杏爛柯

瓢 呂那

第1話 少年、花

辺りは自然豊かな森に囲まれており、動物の鳴き声も聞こえてくる。

そんなのどかで美しいここ”宇多ノ国”では古来より神を信仰し飢饉などもなく、みなが幸せに暮らしていた。 


――だが、そんな彼らの平穏を脅かし日常を奪う憎き存在がいた。


それは人の形を装いながらその皮膚は灰色にくすみ、あらゆる欲を蓄えた腹は赤子を宿す母のように膨らんだその醜い姿から、人はそれを


――‟餓鬼“(がき)とよんでいた。





「ヨモギ様、若様の姿が見当たりません。」



そういった門弟の彼は白色の袴を纏い右の手には鍛錬に使う木刀を握っている。

だがそれは彼だけではなく、大きな堂のなかには同じ格好をした門弟たちが三十余りおり、みな一心に木刀を振るっていた。


「本当に手のかかるお方だ…。お前は鍛錬に戻れ。私が探してくる」


門弟の彼が一礼して戻っていくと“ヨモギ”と呼ばれる若い男は額に手をあててため息をついていた。

だが一息つく暇もなく、またもや誰かがヨモギに駆け寄ってくる。


「おいヨモギ! 花様がいなくなったぞ!」


そう言った彼、“ワサビ”は先ほどのヨモギよりも少し背が低く、まだあどけなさの残る顔をしている。


「あれほど注意していろと言っただろうこの阿保が! そして私を呼び捨てで呼ぶな。私はお前より歳が四つも上だぞ」


「四つしか変わらないくせに威張るな! お前だって花様を見失ったくせに!」

「黙れ。もとはと言えばお前が自分の鍛錬にばかり気を取られていたからだろうが」


「あぁ?! おれのせいにするってか!?」


ワサビは今にもとびかからんと木刀をヨモギにむけている。

だが当のヨモギは慣れているのか特に構えるでもなくどんと構えていた。


「まぁいい、花様のことは私に任せてお前はさっさと鍛錬に戻れ」



「だれがおまえの言うことなんて聞くかよ! おれも花様を探しに行くからな」

そう吐き捨てたワサビは木刀を腰にさしなおすと、ずかずかと扉から出ていった。



「全くあいつは、いつまで経っても童のままだな」



童とはいいつつ、日々の鍛錬のおかげもあってか十三になる彼の背中からはあどけなさも少しずつ抜けているようだった。



「それにしても何故いつも花様を見失ってしまうのか…」

そう言ったヨモギは小走りでワサビとは反対の扉から出ていくと、これで何回目かとも分からない“花“と呼ばれる人物の捜索にむかった。




                ♢



自然豊かな宇多ノ国で、水の神を信仰する“兌(だ)の地”は、あらゆる場所に川や滝があり多種多様の草花が生えるとても美しい場所で、町も色々な商人たちでにぎわっており、水が豊富なこの地では、時に漁業においてこの国で右に出るものはいないほど栄えていた。


そんな水の豊かな町に、ひとりの少年が歩いていた。



彼は顔を隠すようにして袖頭巾をかぶっており、まるで誰かに見つかるのを恐れているように下を向きながら歩いている。



すると、突然強い風が吹き彼を覆っていた布がとれ、その下からは絹糸のような美しい紺色の髪が風に揺らいでいた。



彼は周りに気づかれる前にもう一度深く被りなおすと、目的の場所に向かって再び歩いていった。


だがその瞬間、誰かが彼に向かって声をかけた。


「花さまだ!」


彼より小さいその童は、まるで宝石でも見つけたかのようにきらきらとした目で少年を見つめていた。


「あっきみ…、静かに…」


「さっき川でこんなにたくさんとってきたんだよ!」


童は小さな体と同じくらいの竹籠を一生懸命持ち上げ、花と呼ばれる人にむかって嬉しそうに話しかけた。

すると、その顔に見覚えがあったのか、花と呼ばれる少年は童の前に膝をついた。


「憲だったの。わぁほんとうだ。こんなにたくさん大変だったろうに、よくがんばったね」


袖頭巾からのぞいた少年の顔はとても愛らしい顔つきをしており、あまり焼けていないその白い肌は白い袴とよく似合っており、目尻をきゅっとさげ優しく微笑むその笑顔はとても暖かかった。そして花が頭を撫でてやると、憲と呼ばれる童は顔を赤らめて嬉しそうな笑顔をうかべた。

すると、いつの間にか花の周りには同じくらいの童たちが数人集まっていた。


「おれだってこんなに売ってきたんだぜ! だから今日は佐吉おじさんにたらふく食わせてやれるんだ!」


「あぁ偉いな」


花は先ほどと同じように頭を撫でてやると、その童は頬をぽっと赤らめながら照れくさそうにしていた。

その後も、花はどの童の話も蔑ろにすることなくふんふんと話を聞いてやった。


「こらお前たち。そんなに囲っては失礼だろうが」


そう言ったのは頭に青のまだら模様の手拭いを巻き、左目に眼帯をあてた三十ほどの男で、天秤を担ぎながら小走りでやってきた。

「おはようございます、花様」


その声を聞いた花は「佐吉さん!」と言って彼に向かって少しだけ歩を進めた。

そして、天秤を担いだ彼の姿を見て花は少しだけ表情を曇らせた。


「ここの所ずっとお見掛けしなかったから心配していました。腰はもう大丈夫なのですか? そんな天秤まで担いで」


「今日の朝にはすっかり。見た目はおっさんですが中身はまだまだということですかね」


「…良かった。でも、あまり無理はしないでください。ぼく、本当に心配したんです」


「花様の心配には及びませんよ」


佐吉は穏やかな笑顔をみせると二人の周りで楽しそうに話をしている童たちを見て「こいつらがいつも助けてくれますから」と言うと、近くにいた童のおでこを指でピンっとはねた。

だが、今度は佐吉が花の様相をみて表情を曇らせた。



なぜなら、袴から見える足や首元の皮膚が微かに紫色になっていたから。



「…それよりおれは、あなたの方が心配ですよ。また痣が、できています」



佐吉は下に視線をずらしながらそう言うと、確かに足首にはまだ新しい痣ができており肌の白さも相まってより鮮明に浮き上がって酷く見えた。

花は咄嗟に痣のできた左足を後ろに引くと、いたって冷静な様子で佐吉にむかって弁解をした。


「これは、稽古中にこっそり抜け出そうとして誰かの木刀が当たってしまったんです」


頭を掻きながらへへっと笑ってそう言った花の表情は、先ほど見せていた笑顔と全く変わらなかった。

だが、そんな花とは反対に佐吉の顔には怒りのようなものが浮かんでいた。


「また抜け出して来たのですか」


「…ごめんなさい。この地を治める者として情けない限りです」


「そうではありません。ただ、稽古を抜け出すたびに痣をつくっています。花様…その痣、稽古中にできたものではないのでしょう」


重たい雰囲気が二人の間に漂うなか、それを壊すように、童のひとりが竹籠を落としてしまい、一面に魚が散らばった。

それを拾うことで、話は一旦とぎれてしまった。


「それより、佐吉さん。この後どこかへ行かれる予定はありますか?」


すると、佐吉よりも早くその問いかけに反応した童が佐吉に抱きつき「どっか行くならあやもつれていって!」と言った。

佐吉は微笑みながら童の頭に手を置いた。


「あやはお留守番だ」


しかし童は期待外れの返答に駄々をこねはじめ、なかなか佐吉から離れようとしなかった。すると十歳ほどの少年が童を佐吉から離した。


「我儘を言うな。留守番といわれたらちゃんと言う通りにするんだ」


「いやだいやだ!! あやもいっしょにいくの!!」


あやは佐吉に手を伸ばしながらそう言ったため、その少年はもう一度強く「駄目だ!」と言った。

しかし一向に収まる気配がないのをみかねた佐吉は、袖口からお金の入った袋を渡した。


「すまんな、渉。これをやるから飴でも買ってやってくれ」


渉と呼ばれた少年は「はい」と短く返事をすると、駄々をこねるあやを連れて市場のほうへと歩いていった。

すると先ほど花に魚を見せていた子も「……僕もいい?」と佐吉にむかって遠慮がちに聞いた。佐吉は微笑みながら「行ってこい」と言うと、それを聞いていた他の子供たちも「おれも!」「わたしも!」と続き、気づくとそこには花と佐吉だけが残っていた。


「まだ十になって間もないのにぼくよりずっと頼もしいなぁ。佐吉さんも、渉くんがいれば安心ですね」


「余計な気負いをさせてなければいいのですが、いつも頼りにさせてもらっています」

軽い会話をしているうちに彼らが遠くなったのを確認すると、二人きりになった空間にまた微妙な空気が流れはじめていた。

そんな空気を感じとった佐吉は、さっきの質問に答えることにした。


「今日は魚も良く獲れたので坎ノ地にでも行こうかと思っていました」


そう言った瞬間、花の表情が一瞬パッと明るくなった。しかし、またすぐに何か言いたげな顔に戻ると「……そうなんですね」と言った。

花がここへ来るのはただ稽古をさぼりたいという理由ではなく別の理由があることを知っていた佐吉は、それを言えずに下を向いて口篭っている花を見て、促すように声をかけた。



「今日も、あの方の元へ行かれるのですか?」



花は少しのためをおいたあと、困ったような笑顔で「はい」と返事をした。

本来であればここで佐吉は迷いなく「行きましょう」と言うところだったが、何故だか今日は二つ返事をしなかった。


それは、前よりも確実に増えもはや隠すことも出来なくなっているその痣の存在のせいだった。


「…花様。これは、おれなんかが口出しすることではありませんが、これ以上あの方の元へ行かれるのは控えた方が良いのではありませんか?」


花は拾いそびれていた魚を拾い竹籠にいれたが、その魚は数回口をパクパクさせると動かなくなった。

 

「すいません、こんな生意気言って。ですがその痣……、これ以上稽古をぬければもっと酷くなるにちがいありません」


それを聞いた花はパッと顔をあげると、信念を持った目で佐吉を見た。


「それでもぼくは、あの人に会いにゆきます。こんなもの痛くも痒くもありません」


愛くるしい目とは反対に鋭い視線を放ってそう言う花に、佐吉は思わず逸らしそうになった。だが、それでも譲れなかった佐吉は反論しようとした。

だが佐吉が言いかけたとき、それを遮るように花が勢いよく頭を下げた。


「我儘言ってごめんなさい。でもどうしても、あの人の所に行きたいんです。お願いします、馬を貸してください」


急なことで驚いた佐吉は慌てて花の肩をもち顔をあげさせようとするが、その間にも花は訴え続けていた。


「…今が駄目ならまた夜に来ますから」


そう言ったところでようやく花の頭をあげることが出来た佐吉は、慌てた様子で話す。


「やめてください! 花様のような方が簡単に頭を下げないでください」


花はそれを拒否ととったのか、暗い表情で佐吉に向き直る。


「突然押しかけてしまってごめんなさい。他を、あたってみます」


そう言ったものの、花にはあてなどなかった。

それもそのはず、本来ならばそこにいるはずのない泗水家の嫡男である花が突然訪れれば、いやでもその姿が目立ち、花を探す側付きの者にみつかってしまうからだ。

佐吉とは昔からの付き合いがあるため、大騒ぎにならずに済んでいる。


花は今度は軽くお辞儀をすると、佐吉に背を向け歩き出す。



「……お待ちください!」



花はその声に驚いて後ろを振り向くと、鼻と目の先に佐吉の姿があった。



「わっ! さ、佐吉さん!?」



「……ごめんなさい。おれ、頭に血が上るとすぐにああしてしまって。花様の力になれるなら、何でもすると誓ったはずなのに…」



拳を握りながらそう言う佐吉の姿を見た花は、困ったように眉を下げて笑いかけた。



「いいんです」



だが、佐吉は何かを決心したように花の方を見た。



「やっぱり行きましょう」



その言葉を聞いたとき突然のことですぐに理解することが出来なかったが、徐々にその言葉が頭に響いてくると花は驚いて佐吉に言った。

「…佐吉さん」



「…本当はこんなことしたくありません。でも…、おれが何もしなくてもあなたはどうせ行くのでしょう」



返答はなかったが、目はその意思を示していた。



「では手早く準備をして向かいましょうか」



それを聞いた花は、笑顔で「はい」と返事をした。

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