アイネ・クライネ 〜おっさんと幼女がひたすら勝負を繰り広げるハートフルロリコンストーリー〜

猫野ミケ

第1章 ロリコンとクソガキ

The 1stバトル ~幼女とおっさんと際どい関係~

「来たか……」


 都内北公園。

 ブランコ遊具を囲う柵に腰を掛けながら、公園の入り口を向いて男は呟いた。

 くたびれたスーツ、雑にセットされた髪、踵の擦り減った革靴。

 松井逸馬まついいつま

 30歳、会社員。生粋のロリコンである。

 彼は腰を上げて立ち上がると、吸いかけだったタバコを携帯灰皿へと無理やり押し込んだ。


「公園は禁煙って言ってるでしょ!」


 そんな彼へと歩み寄り、叱責する幼い声。

 生麻愛姫きあさあき

 9歳。現役の小学四年生である。

 光沢のある赤いランドセルに肩へかかる黒髪を揺らし、鼻息荒く逸馬の前で仁王立ちする。


「なんで大人なのにルールも守れないの!」

「誰もいなかったし吸殻とか灰だって落としてねーんだから別にいいだろ。本当に口うるせぇガキだな」

「ガキって言わないでよこのロリコン!」


 二人は顔を合わせると決まって口喧嘩になる。

 いい歳をした逸馬が小学生と毎回本気で口論する様は、見ていて日本の将来を危ぶませるような光景だった。

 

「さっさと始めるぞ。五時から打ち合わせがあるんだ」

「なによ、珍しく予定が入ってるのね。ダメな大人のくせに」

「お前はいちいち悪態付かないと気がすまないのか」

「本当のことでしょ」

「まぁいい。取り合えず、今回はお前が勝ったらこれをやろう」


 そう言って逸馬がポケットから取り出したのは、コンビニの無料商品引換券だった。

 数枚あるカードを扇のように広げると、愛姫がそれを凝視する。

 プリンや菓子にジュースなど、豊富なバリエーションが揃っていた。


「ふ、ふん。なかなか悪くないじゃない」

「相変わらず現金なガキだな」

「うるさいわね! それで、あんたが勝ったら私は何をすればいいの?」

「そうだな、俺の好きなポーズでこのカードの枚数と同じ分だけ写真を撮らせてくれ」

「……あんた、本当に気持ち悪いわね」


 愛姫が九歳とは思えないような、冷え切った目で逸馬に蔑みを投げる。

 二人はこの公園で会うと必ず勝負に興じ、それぞれが差し出せるものを賭けているのであった。

 大人の逸馬と違って愛姫は賭けられるものがないので、大体は逸馬が物品を、愛姫は自分を賭けることになっている。

 素直に際どい関係だった。


「それで、今日はなにで勝負するんだ?」

「どうせまたあんたが負けるんだから、あんたに決めさせてあげるわよ」

「ほお、言ったな。じゃあ、だるまさんが転んだでどうだ?」

「いいわよ。で、どうやるの?」

「最近のガキはだるまさんが転んだすら知らないのかよ……」


 げんなりとした顔で逸馬が呟く。

 世間的にアラサーと呼ばれる年齢の彼は、ジェネレーションギャップにショックを受けていた。


「し、知ってるわよ。ただ、そんな古臭い遊びやる子がいないから、やるのは初めてなの!」

「あー、簡単に説明するとだな、鬼に動いてるところを見られないように、他のやつが鬼に近づいて触れたら勝ち。逆に、鬼に動いてるところを見られたら負けってゲームだ」

「鬼が後ろ向いて『だるまさん転んだ!』っていうやつね! 見たことある!」

「そうそう。そんで、その『だるまさんが転んだ』って言ってる間は、鬼は背を向けていなくちゃならない。その間に他のやつがどれだけ距離を縮められるかが鍵になるわけだ」

「なによ、簡単じゃない!」

「そりゃ子供の遊びだしな。で、鬼と触る側とどっちをやる? ゲームは俺が決めたからな、今度はお前に選ばせてやる」

「そうね、あんたが鬼をやりなさい。後ろを警戒してチラチラ見るなんて、怪しそうなあんたにお似合いだわ」

「そうだな、コソコソ人の背後に忍び寄る小狡い役はお前にピッタリだ」


 無言で二人が睨みつけ合う。

 その間には往年のライバルが交わすようなバチバチとした火花が、、見えるはずもなく野良犬と子猫の対峙を彷彿とさせるまぬけな空気が流れていた。

 逸馬がブランコの柵から離れると、そのまま真っ直ぐ歩いていき、一際大きな木の前で立ち止まった。


「お前はその柵の位置からスタートな。あと、最初に一歩だけ俺に近づいていいことになってるから、『はじめの一歩』って言いながら進め」

「なにそれ。何の意味があるの?」

「サービスみたいなもんだ。出来るだけその一歩で距離を縮めれば有利になるだろ」

「ふーん。じゃあ、はじめのいーっぽ!」


 愛姫が力いっぱい、跳ぶような一歩を踏み出す。

 ひらりとスカートが揺れ、逸馬の目はそれに釘付けだった。


「これでいいの?」

「あぁ。次はもっとダイナミックに飛んでくれ」

「いやよ。転んだらどうするの」

「けっ……。よし、じゃあ行くぞ。だーるーまーーーー、さーんがーーーーーーーーーー、っこんだ!!」


 その掛け声の気合から分かるように、アラサーは本気だった。

 本気で引っ掛けようと、愛姫が急に止まれないように緩急を付け、大人気なく勝ちを取りにきていた。

 逸馬が振り向くと、かなり掛け声を溜めたせいか、愛姫はごく間近に迫ったところで止まっている。

 あとほんの一、二歩という距離で、次に逸馬が振り向いたらすぐにでも触れられそうな位置だ。

 しかし、急に掛け声の速度が変わったため走る途中の状態で止まっており、右足の踵が浮いて安定しない姿勢だった。


「おい、今微妙に止まるの間に合ってなかっただろ」

「ま、間に合ったわよ! っていうかずるいのよ、ゆっくりしてたのに急に振り向くなんて」

「それが基本なんだよ。短調にやってたら絶対に鬼が勝てないだろ。それよりお前、口が動いてるぞ」

「話すのは別にいいでしょ!」

「なるほど、じゃあ口以外は絶対動かすなよ」


 そう言うと逸馬はおもむろに木の前でしゃがみ込んだ。

 

「ちょ、ちょっと、早く次始めなさいよ」

「別にすぐ始めなきゃならないなんてルールないだろ」


 そして、そのままニヤニヤとしながら愛姫を眺める。

 姿勢を維持するのが辛いのか、愛姫の足が子鹿のようにプルプルと震え始めた。


「おー、どうしたどうした? 辛いのか? 辛いならギブアップしてもいいぞ」

「こ、このクズ男! ひきょうよ! さっさと再開しなさい!」

「うーん、そうは言ってもなぁ。なかなか趣き深い光景というか」


 そう言うと、逸馬はしゃがんだ姿勢からさらに地を這うように頭を沈めた。

 そして、愛姫を下から睨め回すように見上げる。


「ギリギリ見えないなぁ。いや、でも、この見えそうで見えない感じが堪らないというか」

「どこ見てんのよ変態!! 立ち上がってよ!!」

「いや、ちょっと待て、もう少しで」


 逸馬が下から覗き込むようにしながら、愛姫のスカートへと手を伸ばす。

 その様子は完全に変質者のそれだった。


「触んないで!!」


 叫びながら蹴り出された愛姫の足が逸馬の顔面を捉え、「ぐえっ」っと蛙のようにひっくり返った。

 しかし、その顔は何故だか桃源郷を垣間見たように緩んだものだった。

 

「なにしようとしてんのよ!! あんたから触るなんてルール違反でしょ!!」

「だからってお前、顔を靴の底で踏むなよ! どんな教育受けてやがるんだ!」

「あんたこそどんな頭してんのよ!」

「そもそも別に鬼の方から触っちゃダメなんて言ってないだろ。というか、動いたからお前の負けな」

「反則に決まってるじゃない! もう一回よ!! いーい、次から鬼のあんたはしゃがんだりしちゃダメ! そこから動かないこと。あと、次のかけ声もすぐに始めないとダメなんだから!」

「へーへー、分かりましたよ」


 逸馬が砂埃を払うようにスーツを叩きながら、渋々立ち上がる。

 愛姫が柵の方まで戻るのを確認すると、先ほどと同じようにはじめの一歩を飛ばせた。

 

「それじゃ始めるぞー。だるまーー! さんが! ……………………転んだ!!」


 先ほどとは打って変わって、掛け声の語尾を伸ばすのではなく、変拍子のスタッカートのように間を空けてタイミングを狂わせにいった。

 かなり間を空けたので、最初から全力で走られれば一度で終わっていてもおかしくない。

 イチかバチかの賭けに近い作戦だった。

 しかし、逸馬が振り返ったその先に、愛姫の姿はなかった。


「あれ?」


 左右を見渡すと、少し離れたベンチに愛姫は腰掛けていた。

 手前にランドセルを置き、俯いたまま微動だにしない。

 

「おい、何してんだよクソガキ。呑気に座ってんじゃねぇよ」

「……」


 問い掛けられても愛姫は何も答えない。

 まるで逸馬の声が聞こえていないような素振りだった。


「聞いてんのかよ。さっさと戻れよ」

「さっき言った」

「あ? 何をだ?」

「次のかけ声はすぐにしなきゃダメって」

「……」


 愛姫の言葉を受けて、逸馬は眉根を寄せながら後ろを向いた。

 そのまま短調にだるまが転んだと口にする。

 しかし、振り向いたところで、そこには依然として欠片も動いてない愛姫がベンチに腰かけているだけだった。

 逸馬が顔をしかめ、その表情のままムキになって後ろを向く。


「だーーるーーまーーさーーんーーがーーこーーろーーんーーだーー!!」

 

 挑発するようにたっぷり時間をかけて掛け声を唱える。

 しかし、またも愛姫は動かない。

 その様子を見て、いい加減に逸馬は苛立っていた。


「だるまさんが……」


 時が止まったように掛け声をぶつ切ると、たっぷりと数十秒逸馬は無言になった。

 ベンチから逸馬の位置まで軽く何往復か出来そうな間だ。

 そして、「転んだ!!」と渾身の叫びと共に振り向く。

 

「……」


 当然、愛姫はベンチに座ったままだった。

 そして俯いたままの小さな唇が呟く。


「一人で馬鹿みたい。今おまわりさんが通りかかったら、あんたしょくむしつもんってやつされちゃうわね」

「こ、こいつ……!!」


 歯をギリギリと悔しそうに鳴らし、離れて座る愛姫に怒鳴る。


「おい、そんなんじゃゲームになんねぇだろ! さっさと戻れよ!」

「さっきルールは決めたじゃない。その中に、私が動かなきゃダメなんていうのはなかったでしょ」

「それだと勝負がつかないだろ!」

「つくわよ」

「は? どうやって」

「あんた予定があるって言ってたでしょ? ずっとこのままで大丈夫なの?」

「なっ……」


 愛姫の作戦は極めてシンプルだった。

 逸馬の時間切れによるギブアップ狙い。

 移動時間を考えると、実際逸馬はあと十五分もせずに公園を出なければならなかった。


「ほ、ほう。小賢しいこと考えるじゃねぇか。だけどまだまだ時間はあるんだぞ? それまでずーっとそのままでいるつもりかよ。時間の無駄だし、お前もただ待ってるだけなんて辛いだろ?」


 苦し紛れに逸馬が愛姫を揺さぶりにかける。

 しかし、意に介さないといった感じで、愛姫は俯いたままだ。

 そして、沈黙の間にランドセルで隠れた手元から乾いた紙の音が逸馬の耳に入った。


「……おい、ちょっと待て。お前もしかしてさっきから」

「今日図書室で借りた本があるの。別にそれを今読んでるなんて言わないけどね。私は何もせず待ってるだけでもいいから、あんたはそこで馬鹿みたいにずっと、だるまさんが転んだ転んだ言ってなさい」

「くっ……!!」


 ベンチの手前に置かれたランドセルのせいで、愛姫の手元は隠れている。

 確かに例え如何に愛姫が手元を動かそうと、本を読んでいようと、それは逸馬の位置からでは見えなかった。


 逸馬が苦虫を噛み潰したような顔で立ち尽くす。

 万策が尽きたかに思えた。

 公園の入り口に立つ背の高い時計が、一つまた一つと長針を進め、無常にも時が過ぎていく。

 しかし、しばらく考え込んでいた逸馬の脳裏に、起死回生の閃きが浮かんだ。

 

 が、彼は焦らない。すぐ行動には移さない。

 愛姫は読書をしながらも、まだ逸馬を意識し警戒している。

 ここで何か策を弄しても、彼女は黙殺するだろう。

 この膠着した状況に慣れさせ、こちらの意図を気付かせない必要がある。


 そしてしばらくの間、逸馬は言われた通り馬鹿の一つ覚えのように一定間隔で「だるまさんが転んだ」と口にした。

 それからたっぷり十分が経ち、逸馬の徐々に小さくなる呟きのような掛け声にも慣れ、愛姫の意識が読書に傾き始めた頃だろうか。

 不意に逸馬が、普通に話しかけるような口調で言い放った。


「なぁクソガキ、さっき蹴り食らったときにスカートの中が見えたんだけどな、パンツにシミ付いてたぞ」

 

 しばしの沈黙。

 しかしよく見れば、ベンチに腰掛ける愛姫は顔を真っ赤にしながらプルプルと肩を震わせていた。

 そして、俯いたまま語調荒く叫ぶ。


「う、嘘よ!!」

「嘘じゃねぇよ。ばっちり黄色いシミが付いてたぜ。小学四年生にもなって恥ずかしー。やーいやーい、シミパン女ー」


 せせら笑うように男子小学生並みの語彙力で逸馬が煽る。

 それが余計馬鹿にされているようで、愛姫の頭に一層血が上った。


「ちゃんと私のパンツきれいだもん!!」

「嘘つけシミパン女ー。きったねーなあ。ちゃんとトイレ行ったあと拭いてんのかよ」

「拭いてるもん! 汚くないもん!!」

「ははは、嘘つけよ。くっさそー」

「くさくなんかない!!」

「なんで否定出来んだよ? お前今履いてる自分のパンツ確認でもしたのか? 自分で気付いてないだけで、シミが付いてるってだけの話しじゃん。しょうがないしょうがない。俺がたまたまそれ見ちゃっただけだもんな。普段はそのきったねーパンツ誰にも見られないからバレないもんな」


 逸馬がわざとらしく挑発する。

 効果は抜群だ。

 愛姫は羞恥にまみれた表情で、奥歯を噛み締めている。


「なんかごめんな、俺が悪かったよ。ただ、次からお前のあだ名しょんべん娘な」


 その一言でカッとなった愛姫が、ベンチから勢いよく立ち上がった。

 そして逸馬に背を向けると、そのままスカートを僅かにめくる。

 そのまま身を屈めると、何かを確認するよう覗き込んだ。

 その様子を、愛姫以外では公園内唯一の存在である逸馬がニヤニヤと見守っていた。


「やっぱり嘘じゃない! シミなんて付いてない!!」

「はい、俺の勝ちー」


 バッと振り向いた愛姫が、逸馬にそう言われて固まった。

 逸馬の計略に気付いたのか、先程までと違う意味合いでみるみる顔が赤くなる。一杯食わされたことへの怒りだ。


「ひきょうよ!! ずるい!!」

「何がだよ。お前が勝手に立ち上がったんだろ。難癖付けんなよ」

「だって嘘だったじゃない!」

「俺には本当にシミが付いてるように見えたからそう言っただけだろ。愛姫ちゃんおパンツ綺麗で良かったでちゅねー」

「ず、ずるいずるい!! 嘘つき!! ひきょうもの!!」

「はっはー、なんと言おうが俺の勝ちですー! これが大人の戦い方ってやつだ!」


 実際、蹴りを食らう刹那で薄暗いスカートの中がそんな細かく見えるはずがない。

 しかしあくまで普通の会話の中で愛姫が勝手に動いたのだと、そう逸馬は主張した。汚い大人の代表のような存在だった。


「やばい、もうこんな時間か。おいクソガキ、写真はまた今度だ。忘れんなよ」

「……」


 しかしそう声をかけても、愛姫は無言で悔しそうに顔歪ませているだけだった。

 鞄を手にした逸馬が公園の出口へ足を進める。 

 そして、すれ違いざまに愛姫の頭にポンと手を乗せた。

 

「触んないでよ!」


 反射的にその逸馬の手を振り払う。

 しかし、それと同時に頭の上に乗せられたカードが地面に散らばった。


「なんだよ、くれてやるってのに」

「え、これ? なんで?」

「パンツを見せてもらった礼だ」


 何故か粋な男風の声色で格好付けていたが、セリフの内容はあまりにも最低だった。

 そのまま振り向きもせず、颯爽とすかした様子で逸馬は公園を出て行く。

 その背中に愛姫が複雑な声色で叫んだ。


「あんた、いつかおまわりさんに言いつけてやるからね!」


 残された愛姫は、「なによこんなもの」だの、「子供扱いして」だのと悪態をつきながら、まんざらでもない様子で商品の引換券を拾って帰った。

 一方、逸馬は普通に予定に遅刻した。

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