第四章
第30話
ドォン!!
精霊厩舎が突然震えた。
一瞬地震かと思ったが、少し違う。
轟音が大気を震わせて、厩舎の窓が一斉に割れた。
「キャアアアアアアア!!」
「カーサ!!」
私は慌てて駆け寄り、カーサを抱きしめて防御態勢を取る。
その上に鎧を着たドレーズ兄さんが覆い被さった。
揺れはすぐに収まったものの、精霊たちの動揺が収まらない。
無数の声が私の耳朶を打つ。
壊れた硝子窓に真っ赤な炎が見えた時、自分の胸にずっとかかえていた嫌な予感が膨れ上がるのを感じた。
「くそ! なんだったんだ、今のは? ……ちょ! ミレニア、どこに行くんだ??」
いてもたってもいられず、私は走り出した。
厩舎の外に出ると、とんでもない光景に早鐘のようになっていた心臓が止まりそうになる。
「王宮が……」
まさかと思っていたが、燃えていたのは王宮だった。
王宮へと入る大扉辺りだろうか。
外壁にまだ何もダメージはないけれど、火勢は強く炎に撒かれるのも時間の問題のように思えた。
副長の炎の魔術は凄かったけど、あそこまで強くない。
王宮を防衛する魔術師が、防衛対象に危害を加えるとは思えなかった。
それにこの胸騒ぎ……。
王宮も心配だけど、真っ先に浮かんだのは自分の就職先である第一師団、そして三白眼を強く光らせた師団長の顔だった。
「ゼクレア……。第一師団の副長や、団員たちは大丈夫かな……」
私は自然と胸に手を置き、拳を握っていた。
遅れて、ドレーズ兄さん、さらに契約を果たしたばかりのカーサとピクシーがやってくる。
それぞれ燃えている王宮を見て、ショックを受けていた。
「兄さん、カーサを北方の森に送ってくれる? そこに私の同級生が避難しているの。もし、途中で他に避難している人を見つけたら、拾って連れてってあげて。今ならそこが安全だと思うから」
「ちょ! 待て待て! いきなり色々言うな。指示は俺が出す。そもそもお前、どこへ行こうとしているんだ?」
さすがは自分の兄か。お見通しってわけね。
「兄さんの考えていることと同じよ。大丈夫。私がちょっと人と変わっていることはよく知ってるでしょ?」
「そ、それは……」
生まれて間もなく、家の壁に穴を開けたこと。
古代の封印を解いて、姉のライザとともに戻ってきたこと。
大賢者と言われる人を上回る知識を持っていたこと。
自分で言うのもなんだけど、アスカルド家には私の武勇伝がごまんとある。
ドレーズ兄さんも承知しているはずだ。
「わかった。だが、無理はするなよ」
「心配してくれてるの?」
「年は離れていても兄妹なんだ。当たり前だろ? あと、お前になんかあったら親父にどやされる」
「ありがと。じゃあ、私行くね。カーサたちをお願い」
「ミレニアさん!!」
私を呼び止めたのは、カーサだった。
「戻ってきてくれるよね」
カーサの質問に私は即答できなかった。
戻って来られると思う。きっとそれは間違いない。
でも、今度カーサの下に戻ってきた時、私はカーサの知るミレニア・ル・アスカルドじゃなくなっているかもしれない。
そんな気がした。
私は前を向く。
「勿論! 今度こそちゃんとみんなで肝試しをしましょ!!」
私は手を振り、戦場へと向かった。
王宮に辿り着くと、そこは確かに戦場だった。
私のよく知る。前世で嫌というほど見たこの世の地獄だ。
むせ返るような血臭、思わず目を伏せたくなるような火の粉が舞う光景。
一部崩れた城門の前に横たわるのは、魔術師師団の制服を着た魔術師たちだ。
その襟元にはバッチが光り、「1」の文字が刻まれている。
第一師団を示すバッチだ。
「そんな……」
私は息を呑む。
精霊厩舎では圧倒的な力を示していた屈強な魔術師たちが、ほぼ全滅していた。
あのラディーヌさんですがら、意識なく横たわっている。
その城門を背にして立っていた魔術師がいた。
「ゼクレア師団長!!」
良かった。生きてた。
安心したのもつかの間だ。
ゼクレア師団長は砂城が波に攫われるように頽れた。
「そんな――――」
頭の中が混乱する。
あのゼクレア師団長が守り切れないなんて。
一体、誰が?
ドンッ!
再び地響きが王宮全体に響き渡る。
それが突然、空間の隙間から現れた。
地面を擦り上げるような大きく突き出した腹に、前肢にも後肢にも鋭い爪。
岩のようにゴツゴツとした鱗は赤黒く、広げた翼は逆巻く紅蓮の炎のようにも見える。
『シャアアアアアアアアアアアア!!』
鋭い嘶きを辺りにまき散らす。
開いた口には、それぞれ名剣を匂わせるような鋭い牙が光り、口の中は仄かに赤く輝いていた。
戦場で唯一立っていた私を睨め付ける。
黄金色の瞳を光らせると、その長い首を空へと伸ばし再び嘶く。
(今の何? 召喚魔術?? いや、確か魔術に1000年前にあった召喚の技術はまだ存在しなかったはず。では、今のは私と同じ魔法の力……)
じゃあ、一体誰が?
待って。今は考察をしている場合じゃない。
目の前の竜をどうするかだ。
今世において、Sランクに数えられる魔物。
1000年前、私と勇者ですら倒しきれず、封印するしかなかった最強の邪竜種。
神様……。恨むわよ。言ったじゃない!
この世界は比較的安定しているって。
あれは嘘だったの?
それとも、これが世界の終焉?
すでに世界は滅びに向かっているというの。
まずい。
それが事実なら今の私にこの世界の終わりを乗り切る力があるだろうか。
いや、そもそも私は聖女でもない。
実際魔石に溜めた魔力もまだ戻っていない。
今ここにいる人たちを癒やす力さえないのだ。
圧倒的な力を持っていた勇者すら、今私の横にいない。
どうすればいい……。
どうすれば……。
…………。
手はある。
即ちこの場から今すぐ逃げることだ。
魔術を使えば、逃げるのは難しくない。
今ここで私が逃げれば、きっと
それだけじゃない。
王宮は破壊され、国王陛下は家臣とともに消失し、国そのものの機能が失われる。
最悪ロードレシア王国は滅亡してしまうかもしれない。
求心力を失った国の機能は止まり、国民は難民となって他国の国境に押し寄せる。
絶望的な状況だ。でも、それを挽回する手立てはある。
私だ。
ミレニア・ル・アスカルドが大聖女であったことを公表し、世界に呼びかけるのだ。
1000年前の聖女の伝説と活躍は、その最期以外、語り継がれている。
伝説の復活となれば、幾万の兵が私の下に集い、
世界を救い、祖国の仇を討った救国の人間として……。
そして私はまた吊されるかもしれない。
祖国から背を向けた人間として。
そして、私はまた転生する。
もうそれでいいじゃないか。
15年も生きた。確かに短かったが、それなりに普通の暮らしができた。
少なくともアスカルド家にいた時、私は貴族の子女だった。
魔術学校には行けなかったけど、ほんの短い間友達と呼べる人間に出会えた。
私を慕って、紅茶を入れてくれる穏やかな勇者とお話しした。
その勇者を慕う上司になる人の意外な一面を見ることができた。
なんだ。こうして列挙してみると、ちゃんと私ってば人生を楽しんでるじゃないか。
十分だ。願わくば、この経験が次の転生に活かさればいいな。
今回の転生では得るものも多かったしね。
『人間よ』
一瞬、誰が喋っているかわからなかった。
でも、口を開けた姿を見て、私はすぐにピンと来る。
目の前の巨竜が口を開けて私に向かって語りかけていたのだ。
そうか。忘れてた。
私には『翻訳チート』なるスキルがあったんだっけ。
『ほう。その反応……。我の言葉がわかるようだな』
「そうよ。神様からもらったら、どうしようもなく迷惑なスキルよ」
『問おう。人間よ。そなた――――』
何故、泣いている?
え?
私は反射的に手を頬に当てる。
指先を確認すると、確かに濡れていた。
気付かなかった。私はずっと色々な想いを錯綜させながら泣いていたらしい。
ははは……。
まさか世界の災厄に教えてもらうなんてね。
何故、泣いてるですって、そんなの決まってるじゃない。
今まで生きてきたすべてが、ぶち壊されようとしているからじゃない。
やっぱり愛おしい。
たとえ、短くても、たった一瞬でも。
この世界で経験したこと、出会った人たちが、私は愛おしいと思う。
だから、手放すなんて以ての外だ。
逃げるなんて私の性に合わない。
何故なら、私は聖女だから……なんて言わない!
でも、今ここで目の前の人を救える人間が、私1人しかいないなら。
私は喜んで、英雄にでも、救世主でも、大聖女にだってなってあげるわ。
『なんだ? 何を見た、人間? 一気に目つきが変わったぞ』
「あなたのおかげで目が覚めたわ。ありがとう。感謝ついでにこのまま退いてくれると嬉しいんだけど……」
『そうはいかんよ。我はこの世界を破壊するためだけに生まれたのだからな』
悲しい子……。
悪を悪として配役された悲しい生物か。
同情はするけど、手加減はしない。
できないのよね。残念ながら、私の方が圧倒的ピンチだし。
『さあ、来い。娘……』
「吠え面かかせてあげる」
挑発する
その時、謎の声が聞こえた。
『いいの、ミレニア』
「待たせたわね。やっとあなたの出番よ」
『待ちくたびれたよ。君の声がやっと聞けるんだ』
「ありがとう。今までずっと私の側にいてくれたのよね。姿を見せなかったのは、私の正体を隠すため」
『まあね。でも、もう覚悟は決まったんだね』
「ええ……。さあ、一緒にやっつけるわよ」
私は手を掲げる。
そして10年分の想いを込めて、私は懐かしい名前を呼んだ。
契約の名において命ずる。――出でよ、ムルン!!
瞬間、黒煙に包まれた空が光る。
帚星に似た輝きが落下してきたと思った時には、
巨体が大きく歪む。不意の一撃を食らった
必殺の一撃といっていいだろう。
想像超える破壊力に、私は思わず「おお!」と歓声を上げて、拍手を送った。
次に私の耳朶を打ったのは、力強い羽ばたき。
目に下は獰猛な爪と嘴だった。
意外に愛嬌ある目をクリクリと動かし、ゆっくりと地面に降り立つ。
私は神々しさすら窺える白い神鳥を見て、目を細めた。
「あえて言わせて。おかえり、ムルン」
『ただいま、ミレニア」
神鳥シームルグ――ムルンが私の下に帰還した。
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