第25話 旅先の小さな出会い
昼食の後、見通しの良い草原の畷道(なわてみち)を進んでいると、遠くに荷を満載に積んだ荷馬車が見えた。道は緩やかな上り坂。前の馬車は時速1.5キロ程で今にも止まりそうなくらいゆっくりと進んでいる。
イグの馬車が車間距離5m程をとって同じスピードで追走すると、前を走る中年の男は大きな声を出す。
「悪いな!もう少し行った所で道が広くなる。そこで抜いてくれ!」
「ゆっくりで構いませんよ!」
イグも男に聞こえるように大きな声を出した。
男は振り返らず片手を振った。
道は草原から少し盛り上がっていて、草原側に避けることはできない。それに馬車2台は並んで走れない程狭い。
1時間程並んで走ると道が広くなっている場所に出た。
前の馬車が道の端に寄り止まる。イグ達の荷馬車はその横をぶつけないように慎重に追い越す。
「あんちゃん、嫁連れて行商か?」
すれ違いざまに麦わら帽子を被った色黒のおっさんが話し掛けてきた。
「まぁそんなところです」
「羨ましいな」
おっさんは若い行商人夫婦が微笑ましかったのか満面の笑みを浮かべる。イグも照れ臭そうに苦笑する。
イグは嫁と言われてもいちいち否定しない。女を連れている行商人は珍しいが全くいない訳ではない。そしてその殆どが夫婦で行商をやっている。
そんな会話があって、リュオは「ふふん」と笑みを溢し機嫌を良くした。腰に巻いた尻尾の先が稲穂のように揺れている。
「朝はクロッフィルンに向かう馬車とすれ違ったけど、さっきのはヴォッガに向かう馬車だよね?」
「ああそうだな、昨日の朝クロッフィルンを出発した商人だろう」
「もう追いついちゃったってこと?」
「そういうことだ」
リュオは「ふーん」と唸った後、顔をニヤリとさせた。
「ところで何時からお嫁さんになったの?」
「いちいち否定するのも面倒だろ」
イグはヤレヤレといった様子。そんな態度を見てリュオは手を「ポンッ!」と叩く。
「いいこと思い付いたっ!」
「なんだ?」
「本当の奥さんになれば否定しなくてもいいよっ!?」
腕を掴み瞳を輝かせ顔を近づけるリュオをイグは「ふん」と鼻で笑う。
「そりゃ、名案だ」
そしてケラケラと笑った。リュオはバカにされていような気がして頬を膨らませる。
雲はのんびりと流れ、心地の良い風が少女の長い髪を揺らす穏やかな午後だった。
草原を過ぎると次は森の中の道を進む。道の周りには密林が覆い茂り木の根が道に張り出してガタン、ガタンと御車台が揺れる。
半時も進むと前方にまた荷をたくさん積んだ荷馬車が見えてきた。イグは先程と同様に道が広くなるのを待ってそれを追い越した。
そして暫く進むと今度は対向車が来た。すれ違うことができずイグ達の馬車はバックで戻る。下がる場合、馬で引けないから、イグが御車台から降りて荷馬車を押した。
暫く進んでからリュオは苦笑する。
「3、4日かかるって言ってた意味が分かったよ」
「そういうことだ。ビッツ村に抜ける道は誰も使っていなかったからこういうことはなかったが、ヴォッガへ行き来している商人そこそこいる」
この時代、道は町と町を結ぶ街道でも狭い所が多く、追い越しやすれ違いをするだけで、かなり時間がかかった。荷馬車が動けなくなり道を塞ぐこともあり、そういう時はその場に居合わせた者達で協力し一度荷を下ろして皆で押して移動する。それが行商人の常識だった。
「徒歩なら丸2日はかからないが、馬車だと時間がかかるんだ」
因みにこれが人通りの多い街道ともなると大渋滞をおこすこともしばしばであった。
またこの時代の馬車の車輪は可動域が狭く特に4輪は急カーブを曲がれない。急なヘアピンカーブのある峠道では何度も馬車を切り返しながら曲がる為、道を曲がるだけでも時間がかかる。
「イグが徒歩でビッツ村に来てた頃は5日に1回は来てた理由が分かったよ」
「徒歩は徒歩できついがな。それに荷馬車があると荷台で寝れるだろ?地面で寝ると寒し服が湿る。だから一度馬車を持ってしまうと多少苦労しても徒歩には戻れなくなるよ」
そんな話しをしていると荷馬車は森を抜けた。
アーゼル川がすぐ横を流れ地面は砂利道になる。川原にできた道だ。
川の水量はクロッフィルンにいたころと比べ3分の1くらいまで減っている。川幅も細くなり水の流れが急になっていた。
「この辺りなら水も薪も手に入る。今日はここで野営するか」
気付けば日も傾いている。後一時間もすれば空は茜色に染まるだろう。
「麦飯が食べたいな」
「まだ明るいし作るか。それとビッツ村から持ってきたリンゴもまだ残ってたな」
「うんうん!まだ入ってる」
麦飯とリンゴ、質素な食事ではあったが二人はそれで満足だった。
食事を終えて焚火に当たっていると森の中で追い越した荷馬車が森から出てきた。御車台に座る男はイグ達にお辞儀をしながら通り過ぎ、少し離れたところで荷馬車を停める。
太陽は沈み、辺りは薄暗く空は真っ赤に染まっていた。
野営の準備を終えると男はイグ達の元へやって来る。
金色の髪に痩身な体。歳はイグと同じくらいだろうか。
「こんばんは。お二人はヴォッガへ?」
男はにっこりと笑い挨拶をした。そしてイグも同じように微笑む。
「こんばんは。ええそうです。……食品の行商ですか?」
「はい。野菜や麦、それから干し肉なんかを積んでいます。ヴォッガでは高く売れますからね」
干し肉という単語にリュオの帽子の中の耳がピクっと反応した。イグは帽子が一瞬動いたのを見てクスッと笑う。
「そうですか。なかなかの荷ですね」
「僕など貧乏商人でまだまだですよ。お二人は何の行商ですか?」
「鉄鉱石を仕入れに」
鉄鉱石と聞いて男の顔色が悪くなる。
「鉄鉱石ですか……、それなら止めた方が良いかもしれませんよ」
「ほう、それは何故ですか?」
「一時期クロッフィルンで鉄の相場が上がりましたが今はかなり下がってきている。ヴォッガでも遅れて鉄鉱石の値が上がって、今は値下げ傾向に転じていますが遅れて相場が動く分、ヴォッガで高く買うことになります」
イグは無精髭を撫でながら少し考える。
「なるほど、ヴォッガで仕入れた鉄鉱石をクロッフィルンに持って行っても買った時より安く売る羽目になると言うことですね」
「ええそうです。だから今ヴォッガに行っている商人は鉄鉱石を買わない」
男は両手を開き語気を強める。鉄鉱石なんてやめておけと言いたいのだ。
「ならヴォッガの鉄鉱石の在庫はかなり増えているのでは?」
「ここ最近は買う人も少ないでしょうから在庫は多いと思います」
「でしたら好都合ですよ」
自信たっぷりに微笑むイグに男は諦めの表情を作った。
「……まぁ僕はとやかく言う積りはありませんから」
「情報ありがとうございます。私はイグ・フロイツです。フロイツで通っています」
「僕はコルネオ・フォレントです。フォレントで通っています」
イグが立ち上がり手を差し出すとフォレントはその手を取る。二人は握手した。
「フォレントさんはクロッフィルンと往復を?」
「いえ、僕はヴォッガで食品を売ったら銀を仕入れて山越えをします」
「そうですか……大変な道のりですね」
「何度かやっていますから。フロイツさんも挑戦するなら荷を少なくした二輪馬車がお勧めですよ」
ヴォッガへ向かう途中、峠や山道を通る。イグの4輪では苦戦するだろう。またフォレントの馬車も二輪だが荷を満載に積んでいる。これからの登り坂では相当苦労するはずだ。
フォレントはイグの荷馬車をちらりと見ると苦笑した。それはお互いに頑張りましょうという意味の笑みでイグもそれを汲み取って苦笑する。
「確かに4輪は旋回性能が非常に悪いですからね。とにかく回らないですよ」
「まるで僕の懐ようですね」
「私も似たようなものですよ」
行商の苦労を知る者同士、互いに共感し合い二人はクスクスと笑った。
「フロイツさんは奥様を娶れて幸せですよ。羨ましい」
「手綱を握られないようにするだけで精一杯ですよ」
「ふふっ、そうだ僕は鉄鉱石の相場にはそこそこ詳しいのでお話ししましょうか?」
「それは助かります。是非お願いします」
「ええ喜んで」
「あっ、それともし宜しければ干し肉を少し売っていただけませんか?」
「ええ構いませんよ。それじゃ僕の馬車に行きますか?」
「はい。……リュオ、少し待っててくれ」
「手綱を握れるなら待ってる」
リュオは男同士の楽しげな会話が面白かったのかご機嫌な様子でにっこりとしていた。
この晩イグとフォレントは商売の話で盛り上がった。リュオは会話に殆ど加わらなかったが、干し肉をかじりながらそれを楽しそうに眺めていた。
行商人が旅先でこういう出会いをすることは珍しくない。喧嘩をすることもあるが基本的に互いに協力し合い協調し合わなければ生きていけない世界なのだ。
寝る時、二人は馬車の荷台に乗り込んだ。荷台のスペースは大まかに幅が130センチ、縦が180センチの長方形、そして回りの板の高さが60センチ、シートを張って被せるとそこは密閉空間になる。
今夜は風があったからシートを被せている。中は真っ暗で何も見えない。ただしリュオは夜目が効く為、彼女からはイグの姿が見えている。
イグとリュオは毛布を掛けて向かい合い横になっていた。
「凄く下手に話す人だったね。三男だからかな?」
「ははは、どうだろうな」
「イグが四男って言ったら驚いていたよね」
「ふっ、そうだな」
「ねぇ」
「ん?」
「イグの兄弟ってどんな人なの?」
「兄さん達か……、皆優しかったよ。俺は末っ子だったから、兄さんのお下がりが貰えて幸せだった」
「そうなんだ……」
「いつか南の方に行くことがあったら紹介する」
「……うん」
リュオは頭を前に傾けイグの胸に額と鼻を押し付けた。
そして二人は眠りにつく。
夜が明けるとイグとリュオはフォレントよりも先に出発する。
今日もよく晴れていて早朝の凛とした空気が二人を包む気持ちの良い朝だった。
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