恐怖する男

 床も壁も、一面が真っ白く塗りつぶされた仮眠室で横になりながら先ほどまでのやり取りを思い返す。大人になり切れていない可哀想な子供。けれどネバーランドの彼らのようにどこまでも純粋無垢というわけではない、汚れてしまった青年。歪で壊れた不確かな存在。


「ふぅ」


 白黒点滅しグラグラと揺れる視界を黒く塗りつぶすように瞼を降ろしてから、重く長い溜息をつく。


「『いらないこ』を神様の元に連れて行ってあげたの」

「神様は毎日忙しいから。僕が神様の代わりに導いてあげるの」

「だって神様がそういったんだもの。『あのこ達はいらないこだよ』って」

「神様のお傍に行けるんだよ? 幸せなことでしょう?」


 舌足らずな声が耳にこびりついて離れない。そしてそんな声が紡いだ衝撃的な言葉の数々も、きんと痛む頭の中をぐるぐると回る。


「不必要な存在を処分しただけ、か」


 のべ二百四十三名もが犠牲となった今回の「援助施設連続放火惨殺事件」。被害を被ったのは心身障がい者支援施設、老人介護施設、ターミナルケア病棟など、誰かの助けを必要とする者たちが集う施設だった。彼は、容疑者たるテオ・アルヴァンスは、そんな彼らのことを『いらないこ』と称した。

 はじめ彼が『いらない』という表現を使った時、私は彼に対し激昂した。命に対しいらないとはどういうことかと。生きることを許されない命なんてあるはずがないと。あそこまで声を荒げたのはいつ以来だろうか。怒りで目の前が真っ赤に染まるなんてことも初めて体験した。それほどまでに私は彼の言葉に対して怒りを覚えたのだ。


 けれども。


 彼には何も響かなかった。「人殺しは悪いことだ」という認識はある。だが『いらないこ』を連れて行くという事が「人殺しだ」という事にどうも結びつかないようだった。


「人の命を奪う事? うん、悪いことだって知ってるよ。先生が教えてくれたよ!」

「あのこたちは人じゃないもん。『いらないこ』だもん」


 堂々巡りの会話。『いらないこ』を連れて行ってあげただけという主張。彼は、どこか異常だった。見た目に一致しないどことなく幼げな様子も、彼が時たま言葉にする「神」という存在に対し酷く盲信している様子も。


「法はどうやって彼を裁くのだろうか」


 そう呟いてからそっと意識を闇に落とす。耳の奥にこびりついた彼の声をシャットアウトするように。今日の出来事が全て夢であればいいなと思いながら。

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