約束

miyoshi

約束【前】

 短期のバイトばかりで生活費を稼いでいる人なんて本当にいるのだろうか。

そんな疑問を持ってしまうほどに、どの求人ページにも【長期歓迎】の文字。

スーパーマーケットの隅に置いてあるフリーペーパー求人誌にも、ネットの海に揺蕩う求人情報サイトにも必ずと言っていいほど見る文字列である。

短期バイトの応募で面接していたとしても「参考までにお伺いしたいのですが、長期勤務は考えていますか?」の一言が付け加えられる。何か質問はありますか、と同じくらいの頻度で聞かれるのではないだろうか。

そんな面接を何度も繰り返し、やっと希望している短期バイトにありつけたのは二週間前のことである。

目を皿のようにして探していたwebページでも求人情報誌の小さな記事でもなく、通学に利用している最寄り駅の求人募集で見つけたのだが。

そこは駅に付属するビル内ではなく、裏道にある小さなパティスリーであった。

時給は県内の最低賃金、週三日四時間~勤務可能。

ダメ元で面接を申し込んだのに、ほかに応募者がいなかったのだろうか。

短期間での勤務も、シフト希望も快く了承された。

店長は壮年の男性であったが、力仕事のパティシエらしく捲り上げたコックスーツからは肥大した前腕の筋肉がうかがえた。

その店長は就業中はキッチンに入ったきりショーケースの前にはほとんど現れない人である。

店長に代わって私に仕事をレクチャーしてくれたのは大学生の先輩アルバイトだが、四年次のため今年度をもって退職するそうだ。

先輩の在籍する大学は隣の市にある私立大学でそこそこ偏差値が高く、就職の内定率が高いことで有名である。うらやましい。

ケーキを崩れにくく箱詰めするコツやレジ業務の合間にこなす雑務を教わったが、どの瞬間も、この人は仕事ができる人だと感心してしまった。きっと新卒社会人としてもうまくやってゆくのだろう。

冬休み期間ということもあり、毎日のように出勤して仕事をこなす私に、もう一人立ちしても大丈夫だね、と太鼓判を押されたのはつい昨日のこと。

本日から先輩の補助なしにレジ業務をこなさなければならない。

チラチラとこちらを伺いながら商品出しをしている先輩の手元には宝石のように美しいキャンディーやグミの詰め合わせ、優しいパステルカラーのドラジェやギモーブがある。

小さい個人経営の店舗だがケーキだけではなく日持ちする焼き菓子やコンフィチュールが充実しているところがこの店の強みではなかろうか。

包装紙、リボン、きらきら光るシールなど簡単ではあるがラッピングも季節によって少しずつ変えているらしい。

美しい洋菓子とそれを買っていく人々の嬉しそうな顔を見るだけでも心が満たされる。

四時間ほど勤務した後、夕方から勤務するパート従業員に業務の引継ぎをしてすぐに更衣室へと向かうと、ロッカーの陰からほっそりとした背中が見えた。先輩だ。

販売部門の制服はシンプルな白いブラウスと黒のパンツスタイルにこげ茶色のキャスケットと揃いのエプロンなのでほとんど無彩色だ。

着替えに時間のかかる私がもたもたとエプロンの蝶結びを解いているうちに先輩は背中のファスナーを引っ張り上げていた。はやい。

冬の妖精を思わせるパウダーブルーのワンピースに身を包んだ先輩はデートにでも行くのであろうか、手鏡をのぞき込んで口紅を塗りなおしている。

唇の色つやを確かめ、顔全体の化粧のバランスが整ったことに満足したのか、おつかれさま、の一言とともに更衣室を出て行った。

薄く透けた黒いストッキングの足が猫のように軽やかに退室するのを見送ってしばらく。

ようやく着替え終わって外に出ると、あたりはすっかり真っ暗になっていた。

クリスマスに向けたイルミネーションがあちらこちらに点灯し、道行く人々が時折足を止めて見入っている。

クラゲの水槽のごとき青い豆電球の群れが装飾された壁を過ぎると駅改札口だ。

定期券をかざしてプラットフォームへ行く人波に紛れ込む。

こちらは大学が休みであるが、多くの勤め人は平日という名の勤務日である。お勤めご苦労様です。

疲れ切った顔のまま白線の内側で列車を待つサラリーマンの背広からはやや離れてフェンスに軽くもたれかかる。

駅前広場が眼下に広がっているこの場所は、電車がくるまでの暇つぶしにちょうど良い。

芸術を解する心を持つものになら理解ができるのだろうか、よくわからぬ奇妙なオブジェを中心に人待ち顔の人々であふれている。

周囲のベンチに座して点在するカップルやすぐそばのバスターミナルで乗り降りする老人たちの一人ひとりの表情までは読み取れないが、皆どこかしら華やいだ気分のようだ。

群衆から頭一つ抜け出た長身の男と連れ立っているのは先ほど別れたばかりの先輩だった。やはりデートか。

勤務中はシニヨンでまとめていたためか緩い巻き髪になったロングヘアが華奢な背中で波打っている。

次の出勤日に会ったら少し冷やかしてやろう、などと考えていたら待ち続けていた列車がやってきた。

乗車口からあふれ出てきた人の波が引いた後に乗り入れる乗客たちの流れに沿うように私も一歩踏み出した。


 乗り換えを経てようやく到着した我が家への最寄り駅。鈍行列車しか停車しないうえに本数も少ない枝線の終着駅だからか人も少ない。

 駅員の常駐もないこの駅がさびれているのは、ただ単純に田舎町だからというものではない。小さな駅の裏側は墓地になっており、噂によると人ならざるものが出るのだとか。

 貧乏学生の一人暮らしにしては駅から近くバス・トイレ別で独立洗面台ありという好条件のアパートに住んでいる私だが、家賃の安さと引き換えに毎日気味の悪い帰路についているのだ。

 この話を大学の友人に聞かせると、生きている人間のほうが怖い、と返された。

 だが、生者の気配が少ない土地に限っては怖いものは霊やおばけ一択となるだろう。特に月もでないこんな夜ならなおさらだ。

 私はなるべく墓地のほうを振り返らないようにしながら駅を後にした。次の出勤はクリスマスが終わったころだから、売れ残って割引価格になったクッキーの一枚でも買おうかしら。


*****


 12月25日、閉店20分前。

 雪がちらつき、駅前広場でトナカイの着ぐるみとミニスカサンタのコスプレのふたり組が大きな板を持って客寄せをしている。裏道通りのカラオケ店の従業員だろう。寒いだろうにご苦労なことだ。

 短期のバイトがひとり入ったとはいえ、もともとリピーター客の訪いが細々と続いて成り立っているような店だからクリスマス商戦にそれほど力を注いでいない。店主は趣味としてこのパティスリーを始めたような風変りな人物なので売り上げが上がろうが下がろうが毛の一筋ほども気に留めていない。彼は、売れ行きが悪ければ店を畳んで別の商売を始めればいい、くらいの気持ちである。

 パート従業員として働き続けて3年は経過したが、今のところどんぶり勘定のわりに経営悪化の兆しが見えないのでうまくやっているほうではないだろうか。奇矯なキャンペーンを打ち出さずとも、地域住民の口コミで広がりまずまずの繁盛ぶりを見せているのだから店主の経営手腕というか洋菓子の味は愛されているのだろう。かくいう私もこの店のシュークリームが好きである。たまに退勤時に家族の分を買って帰るのだから私も立派なリピーターだ。

 そろそろ閉店だからレジの清算準備に取り掛かろうとした、そのとき。

 店内にひとりの客が入ってきた。クリスマスケーキや生菓子は予約分も当日分も売り切ってしまったが、焼き菓子の類はまだ陳列しているからきっとそれらを目当てに来た客だろう。まっすぐに詰め合わせ菓子のコーナーへ行き、迷いなくひとつの包みを持ってこちらへとやってきた。

「いらっしゃいませ、お預かりいたします。……あら、あなただったの」

 私服姿を初めて見たので店内に入ってきたときはわからなかったが、客は学生アルバイトだった。いつも「これ、きれいですね。お菓子なのに食べるのがもったいないくらい」といっていた小さなグミの詰め合わせを持ってきていた。たしかに宝石のようにキラキラとした一口サイズのグミは見ているだけでも心が満たされる一品である。

「どうせ今日までだし、余っちゃったからこのシールも貼っておくわね」

 赤いリボンと一体化した金色のメリークリスマスの文字が記された箔押しシールを小さな包みに貼り付けた。すると彼女は勤務時よりも幼い顔で破顔し、ありがとうございます、と言った。

 会計を済ませ、明日の勤務よろしくね、と告げてようやく清算作業に入った。

 最後に見送った客が店のアルバイトといえ、幸せそうな笑顔で店を出て行った人々を見てこちらも心が温かくなった。私も早く退勤して家族の待つ家へ帰ろう。

 メリークリスマス。





 

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