第69話 逃亡の先で



 センは窓ガラスが割れて何かが飛び込んできた瞬間、咄嗟に反応して送還魔法を起動させつつ立ち上がる。

 召喚時とは比べ物にならない程の速度で発動した送還はラーニャ、トリス、ニコルの三人を一瞬でエミリ邸へと飛ばす。


(あの三人はこれで問題ない!その後の動きもしっかり言い含めてある……後は、何が起こったかだけでも確認出来れば俺もすぐに逃げる!)


 センは油断せずに飛び込んできた何かから距離を取りつつ、いつでも自分を送還出来るように身構える。

 何かが射出されたりした場合、成す術もなく死んでしまうかもしれない……正直、すぐにでも送還魔法を発動して逃げたいと考えるセンだったが、状況を確認せずに逃げる程図太くもなかった。


(なんだ?何が起こった?狙いは?そもそも飛び込んできたのは一体……得体のしれない物や見るからに危なそうなものなら即離脱だが……あれは……人か?)


 飛び込んでから暫く動かなかった人物がゆっくりと体を起こし、センの方へと顔を向ける……。




「え!?」


 ラーニャは突然変わった視界に驚きの声を上げる。

 今まさに食事を取ろうとしていた所、何かが割れる音がした……そして次の瞬間この状況である。

 混乱するラーニャだったが、すぐにセンによって送還されたことに気付く。


「兄様!」


「兄さん!」


 ラーニャとほぼ同時にこの部屋へと現れたニコルとトリスがセンの名を呼ぶ。

 しかし、すぐに現れると思っていたセンはいくら待っても姿を見せない。


「……ど、どうしよう……」


 センが現れないことに動揺するラーニャだったが、トリスやニコルが真っ青な顔をしていることに気付き自制する。


(センさんがいない……私がしっかりしないと……大丈夫、こういう時にどうすればいいかはセンさんから何度も聞かされているんだから!)


 ラーニャは胸の奥から湧き上がる不安を押し殺しながら、二人に向かって指示を出す。


「トリス!センさんがすぐにここに来るかもしれないからこの部屋で待ってて!ニコル、私達はエミリさんの所に行って事情を説明しましょう!


「わ、分かった。姉さん。でも、僕一人で行くよ。姉さんはトリスと一緒にここに残って!」


 ニコルはそう言うと部屋を飛び出していく。

 ラーニャは一瞬目を丸くしたのだが、すぐにニコルの意図に気付きトリスの手を握る。その小さな手は震えていて、ラーニャの手を力を込めて握り返してくる。


「お、おねえちゃん……に、兄様……来ない……!」


「大丈夫だよ、トリス!センさんが私達を逃がした後、すぐに追いかけてこないのは理由があるからだよ!センさんなら絶対に大丈夫!」


 トリスを励ます様にというよりも、自分に言い聞かせるようにラーニャが言う。しかし、そんなラーニャを見て、トリス自身も不安を押し殺すようにして頷く。


「……うん……兄様は大丈夫」


 ラーニャの手をしっかりと握りながら、ひきつった笑みを浮かべるトリス。

 お互いを励ますように、支え合う様にしながらセンがこの部屋に現れるのを待つ二人だったが、いくら待てどセンが現れる事は無く、先程部屋を飛び出していったニコルがエミリとサリエナを伴い部屋に戻ってくる方が早かった。


「セン様は……まだ来られていないようですわね」


 部屋を見渡したサリエナが確認するように呟く。ラーニャから見てサリエナは普段通りの様子に見えたが、それは子供達をこれ以上不安にさせない為に自制しているだけで内心はかなり動揺していた。


(セン様がいたずらに彼女たちを不安にさせるような行動をとるとは思えない……ならば、セン様は……ここに来ることが出来なくなった、若しくは来ることが出来ない事情が出来たということですわね)


 サリエナはこの部屋に残っていたラーニャ達に目を向けて優しく声を掛ける。


「ラーニャさん、今家に三人程向かわせています。その内の一人は状況を確認したらすぐに戻ってくるように言っているので、すぐに状況は確認できますわ」


「……はい、ありがとうございます」


 完全に血の気の引いた表情だが、しっかりとサリエナに礼を言うラーニャを見て、子供達に気付かれない程度に眉を顰めるサリエナ。


(昼間、店で見せていた笑顔とはかけ離れた表情……この子達の事情はエミリから聞いていたけど、もしセン様に何かあったらこの子達は……)


 想像したくない未来を想像してしまい、サリエナは気が重くなりそうだったが、その胸中に反して綺麗な笑顔を浮かべながらラーニャ達に語り掛ける。


「セン様はとても強かな方です、絶対に大丈夫ですわ。だから皆さんも少し肩の力を抜いてここで連絡を待ちましょう。エミリ、皆さんの分の飲み物を用意するように伝えてきて」


「は、はい。お母様」


 サリエナはラーニャ達と同じくらい顔を青褪めさせたエミリに言いつけ、飲み物を用意させる。


(体を動かしている方が気がまぎれるでしょうけど……この子達はまだそれすらも出来なさそうですからね。ハウエン、早く戻って来なさい……出来ればセン様も一緒に)


 センの家へと送り出した執事のハウエンに心の中で呼びかけるサリエナは、笑みを絶やすことなく子供たちの傍に居続けた。

 部屋は静寂に包まれ、誰一人言葉を発する事は無く時が止まったかの様であったが、ほどなくしてエミリが使用人を数名引き連れて戻って来たことにより部屋の中の時が動き出す。


「お待たせいたしました。椅子を用意したので、ラーニャさん達もこちらに来て座って下さい。お茶もリラックス効果のある物を用意しましたわ」


 使用人が準備したティーセットにエミリがハーブティを注いでいく。スッとした香りが部屋の中に広がり、ラーニャ達は誘われるままにテーブルへとつく。

 サリエナが狙った通り、身体を動かすことでエミリの方は冷静になったようで微笑を浮かべている。


「ラーニャさん、ニコルさん、トリスさん。最初話を聞いた時、私も取り乱してしまいましたが……冷静になって考えて見れば、これだけ用意周到に逃げ延びる準備を整えているセン様が、ラーニャさん達と一緒に逃げなかったのは理由があるはずですわ。それはつまり、逃げて来ていない以上セン様は無事とも言えるはずです。今ハウエンをラーニャさん達の家に送っていますし、きっとすぐにでもセン様の無事が確認できるはずですわ」


 エミリ自身は知る由もないが、同じようなことをサリエナやラーニャが言っていたが……お茶を飲みながらという事で少し落ち着いた三人には、エミリの言葉が胸にストンと落ちた。


「そうだよね……センさんがそんな失敗するわけないよね」


「……兄様は無敵」


 暖かいハーブティのお陰か、顔色を幾分か良くしたラーニャとトリスが同意するように言う。


「うん、兄さんなら大丈夫……でも、兄さんの力になれないのは悔しいな。もっともっと色々な事を学ばないと……」


 ニコルは少し眉尻を下げながら言う。

 センの様になりたい、センの力になりたいと願う少年は己の不甲斐なさを悔いているが……そもそも十歳程度の少年が、その人生よりも長い間社会人として働いて来たセンと対等でありたいと言うのは無理がある。そんな事実は知らなくても、そう簡単にセンと対等になれない事はニコルも分かっているつもりだが、どうしても逸る思いを抑えることが出来なかった。

 そんな姿を見たサリエナが優しい声でニコルに話しかける。


「ニコルさん。私から見たらセン様はとてもお若いですが……それでもニコルさんより十歳くらいは年上だと思います」


 実際には二十歳以上年上ではあるが、当然そんな事情を知らないサリエナは諭す様にニコルに語っていく。


「セン様も初めから今の様になんでも出来たわけではありません。ニコルさんと同じくらいの年齢の頃は、ニコルさんと同じように、自分の不甲斐なさに涙したこともあるかも知れません。今のセン様からは想像も出来ませんが……それでもそんな頃は絶対にあったはずですわ。そして恐らく、セン様は長い時間……誰よりも研鑽を積んで来たに違いありません。そうでなければ、あの年齢にしてあれ程の手腕は振るえませんからね。様々な経験が今のセン様を作っているのですわ。幸い、ニコルさんにはセン様という目標を身近で見ることが出来るのです。絶え間ない努力が必要だとは思いますが……それを成し得た時、きっとニコルさんは、セン様にとって誰よりも信頼できる片腕になっているに違いありませんわ」


「は、はい。兄さんにも焦る必要は無いって言われていました……がんばります。必ず兄さんの力になれる様に……」


 サリエナの言葉を聞き少し雰囲気を和らげたニコルが決意を新たにするとほぼ同時に、部屋の扉がノックされハウエンが入室して来た。


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