守りたがりの死に神ちゃん その4
いざ授業が始まると、多くあったはずの空席は、あっという間に埋まってしまう。
しかも席が足らずに立ったまま授業を受ける生徒もいるくらいだ。
……ほぼ幽霊という、異色のクラスに早変わりである。
生きている人間の方が、外見も性格もまともではなかった。
「まともなのはおれだけか……」
「ひつぎは冗談が上手いね!」
「ひつぎ、ひどい」
頬を引っ張るのは初だ。
不満なら不満そうな顔をしてくれないと分かりづらいよ。
あと、遠回しにおれもまともではないと言いたそうな横の幽霊には異を唱えたい。
「墓杜くーん、ちゃんと授業を聞いていますかー?」
先生モードに入った夏葉さんは、おれを名前でなく名字で呼ぶ。
「次に私語をしたら、このチョークを投げますからね」
「……わあ」
と、横のポニーテールが揺れていたので、ちょっと引いた。
絶対、期待と喜びを表す揺れ方だったからだ。
「え、おまえ、チョークを受けたいの?」
「うん! 今のわたしになら当たるよね!? 痛いって感じるよね!?」
幽体だと絶対に当たらないから、憧れでもあるのだろうか。
「そもそも夏葉さ――いや、先生の肩に、ここまで届く腕力があるとは思えな」
瞬間、視線がぶれて、遅れてこめかみに鈍い痛みが走る。
「うぉ、おぉおおお!?!?」
「元・ソフトボール部なので、肩に自信はありますよ。
十五、六年前なので全盛期にはほど遠いですが」
現役時代がそんな昔……え。たぶん高校生か、中学生くらいの話だよな……?
夏葉さんってマジで何歳なんだ!? 母さんと同じくらい……だと?
「先生! わたしもわたしも!」
ぴょんぴょん跳ねてポニーテールが挙手をする。
戸惑った夏葉さんだったが、軽く投げて、彼女のおでこに、こつん、とチョークが当たる。
当てられた本人はご満悦の様子だ。
「はふう…………幸せ」
「おまえは存在とは別に、普通に性格もまともじゃないだろ」
授業が終わり、十分間の休み時間だ。
……授業に参加している幽霊の方が、熱心に授業を聞き、ノートを取っている……。
死んでから、ああしていればこうしていれば、と後悔があるのだろう。
今を生きるおれたち生者は、死者のそういう無念は分からないで、堂々とサボる。
おれ以外も、各自、好きなことをして……——思ったが、そもそも教室にいない。
幽霊が実体化していると、人間と区別がつかなくなってしまうから、紛れて姿を眩ますことは簡単だった。いつの間にか、おれと初しか、教室に人間がいなくなっている……。
霊媒体質同士、積もる話でもあると思ったが、意外とそうでもないみたいだ。
学園にきて一ヶ月、話しかけられないおれも悪いけど……でも、そうか。
おれは初のおかげでなんとかマシだが、普通は人間不信になるよなあ……。
「ひつぎ、ノート、取っておいたよ」
横から差し出されたのは、板書が綺麗な字で書き写されていた、ノートだ。
「あ、うん。ありがとう、初」
「うん」
じっと見つめられ……、はいはい、と幼馴染の要求に応える。
「ありがとな」
言って、頭を撫でる。
ここで微笑んでくれたら満点なんだけど……表情は一切、変わらない。
ちょっと強めに撫でると、目を瞑るくらいの変化はあるが……。
「こんなもんか」
「不満」
むすっ、としたように見えたが……気のせいか。
「不満って……じゃあどうしろと」
「もっと、撫でて」
「いいけどさ。だったらもうちょっと喜ぶとかさー」
初の両頬をつまんで、横に引っ張ってみたり、持ち上げてみたりしてみたが、指先で感じる柔らかさが分かっただけで、初の表情は荒療治でもなんともならなかった。
「ん」
椅子に座って、手を膝の上に置いて、おれに顔を向け――目を瞑った。
「は!?」
頭を撫でられたいなら普通は少し俯くだろうに、どうしてちょっと上を向くんだ!?
これじゃあ、まるで……、
「は? 教室でキスでもするつもりなのか……?」
だ、誰だ!? ぼそっと呟いたやつ!!
意識しないようにしていたのに! しかも、おれが聞こえたってことは、教室にいる幽霊たちにも聞こえているわけで……、全員の視線がおれと初にぐいっと向いた。
「おま……ちょ……っ!」
「ひつぎ?」
――頭を撫でるだけだ。それだけだ。
しかしよくよく考えてみれば、それだって充分に恥ずかしいことを教室のど真ん中で堂々としていたわけで――。やばいっ、自覚したらたぶん、今のおれの顔は真っ赤になっているはずだ!
周囲の視線が痛い。
急かしてこないだけありがたいけど、気を遣って目を逸らす素振りも見せないし、逃げたら呪い殺す、という殺意がばんばん叩きつけられてくる。
「ご……」
まともに頭が働かない今、咄嗟におれが下した判断は、間違ってもキスをするという無責任な選択では、決してなかった。
――が、最悪な行為でもあるだろう。
「ごめんっ! 急に腹を下したから、トイレいってくるぅっっ!!」
……後で大量の幽霊から呪い殺されないか、心配だ。
―― ――
「あーあー、ひつぎ、逃げちゃったねえ。男らしくないなあ、もう」
ポニーテールの少女が、初の手を握ろうとして、触れなかったことで自覚した。
「……やっぱり、ひつぎの近くにいないと、ダメなんだ」
周囲の幽霊も同じく、実体化していたはずの幽霊たちが、元の幽体に戻っていた。
「…………」
すると、目を開けた初が、立ち上がった。
「ひつぎを追いかけるのは、好きだから?」
ポニーテールの少女の質問に、首を左右に振った初が答える。
「わたしが守ってあげないと、ひつぎはすぐ危ない目に遭うの」
―― ――
トイレにはきちんといった。
だからあの場から逃げるためについた嘘ではない。
手を洗っていると、次の授業のチャイムが鳴っていた。
慌ててトイレから出ようとするが、ぐいっと真後ろに引っ張られる……、懐かしい感覚。
初と出会う前、飽きるように会っていた感覚に、思い出すようにゾッとした。
振り向くと、おれの制服を掴んでいる子供がいた。
真っ白な肌、眼球が黒く染まっている……、もしくは、眼球がなく、空洞になっているかのような、あるかも分からない視線がおれをじっと見つめている。
次に、投げられた枯れた声。
「いっしょに遊ぼ」
「う、うわぁああッッ!?」
制服を掴む小さな手を振り払う。
幸い、子供なので相手の力は強くなかった。
トイレから出たところで足がもつれて転んでしまう。
床に膝を強く打って、痛みにじたばたするが、すぐに動かないと死ぬ。
その切迫感が、痛みに向けて、それどころではないと多少の痛みが緩和されたようだ。
「うっ」
立ち上がった瞬間――、ヘドロのような匂いがした。
鼻が曲がりそうな異臭は、いわゆる霊が放つ匂いだと教わった覚えがある。
霊臭だ。今更だけど、霊が近くにいればこういう匂いが充満する――、この町には幽霊が比喩でなく、ごまんといるのにどうしてこれまで匂わなかったのか……。
クラスにいる幽霊と、今、おれを追いかけてくる幽霊との違いがあるとすれば、
「あ、がッ」
――対応できない乱暴な力に押し倒される。
突然、呼吸が詰まった。
首元に手をやれば、触ることができる、ただれた皮膚の感触。
次第にはっきりと見え、幽体でなく、実体化していく痩せ細った幽霊の姿があった。
全身火傷が痛々しい。
強い怨念が、おれの視界に黒い煙のようなものとして現れる。
後悔が。
許せない感情が。
おれを巻き込まないと済まない悪霊に、変貌させてしまったのだろう。
ポニーテールの幽霊とは違う、明確な殺意だ。
「殺してやる……ッッ」
「ぐ、うッ」
どうして? なんて言っても聞こえないだろう。
殺人衝動に飲み込まれ、自我を失った悪霊は、目に入った生者を羨んで、自らの世界へ引きずり込もうとしている。
同意してくれる仲間を欲している。
結果的に生きている人間を殺すことになるだけで、純粋に一人でいたくないだけなのだろう。
おれは別としても、プロの霊能力者では埋められない、ぽっかりと空いた心の隙間がある。
それを埋められるのは、同じ傷を持った者だけ……なのだろう。
人生半ばに突然死ぬことになった後悔の多い仲間を、作ろうとして……。
殺された側の気持ちが、痛いほど分かっているのに。
「……おまえが、加害者になって、どうすんだよッ!!」
霊体なら触れなかったが、霊的エネルギーが充満しているこの町に限り、幽霊は人間のように実体化する。
つまり触れられる。幽霊が持つ、見えない、触れない、というアドバンテージを綺麗に取り除いてくれる町のおかげで、おれは対抗できる。
町の外だったら詰んでいただろう。……いや、そもそも出会っていない可能性もあるが――マッチポンプと言うには、おれは餌を下げていた覚えはない。
……こういう危険性も踏まえて、この町にきたのはおれだけどさ……。
覆い被さってくる相手……。
上から首を絞められていると、相手の腕を払うのは難しい……、だったら。
相手の腹に膝を入れる。
偶然、みぞおちに入ったようで、首を絞める力が僅かに緩んだ。
相手の生きていた時代によっては、侍や兵隊の可能性もある――(相手の見た目は全身火傷のほぼ裸なので、時代はまだ分からない。人間は大昔から二足歩行だし)……そうなるとおれの蹴りなんて大して通用しないが、二発目、間髪入れずに足の裏で押し上げられたとなると、最近(と言っても範囲は広いが)亡くなった人なのかもしれない。
放火事件の犠牲者? 特定はできないか。
足で持ち上げ、相手を引き剥がすことに成功した。
すると、ぺたぺたと床を歩いて近づいてくる――トイレにいた子供が、おれが逃げようとした進路を塞いでいた。
前方には気味が悪い子供——後方には怨念を振り撒く悪霊。
必然、おれは間にあった唯一の部屋へ逃げることしかできなくなった。
使っていない教室。
――普通に考えれば。
それは罠としか思えなかったのに。
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