作業を進めながら淡々と説教を続ける。

「そもそもあの時宗太郎が始末していたら、こんなことにはならなかった」

 言われて気づく。

 俺があの時永尾を消していれば、それ以外の8人は殺されることはなかった。彼らは永尾が殺されたことに気づかないまま、無事に帰宅していたかもしれない。

 特殊部隊の作戦にはこういう事口封じが必要だって頭では理解している。だけど体が動いてくれないのだ。

 分かっているさ。

 どうせこいつらは生き返るってことは。だけど――

「生き返るという理由で人を殺したくないって?」

 思考を姉ちゃんに巻き取られた。

「宗太郎、人を殺すのに抵抗がある?」

「ああ」

「なんで?」

「いけないことだからに決まってるだろ」

 意味が分からないとでも言いたげな表情で質問された。

 俺は姉ちゃんが考えていることが分からないよ。

 質問はまだまだ続く。

「人を殺すのはいけないこと?」

「当たり前だ!」

「じゃあどうして人を殺したらいけないか分かる?」

「それは……」

 例外はあるが人を殺せば法律によって罰せられる。

 じゃあその法律が無ければ殺してもいいのか?

 それも違う。「人を殺してはいけない」という命題が、まるでバカの一つ覚えのように感じてきた。「殺す必要がないからだよ。普段は」

 罠の設営に使った道具をポーチに戻しつつ、姉ちゃんはそう断言した。

『……ショックか?』

 違う。

 頭と体が、現実と理想が衝突しているだけだ。

 人が殺さずに済むのであればそれに越したことはない。

 しかし誰かを助けるためには誰かを殺さなければならないことだってある。この世の中は綺麗事だけで済むようなものではない。

 そんなこと分かってる。

 だけど俺は普通の高校生なんだ。そんな簡単にできるわけ、ないじゃないか。


 生指部を出た俺たちは、廊下を突き進み、渡り廊下を抜け、外に剥き出しとなっている階段を登って三号棟の二階に来ていた。

 この学校の三号棟は一階が校長室と事務室、それに守衛室と放送室があり、二階はまるまる職員室が入っている。

「姉ちゃん、ここは――」

 ささやくように話しかけると、姉ちゃんがさっと手を挙げた。「待て」というサインだ。

 しばらくすると職員室から、

「お先に失礼しまーす」

 と間延びした声がした。そしてスライディングドアが開かれる。

 俺と姉ちゃんはすぐさま階段の壁に身を潜め、帰ろうとしている先生の動向をうかがう。

 頼むから向こうに行ってくれ。こっちに来たら消されるぞ。

 コツ、コツ、コツ、コツ。

 俺の願いが通じたのか、先生は向こうの階段へと歩いていった。ホッと息をついて、姉ちゃんに相談を持ちかける。

「姉ちゃん、ここは強襲する?」

 俺は胸のポーチからスタングレネードを取り出して姉ちゃんに聞いてみた。一発しか持ってきていないが、使うとしたらここだろう。

 しかし姉ちゃんの判断は違った。

「ここは後回しにする。ここに監禁されているとは思えない」

 それもそうだな。

 俺は取り出したスタングレネードを再びポーチに納めた。

 職員室みたいな人の目が多いところに監禁するほどヤンデレはアホではない。そんなところを強烈な閃光と爆発音を立ててまで捜索していたら、今後の潜入作戦が困難になるどころかヤンデレを刺激してしまう。

 そもそも突入したときに俺が躊躇なく撃てるかという問題もある。さっきの俺は永尾を撃つのをためらったがために生指部に連行されて潜入活動に影響が出た。しかもあの時、永尾を撃たなかったがために、俺を救出しにきた姉ちゃんによってより多くの人が殺されることになった。その二の舞になりかねない。

「それじゃあ次は――」

『ありさ、宗太郎、音楽室に行け』

 突然姪乃浜から通信が入った。

 なにやら慌てているようだ。

「何があった?」

『つい先ほど狂気性が検出されてヤンデレの正確な位置が分かった。そして一人分の生体反応が消滅しつつある』

「嘘だろ!?」

 しまった。

 潜入中だというのについ大声を立ててしまった。

「おい! その声は生徒だな!」

 !

「宗太郎、人に気づかれた。こっちにくるよ」

 さっきの声を誰かに聞かれたようだ。

「生徒会と吹奏楽以外は下校だ。君はどこの部活の生徒だ」

 このままでは人がやってきて発見される。そうなれば今後の作戦に支障をきたす。

 まずい、まずいぞ。

 しかし姉ちゃんは全く動揺したようすがない。このような状況を何度もくぐり抜けて着ているのだろう。ハンドサインで俺に指示を出してきた。「そこに下がってて」という意味だ。そこというのは踊り場のこと。

 俺は了解の意味を込めて姉ちゃんの肩をポンっと叩き、指定された場所へ移動する。

 数秒後、男子生徒がこちらを覗き込んできた。それと同時に姉ちゃんが飛び出し、廊下の影へと引き込みつつ、そいつの後頭部をコンクリートの床に叩きつける。

 さらに馬乗りになって顔面をボコボコに。

 俺はその間、彼がやってきた廊下を覗き込み、誰かに見られていないかを警戒する。

「一旦退却。こいつを隠して音楽室に移動する」

 顔面を殴られまくって気絶した彼の腕には「風紀委員」と書かれた腕章がついていた。

 どうやら外出して生き延びていたやつらしい。

 姉ちゃんは風紀委員を担ぎ上げ、そして俺たちは移動を開始した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る