第28話『斬り覚えなさい』(連続33話)



 日々の練習メニューは固まった。

 早朝は『竹』をこなし、柔軟と基礎抜刀、素振り、ぽんぽん槍を交互に使った『ハエ』の訓練。そして整理体操。

 仲居見習いとしての労働に加え、合間をみての歩法。

 夕刻からの稽古は、柔軟をこなしたあとの、柳などを交えた柔術の動きの訓練。そして――。


「防具ですか」


 月旦と勢花に配られたのは、打撃系の格闘技などで用いられるポリカーボネート製のフェイスガードと、頭部を守る低反発ウレタンを存分に使用したヘッドガード。それに、薙刀で使用する篭手であった。


「小指を締めること、手の内を使うことから、剣道用の篭手だと煩わしすぎる。薙刀用の、三つ股の篭手が、剣術には最適」


 小指から中指。人差し指。親指。それぞれに別れていてモコモコとした印象だが、手の内はしっかりとしており、剣を握り込むとビシっと締まる。


「あと、これ。蟇肌竹刀ひきはだしない


 剣道竹刀の原型となった、若い竹をささらに割ったものを筒状のなめし獣皮で包んだ物をいう。獣皮がヒキガエルの肌のようなので、蟇の肌――ヒキ肌竹刀と通称されることになった袋竹刀のことを指す。


「これは? ずいぶんと使い込まれているようですが」


 ヘッドガードと篭手は新品だったが、ふた振りの蟇肌竹刀だけはずいぶんと年期が入ったものだった。


「うちで――辻家で使っていたものよ。若い頃、兄光太郎も使ってたわ。なかなか出す予定がなかったから、ずいぶん探したわよ」

「お祖父ちゃんが……?」


 これを? と問いかける月旦に、小雪はひとつしっかりと頷いた。


「竹刀とはまた、と思うかもしれないけれど、これけっこう大事なのよ?」

「つまり――」


 勢花は蟇肌竹刀を手に、神妙な面持ちで続ける。


「防具を着け竹刀で打ち合うのが目的と言うことですね」

「その通り。月旦と戸田さんが向かい合い、乱取り稽古――動きの流れのなかで打ち合い、闘いの空気を感じるのが目的」


 ヘッドガードのカーボネートをガシガシと拳で叩きながら、「これを付けていれば大丈夫。合撃で面を斬るのも、『ハエ』の目で打ち込みを外し、小手を斬るのも、自由自在。申し合わせて本気の合撃を試行錯誤するのも良し。あとはもう、斬り覚えなさい」と、ヘッドガードを放り渡す。

 受け取る月旦は、小雪の持つ目に、本気の色を見た。


「竹刀で防具を着けていれば、死ぬことはないでしょう。相手は剣道部。分かりやすく剣道のポイントが取れる部位を、剣術で強かに仕留めに行きましょう。残り二週間は、これまでの復習と反復、そしてこの乱取りを中心に仕上げていきなさい」


 打ち合い――。

 それは、いままで受け流し斬りの練習で、すこし遅めにやった程度のものだ。

 月旦の中の祖父光太郎は、誰かと打ち合っていたことはなかった。もはや、ここからは流派として磨き上げていくにあたって、避けては通れぬ場所なのだろう。

 打ち合い。

 打つ。

 それ以上に、打たれる。

 早鐘のように月旦の心臓が跳ねる。

 わたしに打てるだろうか。竹刀とはいえ、術理の実践ならば本気の打ち込みになる。それでいて、けっして打突ではなく真剣を考慮した振り当てを意識することが、はたしてできるだろうか。

 わたしに。辻月旦に。

 そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、神妙な面持ちの月旦に先んじてヘッドガードを着けた勢花は、次いで篭手を装備する。


「あれ、着けないの? 月ちゃん」

「そんな、怖くないの?」

「……こわい?」勢花は首を傾げた。「いや、だって……月ちゃん、このヘッドガード着けてみて?」

「え? ――」


 言われたまま、自分に渡されたヘッドガードをかぶり、ベルトを締めて固定する。視界の制限も少なく、実にしっくりくる。


「いくよ?」

「へ? ――わぶっ!」


 勢花はひとつ声を掛けると月旦の顔面に思い切り篭手の拳を叩き込む。カーボネートに阻まれ、ヘッドガード全体のウレタンが衝撃を吸収し月旦は軽く仰け反るも無傷のまま「え、なに? なに?」と目を白黒させている。


「シュッシュ! シュシュ! シュシュシュ!」


 シャドーボクシングのように勢花は篭手を着けた手で左右のパンチを繰り出している。

 ようやくその篭手で殴られたと気が付いた月旦は、あまりのことで声を裏返しながら詰め寄る。


「なにするんですか!」

「え~だって月ちゃん、覚悟決まってなかったみたいだから」

「そんなことっ」

「さすがにずっとボッチだったし、誰かと組んで打ち合うことなんてなかったか~。か~、さすがになかったか~!」


 そうなのだ。防具こそ着ける資格はなかったが、誰かと稽古し合うことにかけては、勢花に一日の長があるのだ。

 ニヤニヤ嗤う勢花の口調に、オホンとひとつ咳払い。

 篭手を着けて、竹刀を握り。


「もう、花ちゃんったら」

「え? ――あぶぅ!」


 ベシーン!


 かわいい声を出して油断させた瞬間、諸手大上段で叩き込んだ面打ちが決まり、勢花の上体はそのまま後ろに沈み込むように倒れる。

 凄まじい衝撃だった。重さたるや、これがネバリかと瞠目する。

 無傷だが衝撃で多少くらくらする頭をさすりながら、勢花は「くっくっく……」と不敵な笑いを上げて立ち上がる。


「あら、思いのほか丈夫みたいね」と、月旦も不敵な笑みで迎える。

 そこに小雪が割って入り、ぽんと手を叩く。

「時間が許す限り、こなしなさい。ある程度は貴女たちに任せます。この道場にいるうちは、好きにしなさいな」


 ふたりは切り替えて、頷く。

 小雪は「蘭子」と弟子を呼び、「ふたりを見ていなさい。わたしは、柳先生と松下先生に、柔術を教えます」と伝える。

 蘭子は頷き、「えー、まじっすか!?」と引け腰になる松下に向かいじわじわ詰め寄る小雪を見送ると、道場の半分を指し示し、薙刀を担ぎながら指示を出す。


「一本決めたら、開始線に戻る。場外に出たらペナルティ。教育的指導はないけど、攻めないと練習にならないから、まあそこは駆け引きして。勝ち負けとかそんなくだらないことに拘らず、打たれたと思ったら正直に撃たれた場所を叩いて認める。――さ、始めるわよ!」


 両者、八相でじわじわと間合いを詰め始める。

 やられたからには倍にして返す。

 その意気で燃え上がっている。

 武術武道としてはどうであるか解らないが、ふたりの根底に越えねばならぬものがある以上、雑念というものは必須なのだろう。

 それらを踏まえた上での、研鑽なのだ。


「いやぁ!」

「ぇああっ!」


 裂帛の気合いがほとばしり、両者の激突苛烈な剣撃は空を劈きぶつかり合った。

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