第62話 釣り



 レイフェットに手伝ってもらい岩の上に登ったセンは、腰を下ろし川に糸を垂らしていた。

 この辺りは流れが穏やかになっているらしく、水も透き通っていて離れた位置で魚が泳いでいるのが見えるが、センは生憎と魚のいる位置まで糸を飛ばすことが出来なかった。


「想像以上に難しい」


 岩から真下に向かって糸を垂らしているセンとは違い、糸を竿の先に括り付けず、竿を持つ手とは逆の手に糸をもってフライフィッシングのようなやり方で遠くに仕掛けを飛ばしているレイフェット。

 そのやり方を真似しようとしたのだが、全然タイミングが合わず仕掛けを前に飛ばすことが出来なかったセンは、竿の先を結んで下に垂らすだけという原始スタイルで釣りに挑んでいる。


「意外と不器用だな」


 せせら笑うような表情を見せながら隣にいるレイフェットが揶揄ってくるが、センは気にも留めていないという様子で言葉を返す。


「俺は体を動かすのが得意じゃないからな。なんでも小器用にそつなくこなすタイプじゃないんだ」


「意外……でもないか。ここに来るまでのどんくささを見ればさもありなんって感じだな」


「……人には得手不得手ってもんがある。俺は小ズルく頭を使って立ち回るタイプ、身体を動かしてあくせく働くってのは他人に任せるさ」


「それだけ聞くと探索者連中や軍関係の人間に一番嫌われるタイプだな」


「全くだな」


(現場を見ずに上から理想論を振りかざすってのは一番鬱陶しいからな……知り合いの会社にはそういう上司が結構多かった印象はあるが……その内の半分くらいは無理を言っているのを承知で言わざるを得ないって感じだったが……残りの半分は本気で言っていた。関係ない俺が聞いていても気分が悪くなるものも多かったな)


 言わざるを得なかったとしても、何も考えずに言ったとしても、下の人間には等しく嫌われるだけだけどなと口元を歪ませながら考えるセンは、おざなりな様子で釣り竿をしゃくる。


「そんな乱暴に動かしても魚は釣れないぞ?」


「魚の気持ちはわからん。ミミズがうねっていたら食いつくんじゃないのか?」


 センの言葉に少し呆れた表情を見せるレイフェット。


「お前は空からいきなり串焼き肉が降ってきたら食いつくのか?」


「……毒を食わせるなら自然にやれって事か」


「そういうことだ。自然に、より旨そうに……ってとこだな」


「……旨そうなミミズの動きは分らんな」


「揚げ足を取るなよ……」


 そう言ってため息をついたレイフェットが手に持った釣り糸をクイっと引くと、釣り竿の先がしなり川面から魚が飛びだす。


「セン、引き寄せるからタモで魚を……」


「いや、届かねぇよ」


 センは傍らに置いてあったタモを手に取るが、どう見ても一メートル程の長さしかない。

 岩の上からでは、どんなに身を乗り出したとしても水面にすら届かないだろう。


「あーそれ、魔道具だ。伸びるぞ」


 苦笑しながらレイフェットが言うと、センは目を細めながらタモを調べ、柄の部分を伸ばす。

 ぬるっとした感じで伸びていくタモが五メートルを超えた時点で、レイフェットが笑い声を上げる。


「おいおい、伸ばしすぎだろ?もしかして魔道具の扱いもあまり得意じゃないのか?」


「苦手なことが多くてな……そっちは何でも一人で出来るタイプか?」


 長すぎるタモを短く持ち、センはレイフェットが寄せてきた魚を掬う。


「そんな訳ねぇだろ。俺一人じゃ魚一匹手に入れることも出来ねぇよっと……お、中々の大物だな」


 掬い上げたタモから魚を掴み、口に引っかかっている針を外したレイフェットが鼻を鳴らしながら持って来ていた大き目の篭に魚を入れる。


「そりゃ良かった……ところで俺の持っていた竿もさっきからなんかブルブルしているんだが……どうしたらいいんだ?」


「タモを貸せ……あぁ、飲み込んだな。魚が餌を食いついた瞬間に竿を引いて、口に針を引っ掛けるんだ。でないと、針を飲み込んで……」


 レイフェットが針を押し込んで外すが、魚は口から血を流して動かなくなる。


「こうなっちまう。こうなると、まぁ、ちと不味くなるんだよな」


「あぁ……それはなんか聞いたことがあったな。すまん」


 センがそう言うとレイフェットはカラカラと笑う。


「まぁ、気にするな。最初はこんなもんだ。とりあえずボウズじゃなくて良かったじゃないか」


 そう言って籠の中にセンの釣った魚を放り込むと、再びレイフェットは仕掛けを投げる。


「センは……どこかの国の文官系の家系か?」


「ん?唐突だな?」


「農村出なら釣り位経験があるだろうしな……山歩きも慣れていない様だし、どこぞの貴族のお坊ちゃんかと」


「……俺ってそんな感じなのか?いや、山歩きも釣りも慣れていない自覚はあるが……だが、前も言った通りそういう感じじゃないぞ?」


 若干顔を顰めたセンがそう言うと、レイフェットは川面から視線をそらさずに言葉を続ける。


「一般の出と言っていたが……どうも俺の知る一般とは違う気がするな」


「なるほど……まぁ、俺の住んでいた所では一般ではあったが……仮に周りが全て貴族なら、そいつにとっての一般とは貴族の事だよな」


「……お前やっぱり」


「いや、冗談だ。しかし、なんでそんなことが気になるんだ?」


「別に本気でお前の出自が気になっているわけじゃないが……あのライオネルやサリエナに気に入られているのが不思議でな。あの時お前を娘と婚約させようとしていたサリエナは……かなりマジだった」


「……そうだな」


 センは冗談めかしながらも結構本気でぐいぐい来ていたサリエナを思い出す。


「あの時も言ったが……あのサリエナがあそこまで入れ込むのが信じられなくてな。正直気味悪いほどだ……お前何をしたんだ?」


「なんだろうな?」


 センがはぐらかし竿を振って仕掛けを川に投げ入れたのを見て、レイフェットが舌打ちをする。


「いいだろ?減るもんじゃあるまいし」


「領主の言葉とは思えんな。情報の価値は減るもんだ」


「……そういう所が一般人っぽくないってんだ」


 不貞腐れたようにレイフェットが言うと、センが皮肉気に笑う。


「なんだ?ご領主様の思し召しのままにってのがご希望だったか?」


「気持ちわるっ!」


 本気で吐きそうな顔になったレイフェットの耳がぴくぴくと動く。


「まぁ、別に教えてもいいんだが……ただで教えるのもな」


「……金か?」


「まさか、ゲームで決めよう。お前が勝ったら俺が何をしたか教える」


「ほう……面白そうだ。何で決める?釣りだよな?」


 獲物を見つけたと言った凄味のある笑みを浮かべるレイフェットに対し、センが眉尻を下げながら言葉を返す。


「いや……釣りは俺に不利過ぎるんだが……」


「くはは!いいじゃねぇか、ゲームを提案したのはそっちだからな。内容は俺に決めさせろよ」


「……まぁ、釣りに来ておいて他のゲームを提案するのも変な話か。じゃぁ、勝敗条件は俺が決めてもいいよな?」


「あまり変な条件にするなよ?」


 レイフェットが釘を刺す様に言うとセンが爽やかに笑う。


「当然、条件は五分五分になるようにするさ。釣果勝負にすると経験の差が出るからな……あぁ、そう言えば、さっきレイフェットが釣った魚って結構な大物って言っていたよな?」


「あぁ。めちゃくちゃでかいって程でもないが、結構いい大きさだな」


「よし、じゃぁ次に俺が釣った魚が、レイフェットがさっき釣った物より大きいか小さいかで賭けないか?」


「ほう?確かに公平だが……釣れなかった場合はどうするんだ?」


「その場合は記録なし、ゼロセンチってことで小さかったことにする」


「なるほど……で、お前はどっちに賭けるんだ?」


 レイフェットは睨むようにセンを見ながら問いかける。

 しかし、センは肩をすくめるとあっさりと選択権をレイフェットに渡す。


「勝敗条件を決めたのは俺だからな。そっちが先に賭けていいぜ?」


「なら、小さい方に賭ける。釣れない可能性が一番高そうだしな」


 センが先に賭けることを譲ったことに一瞬目を丸くしたレイフェットだが、すぐにどちらに賭けるかを決める……と言うよりもレイフェットが勝つには小さい方に賭けるしかない。

 センの釣果によって勝敗を決める以上、センにはワザと釣らないという選択も出来るということだ。その事に気付かないセンでもレイフェットでもない。

 レイフェットがゲームを決め、センが勝敗条件を決め、レイフェットが先に賭ける。

 ここまで予定調和ではあるが、レイフェットの方がかなり有利ではある。しかし、運に任せるという状況にしたという事で、五分五分の条件と言えるとレイフェットは考えた。


「了解だ。あ、奇跡的に同じ大きさって可能性もあるな。その場合はどうする?」


 センが念の為と言った感じで確認すると、レイフェットが少しだけ考えるそぶりを見せた後に応える。


「その場合は大きかったってことにするか。釣れなかった場合は俺の勝ちになるし、その方が公平だろ?まぁ、同じ大きさの方が珍しいと思うが」


「それもそうだな。ところで俺が勝った場合にどうするかは聞かなくていいのか?」


 センが尋ねるとレイフェットは豪快に笑い飛ばす。


「くはは!この条件で負けるなら何でも言うこと聞いてやるよ!」


「よし、二言はないな?」


「おう」


「じゃぁ、気合入れて釣るとするか。釣れなかったら白けるしな。あ、邪魔はするなよ?」


「邪魔なんかしねぇよ。だが白けてもいいから釣れなくても構わんぞ?」


 レイフェットの言葉に口元を歪ませたセンは、話している最中も垂らしていた仕掛けを引き上げた。


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