第十三部「水の中の女神」第1話 (修正版)
いつも真実は箱の中
だから開けてみたくなる
☆
安土桃山の時代。
後に戦国時代とも呼ばれる頃。
事実、世の中は戦乱の時。
その地には大きな湖があった。
遥か昔、火山の噴火で出来た湖。
周囲には三本の川が流れ込む。
その中でも一番大きな川の上流には激しい滝。
その荒々しさからか、その滝は〝
湖を信仰して守り続ける〝
しかしそんな神聖な川にも幾度か血が流れ、やがて戦は城まで届き、その城から逃げ延びたのは城主の正妻の
山の中。
武士たちは
湖に辿り着いた時、
自慢の美しかった着物に、今はその面影すらなく、足はいつからか素足のまま。
急に身体中に痛みを感じた。
周囲からは草木を激しく掻き分ける音。
後ろだけではない。左右からも男たちの叫び声。
恐怖と虚しさ。
もはや
そして、
湖の水は冷たかった。
どこに逃げるというのだろう。それは
しだいに、濡れた着物の重みが体を引き留める。
頭の中には絶望感と諦めだけ。
腰まで水を感じた時、背後の男たちの声が近付いていた。
湖畔で、
諦めたはずなのに、まだ恐怖からは逃れられていない。
すると、それまで冷たかった
水が暖かい。
その暖かさは、まるで
やがて、水面から湯気のような煙が立ち昇ったかと思うと、それは瞬く間に炎となって辺りに広がった。
湖畔の武士たちも、湖の周りの森にも、その炎が広がり、やがて総てを焼き尽くした。
やがて、その湖は〝
☆
いつも汗をかいて目覚めた。
確かに季節は春。
急激に夜の気温も暖かくなってはいたが、
横の
「……ごめん…………」
「いいよ。お水持ってくる」
いつも
──……もうすぐ……もうすぐだから…………
そう思いながらも、さっきまで見ていた気持ちの悪い夢が頭に去来する。
──…………やめて…………
「はい、飲んで」
そう言った
手渡されたペットボトルを、
いつも理由は分からない。
しかし、どうしても、体の奥から感情が溢れる。
あえて
一緒に猫の世話をし、一緒に畑に水をやり、一緒にご飯を作り、一緒に夜を過ごした。
最初の夜は普通に朝を迎えた。
しかし嫌な夢を見始めたのは二日目の夜からだ。
すでに何日も続いていた。
そして、体質的に、
「……嫌な夢だね…………」
何日目かの朝、夢のせいか暗い表情の
「何か理由はあるんだろうね」
「なんだか……心配かけちゃって…………」
つい
──……甘えたいのかな…………
──……もう、若くないんだから…………
しかし夜になると甘えてしまう自分がいる。
まるでそれまでの空白の時間を埋めるかのように、
一連の出来事は何も解決していない。どうして〝水の玉〟が突然現れたのか、それは未だに分からないままだ。しかしお互いに深く追求しようともしなかった。唯一の慰めは、その水晶の存在を
「心配なんて……今さら気にすること? 私たちの仲でしょ?
それに応えるように
「本当にある湖だね…………」
「……そうなの……?」
「多分……名前だけは頭に浮かんでる…………〝
暗い湖。
渦を巻いた炎が周囲を焼き払う。
何人もの人々が焼かれ、のたうち回る。
森の木々が、炎を受け入れて炭になっていく。
それから数時間、いつものように二人で猫と戯れていた時、
「うん……そうだね…………ごめんね…………こんなに長く……」
「……うん…………え? 飲みに? うーん…………」
すると、すぐ後ろから
「いいじゃん……行こうよ」
すると
「……もう……電話中…………あっ、ごめん────うん、その内行くから…………」
そして慌てたように
軽く溜息を吐いた
お互いの唇の余韻がまだ残る中、
「久しぶりにいいんじゃない? 今夜行こうよ。気晴らしにさ」
すると、
「……うん…………久しぶりに私の部屋も掃除しないと…………」
「掃除だけ?」
「……ん…………酔っ払っちゃうし…………」
「酔ってる時のほうが…………いいくせに…………」
そう言うと
☆
その夜、
さすがにまだ他の客はいない。
「たまにはゆっくりしてってくださいね。でもそっちに座ってると落ち着かなかったりして……」
そう言いながら、
カウンターの中にはまだ
二人の体質のことも知っている
「んー……なんか照れくさいね…………」
「自分の店でしょ。でもまあ、ごめんね
「問題ないですよ。寂しがってる常連さんはいますけど……ママに倒れられても困ります」
「私の店なんだけど」
しかしその表情には笑顔が浮かぶ。
「でも
それに応えるのは
「まあ……お互いに…………一緒にいられる相手は他にいないしね」
すると、それを聞いていた
突然手の中に現れた〝水の玉〟。
その理由は未だに分からないまま。
「……そうだよね…………
そう
三人がドアに顔を向けるよりも早く店内に声が響いた。
「あっ! あんたたち!」
そこに返すのは笑顔の
「うるさいオカマだねえ」
同じテナントビルでゲイバーを経営しているリョウだった。リョウの店は二〇時オープン。よく開店前は仲のいい
そのリョウは
「どうしたのよ⁉︎ 休みすぎでしょママ。もう二週間くらいじゃない⁉︎」
「ごめんね、ちょっとお休みしてて……」
「ウチの常連でも重い病気なんじゃないかって噂してる人もいるし大丈夫ならいいけど
「で?」
挟まったのは
リョウともやはり仲がいい。
「リョウちゃんの今夜のネタは何? 開店前にわざわざ遊びにくるってことは余程のネタ?」
「そうなのよ!」
リョウはそう叫ぶと、手にしていた雑誌を開き始める。そしてとあるページを二人の前に出して続けた。
「
「へー、まだ雑誌にも書いてたんだ。最近はネットのほうが多いって聞いてたけど……」
「そうなのよ! 久しぶりだったから私も思わず買っちゃったわ。最近は
その言葉にカウンターの中の
「そりゃ毎回オカルトじゃあ…………」
それにすかさず返すのは
「そりゃイヤだね」
負けずに反論するリョウ。
「何よ、可愛い
そして呆れ顔の
「で? いつものオカルト?」
しかしそれより早く、
その
「…………
「……
続くのはリョウ。
「面白かったわよ。〝
リョウは
「へー……面白そうじゃん…………」
そう応える
しかし構わずにリョウは話し続ける。
「安っぽい幽霊話よりよっぽど面白いわ。伝説とかいいわよねえ……こう見えても占いとか好きなのよね」
「見るからに好きそうだねえ」
──……ただの偶然?
そして、時間はすぐに過ぎていく。
やがてリョウが雑誌を置いて店に戻り、他の店員の女の子たちも出勤し、二一時を回り、常連が来店すると少しずつ店内が賑やかになっていった。
その
──……どうして
──……やっぱり理由はある…………
「これから…………
『あれ?
「んー、今日は気晴らしに二人で飲みに来ててさ…………
『読んでくれたんですか? ありがとうございます、珍しく今回は編集長が乗ってきて────』
「ちょっと詳しく聞きたいんだよね…………」
そして
最初に切り出すのは
「現地にも直接取材したんでしょ?」
「はい、記事にも書いたんですけど、あの湖を信仰してる神社があって、そこに直接…………」
「結構協力的でしたよ。でも伝説は総て伝聞だけなんですよ。もちろん後から文章にされた物があるので今はそれがベースみたいになってますけど、決して古い文献が残ってるわけじゃなくて……にしてもどうしたんですか? 何かそんなに気になるネタでした?」
「うん……ちょっと…………記事にあった〝
「まさか…………今までメディアで取り上げられたことはないはずですよ。地元でも誰も知りませんでしたし、知ってるのは村役場の人が数人…………神社も存在そのものが知られていないくらいでした。元々
「
「
「……
それを見ながら、
──……変なことにならなきゃいいけど…………
「まあ……不安になるのも分かりますけど…………最近色々ありましたからね…………」
そして返さない
「協力出来ることがあれば…………」
「その神社の名前ってなんだっけ?」
「〝
「連れてってもらえないかな」
「大丈夫だと思いますけど…………明日アポ取ってみますよ」
その
モニターに表示されたのは
──……いいタイミング…………やっぱり……なにか…………
「どうした? 新しい仕事?」
出来るだけ平静を保った
『何を調べようとしてるの?』
「いきなり何よ」
『────
──……相変わらず勘の鋭いやつだ…………
そう思いながら、
「どうして? 何かあるの?」
『二人は知らないほうがいい…………〝絶望〟が待ってる…………』
「…………聞くと思って言ってる? 私の人生を決めるのは
直後、背後からの
「どうしたの? ……イライラしてる…………」
その
その
「どうしたの
そう言って顔を覗き込む
「…………早く隣に来てよ……」
小声になったその
──……こっちまでドキドキする…………
「リョウちゃんの持ってきた雑誌の話。放ってもおけないでしょ」
それに返す
「まあね…………まさか
「うん…………関わるなってさ」
「……ふーん……総てのことには理由があるんだよね…………ということは、
そう言った
薄暗く、気持ち悪く、重い。
とても現実とは思えない映像。
しかし、湖と伝説は実在した。
どうして自分がそれを夢に見るのか。以前ならば精神的に追い詰められていたかもしれない。しかし今の
──……総てのことには意味がある…………
そう思えたからだろう。
そして、それは
しかし
前か後ろではない。
上や下でもない。
同じところにいる。
そこに幸せを感じられた。
だからこそ、命をかけても、
「…………行くしかないね。私はそう思う」
その
その横顔に、
「どうしよっかなあ…………一緒に行って欲しい?」
その
──……女同士の気持ち…………ちょっと分かるかも…………
☆
二日後、早速神社に行くことが許された。
その日は朝から曇り空。
二人の服装も明るくはない。
無意識の内に気持ちが反映されるのか、二人とも重い色合いで統一されていた。それでもいつものパンツスタイルの
──……なんだかんだ言って二人ともオシャレだよなあ…………
いつも機能重視で服装を選んでしまう
そんなものは人それぞれと振り切ってみても、自分の中にも女を感じる時はある。しかし今の自分に一般的な〝女性としての魅力〟というものがあるとは思えなかった。いつの間にか
「車でどのくらいかかるの?」
「結構ありますよ。三時間以上はかかりますね」
「山道ばっかり?」
「いえ、途中で高速挟んで、下の道も入れて三時間です」
「ハードだねえ、じゃあ途中のお勧めのサービスエリアでご飯食べよっか」
「了解です」
「経費は全部出すからさ」
「さらに了解です」
出発時間は昼過ぎ。高速道路に乗るまででも一時間近く。
湖に到着した時はすでに一六時。
風は無かった。
一応駐車場はあるが、舗装されたスペースが一〇台分程度あるだけで整備された印象はない。あちこちがひび割れ、雑草が顔を出している所まである。周囲は森に囲まれ、寂しさが漂う雰囲気は定着した感まであった。山の中にあるためか、春とは言っても肌寒い。
「神社は湖の湖畔にありますけど、とりあえず湖を先に見れますよ」
僅かに水の音が聞こえ、それはしだいに周囲の空気を揺らす。
風のない中で、ダイレクトに周囲の淀んだ空気が二人に覆い被さる。
二人の前を歩く
「記事には
「はい、近くに湖に繋がる川があるんですけど…………その川の、湖に流れ込んでる所にあって…………まあ、
そして、目の前が開けた。
それは、
広く、大きな湖。
急に空間が広がる不思議な感覚。
しかし、そこにある空気は重い。空気が、まるで落ちてくるかのように気持ちを塞いだ。
「……間違いないよ…………」
足を止めた
横で同時に足を止めた
「…………ここだね……」
「うん…………私はここを夢で見た…………初めて来た…………初めて見たはずなのに…………理由は必ずある…………」
──……変な感覚…………
──……前だったらこんなに自信を持って言えなかった気がする…………
そう思った
最近、事あるごとに
触れるだけでお互いの感情を読み取れる。そういう体質をお互いに恨んでいたことが今は嘘のようだ。
その
「行こう」
海岸のような砂浜ではない。僅かに濡れた土の湖畔。それほど柔らかくはないのがまだ救いだった。極端に歩きにくいわけではない。風が無いせいで波も僅か。しばらくそこまでは波もきていないらしい。
そして
「でも……変だね…………」
「…………うん……やっぱりそうだよね…………過去が見えない…………」
いつもとは明らかに違う流れに、
──…………過去が、見えない…………
しかし不思議と
──……でも大丈夫…………
湖畔に赤い鳥居が現れた。それほど大きい物でもなかったが、そこからの石畳が森の中に繋がっている。そのまっすぐ先には神社の本殿。
そして不思議なほどに、ここにも風が無い。
石畳は綺麗だった。駐車場とは違って管理された印象が続く。湖畔の空気がしだいに軽くなった。神社のすぐ手前には五段ほどの階段。そこを登ると参道は決して長くない。周囲の砂利は綺麗だ。
空気は重くないのに、決して大きくはない本殿の威圧感だけは強い。
不思議なほどに、その圧迫感は異様だった。もちろん二人の前を行く
物理的なものではない。
それはつまり、あまり二人にとっては好ましいものではない。
二人の繋いでいた手に、どちらからともなく力が籠る。
空の雲が厚い。
夕方とはいえ季節はすでに春。暗くなる時間ではない。
しかし、目の前の建物は暗かった。少なくとも二人にはそう見えている。
そして本殿の入り口には、一人の
「かなざくらの古屋敷」
〜 第十三部「水の中の女神」第2話へつづく 〜
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