第28話 大雨の始まり



 ヴォッガを出てから3日目の昼。

 今日の空は厚い雲に覆われていた。


 二人の馬車は渓谷沿いの道を下る。

 馬車の操作を覚えたいと言うリュオが御者台で手綱を握りオルトハーゲンを操作していた。


「お前、ほんとに物覚えがいいよな」


「ん?なのこと?」


 手馴れた操作で馬を操るリュオにイグは溜息を吐き、何か諦めたように言葉を出す。


「馬の操作だよ。俺なんて慣れるのに2、3ヶ月はかかったのに」


「オルは雄だからじゃない?」


「いや関係ないだろ」


 馬の操り方を教えて3日目、既に教えることが無いとイグは感じていた。自分との才能の違いに溜息を吐いたのだ。


「ふふっ」


 リュオが急に笑う。


「どうした?」


「うんん。昨日のイグとフォレントさんの会話が可笑しくて」


 昨日峠を下っているとヴォッガに向かうフォレントと再会した。それで3人で昼食を食べたのだ。


「ん?」


「ほら、牡馬(ぼば)と牝馬(ひんば)の話」


「ああ、そう言えばそんな話しあったな」


 イグとリュオは道の先、同じ方向を向いて笑う。


 昨日、峠を馬車で登るという話しになった時、イグがフォレントの馬は牝馬(ひんば)だから力がないんじゃないかと指摘した。するとフォレントは話し相手が馬しかいないから馬を買う時に牝馬を選んだと答えた。雌だから話しが弾むなんて、馬相手にどうかしているが、この意見にイグは同意し真面目に答える。「その気持ちわかります」と「私も昔はよく話し掛けていたのですが、うちのは雄だから愛想が悪くて」と。横でこの話を聞いていたリュオは可笑しくてしょうがなかったのだが、さらにフォレントが追い打ちをかける。「うちのも愛想は悪いですよ。……馬ですからね」と。そんな話しを真面目に語り合い結局のところ馬は人間と会話できないという当たり前の結論に達してイグとフォレントは笑ったのだった。


 そして最後にフォレントはこう付け加えた。「フロイツさんは素敵な奥さんがいるからいいですよね」と。



「フォレントさんて、すっーーごくいい人だよねっ」


「お前それ、エンハンスと来るときに道を譲ってくれたおじさんにも言ってたな」


 全てリュオを奥さんとか奥方とか嫁とか言った人達である。


「んー、そうだっけ?……あはは」


 リュオは賢い。思い当たる節があったのか遠くを見ながら空笑(からわら)いする。

 嫁と言われるのが一番嬉しい。自分の悲しい性に気付いてしまったのかもしれない。


「イグの荷物を見て驚いてたよね」


「ああそうだな。まぁお前のお蔭なんだけどな」


「ふふっ、でもあのネイサンスをよくまけさせたって誉めてたでしょ」


「相当ひねくれ者らしいな。初見じゃまずまけないって。……初めに教えて欲しかったよ」


「あっ」


 馬車がバランスを崩しオルトハーゲンが斜行(しゃこう)した。イグはリュオを後ろから抱くようにして彼女の持つ手綱を両手で握りそれを制す。


「もう平気だな」


 イグは手綱を離しリュオから離れた。リュオは頬を染めている。


「馬車の操作。やっぱり師匠の教え方が上手いからだよ」


 馬の扱いはイグの方がまだまだ上手のようだ。


 リュオはニコニコ笑いながらイグに寄りかかり甘えるように頭を凭れる。リュオの癖になる香りがイグの鼻を擽る。


「そうか。まぁそんなこともないこともないな」


 この前の裸凸(らとつ)以来、イグはリュオを少しは女として意識するようになっていた。イグは誉められて甘えられて頬を少し赤くし無精髭を撫でながら、おかしな言葉で答えた。


 そんなイグの態度にリュオは苦笑する。異性の扱いはリュオの方が少し上手なのかもしれない。






 昼頃、トンネルを抜けると、ポツリ ポツリと雨が降り始めた。


「降って来たな」


「うん」


「リュオ、馬車を止めてくれ」


 イグは周囲を見渡す。

 後方には30メートル程のトンネル。その周りの道は崖になっていて今いる所は渓谷の断崖絶壁にできた道だ。あと300メートルも進めば崖は終わり斜面は徐々に緩やかな丘になっていく。すぐ横にはアーゼル川が流れていた。


「トンネルで雨宿りする?」


「……いやダメだ。このまま進んで丘になったところで川から離れよう」


「わかった」


 リュオは再び馬車を走らせた。






 馬車を進めると崖にできた道が終わって周囲はなだらかな斜面になる。道を外れ丘を登ったところに小さな林が見えた。イグが指示を出し馬車をその林の中まで進めて停止させる。


 二人は御車台から荷台に移動すとシートをはずし、積まれた鉄鉱石を荷台の片側に寄せたり、乗り切らない物は地面に落とす。


 荷台に半分くらいスペースが空いたところでイグは荷台の端と端に木の棒を立ててその上にシートを被せた。荷台がテントの様になった。


 二人はその中に入り並んで座って体を休める。

 テントに入ったタイミングで急に雨脚が激しくなった。テントの中にボタボタと大きな音が響く。中は光が入らず昼間だというのに薄暗かった。


「本降りになる前に準備ができて良かったな」


「殆ど濡れなかったね。……でもトンネルに入った方が早かったんじゃなの?」


「まぁそうなんだけどな。空の雲が厚かっただろ?」


「うん」


「こういう場合、大雨になることがある」


「そうだね……」


「そうするとトンネルが崩落する危険があるし、周りの崖が崩れてトンネルの出入り口を塞ぐこともあるんだ。それに川が増水する可能性もある」


「……イグって凄いね。ほんと物知り」


 イグは照れ臭そうに頬を掻く。


「ま、まぁあれだ。親方から教わったんだ。それに生き埋めになったって話は知り合いの商人から聞いたことがあったしな」


 リュオは「ふーん」と唸りながら頼りになるイグに想いを寄せた。



 雨はさらに強く激くなり翌朝まで降り続けた。


 荷台のテントは半分は鉄鉱石で埋まっていて空いているスペースは縦180センチ横65センチのみ。並んで座る分には問題無いが二人で寝るとなると狭い。






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