第13話

 確かに言った。

 今、私のことを『聖女』と……。しかも、〝大〟って。

 どういうこと? 私の素性がバレた?

 だとしたら、どうやって?

 そもそもこの『勇者』様自体が何者なんだろう。

 いや、それよりもこの状況……。



 私ってば、大ピンチじゃないの???



「落ち着いていただきたい、大聖女様」


 アーベルさんは私の手を握る。

 ほんのりと温かい手は優しく、ただそれだけでホッとしてしまう。


「失礼しました。堅苦しいのはやめましょう。そうだ。紅茶と珈琲どっちが好みかな。それとも何か軽く食べる。軽食ぐらいなら家臣に言って作らせるけど」


「いえ。本当にお構いなく」


 私は飛び立つ瞬間の鳩みたいに手を振る。


「そ、そんなことよりも、その――なんで私を『聖女』と……?」


 その質問にアーベルさんはすぐに答えなかった。

 しばらく真剣な顔をして考えた後、部屋の中にあるソファに私を座らせる。

 勇者自ら紅茶を入れると、私の前に置いた。


 錆色をした紅茶には、顔を青くした私の顔が映っていた。


「地下での件だよ。君が僕に飛び込んできた時、君は僕の記憶に触れなかったかい?」


「……はい」


 それははっきりと覚えている。

 『勇者』アーベルと、使い魔ミゼルの物語。

 まるで自分のことのように、今も私の記憶に収まっている。


「あの時、君の記憶も僕の方に流れ込んできた。最初、それが何かわからなかった。受け入れがたいものだったからね。でも、自然と僕が見たイメージが記憶として定着していくうちに、それは確信に変わった」


「私の記憶をどこまで見たんですか?」


「すべてを見たわけじゃない。だが、君の前世での最期は見たよ」


「そうですか……」


「同じ勇者として、どう言ったらいいか」


 アーベルさんは頭を抱える。別に彼が悪いわけじゃない。

 前世の勇者や王子、そしてその人たちの言うことに耳を貸さず、ただ自分の信念と正義を貫き続けた私も悪いのだ。


「信じられないかもしれないが、僕は君を傷付けるようなことは絶対にしない。君は僕を闇から救い出し、ミゼルの尊厳を守ってくれた真の聖女だ」


 そう言って、アーベルさんは私の手を取る。

 甲に口付けし、誓った。



 どんなことがあっても、僕は君の味方でいることを誓う。



 それはまるで英雄譚のワンシーンに出てきそうな台詞だった。

 頭を垂れる『勇者』様を見ながら、私は言った。


「お断りします」


「え?」


 アーベルさんは顔を上げる。

 顔に「なんで?」って文字で書いていた。

 ちょっとうっかりな『勇者』様を見て、私は思わず吹き出す。


「だって、私はもう『聖女』じゃないんで。なるつもりもありません」


「でも、君はこの世界の厄災を……」


 そうか。そこまで記憶が見られていたのね。


「そんなの『聖女』じゃなくたってできると思うんです。私は普通の魔術師でいい」



 世界を救うのが、『勇者』や『聖女』の専売特許と思ったら大間違いです。



 本当にそうだ。

 すべてのことを抱え込んだ自分も悪いけど、すべてを押し付けた人だって悪い。

 世界を救うのは私じゃなくていい。

 私はその1人であって、誰かじゃない。

 みんなで頑張ればいいのよ。


「ふふふ……。あはははははははは!!」


 突然、アーベルさんはお腹を抱えて笑い出した。

 何? 私、なんかおかしなことをいったっけ?

 割と真剣に話をしていたと思うんだけど……。


「君の言う通りだ。世界を救うのは、君でもなく、僕でなくてもいい。誰のせいでも、誰のおかげでもない、世界の救済か。素敵な提案だね」


「提案じゃないわ。私は本気よ」


「わかった。……君の考えを僕も支持する」


「そう。じゃあ、ちょっと手伝ってほしいことがあるの。アーベルさんって、結構は権力者よね」


「なんだか急に言い方がぞんざいになってきたな。否定はしないけど」


「じゃあ、悪いけど……。ちょっと学校の点数をいじってほしいのよね」


 私はにんまりと笑うのだった。



◆◇◆◇◆



 王宮を辞すると、すっかり外は暮れていた。

 思いの外、アーベルさんと話し込んでしまったらしい。

 私は元聖女で、向こうは現勇者。どうやらこの肩書きに関しては、切っても切れない関係のようだ。


 結局、昼食に、紅茶、スコーン、お菓子までご馳走になった。

 おかげで今、私のお腹は幸せに満ち足りている。

 久しぶりの王宮生活で、ちょっと肌つやがよくなったような気さえするわ。


 あ……。いけない。いけない。


 贅沢は今の私にとって敵よ。私は普通の貧乏貴族令嬢で、魔術師なんだから。

 それに元とはいえ、これでも聖女。清貧を心がけないとね。


「随分とご機嫌だな」


 そのご機嫌を急降下させるような冷たい声が聞こえた。

 王宮から出てきた私を待ち受けていたゼクレア教官だ。

 その前には、王宮まで乗ってきた馬車があるらしい。

 またあれに乗るの? また目立っちゃうんだけど。


「なんだ。その顔は……」


「いや、私は1人で帰ろうかなって」


 あはははは……、と笑うと、何が気にくわなかったのか、ゼクレア教官は目を細めた。


「15歳の女を暗い時間に帰らせるほど野暮じゃない。大人しく乗れ」


「はい……」


 はあ。変なところで、紳士なんだからこの教官は。


 私は渋々乗ると、馬車は動き出す。

 護衛役なのかゼクレア教官も乗り込んできた。


「随分と長話だったようだが、総帥と何を話した?」


「アーベルさんと……」


「アーベルさん?」


「いや、そのそ、そうすい??」


「別に言い換える必要はない。総帥が許したのならな」


 なんか随分と不服そうな態度なんだけど。

 もしかしてゼクレア教官、妬いてたりするのかしら。

 ふふふ……。ちょっと可愛く思えちゃった。


「それで?」


「他愛もない世間話です。私の故郷の話や兄や姉の話を……」


 ウソは言ってない。

 しかし、話にはいくつか前世の内容が含まれていたことは、ゼクレア教官には言わなかった。


「そうか。なら、たまに顔を出してやってくれ」


「え? そ、そんな気軽に会っていいんですか?」


「そもそも勇者と気軽に接する人間がそもそも希有なんだよ」


 あ……。まあ、そうね。

 振り返ってみると、私かなり気安く接していたかも。

 最後の方とかタメ口を聞いていたような気がするし。


「しばらく公の場には出られない。お前でも少し気晴らしになるだろう」


「どういうことですか?」


 私は質問すると、ゼクレア教官は1度目を伏せた後、口を開いた。


「お前だけには言っておく。勇者アーベル――魔術師師団総帥に無期限の謹慎処分が言い渡された」


「……試験での責任をお取りになられたのですね」


「むしろそれでよく済んだと言える。魔術師のひよっこと言っても民間人だ。それに対して勇者が手を上げたのだからな」


 なるほど。話していて感じていたけど、アーベルさんにはどこかずっと悲哀のようなものが感じられた。

 使い魔との関係性に対して、ようやく踏ん切りがついたからだと思っていたけど、裏ではこういう事態になっていたのか。

 擁護してあげたいところだけど、情状酌量の余地はあっても、やはり契約の指輪を自ら放置したアーベルさんが悪いとしかいいようがない。


 こういう時、当事者になりきれない私は無力だ。

 もし私が側にいたらと考えても、それは結局絵空事でしかない。

 でも、人にない力を持っていた私には、アーベルさんの孤独が少しわかる。

 何者にも頼れない、という絶対的な孤独。

 多分、いつ押しつぶされてもおかしくない重圧の中で、唯一アーベルさんを支えていたのは、ミゼルだったのだろう。


「ゼクレア教官はアーベルさんに会っていかないんですか?」


「……そうしたいのは山々なんだが、俺たち師団長と幹部は基本的に面会が許されていない。団員にも制限がある。お前は民間人だから許されたんだ」


「そうだったんですか」


「それに……。何を言えばいいかわからん。こんなことは初めてだ。アーベルとは昔からの付き合いなのにな」


「幼馴染みなんですか?」


「そうだが」


 へぇ……。ちょっと意外。

 でも、なるほど。それで必要以上に、アーベルさんの世話を焼いているのか。

 やっぱりゼクレア教官って顔は怖いけど、可愛いところがあるわね。


「何故笑う?」


「あ。いえ。ゼクレア教官とアーベルさんの子ども時代をイメージしたら、あまりにかけ離れているというか」


 どう考えても、貴族の子息とそのお付きって感じよね。


「あ。そうだ。昔の子どもの頃の話とかどうですか? 堅苦しいのは抜きにして」


「それは悪くないが……。しばらく俺たちは会えないんだぞ」


「じゃあ、手紙をしたためたらいかがでしょう?」


「手紙?」


「手紙ならじっくり言いたいこと、書きたいことを考えることができますし。できたら、私がお届けします」


「手紙か……。そう言えば、あいつに手紙を送ったことなど、1度もなかったな」


「いいですよ、手紙。私も家によく書いてます」


「……わかった。次、お前がアーベルに会う時までにしたためよう。頼めるか」


「勿論です」


「なんでそんなに嬉しそうなんだ?」


 ゼクレア教官は足を組み直し、ムスッと鼻息を荒くする。

 ちょっとふてくされてしまったのか、明後日の方を向いて黙り込んでしまう。

 からかいすぎたかもと思ったが、ゼクレア教官は口を開いた。


「ミレニア……」


「はい?」


「…………礼を言う」


 そう短く伝えた数分後、馬車は私の下宿先に辿り着いた。

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