第89話 本番開始



 センは先日と同じように怪しさ満載といった格好で、ライオネル商会の王都本店、その応接室にいた。

 正直別の変装をするか、それとも変装無しで行くか悩んだのだが……変装を変えたところで、顔を隠すことには変わりないので先日のまま行くことにした。


「そろそろ到着する頃合いですな。今日は殆どお任せすることになるかも知れませんが……」


「えぇ。昨日は甘えさせてもらいましたが、本来私が前に出なければいけない案件ですから、すぐに振ってもらって大丈夫です」


「承知いたしました。別室には護衛を待機させておりますし、合図を頂けたらすぐに踏み込みますからな?」


 センは懐にハーケルの店に置いているものと同じ緊急連絡用の道具を入れてある。緊急時には音を鳴らして送還すれば、この部屋に本物の護衛が何人もなだれ込んでくる予定だ。


「はい。その場合は……申し訳ありませんが、逃げることを優先させていただきます」


「是非そうしてください。まぁ、本店が吹き飛ばされるような事態だけは避けて貰いたい所ですが……」


 相手が卓越した魔法の使い手という事もあり、絶対そう言ったことが起きないとは言えないが……センは一応相手を外に放り出す手筈を整えている。


(敵対した相手に召喚魔法の事がバレる可能性を考えると、あまりやりたくない手段だが……恐らく問題はないはずだ)


「恩を仇で返したくはありませんからね。不測の事態になったとしても、それは必ず阻止します」


 センが真剣な表情……マスクであまり見えないが……をしながら答えるのを見てライオネルが頷く。

 その後はシアレンの街での話などの雑談をしながら時間を潰していると、応接室の扉がノックされハウエンの声が聞こえて来た。


「旦那様。お客様をお連れしました」


 その言葉を聞き、ライオネルは立ち上がり自ら扉を開きに行く。


「お待ちしておりました、ナツキ様。ご足労ありがとうございます」


「こんにちは、ライオネルさん。今日はよろしくお願いします」


 応接室に入りながら挨拶をするナツキに続き、よく似た風貌の女の子が若干肩を縮こまらせながら入室してくる。

 センは応接セットから少し離れた位置の壁際に立っていたのだが、部屋に入ったナツキが徐に上座の方へ向かうのを見て思わず遠い目をしてしまう。


(まぁ、この世界に上下の区別があるかは知らんが……)


 そんなことを考えていると、ナツミの手を引いて動きを止めたもう一人の少女がナツミを下座へと連れて行く。

 その様子を見てライオネルが一瞬首を傾げていたが深くは気にしない様だ。


「すみません、私礼儀作法とかに疎くて……失礼なことをしてしまうかもしれませんが……」


「大丈夫ですよ、ナツキ様。昨日も申し上げましたが、畏まらずに楽な応対をしてくださって結構ですので」


 そう言ってライオネルが椅子に座り、センは先日と同じようにその斜め後ろに立つ。

 ハウエンは、三人分のお茶を用意した後に退室し、それを確認したライオネルが話を切り出す。


「昨日ナツキ様にお話しいただいたリップクリームですが、確認した所ナツキ様が求める物で相違ないと思うのですが、念の為確認を……唇に塗り乾燥を抑える保湿効果のある薬用と化粧品の両側面を持つもので間違いなかったでしょうか?」


「はい!それで間違いありません!あるんですか!?」


「申し訳ありません、すぐにお渡しすることは難しいのですが、入手は可能です」


「本当ですか!?因みにどのくらいのお値段ですか?」


「銀貨数枚程度といった所ですね」


「そのくらいだったら大丈夫だよね?」


 ナツキが隣にいる少女に確認するように問いかけると、少女は小さく頷く。

 その様子を見てライオネルはナツキに問いかける。


「申し訳ありません、ナツキ様。そちらの方が妹様でいらっしゃいますか?」


「あ、すみません。そうです、妹のハルカです」


「……ハルカと申します」


 ナツキの隣に座っていた少女が丁寧に頭を下げる。

 非常に細い声と言った感じだが、ちゃんとライオネルに届く声量ではあった。


「初めまして、ハルカ様。私はライオネルと申します。ハルカ様も何か必要な物があれば、いくらでもお尋ねください」


「……ありがとうございます」


 ハルカが小さく頭を下げたところで、再び話を続けようとした所部屋の扉がノックされハウエンが入室してくる。


「ご歓談中もうしわけありません。旦那様……実は……」


 そう言ってライオネルに近づいたハウエンが耳打ちをすると、ライオネルの表情が苦々しい物に変わる。

 その様子を見てナツキが首を傾げていると、ライオネルがナツキたちに向かって頭を下げた。


「申し訳ありません、ナツキ様。ご足労頂いたと言うのに、少し席を外させていただいても良いでしょうか?」


「え?あ、はい。それは構いませんが……」


「私がいない間は……アルク」


「はい」


 ライオネルがセンの偽名を呼び、一歩前に出るセン。


「この者が対応させていただきます。少々……と言わず、かなり怪しい見た目ではありますが、商品の知識に関しては私以上に頼りになる人物です。お気軽になんでも申しつけください」


「は、はぁ」


 ナツキがセンの方をみながら生返事を返すが、ライオネルは少し焦っているような態度を見せつつセンに向けて口を開く。


「アルク、後は任せる。よろしく頼む」


「畏まりました」


 センの返事を聞き、最後にもう一度ナツキ達に謝ったライオネルは急ぎ部屋から出て行く。

 当然これは予め決めていた流れであり、本来のライオネルであれば商談中にあのように取り乱した姿は見せないし、客を放り出すようなことは絶対にしない。

 勿論ナツキ達はそんなことは知らないので、お偉いさんならそんなものかと受け入れていた。


「それではナツキ様、ハルカ様。会頭に代わり私が話を聞かせて頂きます」


 顔の上半分をマスクで隠したセンは口元だけで柔らかく笑みを浮かべる。

 正直かなり不気味ではあったが、ナツキはあまり気にしない様だ。


「えっと……じゃぁ、ハンドクリームってご存知ですか?」


「えぇ、勿論。そちらもご用意可能ですよ。リップクリームよりは少し値段が上がりますが、それでも銀貨十数枚といったところでしょうか」


(リップクリームと同じ材料で分量を変えれば作れるからな。しかし……この様子だと化粧品とかも言ってきそうだな)


 センの予想は正しかった、その後ナツキが求めてきたのは化粧水や乳液、そして日焼け止め。

 正直高校生くらいに見えるナツキがそんなに色々必要なのだろうかとセンは思ったが、最近は男性でも化粧水を使ったりはするし、高校生くらいであっても普通に使用している。


「……もうしわけありません、ナツキ様。その……ハンドクリームを塗るのではだめなのでしょうか?」


「えっと……使う部位によって使い分けるっていうか……」


(明確な理由は理解していないのか?まぁ、それはどうでもいいが……乳液は流石に作り方は知らん……化粧水は……確かグリセリンか?大豆から抽出できるんだったか……?いや流石に無理だろ……手に入れられれば色々化粧品関係は作ることが出来るが)


「まぁでもハンドクリームとリップが手に入るなら十分かな?魔法もあるしね」


 ナツキが少し残念そうにしながらも軽い口調で言う。


(……美容関係の魔法があるのか……?いや、あっても不思議ではない……のか?この世界にそんな余裕があるとは思えんが……妹の方の力か?)


「魔法……ですか?」


「えぇ、お肌に水分を与えて油分を逃がさないフェイスパックって魔法をこの娘が……」


「お、お姉ちゃん!」


(やはり魔法の開発をしているのは妹の方か……そして姉の方は口が軽く、妹はそこそこ慎重……まぁ、止めるタイミングが遅いが)


 うっかりと言った様子で秘密を口に出した姉を止めたハルカの方に、センは何も聞きませんでしたと言った様子で話しかける。


「ハルカ様は何か必要な物はございませんか?先程からナツキ様ばかりお話しされているようですが……」


「えっと……」


「アルクさん、言い方にちょっと含みがあるっぽいんだけど?」


 センの言葉に反応したナツキが、本人はそんなつもりは無かったのだろうがハルカの言葉を遮るように不満を口にした。


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