誰も知らなくてもいい恋の話 3
さつき けい
第1話 夜の街で
「なあ、エルフのにいちゃん。
こんなところで一人で食ってないでさ、こっち来いよ。 奢ってやるぜ」
「結構だ」
飯屋を兼ねる酒場のカウンター。
騒がしい店内は仕事帰りの労働者で溢れている。
出てくる料理は一品のみだが、日雇いの者たちには有難い安さで人気の店だ。
その店で、ぼさぼさの髪のエルフの青年が一人で食事をしていると、少々酔っ払った、身なりの良い若者が絡み始めた。
「そう言うなよ、知ってるんだぜえ。 お前のことはさー」
どこかの金持ちの息子らしいが、いやらしそうな顔をエルフの青年に近づける。
ガチャガチャッと器の残りを口にかき込むと、エルフの青年は立ち上がった。
「知ってるなら近寄るな」
冷たい視線で威嚇し、エルフの青年は店を出て行く。
「偉そうにするんじゃねえ!、物乞いのくせによお」
酔っぱらいの声が店の外にまで聞こえてくる。
エルフの青年はフードを深く被り、足早に街の闇に紛れて行った。
この街は王都に近い中規模の宿場町。
貧富の差が激しく、金持ちの住む中央区と貧民が多い外縁部とに分かれている。
エルフの青年は外縁部の安宿に泊まっていた。
チラリと周りを見る。
(つけられてるな)
宿には戻れそうもない。
(厄介な。 あれは領主の息子だったかな、三番目か四番目か忘れたけど)
あまり良い噂のない放蕩息子。
出来るなら近寄りたくはない。
適当な民家の柵に足を掛け、ひょいと跳び上がる。
バタバタと足音が追いかけて来るが屋根の上にいるエルフの青年には気づかない。
「くそっ、探せ!」
屋根の上から、僅かな明かりに照らされた追っ手の顔を見る。
(街の衛兵もグルか)
これでは昼間も街を歩けるかどうか、危うい。
屋根の上で辺りを見渡す。
エルフの青年は、一つの建物に向かって静かに屋根の上を駆け出した。
エルフは身体が軽く、高い所が得意である。
教会の鐘撞堂に窓から飛び込んだ。
「ここなら誰も来ないだろ」
宿に戻れないとなると着の身着のままだが、どうせ碌な物は持っていない。
ただ、自分の命だけは誰かの勝手にされるのは嫌だ。
エルフの青年は壁に寄りかかり目を閉じる。
住んでいた森を抜け出してから何年経つのだろう。
長命故に年月を気にしたことがない。
長い間、ずっと旅をしていた。
人目を避けて森の中に潜むこともあったが、最近はある程度の規模のある街の中に潜んでいる。
人族の住む街は人が多ければ多いほど人に紛れ易く、気配を消していられることに気付いたのだ。
ただし、目を付けられるようなことがなければ、だが。
「あの男は俺を知ってると言ったな」
この街にいるエルフは少ない。
人目を気にし、多くは隠れて生きている。
(潮時か)
朝になったら街を出ようと決めた。
人族の歴史でいえば約二百年前、エルフ族を中心とした妖精族と人族の間で大きな戦争があった。
数で勝る人族が勝利を収め、妖精族は大半がその姿を消してしまう。
戦争の原因となったエルフ族は、他種族の妖精たちからは争いを起こすと嫌われ、人族からは敗者として蔑まれる。
それでも、その容姿の美しさと魔法の力を利用しようとする者はどこにでもいた。
「見世物か男娼か。 あの男も俺を売り飛ばすのが狙いだろう」
エルフの青年はため息を吐き、羽織っていたマントを身体に巻き付けて横になる。
「俺なんか捕まえても何の役にも立たないのにな」
燻んだ金の髪、少し目尻の下がった眠そうな深緑の目。
どちらかというとエルフにしては愛嬌のある顔をしている。
エルフと聞いて美形を思い描く者たちを何人もがっかりさせてきた。
「勝手に期待して、勝手に失望して。
どうして、そこまでして俺たちを手に入れようとするのか、分からん」
『災いの種』であるエルフを。
ウトウトし始めた頃、鐘撞堂を上がって来る足音が聞こえた。
エルフの青年は魔法で気配を消す。
暗い場所だから気配さえ掴ませなければやり過ごせる。
そう考え、息を殺して様子を窺う。
「ふう」
姿を見せたのは、魔術師のローブを纏った若い人族の女性だった。
長く黒っぽい髪が、窓から差し込む月の光に艶やかに輝く。
白い肌が艶めかしい美女だ。
「誰かいるのか?」
エルフの青年はドキリとした。
相手はどうやら魔力を感知出来るようだ。
相当優秀な魔術師だと思われる。
自分の力量を知っているエルフの青年は諦めて姿を現す。
「すまない、追われているんだ。
朝までで良い。 ここに居させて欲しい」
お互いに視線を外さない。
「なるほど、エルフか」
女性のほうもエルフが不当に扱われることは知っているようだ。
「ここは教会の敷地内だ。 安心しろ、外部の者は誰も通さない」
「ありがとう、助かる」
エルフの青年は肩の力を抜いた。
女性は階下を覗っていたが、しばらくしてエルフの青年から少し離れた場所に座り込む。
「私も酔っ払いに絡まれて逃げて来たところだ」
そう言って、女性は安心させるように美しい笑顔を彼に向けた。
エルフの青年は、その容姿に見覚えがあった。
「貴女は遠征隊の」
今、この街の教会には魔物討伐遠征隊が滞在していた。
遠征隊は、教会の聖騎士を中心として編成されているが、平民から傭兵なども募集して一緒に魔物討伐に連れて行く。
その隊列の中、目立つ容姿の彼女は印象に残っていた。
魔物討伐は運が悪ければ命を落とすが、無事に戻ることが出来れば国から報酬が出る上、活躍すれば豪華な褒賞がもらえる。
命知らずの若者には人気がある臨時雇いだ。
「うむ。 次の朝には王都へ戻るために出発するが」
女性なのに言葉使いが男性の軍人のようだ。
もうすぐ街を去ると聞いて、エルフの青年はダメ元で話を切り出す。
「厚かましいのは承知だが、俺を王都まで連れて行ってもらえないか」
邪魔はしない。
ただ隊列に紛れ込ませて欲しいだけ。
エルフの青年は軽い気持ちで頼んでみた。
エルフだという、ただそれだけのために身を隠し、その日暮らしの生活。
エルフの青年は自分が胡散臭い奴だということはよく分かっている。
魔術師の女性にすれば関わりたくない相手だろう。
エルフの青年にしても、この希望が叶えば運が良かったなと思う程度の話だ。
「ふむ」
ジロジロと見られることにも慣れている。
「私には決める権利が無い。 だが、口くらいはきいてやれる」
女性はそう言って立ち上がり、ついて来いと身振りで示した。
エルフの青年は軽く頷き、彼女に従って動き出す。
鐘撞堂から出て教会の敷地を歩く。
夜も遅く、明日は王都へ立つというのに、あちこちから酔っ払いの声がする。
窓から漏れる明かりに浮かぶ女性の長い髪は藍色。
魔術師のローブから覗く白い手、首元。
あの酔っ払いの中に自分がいたら、やはりこの女性に声を掛けたくなるだろうな。
エルフの青年は、ぼんやりそんなことを考えながら女性の後ろを歩いていた。
一つの立派な建物に入って行く。
廊下を進み、女性はその中の一つの扉を叩いた。
コンコンと優しい音ではなく、ゴンゴンと大きな音を立てて叩いている。
「入るぞ」
女性は返事も聞かず、勢いよく扉を開けた。
その部屋はどうやら仕事部屋らしく、大きな机に書類や筆記用具が散らばっている。
「あ?」
この女性よりやや年上の、逞しい身体付きの男性が、横たわっていた長椅子から身体を起こした。
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