第1想定 第4話

 太陽にじりじりと腕を焼かれながら、俺は家に向かって自転車をギシギシと漕いでいた。今日からはテスト期間のため全ての部活が休みになったのだ。

 ただし吹奏楽部を除く。あそこは成績優秀な生徒しか集まっていないから教師に信頼されているのだ。まぁテストで赤点をとったら退部ってルールがあるみたいだし。

 あぁ今日も舞香と帰りたかったんだけどなぁ~。せっかく部活がテスト休みなんだからどこかに寄り道しようと考えてたんだけど、舞香が部活でいないんじゃその意味がない。

 まっすぐ家に帰って、とりあえず日課のシューティング練習をしよう。

 それが終わったら現代社会のテスト勉強だ。このまえ姉ちゃんが買ってきたアメリカ海軍特殊部隊についての本を読もう……言っておくけど俺は遊んでいるわけじゃないぞ。 

 現代社会とはテロとの戦いの歴史のようなもの。つまり対テロ戦闘カウンターテロの歴史を勉強することは現代社会の勉強をするのと同義なのだ。

 ところで現代社会のテスト範囲ってどこだっけ?

《ビーッ、ビーッ、ビーッ》

 そんなことを考えていると、姪乃浜からの呼び出しがかかった。

「……またか」

 自転車を止めてイヤホンを取り出し、耳に装着する。

『ヤンデレ事案発生だ』

「場所は?」

『さっき宗太郎がいた高校だ』

機動隊鬼塚は?」

『現場付近にいない』

「なぜだ!?」

 学校が終わってそんなに時間はたっていないぞ。

 だから近くにいないとおかしいはずだ。

『……今、延岡に向かってるらしい』

 なぜだ!

 アレの自宅は日向市内だろ?

 なんで二つ隣の市に行っているんだ。

『イオンで買い物をするんだとさ。臨時収入があったとかで』

 バカか!?

 テスト前だぞ!

 さっさと家に帰って勉強しろよ!

『というわけで一番現場に近いのは宗太郎だ』

 まぁ発生してしまったものはしかたない。

「……すぐに引き返す」


 俺は自転車を飛ばして高校に戻ってきた。

 校門に入っただけでは特におかしいところはない。だが、しばらく歩き回っていたら、地面に血が落ちているのを発見した。それは一つだけではない。アリの行列のようにどこかに向かって続いている。

「血痕を見つけた」

『了解。それをたどって行け』

 廊下から点々と続いているその血痕は、地面に付着してからしばらく時間が経っていることを教えてくれた。

 そしてそこに残る血痕がヤンデレに襲われたやつの血液だということは容易に想像がつく。だが、その血痕はただの大小さまざまな赤い点だ。どの方向に歩いていったのかは分からない。

「どっちをたどればいい?」

『宗太郎の勘を信じるといいだろう』

 ……こっちだ。


 太陽が照りつける。

 俺はただひたすら血痕をたどって行くと、ある建物のドアへたどり着いた。

 嘘だ。

 それは俺がいつも世話になっている建物だった。

『どうした?』

「部室だ。野球部の部室に血痕が続いている」

『中にヤンデレがいるかもしれないし、ヤンデレから逃げてきたターゲットが隠れているのかもしれない。部室に突入し、状況を確認せよ』

「了解」

 俺はUSPのスライドを少し引き、初弾が薬室に入っている事を確認する……問題ない。左手をドアノブにかけ、呼吸を整えて突入のタイミングをはかる。

 ……今だ!

「動くな! 愛情保安庁だ!」

 ドアを勢いよく開け、警告を発しながら突入する。

 一瞬にして部室の中をスキャン、クリア!

 俺の目には人影が入ってこなかったが、そのかわり室内の惨状が飛び込んできた。ある程度は予測していたがこれは酷い。

 俺は赤い水たまりができた部室の中に足を踏み入れる。踏みしめた血液が怨霊のうめき声のようにひたひたと響き、生臭いものが鼻をつつく。

 赤くなった野球ボール。ヘルメットも血を浴びている。

「首をやられている。凶器は刃物の類だ」

 白い壁紙をキャンバスに血痕が放物線を描いていた。その血痕は規則的で、放物線が徐々に小さくなっている。

 壁に残るこのような血痕は、被害者が首を切られながらも逃げようとしたときにできるものだ。

 首に通っている頚動脈が切られると鼓動にあわせてビュッ、ビュッ、と勢い良く血が吹き出てくる。そしてその被害者が移動すると血がかかる場所が変わるから、こんな模様ができるというわけだ。

『血痕の反対側を捜索せよ』

「了解」

 部室に用がなくなった俺は、ドアを開いて退出する。

 しかしびっくり、出たところでバットを振りかざした男に襲われた。

「うおぉぉぉぉぉぉぉ!」

 ヤンデレ……いや違う。

 俺はサイドステップで素早く左に飛ぶ。その直後俺がさっきいたところをバットが通過した。金属がコンクリートを叩く嫌な音が周りに響く。

 再び攻撃するために持ち上げられるバット。それを俺は右脇ではさんで動きを封じると、左手の側面を相手の顎に叩き込む。相手はひるんで握力が弱まった。その隙に右手でグリップエンドを握ってバットを奪い取る。それを持ち替えて先端を相手のみぞおちに……。

 別府先輩!?

 俺を襲ってきたやつが、野球部の先輩だということに気がついた。みぞおちを突こうとしていたバットの先端がギリギリのところで止まる。

「何やってんすか!?」

「……上岡か。酷いじゃないか、俺を殴るなんて」

 彼は顎をさすりながら呟いた。

 バットで殴られるよりはマシだろ。

「お袋にしか殴られたことないのに」

 あんたは母親に何をしたんだ。

 いや、こいつが親不孝者だということはどうだっていい。

 別府先輩はなんで襲いかかってきたんだ?

 俺はこいつの頭をホームランしたい衝動に駆られながら、冷静に状況を聞いていく。

「……俺を誰かと間違えたんですね?」

 少なくとも俺は恨みを買うようなことはしていない。

「篠栗が殺されてるところを見たんだ!」

「この中で?」

 俺が部室のドアを指さして聞くと、別府先輩は首肯した。

 篠栗というのは俺の先輩のことだ。キャッチャーをしている。

「部室に置いてた教科書を取りに来たんだけど、ドアを開けたらなゆたが……」

「なゆた?」

「奈多なゆた、林業科の二年だ」

 名前が『奈多』ねぇ。「嘘だッ!」のヒロインと同じ凶器を使っているのか? いや、そんなベタなことはないだろう。それに鉈じゃ首をはねることはできても、首を引き裂くことはできない。

「なゆたが篠栗をなにかで切りつけているのを見たんだ」

「それで別府先輩は逃げたわけですね?」

「ああ」

「それでなぜここに?」

 どうして殺人現場に戻ってきたんだ。

 バカなの?

 死にたいの?

「襲われてるのは篠栗だってことを、教室にまで戻って思い出したんだよ。あいつを助けなきゃと思って、教室に置いてあったバットを持って戻ってきた」

 どうして教室にバットを置いてんだ。それを置いておくための部室だろ。

「そして俺をその奈多とかいうやつと間違えてバットでボコろうと?」

「そうだ!」

 別府先輩は胸を張って肯定する。

 今度サードゴロが飛んできたら、一塁送球と見せかけてこいつにぶち当ててやろう。別府先輩はピッチャーで、ほぼ送球の軌道上にいるから、悪送球と言い張ればごまかせるはずだ。

 ……本当にはしないけどさ。

「それに奈多を止めなきゃって思ってな」

「……なぜ?」

「だって俺と奈多、幼馴染みだし」

 マジか。

 奈多と幼馴染みということは、彼女がヤンデレ化した理由や手掛かりを知っているかもしれない。

「最近、奈多さんの様子が変とか、そういうのはありませんでしたか?」

「いや、特には」

 使えねぇな。


 俺は別府先輩と共に地面に残った血痕を追っていくと、林業科の実習エリアに入っていた。

 篠栗先輩を殺害した奈多とかいう女子生徒は林業科だ。自分たちのテリトリーにその死体を運んでいったのだろう。

「みぃ~つけた」

 しばらく進んだところで後ろから声をけられた。

 すぐさま振り返ってUSPを指向する。そこには女子生徒が立っていた。 

 彼女の着ているブラウスにはところどころに赤い液体が付着している。その液体は誰の何かなんて考えるまでもない。

「……奈多さんだね」

 しかし驚いた。

 あの大柄な篠栗先輩をここまで運んできたのだから、奈多は女子ソフト部にいるゴリラのような間違えた、体格のいいやつだと思っていた。しかし奈多はかなり小柄。身長は俺の姉ちゃんとほぼ同じ。腕の太さ、脚の太さもほとんど同じ。違うのは……胸の大きさぐらいだ。血を浴びて湿ったブラウスは奈多の体に張り付き、お碗のような胸をくっきりと浮かび上がらせている。

 ……ないな。

 その小柄な奈多は俺をあっさりとスルーし、

「探したよ、別府君」

「なゆた! 篠栗は、篠栗はどうしたんだ!?」

「殺したよ」

 俺たちが認めたくなかった事実があっさりと伝えられた。

「次は別府君だね」

 別府先輩が殺人予告をされる。

 これから先、この役立たずはいつ奈多に飛びつかれるか分からない。

 俺は二人の間に割って入る。

「ところで君はだれ?」

 獲物の前に立ちふさがったことに苛立ったのか、奈多は鋭く光るノコギリの先端をびしっと俺に向けて問いかけてきた。

「俺?」

「そう、鉄砲を持ったキミ」

「……上岡宗太郎。奈多さんと同じ二年生だ」

「クラスは?」

「会計科」

「へぇ~。ところで……野球部?」

「そうだけど?」

「じゃあ……」

 奈多の瞳は一瞬にしてハイライトを失った。さっきの質問に何か重要な意味があったのだろうか。暗い声音でその先が続けられた。

「君も殺さないとね」

 殺害予告を済ませると、奈多は俺に詰め寄ろうとする。

 しかし俺はすぐさま彼女の胴体に向けて発砲。奈多を一時的に沈静化した。続けて頭部に二発叩き込む。これで五~六秒は大丈夫だ。

 俺は別府先輩の腕を掴み、逃走を開始した。


 林業科の実習エリアを離脱した俺たちは、土足のまま校舎の中に駆け込み、隠れられる場所を探した。

 俺たちを追っているのが普通の女子生徒であれば、近くの教室に駆け込んで鍵をかければいい。しかし俺たちが逃げているのはヤンデレ化した奈多だ。鍵をかけてもガラスをぶち抜いて追ってくるだろう。そうなれば俺たちは逃げ場がなくなってしまう。だから俺たちは奈多の追跡を振り切り、見られていない状態でどこかの教室に隠れる必要がある。

 俺たちはただひたすら、土足のまま校内を逃げ回った。

 パソコン室や調理室などの特別教室が入っている一号棟に駆け込み、渡り廊下を突っ切って教室だけの二号棟に渡る。階段を登ったり降りたりしては再び一号棟に戻ってを繰り返した。

「なぁ上岡。これって『逃走中』みたいだよな?」

 恐怖で頭がおかしくなったのか。

 それとも元からおかしい(有力説)のか。

 俺はアホ別府の戯言をスルーして、ただひたすら走った。別に俺もそう思わなかったわけではないが、これをバラエティ番組と一緒にするのは気が引ける。

 もしこれが『逃走中』だったら、ハンターに捕まれば賞金を奪われて牢屋行き。

 だけど俺たちの場合、奈多に捕まれば命を奪われてあの世行き。こんな命懸けの『逃走中』をお茶の間に流せるか?

 そもそもあれはタレントが「キャ――――!」なんて叫び、ムダと分かっていながらアスリート並みの体力を持つハンターから逃げ惑う様子を嘲笑って楽し――

「まだ逃げるの?」

「「ギャ――――!」」

 上半身だけ振り向いて牽制射撃。ほぼ全力で走り、しかも無理な体勢での射撃だったがある程度のグルーピングは得られたと思う。奈多の足音が止まったから命中したのだろう。

 さっきから逃走する姿を奈多に見られては振り返って発砲。廊下を走り、階段を昇り降り、再び姿を見られては発砲の繰り返し。かなりのスピードで走り回っているが、全く奈多を撒ける気がしない。いったい奴の体力はどうなっているんだ。

 おかげでマガジン二本を空にしてしまった。今装填している三本目のマガジンもそろそろ弾切れだ。解決のヒントをなにも得られていないのに、この残弾はまずい。

 まずは俺だけで奈多の話を聞いてみよう。

 そもそもこのヤンデレ事案は奈多を正気に戻さないと解決しない。

 ここは俺が囮となって別府先輩を逃がし、そのあとどこかで合流しよう。

「先輩?」

「なんだ? まだ走れるぞ」

「いや、体力より先に弾薬がなくなります」

「……ベタだが囮が必要だな」

 俺と同じことを考えていたようだ。だったら話が早い。

「俺が奈多を引きつけるんで、その間に先輩は逃げてください」

「ああ。俺に構わず逝ってくれ」

 コイツ置いていこうかな?

「とりあえず生物室に隠れていてください」

「わかった。お前のことは忘れないぞ」

 忘れたくても忘れられないようにしてやるさ。今日の放課後にな。

 俺は立ち止まって後ろを振り返る。ともに響いていた別府先輩の足音が遠ざかっていく。

 耳で別府先輩を見送りながらリロードを済ませた。これでUSPの装弾数は十五+一発。

 俺がしないといけないことは二つ。別府先輩を逃すことと、奈多の話を聞くことだ。まぁ、奈多の話を聞いているうちに生物室までたどり着けるだろう。だったら実質的には一つだけだな。

 別府先輩と別れて数秒後。廊下の曲がり角から奈多が飛び出してきた。

「まずは君からだね」

 さて、どう時間を稼ごうか。

「その前に一ついいか?」

「……なに」

「なんで篠栗先輩を殺したの?」

「だって、邪魔だったんだもん」

「邪魔……ねぇ」

 この事件に愛情保安庁が介入している以上、奈多は誰かに対して恋愛感情を抱いていなければおかしい。

 奈多は篠栗先輩が邪魔だから殺したとすれば、篠栗先輩は奈多の何を邪魔したのか?

 考えられるとすれば……。

「もしかして、奈多さんは別府先輩のことが好きなの? それで……」

 いつも篠栗先輩が別府先輩と一緒にいるものだから、別府先輩を独占することができなかった。だから篠栗先輩を排除して別府先輩を独占しようとした。

 俺はそう続けようとしたのだが、

「はぁ? あのバカ別府のどこがいいのよ」

「バカって……」

 異論はないけどさ。

「そんな気持ち悪い想像、二度としないで」

「分かった」

「そういえば想像したくてもできないんだったね。だって君は」

 奈多は俺の短い返事を遮った。彼女の瞳からは既にハイライトが失われている。

「ここで死ぬんだからっ!」

 奈多はそう叫ぶと俺に襲いかかってきた。ノコギリが円を描きながら首筋に迫ってくる。あれにひと掻きされたら致命傷は確実……いや、もしかしたら首が胴体からさよならするかもしれない。そうなれば即死だな。

 俺は左腕を持ち上げて奈多に狙われた首を防御しつつ、右手を顎の近くに持ってきながら奈多の懐に飛び込んだ。

 左腕でノコギリの柄を受け止めると、腕を蛇のように動かしてそれを脇に挟み込む。

 そして右手で奈多の顎を押し上げながら右足で足払いをかけて、奈多をかくりとその場に崩し落とした。

 脇に抱えていた柄を離し、バックステップで距離を取ってヘッドショット。奈多に背を向けて逃走し、二秒経過したところで振り返ると、彼女は立ち上がってこちらに向かって走り出した。

「大人しく死になさい!」

「やだよ!」

 俺は再び逃走を開始した。

 よく考えてみれば、さっきの俺の推理はおかしいところばかりだ。

 別府先輩を独占したくて篠栗先輩の殺害に踏み切っていたのならば、なにも別府先輩まで殺そうとすることはない。そして別府先輩は殺害現場を目撃してすぐに逃げたと言っていたから、奈多の求愛を拒んで殺害対象となったというのは考えにくい。

 それに奈多は何て言ってた?

 たしか「次は別府君だね」だ。

 殺意の理由は篠栗先輩と同じ気がする。それに俺が野球部だということが判明したら「じゃあ……君も殺さないと」だった。

 つまり、別府先輩と俺。いや野球部の連中は奈多の何かを邪魔していることになる。だったら俺たちは何を邪魔しているのだろう。

 考えるのは後だ、今は奈多から逃げないと!


 俺は奈多を振り切って生物室にやってきた。

 ドアを開こうと手をかけたところで部室での出来事を思い出した。

 バカは歴史を繰り返す。

 もしかしたら別府先輩がこの向こうで待ち構えていて、入ってきた俺を奈多だと思ってバットでフルスイングするかもしれない。というかあいつ、奈多を止めるためにバットでぶっ飛ばそうとしていたんだよな。つくづくアホなやつだ。

 俺はタイミングを図って、ドアを勢いよく開けた。いつでも近接格闘に切り替えられるよう警戒しながら生物室の中へ入っていく。

「別府先輩?」

 予想に反して別府先輩のバットは飛んでこなかった。しかしその代わりに衝撃的なものが俺の目に飛び込んできた。

「!」

『どうした!?』

「血痕だ。血痕が落ちてる」

 俺は奈多を反対のほうに誘導したはずなのに……。もしかして、奈多は別府先輩がここに隠れている事を読んでいたのか?

 しかし、困ったことになった。

 奈多の幼馴染みだという別府先輩は殺されてしまった。もうそのルートからは何かのヒントを得ることはできない。

 こうなったら奈多に直接聞くしかないな。 


 奈多を探して廊下を歩いていると、目の前の教室からヌッと人影があらわれた。

「あ、上岡センパイ。チーッス」

「!」

 野球部の後輩、五十市隼人だ。

「どうしたんスか? 血相変えて」

「信じられないと思うけど、ノコギリを持った女子に追われてる」

「マジっすか~」

 信じてねぇな。

「隼人も逃げろ! お前も狙われてるぞ!」

「そんなことよりさぁ」

 なにがそんなことだ。これより切羽詰ったことなんてないだろ。

「聞いてくださいよ~。彼女に二股がバレちゃってさぁ」

「……なにやってんだ」

 場合によってはヤンデレ化するぞ。

 仕事増やすんじゃねぇよ。

「もちろん、バレないように努力しましたよ? 平等に愛を注いでさ」

「話を聞くから、場所を変えるぞ」

 俺はこいつを保護する意味も含めて、話を聞くことにした。


「……で、なんで二股なんてしたんだ」

「だって二人とも可愛かったんだから仕方ないじゃないッスか~」

 偶然鍵がかかっていない準備室に忍び込み、隼人の言い分を聞くととんでもない答えが返ってきた。

 お前、クズだな。

「……それで、どうしてバレたんだ?」

「女子のネットワークってやつッスかね? バレないように別の女子グループから選んでたんスけど」

「流血事件にはならなかったか?」

 隼人のことはどうでもいいが、こいつを取り合ってヤンデレ化したとなれば話は別だ。

 早く奈多を鎮圧してそっちの方へ向かわなければならない。

「それがなったんッスよ」

「本当か!?」

「ほらココ」

 隼人は頬を突き出し、赤くなったひっかき傷を指さした。

「……なんだ」

「なんだじゃないでしょ! 立派な流血事件ッスよ!」

「どこがだ」

 ちょっと血が滲んでるだけじゃねぇか。

 流血事件ってのは包丁でめった刺しとかそういうのを言うんだぞ。

 経験者から言わせてもらえば、ひっかき傷なんてほぼ無傷みたいなもの。

「なわけないッショ! 俺の顔に傷がついたんッスよ!?」

「俺ほどじゃないからいいだろ」

 隼人の顔面偏差値では傷の一つや二つ、なにも影響はしない。そういうことは俺ぐらいになってから言えよな。

「……それでどうしてバレたんだ?」

「二人とも同じ女子グループだったみたいなんスよ。で~ダブルデート? しようってなって話が進んでいるうちに気づいちゃったらしいんスよ~」

「それで?」

「俺、こっぴどくフラれちゃったんスよね~。かわいそうでしょ?」

 全然。

「彼女欲しいな~」

「お前、いつか刺されるぞ」

 俺は彼女を大事にしていたのに刺されたんだからな。

 しかし経験者の忠告は隼人には届いていない様子だ。

「ところでそれ、カッコイイっすね」

「ああ、これか」

 隼人はUSPを指差して、目を輝かせていた。

「持ってみてもいい?」

 別に触らせてもいいんだが、いつ奈多がやってくるか分からないからなぁ。

 まぁ、ほんの少しだったらいいかな。それに足音とかでも分かるだろう。

 俺はマガジンを取り出し、USPを倒しながらエジェクションポートを左手で被ってスライドを引いた。するとチェンバーの中に入っていた銃弾がごろんと手のひらに転がり出てくる。

「少しだけだぞ」

 グリップを掴みやすいように差し出すと、隼人は目を輝かせてそれを受け取った。銃に興奮しない男なんていないのだ。

 俺はUSPからマガジンをはずし、左手の中にあった銃弾をマガジンに戻しておく。

「少し構えてみるか?」

 俺は隼人に『アイソセレス』という基本的な構え方を教えた。

「こうっすか?」

「少しぎこちないな、足を肩幅まで広げて少しを曲げてもっと重心を……」

 俺たちが、盛り上がっていると、廊下の奥からペタペタと足音が響いてきた。

「まずい! それを返せ!」

 俺は隼人からUSPを奪うと、すぐさまマガジンを装填してスライドを引いた。さっき込めなおした銃弾がチェンバーに押し込まれ、奈多を迎え撃つ準備は完了する。

 しばらくするとドアが音を立てて滑り、奈多が登場した。

「隠れても無駄よッ!」

 奈多の濁った瞳は俺を捕らえている。隼人のほうには気づいていないようだ。

 俺が奈多に向けて発砲しようとすると、

「駄目っスよ先輩。女の子にそんなもの向けちゃ」

 USPを隼人が片手で押し下げた。カッコイイことを言っているかもしれないが、お前はクズに変わりは無いからな。

 というか、お前にとって相手がノコギリを持った年上の女子でも『女の子』なのな。

 そう思っていたら、奈多が懐に飛び込んできた。

 もう発砲は間に合わない。

 俺はさっきと同じように左手で首筋を防御しながら格闘戦に切り替える。しかしそれすら間に合わなかったようで、

「え?」

 持ち上げた左手はスッパリと切断された。

そしてノコギリの刃はそのまま俺の首筋にやって来ると、その小さな刃が俺の首の肉を削り取っていった。

 血の気が失せ、立っていることが困難になり、床に倒れ込む。

 くそぅ、今回は無事にいけると思ったのに。

「まずい……隼人逃げろ……」

 俺は隼人に逃げるよう促したが、その場から動くことはなかった。恐怖で動けないのだろうか。

「………………」

 すると奈多が口を開いた。

「あら、隼人くん。こんな所にいたんだ」

 奈多が嬉しそうに隼人に話しかける。知り合いだったのか?

「ふふふふっ。これで隼人くんと二人きり。もう誰にも邪魔はさせないからね」

「なゆちゃん……」

 おい、引いてるぞ。

 さすがの隼人もノコギリを持ったヤンデレ女子を相手にすることはできないだろう。

 しかし隼人の価値観は違ったようだ。目の前で尊敬する先輩が殺されたというのに嬉しそうな表情でこう言った、

「そんなにしてまで俺と二人っきりになりたかったのかい? いじらしいなぁ」

 馬鹿なの? 死ぬの?

 死ぬのは俺か。


【SOTARO IS DEAD】


『宗太郎の死亡を確認。残りライフ2つ――何がダメだったか分かるか?』

「隼人に銃を貸したことだな。完全に油断していた」

 奈多を撒いたといっても彼女はまだ俺たちを探していた。だから警戒を続けるべきだったと後悔する。

 しかも銃を取られていて撃てないというミスは、ひなたの相手をしたときにやっている。同じ失敗を繰り返すなんてマヌケにもほどがある。

 しかし、姪乃浜の考えは違ったようだ。

『あの男子高校生から話を聞き出すためには必要な行為だったと思う。だから宗太郎があいつに銃を触らせたことはなにも咎めるつもりはない。それにヤンデレがやって来たとき、宗太郎はすぐに銃をもぎ取って発射準備を整えた。油断したやつができる動作じゃない。問題はそのあとだ。なんですぐに撃たなかった』

「隼人に制されて……」

『制される前に撃て』


【CONTINUE】


「隠れても無駄よッ!」

 奈多が登場すると共に俺は発砲した。

 命中。狭い準備室の中に硝煙の臭いが立ち込める。

「え? あれ!? 隼人くん!?」

「よっ、なゆちゃん。チーッス」

 沈静化された奈多の瞳は一瞬にして光を取り戻した。

 それと同時に隼人の目も変わる。女子を狙っている目だ。

「なんで隼人くんがここにっ!?」

 奈多は顔を赤くして慌てふためく。ノコギリ片手に俺たちを追い回していたやつだとは思えないぐらいの変わりっぷりだ。

「いや~、ちょっと上岡先輩に捕まっちまって、愚痴を聞かされていたんッスよ~。なんでも二股してたのがバレたとかなんとか」

「……サイテー」

 おい隼人! さらっと嘘つくんじゃねぇ!

「こいつは最低だけど、隼人くんが恋愛経験豊富だから相談を持ちかけたんだね」

「別に俺はそんなに経験ないッスよ~。彼女もいないし」

「嘘っ!」

「おい、お前さっき教室で女子二人に……」

「クズは黙ってて!」

 言う相手間違ってるぞ。

「俺は先輩に二股されてた女子たちの悩みを聞いてただけ」

「隼人くん、優しい~」

 隼人くん、嘘つき~。

「なんなら俺と付き合ってみる」

「え、いいの!?」

「俺、とっておきの場所を知っているから、そこに行こうよ。二人っきりになれるよ」

 隼人は奈多の肩に腕を回した。奈多は汚物を見るような目を、隼人は「悪役になってもらってあざっす!」というような視線を向けて部屋から出ていく。

 ……一度刺されたほうがいいんじゃないか?

 俺の目の前は真っ白になった。

 個人的には腑に落ちないが、どうやら任務成功のようだ。


【MISSION COMPLETE】


「なぁ、姪乃浜」

『どうした?』

「結局、奈多がヤンデレ化した理由は何だったんだ?」

『さしずめ、部活で忙しいさっきの奴を独占したかったんだろう。本当かどうかは分からないがな』

「俺、不完全燃焼なんだけど……」

 首を鋸挽きにされるし、二股野郎のレッテルは貼られるし。

 まぁ鎮圧できたからいいけどさ。

『宗太郎、これは小説じゃない。目的を達成したのであればストーリーは滅茶苦茶でもいい』

 姪乃浜のやつ、特殊部隊ものの小説は向かないだろうな。

「だけどあのままじゃ、俺は二股野郎として……」

『ああ、噂が出回るだろう』

 姪乃浜は他人事のように後を引き継いだ。

「あっ、でもヤンデレワールドの消滅と同時にSSTの痕跡は消えるんだろ? だったら俺のデマも……」

『それは難しいだろうな』

「え?」

『記憶が書き変わる原理はまだ解明されていないし、どのあたりまでの記憶が書き換えられるのかということも分かっていない。どのような記憶に書き変わるかということもな』

「じゃあ二股のデマが流れるのは五分五分ってことか?」

『いや、俺の経験から言うと今回の宗太郎二股事件はそのまま残る……まぁそれほど問題というわけじゃないだろう』

「大問題なんだけど!?」

 社会的に《SOTARO IS DEAD》になってしまうぞ。

 いや、このデマを信じた舞香がヤンデレ化して《SOTARO IS DEAD》かもしれないな。

『特殊部隊は目的達成のためには手段は選ばない。任務を遂行することが最優先だ。だから気にすることじゃない』

「気にするわ! 俺はSSTである前に高校生なんだぞ!?」

 高校生活が終わるぞ!


 次の日、学年中の女子の間に「上岡宗太郎が浮気していた」という噂が駆け巡った。一年生の誰かさんがその浮気相手――いや本命として名乗り出たりもしたが、未だに相手が誰ということは判明していない。

 それもそのはず。

 俺は舞香一筋の一途な男だ。

 二股をかけるどころか、誰かに心変わりしようとしたことすらない。

 しかしこういった恋愛系の噂話が好きな女子たちはお構いなし。次々と浮気相手の仮説がたてられていく。

 鬼塚説はけっこう有名だ。なぜなら二人仕事絡みで密会しているところを図書委員に目撃されているし。

 一年生の誰かさん説は一年生の間ではかなり有力だ。むしろ舞香が浮気相手とも噂されている。なぜなら彼女が入学したとき噂される前から「我こそが本命」と言いまわってたらしいしな。

 そしてアホ別府説。確かによく一緒にいるけど、これを提唱したやつマジでふざけんなよ。

 さて、これから昼休みなんだけど、舞香にどうやって説明しようか。

 俺は不安に苛まれながら、いつもどおり体育館の裏へ向かった。

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