行商人とほのぼの旅生活♪
黒須
第1話 イグとリュオ
「はぁー」
行商人の男は無精髭を撫でた後、小さく溜息をついた。
「オル、お前はどう思う?」
前を時速5キロで軽快に歩く一際大きい茶色い荷馬、名前はオルトハーゲン、愛称はオル。男は自分の貧相な名前に若干のコンプレックがあって、荷馬にこんなにも仰々しい名前を付けた。
御車台(ぎょしゃだい)でしっかりと手綱を握り、旅慣れた森の中の平坦な道を荷馬車に揺られながら男は走る。
時刻は昼過ぎ、今日も良く晴れていて木々の隙間から木漏れ日が差していた。
ガタンッ ガタンッガタンッ
悪道で腰を折りそうになる程の振動を身に受けながらも、それに慣れている男は苦楽を共にした相棒に続けて話し掛ける。
「やはり荷台は軽いに限る。オルもその方がいいだろう?」
行商人とは孤独な仕事だ。一度街を離れれば何日も人と会話をしないなんてことは多々ある。時に終わりの見えない麦畑の中を、時に大自然の中を一人御車台の上で過ごす。人恋しくなっても話し相手なんていないから自然と前を歩く荷馬に話し掛けてしまうのだ。
相棒はブルッと首を縦に振り相槌を打つが、男の言葉を理解してのものではない。何故なら相棒のオルトハーゲンは馬なのだから。
「はは、だよな。わかったよ。しっかりと断ってくる」
しかし男はそんな相棒の相槌が嬉しくて、顔をほころばせながら、得意げに語り始める。
「だいたい女の身で行商人になろうってのが甘い。荷の積み降ろしは力仕事だし、旅の道中で車輪が泥濘(ぬかるみ)に嵌まれば、それを抜け出すのも一苦労だ。狼に襲われることだってあるし運が悪ければ野盗に狙われることだってあるんだ。女なんて何をされるか分からない。そんなことになっても俺は責任を負えない」
男は前を走る相棒の反応を伺うが、今度は相槌がなかった。
「考えが甘い。甘すぎるんだ。お前もそう思うだろう?」
男はめげずに無精ひげを撫でながら相棒を見つめるが、やはり相槌はない。
「おほん」
しかしそんなことではめげない男は一度咳払いをしてから話しを続ける。
「甘いと言えばやはりリンゴだな。ビッツ村に着いたら食わせてやろうかな」
「ヒヒ~ン!」
馬は甘い物が好きだ。特にリンゴには目が無い。男のリンゴという言葉にはさすがのオルトハーゲンも盛大に相槌を打ち足取りが軽くならざるをえなかった。
「はははっ」
そんな相棒の態度を見て、男は嬉しそうに笑うのだった。
御車台に乗っている男の名前はイグ・フロイツ。歳は24で身長は184センチと長身だが、栄養が足りていなその体はけして恰幅が良いとは言えない。赤味がかった茶色い髪を耳が隠れるくらいに伸ばし、貫禄のある大商人を意識した貧相な無精髭を生やしている。本人はその髭を中々に気に入っているようで、人差し指で撫でるのが癖だった。
ここよりずっと南の農村で4男として生まれたイグ・フロイツは10歳になる頃に両親の元を離れ、伝手のある行商人に弟子入りをした。
小方の頃は親方と様々な街や村を行商で回った。 そして17歳で独立をして現在まで一人で行商人を続けている。
ただ行商と言っても、ここ5年間は東の地で流通の要となっている街、クロッフィルンと、麦と羊毛の生産地、果ての村、ビッツ村を往復する日々を送っていた。
イグ・フロイツは損得勘定で働く拝金主義ではあったが、冒険心溢れる勇敢さは持ち合わせていない。それが商人仲間の評価だった。
彼は同業の仲間から、信じられないような利率の商売や異国の地で町娘と胸躍る色恋話を聞かされては夢想と鼻の穴を膨らませていたが、それでも彼は堅実に稼げるビッツ村との往復を5年間も続けてきた。
いつも通るルートは熟知していて、どこに水場があるか分かっているし、不運にも雨に降られれば、どの道は進むことができて、どの道はぬかるんで進めなくなるのかもわかっていた。そういった道にいるときは早々とテントを広げ、道がある程度乾くまで体力を温存する。
しかしそんな地味な商売を続けてきた甲斐もあって20歳には人力2輪荷車を、22歳の時には馬を買うことができた。
馬を買った時に荷車も4輪に乗り換えたかったが、貯蓄が足りず、荷車屋で中古の2輪荷車を追加で買って2台の2輪車を木板で綺麗に繋げて4輪の荷馬車を自作した。屋根の無いカートタイプだが1200キロ以上の荷が積めたので彼は満足だった。
森を抜けると緑の草原が広がりその先に刈入れの終わった麦畑が続いている。長い間暗い森の中を移動してきた男は、全開に浴びる陽射しに目を細め、右手を額に当てて日傘を作った。
「イ~グぅ~~~ッ!」
遠くから声が聞える。女性の声だ。
男は片手で作った日傘と視線を声の方に向けた。そこには羊の世話をしながら、元気よく両手を振っている少女がいた。
少女の名前はリュオ・コーリ。歳は14で澄んだ青い瞳に少し癖のある灰色の長い髪を腰まで伸ばしている。華奢で小柄な体だが、声と肝っ魂は長身のイグ・フロイツよりも大きいのは誰の目から見ても明らかで、底抜けに明るくお転婆な彼女に男はいつも手を焼いていた。
そして一番の特徴は頭とお尻。頭には柴犬の様な小さくて控え目な三角の犬耳と、お尻には灰色で毛長い癖毛の尻尾が生えていた。
そう、彼女は獣族。犬のコーリ族という種族なのだ。
この時間に森を抜けるとたいていリュオは森の出口で羊を世話していた。だから村に着いて最初に出会うのはいつもリュオだった。
イグは苦笑する。
(道中ずっと悩んで答えは出たはずなのに。リュオの顔を見るとな。だが俺の人生に余裕はない。申し訳ないがはっきり言おう)
そんなことを考えながら男は少女に小さく手を振った。
彼女がいる所まではまだまだ距離ある。彼が言葉を発しなかったのは大声を出さなければ声が届かないと分かっていて、そしてそれは性に合わないと思ったからだ。
浮かない顔をしているのは、リュオの事で悩みがあって、その答えがまだ固まりきっていないからだった。
少女の立つ草原には十数頭の羊と、相棒の牧羊犬パースがいた。パースは白い犬でとても賢く少女の命令によく従う。
「パース、羊達を見ていてね」
少女は屈んでパースの頭を両手で撫でながら指示を出す。
「バフ」
愛する主人に顔を近付けてもらったパースは、『任せとけ』と言わんばかりに少女の頬を舐めた。
「こらっ!ふざけないでっ」
舐められる瞬間片目を瞑った少女が「もう」と湿った頬を膨らませながら手で拭う。どうやらパースの忠誠は伝わっていないようだ。
「イグと話してくるからお願いね」
そう言うと最後にパースの頭を一撫でして、立ち上がり男の元へ駆け出した。
「イグ!」
リュオはその軽い体で草原の上を跳ねるように走る。目の粗い茶色の麻のワンピースを纏い腰にはウールで編んだ紺の縄を巻いている。
そのままの勢いで走る馬車の御車台の上に飛び乗ると、男の脇腹にピタリと身を預け尻尾をゆさゆさと振った。
「イグっ!早かったね」
イグは視線を下へ向ける。そこには目を輝かせこちらを見詰めるリュオがいる。イグはヤレヤレいった感じで満更でもない表情を浮かべるが、直ぐに前方に視線を向けて手綱を握り直しいつもの堅物な顔を取り戻して馬車を走らせる。
「ああ、雨に降られることもなかったし順調だったよ。こんなことが続けば俺は大金持ちになれるんだけどな」
男は「ふー」と息をつく。
「そしたらアタシは美味しいものをたくさん食べさせてもらえるねっ」
「何でそういうことになるんだよ」
屈託のない笑顔を向けるリュオをイグはジト目で睨んだ。
「だって、……ねっ?」
少女は寄りかかったまま、男の脇腹を人差し指で突っつきニコニコ笑いながら期待に満ちた瞳で見つめている。
イグはリュオに弟子入りを頼まれていたのだ。
そんな可愛らしいリュオに狼狽えるが、意を決して気まずそうに答える
「そ、その……」
連れていけない、弟子にはできないと断ろうとしたが、リュオが被せて話し始める。
「そろそろ来る頃だと思っていたから、もう準備もしてあるのっ!絶対に役に立つから期待してね。ああ、初めての外の世界、すっごく楽しみっ!それに」
「リュオ」
これ以上期待させては取り返しがつかなくなると思ったイグは慌てて話しを止めた。
「ん?」
「前にも説明しただろ。申し訳ないが、やはりお前を連れていくことはできない」
首を傾げたリュオに男は前を向いたまま冷たくそう言った。
「ああ、はいはい。それでいつ出発するの?明日の朝?今日はうちに泊まっていくでしょ?」
しかし少女は「またそれか」といった雰囲気で男の回答を受け入れようとしない。
「泊まっていくし、明日の朝出るよ。って人の話しを聞いているのか?」
「アタシは軽いから、荷台の隅に隠れていても気付かれないでしょ?」
「なっ、お前勝手に付いてくるつもりだったのか?」
「にっひひ」
リュオからかう様に笑うので、さすがにそれには堅物気取りのイグも驚き、目を丸くして少女を睨んだ。しかしイグの睨みを可愛い笑顔で見つめ返しリュオは言う。
「こんな可愛い子と一緒に旅ができるんだよ。これでオルに話し掛けるだけのつまらない旅ともおさらばですよ。旦那」
「うっ」
終いには腹をツンツンと指で突かれる始末。
確かに男はオルトハーゲンに話し掛けている。しかしそれを誰にも話したことはない。何故コイツが知っているのかと驚き、不意を突かれた男は言葉を詰まらせた。
「と、とにかく連れて行くことはできないからな」
「ふーんだ!オルだってアタシ一人くらい簡単に運べるわ。ねっオルトハーゲン?」
「ヒヒ~~ン」
相棒は首を縦に振って盛大に相槌を打つ。普段男が話し掛けても無視をするのに。やはり雄と言う者はどうしようもない。
「ふふん」
そんなオルトハーゲンの反応を見て自信が付いたリュオは鼻を鳴らし、男にどや顔を向ける。
「商人とは約束を必ず守るものだ。約束を反故(ほご)にすれば商談や契約は当然破綻する。リンゴは今度にしようかな」
イグは偉そうに目を瞑り顎を上げて相棒に説教をする。話が終わると片目を開けて女に肩入れした裏切者の反応を伺った。
相棒は頭を下げて落ち込んだ様子だった。「それだけはやめてください」と言わんばかりに『ブルッ』っと唸りながら首を横に振る。
「酷いっ!オルは商人じゃないでしょ?アタシが人参をあげるね!」
と元気よくリュオが言うと相棒は落ちていた頭と歩くピッチを上げたのだった。
オルトハーゲンは馬だ。後ろで理不尽なことを言う人間の言葉なって理解していない。はずだ。
「あまりオルを甘やかすなよ~」
「心配しなくても大丈夫、イグのこともたくさん甘やかすからっ!」
「それなら俺には何を食べさてくれるのかな?」
「今晩、羊のミルクでシチューを作ってあげるねっ!」
「ごくり」
「あはははははっ」
この一週間カチカチのライ麦パンばかり食べていたイグは威厳を忘れて喉を鳴らした。それが可笑しくてリュオは大いに笑った。
荷馬車が羊たちの横を通るタイミングでリュオは馬車から降りる。
「それじゃ後でね!」
「ああ」
「ふふ。オルも人参、楽しみにしていてねっ」
少女は嬉しそうに手を振り、男は少女が弟子入りの話しを理解してくれたのか気になりながらも、今夜のごちそうを楽しみにしていた。
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