第1想定 第6話

「第七管区宮崎愛情保安部宮崎特殊鎮圧部隊隊長の姪乃浜三等愛情保安監だ」

 目の前に整列する警察官のたまごたちがどよめく。

 パロディ感丸出しの組織名に驚いたのか、それとも階級の高さに驚いたのだろうか。

 数名は吹き出してしまっている。おそらく前者だろう。

「お前ら集中しろ! 警視クラスだぞ!」

 すかさず警察学校教官の一喝がはいる。

「まぁまぁいいじゃないですか中原教官。うちの階級はあってないようなものですから」

 そりゃそうだ。

 なんせ三等愛情保安士が三等愛情保安監にタメ口を使っているし。むしろそれが推奨されている。

「ですけど――」

「それにこの状況で集中するってほうが難しいですよ」

 高校生や大学生が『愛情保安庁』と記されたタクティカルベストに身を包み、銃の準備をしているのだ。気にならないわけがない。

 俺と姉ちゃんと愛梨、それと姪乃浜は宮崎県警察学校に来ていた。

 射撃場を借りて、これから実弾の射撃訓練をするのだ。

 そのついでにSSTを初任科生に見学してもらおうというもの。同時にやったほうが効率がいいもんな。

 再び初任科生がざわめいた。

 俺がガンコンテナから愛用のUSPを取り出したからだ。

 ふふっ、いいだろぉ?

「ドヤ顔してないでさっさと準備しなさい!」

 となりでMP5を準備していた愛梨に叱り飛ばされた。

 少し自慢したっていいじゃないか。

 俺は内心反発しながらも作業をすすめる。

 傍では姪乃浜の演説が続く。

「愛情保安庁の任務のひとつに『ヤンデレの恋愛支援』というものがある。軽いものであれば保安官だけで十分だ。しかしヤンデレが悪化して機動隊や特殊部隊SSTが出動するような『対ヤンデレ戦闘』に発展した場合は警察との連携が欠かせない」

 銃弾、銃弾っと。

 俺は銃弾が収まった箱を取り出し蓋を開ける。

 中には9ミリパラベラム弾。銅色に輝く弾頭。その光景は官能的でさえある。

「その訓練は初任科課程の終盤に実施される。今回は特別なことはしないが、SSTというものを見ていってくれ」


 それから俺たちの射撃訓練が始まった。

 USPを抜き、サムセイフティを解除しながら指向。サイトで的を捉え、連続で三回発砲する。

 う~ん、三発目がけっこうずれたな。

 射撃訓練といっても警察学校でするようなじっくり狙って撃つようなものではない。銃口をさっと向けてすっと撃つ、実戦さながらの射撃訓練だ。

 姉ちゃんは89式。愛梨はMP‐5で射撃をしている。しかも左右の持ち替えや拳銃への交換を織り交ぜながらだ。

「宗太郎」

「ん?」

「さっきは特別なことはしないと言ったが、何かしたほうがいいと思うか?」

「何かって?」

「訓練の体験とかだ」

「そりゃあ見てるだけよりかは勉強になるだろ」

 百見は一行にしかず、だ。

「といってもさすがに銃を撃たせるのはまずい」

 それもそうか。

 しかも今後のためになるかという問題もある。ここでの射撃経験が今後全く役に立たないというわけではない。しかしライフルやサブマシンガンなんて、特殊部隊配属にならない限り撃つことはない。

 今後の警察任務で役立つことといえば……。

「格闘訓練なんてどうだ?」

「お、いいなそれ」

「だろ?」

 警察学校では逮捕術の訓練を受ける。もう夏の始まりだから、その技術もある程度進んでいるだろう。

 SSTの格闘術は逮捕術とは異なるが、異種格闘戦ということでいいんじゃないか。

 俺の案を採用した姪乃浜は早速その準備に入った。

「このなかにSSTと格闘戦をしてみたいやつはいるか?」

「ちょっ――」

 中原教官が慌てて止めにはいろうとするが間に合わない。

「そこの女子大生が相手だ」

 姉ちゃんが銃を下ろし、ちらりとこちらを向く。

 それと同時に歓声があがる。

「「「「「うおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」」」」」

「待てお前ら! 早まるな!」

「もし良い立ち回りができれば、うちからハンティングがあるかもしれないぞ?」

 中原教官が血相を変えて止めに入る。

 しかし初任科生たちの興奮は収まらない。

「ちょっと姪乃浜さんってば!」

「なんだ?」

「なんだじゃないでしょうが! 合同訓練はまだ先でしょ!?」

「まぁいいじゃないですか。どうせいつかするんですし」

「今のコイツらにはまだ早すぎますって。しかも相手がっ!」

 中原教官が中止を進言するが、姪乃浜と初任科生の耳には入っていない。

「ほら中原教官、号令をお願いします」

 進言を続けるか諦めるか。

 慌てた様子で迷っていた中原教官だったがとうとう結論をだした。

「全員、暴徒鎮圧装備に着替えて運動場に集合! 訓練は先着順だ」

 どうなっても知らんぞ――と続いたが、血気盛んな彼らの耳に入ることはなかった。


「ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァァ」

 運動場に初任科生の雄叫びが響きわたる。

 いや、雄叫びというよりは悲鳴だ。

 彼は初任科の浜崎さん。

 この格闘訓練では三人目の……犠牲者だ。

 前の二人は捻挫と脳震盪で医務室に送られている。

 あの自信に満ちあふれた浜崎さんはどこへ行ってしまったのか。

 悲鳴を上げながら、警棒を振りかぶって姉ちゃんに襲いかかる。

 最初は素手で戦ってたのだけど、姉ちゃんに負けまくって警棒を抜いたのだ。

 明らかに警察学校では習わないであろう振り方だ。もしこれを暴徒鎮圧で使おうものならば、どちらが暴徒かわからなくなる。

 しかし姉ちゃんは全く怯まない。

 攻撃線を外して体を沈めたかと思うと、降ってくる肘関節に右腕をからめて攻撃を受け止める。そして肩を押しながら背後コールドゾーンへ入り込み、肘関節をキメたうえで地面へ押し付けた。

「ほら次!」

 姉ちゃんは次の格闘戦のために、浜崎さんの肘関節を開放する。

 格闘訓練が始まってもう二十分は経過した。

 しかし浜崎さんの攻撃は一度も成功していない。技を出す前に仕掛けられるか、出した技を返されるかのどちらかだ。

 明らかに姉ちゃんの一方的な格闘戦。その状況に浜崎さんは冷静さを欠いてしまっている。

 完全な悪循環だ。

 冷静さを失えば動作が単調になり、さらには反応も遅くなる。

 浜崎さんは再び警棒を振り上げて襲いかかった。

 さっきと全く同じ振り方だ。

 しかし攻撃が同じといえども、受ける側の動作はさっきとは違う。

 攻撃線からは外れるが、腕をからめることなく警棒を見送る。そして障害物がなくなった顔面にひじ打ちを入れる。

 直撃はしない。ヘルメットに装備されたフェイスシールドが彼の顔面を守ったのだ。

「来い!」

 浜崎さんの顔は涙や鼻水でドロドロになっている。

 恐怖、絶望、後悔、嫉妬、劣等感――

 ポリカーボネートの奥からはさまざまな負の感情があふれ出ていた。

 しかし格闘訓練はまだ続く。

 絶望している浜崎さんを仲間たちが応援する。

 さっきから姉ちゃんに連敗してはいるが、警察学校で何もしてこなかったわけではない。

 これまでに流した涙の数を思い出したのだろう。仲間と励ましあった訓練を思い出したのだろう。絶望の瞳の中、闘争心がかすかに灯る。

 浜崎さんが再び警棒を振り上げた。

 今度はさっきとは少し違う、斜め上から切りつけるような攻撃線だ。

 それに対し姉ちゃんは懐に飛び込み、降り下ろされる彼の腕を正面ホットゾーンで受け止める。そしてその腕を体の正面で回したかと思うと、警棒は地面にこぼれ落ちていた。

 重心をずらされ不安定な体勢になった浜崎さんを倒すのは簡単なことだ。姉ちゃんは顔面をつかみ、彼を地面に叩きつけた。

「次だ!」

 浜崎さんは立ち上がると、警棒をまっすぐと突き出す。

 それは警察学校の特集とかでよく見る動き。基本の動きだ。

 しかしバカにはできない。

 何度も繰り返した動きだけあって、無駄な力が入っていない。しかもさっきみたいな大振りじゃないからスピードも速い。

 そして姉ちゃんの反応速度も速い。

 側面に出て警棒を躱すと、無防備な胴体に蹴りを入れた。

「……全然容赦ないな」

 俺はボソリとつぶやく。

 さっきのってこれまでの訓練を思い出して成功する流れだっただろ。

 俺、スポ根は嫌いだけど、そういう流れだっただろ?

「立て!」

 腹を抱えてうずくまる浜崎さん。

「誰が休めと言った!?」

 胸ぐらを掴まれて持ち上げられる。

 姉ちゃん怖えぇ!

 しかし彼は警察官の一人だ。

 いくら投げ飛ばされようが関節をキメられようが、決してあきらめはしない。何度でも食らいついていく姿には、県民をなんとしてでも守るという決意が感じられ――

「……むり」

 前言撤回。

 警察官らしからぬことを抜かしやがった。

 その発言に呆れたのだろうか。姉ちゃんは投げ捨てるように胸ぐらを離す。

「なんだ?」

 腰を抜かした浜崎さんのフェイスシールドを跳ね上げ、体液でドロドロになった彼の顔面をずいっと覗き込む。

 傍から見たらあらゆる男子が夢見るシーンかもしれない。しかし鬼軍曹にドヤされるのを夢見る奴はいないだろう。

「今なんつった?」

「………………」

「もういっぺん言ってみろ」

「………………い」

「あ゛?」

 やべぇ。

 姉ちゃんがハートマン軍曹にしか見えねぇ。

「……むりだ」

「聞こえねぇ!」

「むりだ」

「まだ小ィせぇぞ!」

「むりだ!!!」

「よし」

 姉ちゃん、なに納得してんだよ。

「もう投げられたくないか?」

「はい!」

「殴られたくないか?」

「はい!」

 浜崎さん、涙ながらの渾身の訴え。

「分かった!」

 バチン!

 浜崎さんの顔面に強烈なビンタが入った。

「おらっ! 泣く暇あったら反撃しろよ!」

 バチン!

「殴らないでって頼めば殴られないと思うのか? え?」

 バチン!

 怒号とビンタが交互に撃ち込まれる。

 ドラマでヒロインがするような甘いものではない。まず音が違う。

「それで済むなら警察なんていらねぇんだよ!」

 ほんとだよ。

 もしそれで済んでいたら暴行事件も殺人事件も起こらない。早いところ転職を考えたほうがいいだろう。

 それにしても……俺の姉ちゃん、鬼だ。

 いつも俺にデレデレなブラコン姉ちゃんからは想像がつかない。

 その光景を見守っていた中原教官が訓練中止を進言する。

 教え子が潰れていく姿に耐えられなくなったのだろう。

「姪乃浜さん、そろそろ……」

「え?」

 ここにも鬼がいた。

 止める気なんてさらさら無いようだ。

「浜崎が潰れてしまいますって!」

「いやいや、ちゃんと手加減してますよ」

「どこが!?」

「関節外してないでしょ?」

 それは手加減と言えるのか?

「大丈夫です。あの程度だったら女子高生でもやってますから」

「女子高生っつっても特殊部隊でしょうが! こいつら初任科生ですよ!?」

 姪乃浜と中原教官が揉めているあいだも訓練は続けられる。

 いや、訓練というよりも説教だ。

 姉ちゃんは体液にまみれた浜崎さんの顔面をつかむと、地面へと叩きつけた。

「整列!」

 そして周りで見学していた初任科生に緊張が走る。

「気合、根性……この訓練中、それらを一度も言わなかった者は挙手せよ」

 列がざわつく。

「お前、言ってないだろ」「いや、めっちゃ叫んだし」と、ところどころで魔女狩りが行われている。

 まぁほとんどの連中が精神論で応援していたからな。

 しかし彼らは大きな勘違いをしている。

「正直に答えろ。一度も言わなかった者は?」

 二人がおそるおそる手を挙げた。

 そして彼らは姉ちゃんの命により中原教官の隣へと移動させられる。二人はとぼとぼと列を外れ、それとは対照的に残った初任科生は安堵の表情を浮かべる。

 こいつらバカだ。

「これより屈み跳躍を実施する」

 精神論を叫ばなかったから二人が外されたのではない。精神論を叫んだからこそ二人以外が残されたのである。

 彼らは油断していた。

 予想外の号令にそのほとんどが戸惑っている。

「ただの屈み跳躍じゃ物足りないか? よし、全員盾を頭上に掲げろ」

 内容が不満だったから準備しないものと勘違いしたのか。

 いや違う。わかってて勘違いしたのだ。

「時間がないから50回だけだ」

 初任科生たちはこれ以上負担が増えたら困ると、我先に準備を整えた。

 最初からそうしていれば盾を使わなくて済んだんだけどな。

 とうとう屈み跳躍がはじまった。

 姉ちゃんは数字で号令をかけながら、ある程度進んだところで演説を始めた。

「気合、根性……口を開けばすぐに精神論を語るやつがいるが、そういう奴は信用できん。勘違いするな。お前たちに足りないのは精神力じゃなくて技術だ」

 二、三数字を進めて再び続ける。

「精神力だけでどうにかなるほど、この世界は甘くない。それともお前らの命は精神論だけに預けられるほど軽いのか? え?」

 カウントが進み再び話が続く。

 もちろんその間は脚を入れ替えることはできない。

 ほぼ全員がプルプルと震えている。

「ちょっと! 体験するのは数人だけじゃないんですか!」

「どうせ今度するんですから、軽くやっておいたほうがいいでしょう?」

「どこが軽いんですか!」

「え? このくらい警察学校でもやってるでしょ?」

 何言ってんだこいつ、と姪乃浜は中原教官を突き放した。

 そして俺にむいて。

「ありさの階級、二正って言ってただろ?」

 二等愛情保安正の略称だ。

 軍隊でいうところの中尉といったところだろう。

「普通に勤務していたら、あの歳でその階級までは上がれない。うまくいっても一士だ」

 うちの隊で最もSST歴が長い浦上さんが一士。つまり一等愛情保安士だ。

 なにかやらかして昇進が止まっていると思っていた。むしろ早いほうなんだな。

「大きな手柄でもあげたのか?」

「手柄はいつものことだが……ありさは特別集合教育課程を出ている」

 特殊部隊にはさまざまな特殊技能が必要だ。爆破、語学、斥候、通信、サバイバル。数え始めたら切りがない。

 その特別集合教育課程とやらも、そういった特殊技能を身につけるための訓練だろう。

「ヤンデレ鎮圧任務といっても市街地戦から屋内戦までさまざまだ。山岳での長期戦になったこともあるし、航行中のヨットに強行突入したこともある」

 そのヨット、もしかしてナイスなボートじゃなかった?

 まぁあれはSSTが出ても手遅れな事案だけどさ。

 とっくに首をもがれてたし。

「そういったあらゆる状況に対応、そして部隊を統率できる隊員を養成するための訓練が特別集合教育課程だ。全国のSSTや機動隊から選抜された、ごく一部の優秀な隊員のみが受講できる。しかもこの訓練をクリアできれば幹部だ。あの歳で三正になることができる。まぁありさの場合、そのあとに特進して二正だ」

「幹部!?」

「宗太郎も興味があるのか?」

「まぁな」

 やっぱりかっこいいじゃん。幹部って。

「倍率は高いが目指してみるのもいいだろう……人格が変わるけどな」

 姪乃浜は遠い視線を姉ちゃんに向けてそう付け加えた。

 たしかにそれは考え物だな。

 しかし幹部か。

「四十九!」と怒鳴り続ける姉ちゃんを見ながら、そう心の中でつぶやいた。

 ……あれ?

 屈み跳躍って五十回だよね。

 どうやら気が済むまで続けるらしい。

「四十八!」

 ん?

「四十七!」

 え?

「四十六!」

 あっ……。

 しまいにはカウントダウンが始まった。

 終わらせるつもりはないようだ。

 数字が減るにつれて初任科生の顔がみるみる青くなっていく。中原教官も青くなっていく。

「姪乃浜さん!」

「……そろそろ止めてくるか」

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