The 8thバトル ~馬鹿と幼女と夏祭り~

「おい、お前もう諦めろよ……」

「あと一回だけ!!」


 祭りの少し開けたスペースに、屋根もなく殺風景に長い机だけが置いてある。

 その机に覆いかぶさるようにして、愛姫が真剣な顔つきで画鋲を動かしていた。

 型抜き屋。

 最近ではすっかり見かけなくなった祭りの風物詩。

 板状の砂糖菓子を、刻まれた形通りに型抜けば成功というもので、割ったり欠けたりすることなく完成させれば店から賞金が貰えるというものだった。


「そんな簡単に出来るもんじゃないんだって。型抜き屋だってそんなバカスカ成功されたら赤字になるだろ」

「もうちょっとなの! いま話しかけないで!!」

「はぁ。こいつ意外とギャンブルとかにハマりそうだな」


 ピンクの薄い砂糖菓子と睨めっこしながら、愛姫が少しずつ菓子に刻まれた溝を深く削っていく。

 傍らには、逸馬が失敗した砂糖菓子の残骸が散らばっていた。

 逸馬は三枚目ぐらいで飽きて、とっくに完成させることを諦めていたのだ。 

 負けず嫌いの愛姫は、五枚目に差し掛かり、手に汗滲ませながら地道に頑張っている。


「このちょうちょの角の部分が終われば後は……、あっ、あぁああああああっ!!」

「焦りすぎなんだよ。そういう触覚とか棒みたいに細い部分は、溝なぞるより周りを徐々に削ってくんだって」


 愛姫、五度目の失敗。

 珍しく声を荒らげ、取り返しが付かないといった表情になる。

 失敗した砂糖菓子をさりげなく逸馬が手に取り、ポリポリとほうばった。

 机の上に愛姫が失敗した残骸が欠片も残っていないのはそういった理由だ。


「っていうか、あんたさっきからそれ食べてるけど、おいしくなくない?」

「これはこれで素朴な味わいがいいんだよ」


 ただ固くて甘いだけのそれは、確かに菓子としては粗悪品だった。

 しかし、愛姫の作り物のように小さく細く白い指が、幾度と角度を変え、あれやこれやと手汗を滲ませ触れた残骸である。

 逸馬にとっては上等なつまみだった。途中、屋台で買った缶ビールが進む。


「ロリコン、もう一回やっちゃダメ?」


 愛姫が遠慮がちに訊ねる。

 甘えるような響きではないが、普段とは違い少ししおらしい態度と、上目使いが逸馬を惑わせた。

 本当は三回目で引き分けにするつもりだったが、先ほどからそのおねだりにやられているのだ。


「いや、別にいいけど、他にも色んな店あるんだぜ? 時間かかるし別の店行ったほうが良くないか?」

「だって、悔しい」

「諦めろよ。難しいんだって」

「だって一回も成功してないんだよ? 今のだって、成功してたら500円ももらえたんだから! そしたら、あんたに出してもらったお金も返せるでしょ」

「あぁ、そういう……。別に気にすんなよ。祭りってのは無駄遣いしながら楽しんでナンボなんだから」

「それに、失敗した数が私の方が多いんだから、このままだと私の負けじゃない」

「別にルールで決めてないのに変なとこで律儀だな。引き分けでいいよ。それに対価はもうもらったしな」

「たいか? なんのこと?」

「いやほら、さっきから俺が食ってるお前が削った菓子のこと」

「え?」


 愛姫がキョトンとして、何もない自分の手元と逸馬の手元の残骸を見比べる。


「え?」

「え?」


 愛姫、困惑。

 小学四年生の彼女にとって逸馬の嗜好は些か高度過ぎた。

 対して、期待した反応が返って来なかった逸馬も肩透かしを食らう。


「ま、まぁいいや。時間も勿体ないし他行こうぜ」

「……わかった」


 少し後ろ髪を引かれる愛姫をよそに、再び参道に戻って屋台を見て回る。

 途中、逸馬は串焼きを買い、愛姫にはベビーカステラを買い与えた。

 二人がそれらをパクつきながら歩いていると、屋台の並びの一画で足を止めた。


「よし、次はこれだな」

「なんか回転してるけど、やったことあるの?」

「ふっ、沼田小の二丁拳銃と呼ばれた俺の実力を見せてやる」

「なにそれださい」


 祭りの代名詞、射的屋である。

 高い景品の的は重くされており、安い菓子やチープな玩具ぐらいしか落ちないように出来ているあの屋台だ。

 各景品を乗せた円状の巨大な台がクルクルと回り、幾段にもなっている大掛かりなタイプだった。


「ルールは簡単、手に入れた景品の内容で勝負だ。同じ景品だったら数で勝負な」

「私、これやったことないんだけど」

「そんじゃ最初に一回練習でやってみろよ」


 逸馬が店主に愛姫の分だけ金を渡すと、銃を選んでレバーを引いた。

 コルク弾を詰めると、そのまま愛姫へと渡す。

 

「今みたいにレバーを引いて、弾を込めて撃つ。簡単だろ? 弾の詰め具合は緩すぎずキツすぎずな。狙いは銃身の先にある出っ張りと、手前にある凹んだとこに視線を合わせるんだ」

「こう?」


 愛姫が他の客の見よう見まねで銃を構えた。

 逸馬が後ろから覗き込むと、照星と照門が一直線になるよう指示を出す。

 そのまま引き金を引くと、軽快な音と共に弾が勢いよく発射され台の縁へと当たった。


「当たらないんだけど」

「気持ち上めで狙ってみ? 弾は空気抵抗と重力で多少放物線になるからな」

「ほうぶつせん?」

「ようはちょっと下に曲がるってことだよ」


 愛姫が二発目を撃つと、今度は景品と景品の間をすり抜けた。

 思うようにいかないためか、その表情は懐疑的なものだ。


「あんた、私に負けるのが怖くて違うこと教えてるんじゃないでしょうね?」

「そんなケチなことしねぇよ。弾自体がデコボコしてるから左右にズレることもあるんだって」

「ふーん」


 いまいち納得がいかないまま三発、四発と撃つものの、当たりはしたが思ったところにいかず倒れるまでに至らなかった。

 合間に、逸馬が景品の上角を狙うようにアドバイスする。

 そして五発目でついに、


「あ、倒れた! 倒れたわよロリコン!!」

「残念だねお嬢ちゃん、景品は台から落とさないと駄目なんだよ」

「え……」


 やっとのことで景品を倒して喜んでた愛姫に、無情にも店主が忠告する。

 分かりやすく落胆するその姿に、逸馬がおかしそうに頬を緩めた。


「そんな落ち込むなよ。箱が積み重ねられて、高い位置にある景品とかあるだろ? ああいうのとか小さいの狙うんだよ。景品は台のかなり手前に置いてあるから、ただ倒すだけじゃ落ちないんだわ」

「……最初に教えなさいよ」

「練習だからな。そんじゃ次が本番だ」


 逸馬が二人分の金を払うと、自分も銃を手に取った。

 手際よく弾を込めると、片手で銃を突き出し、出来るだけ景品との距離を縮める。


「ちょっと、なにそれ! そんなに近付けていいの!?」

「乗り出す分には構わないんだよ。ただ銃身がブレやすいから弾が当たらないこともあるけどな、っと」


 逸馬が撃った一発目はあっさりと菓子の箱に直撃し、その景品を台から落とした。


「ずるい! 大きいあんたの方が有利じゃない!!」

「まぁ確かにお前小さいしな。そんじゃこれはハンデとしてくれてやるよ」

 

 店主から受け取った菓子の箱を愛姫に渡す。

 自分から文句を言ったわりに、ハンデを付けられたのが悔しいのか複雑な表情になる。

 負けじと銃を構えるが、愛姫の腕力では銃を水平に持つことが出来ず、両手で一生懸命突き出すような格好になった。

 片足が浮くほど台に体重を預け、必死に景品に近付けようとする。

 しかし、撃った弾は景品の遥か上を飛んでいった。

 隣を見ると、逸馬が二つ目の景品を店主から受け取っている。

 それに恨めしそうな視線を送った。


「そんなにぶすくれんなよ。最初に言っただろ、俺射的は得意なんだって」

「じゃあせめて次はもうちょっと大きなのして! 同じやつ狙うの禁止! それともそのちっちゃいやつしか取れないの?」

「はっ、安い挑発しやがって。上等だクソガキ、俺の本気を見せてやるよ」


 煽られた逸馬はおもむろに銃を振り上げた。

 およそ射的の構えではなく、愛姫が戸惑いの表情を浮かべる。


「ちょ、あんたなにして」

「ほっ!!」


 銃身を振り下ろすと同時に引き金が引かれ、コルクが弾き出される。

 明らかに他の客とは違う速度と威力で飛んだ弾は、少し大きめの菓子の箱に当たってそれを弾き飛ばした。


「おお、久しぶりにやったけど案外上手くいくもんだな」

「な、なにしてんの?」

「なにって、銃を振った速度を弾に上乗せしてんだよ。勢い付くから威力も上がるだろ?」

「ちょっとちょっと兄ちゃん!! そんな危ない撃ち方しちゃ駄目だよ!!」


 さも当然と言ったように逸馬が説明すると、店主が困惑しながら注意をしてくる。 


「え、俺の地元じゃありだったんだけど」

「なしだよ! 初めて見たよそんな危ない撃ち方。銃が壊れたり他のお客さんが怪我したり、子供が真似したらどうすんだい」


 至極真っ当な意見だった。

 銃は玩具とはいえ、鉄と木で出来ていてかなりの重さがある。

 もしすっぽ抜けでもしたら大惨事だろう。


「えっと、じゃあ今落とした景品は」

「無効だよ! いい歳した大人が菓子ほしさになにやってんだ!」

「いや、別にそれがほしいってわけじゃなくて、こいつと勝負してて」

「それじゃ余計大人気ないだろあんた! 子供との勝負になに無茶な本気見せてんだ!」


 店主にそう捲し立てられると、先ほどの愛姫と同じように肩を落とした。

 その様子が心底おかしかったらしく、愛姫がケラケラと笑っていた。


「なに笑ってやがるんだクソガキ」

「だってあんた、なんだか子供みたいなんだもん」

「けっ、言っとくけど今のが無効でも、このままじゃお前の負けだからな。そんな余裕こいてていいのかよ?」

「大丈夫よ。見てなさい、思いついたことがあるんだから」


 そう言うと、愛姫はたどたどしい手付きで弾を込め、力が足りないのか台の上に銃を立てて何とかレバーを引いた。

 そのまま先ほどと同じように、精一杯銃を円状の景品台へと向ける。

 意を決して撃ったその一発は、残念ながら景品と景品の間を擦り抜けた。


「駄目じゃねぇか」

「お、惜しかったもん。次こそ見てなさい!」


 しかし、その次も、さらにその次も、時間をかけて狙いを定めるものの弾は景品に当たりすらせず、景品の間やそのやや上を擦り抜けるだけだった。

 

「おいおい、次が最後の一発だろ? お前一個も落としてねーじゃん」

「次こそうまくいくもん」

「仮に落とせたところで俺は三つ落としてるし、負け確定だろ」

「いいから黙って見てて!」


 啖呵を切りながら、最後の一発に念を込めるよう、丁寧に弾を詰める。

 そして真剣な表情で照準を合わせた。

 数秒そのまま固まり、先ほどまでと同じくまるで何かを待つように愛姫が構え続ける。


「てやっ!!」


 気合の掛け声と共に発射されたそれは、先ほどと同じように背の高い景品と景品の間をすり抜ける。

 しかし、それで終わりではなかった。

 すり抜けた弾は、そのまま円状の台の反対側へと飛び、裏側から景品に直撃した。

 そしてそれはグラグラと傾いて、台の手前側へと落下した。


「や、やったぁ!! やったわよロリコン!! 見てた!? ちゃんと落としたわよ!!」

「いやお前、手前に落とすとか、俺と同じく反則じゃ……」

「えぇっ!?」


 景品は簡単に落ちないように台の手前に置いてある。

 逆を返せば、裏側から当てて倒しさえすれば、配置上あっさり落ちるのだ。

 愛姫は先ほどからずっとそれを狙い続けていた。


「おっちゃん、今のいいの? 俺のときは反則で無効って言ってたけど」

「う、裏から当てちゃいけないなんてどこにも書いてないし、大丈夫よね!?」


 落ちた景品を拾って二人に寄ってきた店主に、審議の結果を訊ねる。

 愛姫は先ほどの大はしゃぎから一点、不安で半ば懇願にも近い声色をしていた。


「本当は駄目なんだけどなぁー」


 その言葉を受け、愛姫が余計に悲壮感を深めた表情になる。

 勝負に負けるのが嫌というより、一生懸命やって、やっとのことで落としたのに無効になるのが悲しいのだろう。


「ただ、さっき確か勝負してるって言ってたっけ? 裏から当てるのも難しいし、まぁ、お嬢ちゃんの頑張りに免じてゲットってことで」

「本当!?」

「あぁ、本当だ。おめでとさん」


 そう言いながら今しがた落とされた景品を、愛姫の小さな手の上に乗せる。

 受け取った愛姫は、喜びを隠さず柄にもなく跳ねてみせた。


「へっ、良かったなぁ、おっちゃんが優しくて。でも残念ながら勝負は俺の勝ちだぞ」

「うっ……」


 反則が認められて悔しいのか、皮肉交じりに褒めながらもそこは勝負である。

 逸馬はきっちりと勝敗を清算しようとした。

 しかし、背後から店主がそれに水を差す。


「そいつぁーどうかな」

「え? いやいやおっちゃん、落としたのって俺が三つでこいつは一つだろ? ハンデ入れても三対二じゃん」

「確かに落とした数は兄ちゃんの方が多いけどさ、お嬢ちゃんが落とした景品見せてもらいなよ」

「……? おいクソガキ、お前なに落としたんだよ?」


 そう言われて愛姫が景品を握り締めた手を開くと、そこにはオイルライターがあった。

 zippoなどのようにしっかりしたものではなく、チープな作りで犬のイラストが施されている物だった。

 デフォルメされた目つきの悪いその犬は、どことなく逸馬を連想させる。


「アメやチョコ菓子三つ落とすより、こっちの方が難しいのは分かるだろ? それに多分だけど、その子がそれ狙ってたのって」


 店主の言葉を遮るように、愛姫が景品をそのまま握って逸馬のみぞおちへと叩きつけた。

 一瞬意図が分からず、軽く殴られたのかと勘違いしそうになる。が、次の一言でその意図に気付いた。


「私は使わないしあんたにあげる。タバコ吸うときに使うんでしょ?」


 照れて恥ずかしいのか、愛姫が膨れっ面でそっぽを向きながら投げやりに言う。

 戸惑いながら受け取った逸馬が、狐につままれたような顔をした。


「な? 兄ちゃんの負けだろ?」


 その様子を見ていた店主から声をかけられ、バツが悪そうに後ろ頭をかく。

 受け取ったオイルライターをジャケットに仕舞うと、雑な手付きで愛姫の頭に手を置いた。


「貸しにしたくねぇからな、何でも奢ってやるから好きなもん食えよ」

「ちょっと! 気安く頭さわらないでよ!」


 僅かに頬に赤みが差した愛姫が、その手を振り払う。

 そして店主に「おじさん、ありがとね」と言い残すと、足早に道を歩き始めて行ってしまった。

 それらが照れ隠しだと分からないほど逸馬も鈍いわけではなく、なんとなしにむず痒いような感覚に襲われる。

 人ごみではぐれてしまわないよう、逸馬も店主に礼を言うと慌てて愛姫の後ろ姿を追いかけた。

 

 少し先に愛姫の背中を捉えながら、先ほどもらったライターを取り出す。

 それを見ながら、逸馬は「調子狂うな」と一つぼやいた。

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