Whitehat/Whiteout

 雨粒が身体を叩くたび、それは彩羽の身体に染み込んでいくように消えていく。肌に貼りついて気持ち悪い、夏の油っぽい雨とは違う――むしろ、雨粒が身体をすり抜けていくような、冷たい不快感が身体じゅうを覆いつくしていた。それは、鷹山彩羽という人間の輪郭をぼやけさせるノイズと一緒に増していく。彩羽は、意識を強く持つようにぎゅっと手を握りしめた。



「まずは、あなたの肉体を探そう」



 湖南は雨の中でも全くひるむことなく歩いていく。髪や服は濡れ、雫がしたたり落ちていく。それは彩羽も一緒だが、湖南の体にはノイズがひとかけらもない。



「私の身体は、私と同じ場所にあるんじゃないの?」

「今は違う。もしそうなら、鷹山彩羽、あなたの身体がそんなにノイズまみれになるはずがない。ノイズというのは、ふたつのものごとの間に、何らかの齟齬が生じる場合に生まれるもの。つまり、あなたの意識と肉体はいま、正常に繋がっていないということ。そのふたつを結びつける」



 また、遠くで雷が鳴った。白い雷は、地面と大気を震わせ、衝撃となってふたりの身体を叩く。湖南はそれに耐えるように、一瞬だけ身体を固める。彩羽は踏ん張ることが出来ずにその場にへたり込み、その衝撃でまた、ノイズを激しくさせる。



「最悪なのは、私たちより先に檳榔子黒があなたの肉体へ入り込むことね」

「そ、それじゃあ、急いで探さないと……」

「ハランがこれだけ暴れ回っているんだから、あいつも迂闊には動けない。ハランにとっては、あなたも黒も同程度の存在よ。自分の世界に入り込んできた異物だということは変わらない。逆にハランはどうやっても基底現実には手を出せないしその意思もない。充分、勝ち目はあるわ」



 もつれる足で立ち上がりながら、彩羽は、おそるおそる尋ねた。



「雲居さんは、どうして、私を助けてくれるの? 私のことなんて放っておけばいいのに」

「寝覚めが悪いのよ、私の知っている世界に巻き込まれた人間が死ぬと」

「そんな理由で、私のことを?」

「そう。それ以上でも以下でもない、目の前で人が死にそうになっていたら、助けるのが道理でしょう」



 自宅からほど近い、大通りの交差点までやってきた。近くに、動くものは他にはない。そびえ立つ信号機は真っ黒で、青緑色の寒々しく細い輪郭によって暗闇の中に浮かび上がっている。アスファルトに叩きつけられた雨粒は、色とりどりの美しい波紋を残して地面に染み込んで、消えていく。交差点の中心部までやってきたとき、湖南は不意に立ち止まった。



「ねえ、私の肉体って、どうやって見つければいいの?」

「こういうのはコツがある。今頃あなたの身体は、夢遊病患者みたいにふらふら、目的もなくどこかをほっつき歩いているはず。むしろあなたに見つけてほしいくらい」

「そんなこと、言われても」



 ひとつ向こうの大通りを、白く巨大な獣のような光が駆け抜けていくのが見えた。それは風圧を伴って電信柱やビルをびりびりと震わせる。それらの輪郭はぐちゃぐちゃに撹拌され、線状のノイズにまみれていく。



「今のは……ハラン?」

「別のターゲットに気を取られているんだ」

「それって、黒?」

「今がチャンスだよ。とっとと戻ってしまおう」



 そう言うと湖南は、自分のスマートフォンを彩羽に手渡すと、両手にしっかりと握らせた。



「パスコードは『4420』。地図アプリを起動して、表示されるルート通りに移動して。そうすれば、ハランに見つからずに逃げ回ることができる。それから、檳榔子黒に出会っても、彼女の言うことに耳を貸しては駄目。とにかく逃げて」

「雲居さんはどうするの?」

「いったん離脱するわ。向こう側であなたの身体を探して戻ってくる。いい、その端末、ぜったいになくさないでね。それがないと、こっち側であなたが今どこにいるのか、私には認識する方法がないから」

「そんな、ひとりで?」

「だいじょうぶ、鷹山彩羽」



 しきりに彩羽の名前を呼ぶ湖南に、彩羽は不思議な居心地の良さを感じていた。気が付けば、さっきまで雷すら伴って降り続けていた雨は、もうやみそうなほど弱くなっている。



「あなたの身体のノイズは徐々におさまってきている。そのまま、自分を強く持っていれば、意味消失してしまうことはないわ。だいじょうぶ、この世界はあなたの敵じゃない」



 その言葉を最後まで聞き終わる前に、彩羽の視覚と聴覚は、すぐ近くの電信柱に落ちた激しい雷鳴によってホワイトアウトした。

 気が付くと、既に目の前から湖南の姿は無くなっていた。手を伸ばしても、周囲を確認しても、雲居湖南という少女はどこにもいなかった。

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