第一章 祝福の鐘は丑三つ時に鳴る(5)

   ***


 学校に戻ると、使者は不意に俺に片手を差し出した。

「掴んでください」

 なんで急に。

「恋人だから『なんで』などと聞かないでください」

 とっくに嘘だと分かっている「恋人」という言葉の圧に促されたわけではないが、有無を言わさぬ調子で突き付けられたパーを掴む。

 その瞬間、眼前の光景が一変した。

 学校の敷地内。その上空に、夕焼けの空を切り裂くようにして白壁の城が顕現していたのだ。荘厳なその城は逆さづりになっていて、その城門から光の筋を溢れさせている。

「あれが、我々の都市です。異能者や魔術師たちが在学する学園が、八番目の聖園指定都市に認定されるほどの影響力を得て、その校舎自体が都市として認められたイレギュラー」

 使者は、淡々と述べた。

「第八聖園指定都市──〈ストレイド魔術学院〉」

 逆さづりの校舎の門から伸びた光の筋は、俺たちの学校を覆い隠すようなドーム型に伸びていた。半透明の帳が下りた中で、使者はちらりと俺を見上げる。

「あれが、私があなたを攻撃した理由です」

 お分かりですか?と問うて、

「葉桜様は、あなたが断ることも想定していたのです。たとえば『現実世界で彼女が出来ていた場合』などといった具合に」

「そんな場合は無いんだが?」

「あなたが異世界行きを断った場合、葉桜様はあなたの自由意思を尊重して強制的に異世界へとあなたを転生させることにしたのです」

「自由意思を尊重して強制……」

 日本語のつながりが壊滅している。

「私たち……あなたからすると異世界の者が使う特殊能力である異能や魔力は、人々により強く認識されることによって威力を増すのです」

 使者は滔々と語った。

「その異能がどういうものなのか、その魔法にはどんな効力があるのか。人々にその力を広く認められていればいるほど、強大な威力を持って相手に干渉することができます」

 そして、と使者は言葉を切って、

「その認識による魔力を利用して、葉桜様は『あなたたちの世界』に逆に干渉する方法を生み出したのです。認識こそが力の根源です。つまり私たちの世界のものを、こちらの世界の人々が『現実に存在する』と認めたら?」

「……は?」

「異能や魔法が存在すると認めたら、それらの力は現実世界にも及び効力を持つのです。そして異能や魔法を認識できるようになった人間は、私たちの世界と限りなく近い存在になります」

 使者の細い人差し指が、ゆっくりと上空の学院を示す。

「それを葉桜様は利用しようとしています。転生者である葉桜様が持っている能力は、二つです。こちらの世界に異世界人を『送り込む』能力と、異世界人を元の世界に『引き戻す』能力です。それを利用して、葉桜様はこちらの世界ごと異世界に引きずり込もうとしています」

「ひ、引きずり込む?」

「自由意思を尊重して、強制的に……と」

 噛み締めるように、使者が言葉を繰り返す。

「向こうの世界の者たちをこちらに送り込み、魔力や異能を認識できる人を増やし続けて、その空間を限りなく異世界に近づけます。その状態で、葉桜様が異世界のものだけを元の世界に引き戻せば、どうなると思いますか?」

 戸惑う俺に、使者は簡潔に答えた。

「限りなく異世界に近づいたこちらの世界の空間ごと、異世界に強制召喚することができるのです。その空間があなたの日常に近い場所であれば、空間ごとあなたを異世界に引き込むことが可能となります。葉桜様はあなたを異世界に呼び込むために、この世界ごとあなたを召喚することにしたのです」

「待って」

 俺は、使者の言葉を遮った。

「空間ごとって、別にその空間にいるのは俺だけじゃないだろ。その空間にいて、魔力や異能を認識できるようになった他の人たちはどうなるんだ?」

「この世界ごと、みんな異世界に拉致されます。葉桜様のような適応力を持つ転生者は稀有ですので、おそらくほとんどの人間は淘汰されることになるでしょう。また、元の世界に戻ることも不可能です」

 俺は思わず、天を仰ぐ。

「そんなこと、葉桜が本当に?」

「本当だからこそ、私はあなたを殺すつもりですがね」

 白刃を思い起こさせるように、使者は俺の眼前に自分の人差し指を突き出した。さっき剣を顕現させた指先で、

「局地的とはいえ葉桜様は、この世界を侵略するつもりなのです。あなたという宝物を異世界に連れていくためだけに」

「侵略って、具体的にどうやって」

「私が魔力を認識していないはずの弟くんの前に現れることができたのは、あなたが私のことを『自分の恋人』だと思っていたからです。認識改竄魔法は、このようにちょっとした飛び道具にもなります。しかし他の魔術師たちの攻撃は、異世界の存在を知らず魔力を認識していないこちらの世界の人々には通じません。だから、違う方法を取ります」

「違う方法?」

「この学校」

 使者が指さしたのは、俺の通う高校の校舎だ。

「学校には、噂が蔓延りやすいのです。魔力や異能も、学校という場所においては怪談という形で流行しやすい。葉桜様の『転生者』としての能力で、異世界の使者たちをこの学校に転移させるのです。この学校を〈門〉として異世界人たちを顕現させ、こちらの世界の人々を襲って異世界の存在を認めさせます。だから葉桜様は、この学校ごとあなたを強制召喚しようとしています」

 使者の細い人差し指が、未だまっすぐに校舎を向いている。

「そして、たった今〈門〉が開きました」

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