第19話

「ごめんねヨウちゃん、あの子父親についておばあちゃんちに行っちゃったの」

 ハナの家に行くと、彼女によく似たおばさんが僕を出迎え申し訳なさそうに言った。小さな頃からお互いの家を行き来しているから、僕にとっても母親みたいなものだ。

 彼女は仕事があるから九州のおばあちゃんちで後で合流すると言ってたけど、いつもならハナだけ残ってうちに泊まっていた。


 数日前にもハナの家に行ったけど、まだ怒っている彼女は部屋に入れてくれなかった。

『オミ達と遊べば』

 ドアの向こうから硬い声で僕を拒絶した彼女は、それ以上何も言わず沈黙を守り続けた。

『ごめんね』

 何に謝っているのか分からなかったけど、悲しくて寂しくてたまらなかった。今まで喧嘩した事はあっても、すぐ仲直りできたのに。

 その日は泣くのをこらえて家に戻り、次の日もその次の日も会いに行ったけれど、彼女は出てきてくれなかった。


 ハナの家から戻った僕は、部屋のベッドに寝転んで本を読もうとしたけど、望んでいた自堕落な生活もハナと喧嘩したままだと思うと楽しくない。

 本に書かれた文字を追っても、内容はするすると上滑りする。僕は諦めて本を閉じ、天井の木目を眼で辿って無意味な時間を過ごしていた。

「ヨウ、電話よ~」

 下からお母さんが呼んでいる。ハナが九州から電話してくれたのかな。携帯電話は持ってないし、他に電話をくれそうな人も思い当たらないから僕は急いで階下に降りる。


「もしもし、ハナ?」

『…ハナじゃなくてごめん』

 コードレスの子機の向こうから聞こえた低い声はオミのものだった。機械越しの音声はなんだか他人行儀な気がして、少し緊張する。


―オミの声を聞くのはプールの時以来かな。


「うちの番号知ってたの?」

『前にハナに聞いた。あいつのうちに電話したけど留守電だったから…』

「そっか。今おばあちゃんちに行ってるよ」

 いつもオミから誘われてもハナ経由だから、僕だけ知らなかったみたい。叙任式といい、ノートの事といい、たいていの事はハナ経由だったと今さら気付く。

 そういえばそんな事もあったなあと、大して昔の事ではないのに懐かしい気がしてくる。


 普段は色々話しかけてくるのに、オミは今日に限ってなかなか話を切り出さない。

「今日はどうしたの?」

『あー…ええと…そうだ、夏祭り』

 なんだかすごく歯切れが悪い。もしかして緊張してる?

「夏祭り?」

『今日用事なかったらみんなで一緒に行かない?』

「うーん……人混み苦手だなあ」

 

 すぐ迷子になるし、人が集まる場所は変な人に絡まれやすい。そう言うと子機の向こうで考え込むような気配がする。

『じゃあ…少しだけ見て回って、河原で花火でもしようか』

「いいね、花火。お母さんに聞いてみる」

 僕はこちらから掛け直すと言って、オミの携帯電話の番号を聞き、一度電話を切った。

 最近僕がハナ以外の友達と遊ぶようになった事を喜んでいたらしいお母さんは、あまり遅くならないのを条件に快く承諾してくれた。


 せっかくだから浴衣を着て行きなさいと、お母さんが自分のお下がりを着付けてくれた。

 白地にレトロな紺の朝顔と、古代紫の帯を締めて、草履はサイズが合わなかったので、浴衣に合いそうな白のミュールを履く事にした。

 

―綺麗なカッコ久しぶりだなあ。


 白い花をかたどったちりめんのつまみ細工のピンを前髪に留めてくれたお母さんが、鏡台の引き出しから色付きのリップを出して塗ってくれた。

「よしよし、良い出来だ」

 僕が嫌がるのであまり言わないけど、お母さんも本当は可愛い服を着てほしいと思っているのかもしれない。いつもTシャツとジーンズばっかりだし。

 誰かの期待に応えなくていいのよ、とお母さんは言う。でもなんだか申し訳ない気持ちになってモゾモゾと衿の合わせをいじっていると、家のチャイムが鳴った。


「か……」

 迎えに来たオミは僕を見るなり口を押さえて固まった。斜め掛けのワンハンドルバッグを肩に掛けて、黒いキャップを被り、シンプルな黒のTシャツに赤のカーゴハーフパンツとスニーカーをお洒落に着こなしている。

 元々手足が長くてスタイルが良いから何を着ても似合うのかもしれない。

「蚊?虫除けスプレー持ってった方がいい?」

 僕はミュールのストラップを足首に留めて辺りを見回した。見る限り虫はいないみたいだけど、河原に行くならスプレーいるかも。

 僕はお母さんから借りた和柄の巾着バッグの中に虫除けスプレーを追加した。

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