二.レイカ先輩

 中学入学からの数日間は、めまぐるしく過ぎていった。

 初めての制服、初めての学校指定カバン。授業の内容は小学生の時よりぐっと難しくなり、先輩たちはとても大人びて見えた。

 体育の授業も、小学校の時と違って本格的なものが多くなった。そして肝心の部活動はと言うと――。

「あと往復ダッシュ十本! オラァ! 気合を入れろ一年坊主ども!」

『はい!』

 結局、アツシはエイジに説得されてバドミントン部に入部していた。

 既に入部から数日。アツシ達一年生は毎日毎日、先輩の指導の下で基礎練習をさせられている。

 ウワサ通り、この学校のバドミントン部のレベルは高い。先輩達のプレイを見ていれば、それは嫌でも分かった。だが、アツシだって負けていないはずだった。練習試合でもすれば、何人かの先輩には勝てる自信があった。

 けれども、「一年生は初心者、経験者関係なく、しばらくの間は基礎練習」というのが部の伝統らしく、まだ一度もコートに立たせてもらえていなかった。

 学校外のクラブと違って、部活動とやらはどうも面倒くさいルールが沢山あるらしい。アツシは早くもうんざりし始めていた。女子部とは練習場所が離れているらしく、レイカともほとんど会えていない。つまり、楽しみがない。

 エイジと二人だったなら、お互いにグチを言いながら楽しくやれたはずだったのだが、彼の姿はない。

 そのエイジは、まだ病院通いの毎日だ。下校時刻になると親が迎えに来て、雑談もそこそこに病院へ向かっていた。梶原中では生徒は全員なんらかの部活に入らなければならないのだが、エイジは通院の為に、それを免除されている。

 朝は一緒に登校しているけれども、帰りはいつもバラバラだ。

 少し寂しい気持ちもあるが、同時に「助かった」という気持ちもある。――エイジと何を話していいのか、今のアツシには分からないのだ。

 以前なら、バドミントンのことが九、他のことが一くらいの割合で、有意義なことから下らない雑談まで、遠慮なしに何でも話すことができた。

 だが今は違う。できればバドミントンの話題は避けたかったし、さりとて他に話題がある訳でもない。

 二人はいつもバドミントンで繋がっていたのだと、今更ながら思い知る。

 ――このまま、お互いに疎遠になっていってしまうのだろうか。

 ぽっかりと胸に穴が開いたような気持ちのまま、アツシは単純で退屈な基礎練習の日々を消化していった。

   ***

 基礎練習ばかりの部活が終わり、アツシは一人、帰り道をとぼとぼと歩いていた。

 梶原中学は山間にあるが、緑豊かなのは道向かいの山だけだ。学校の裏手の山はすっかり開発されていて、大きな住宅地が広がっている。

 ほとんどの生徒はその住宅地の出身だ。上り坂がきついのが欠点だが、少し歩けばすぐに家に辿り着くので通学環境は良好と言えた。

 対して、アツシやエイジの家は裏山の住宅とは反対方向、学校から一キロメートルほど離れた県道沿いの住宅地にある。一応バスも通っているが、本数が少ないので歩いた方が早く帰れる。

 学校付近から県道まで伸びる市道は、道路も歩道も無駄に広くきれいに整備されている。山の住宅地が開発された時に一緒に整備されたので、街灯や街路樹の数も多い。細くてろくに歩道も無い道路が多い鎌倉の中では、恵まれている方だった。

 けれども、その立派さに反して人通りはとても少ない。お店もほとんどないので、学校からどこかへ買い物に行こうと思うと、県道沿いのスーパーやコンビニまで行かなければならない。つまり、片道だけでも一キロほど歩く羽目になる。

 静かで空気のおいしい場所だったが、不便は不便だ。一人で歩いていると、何だか寂しくなってくるし、不安にもなってくる。おまけにまだ四月なので、もう日が暮れはじめていて辺りは薄暗い。

 何年か前には、アツシくらいの歳の男を狙ったチカンなんてものも出たことがあるので、ちょっと怖くもあった。

 と――。

「ヨーッス! アツシくん!」

「わぁっ!? ……って、なんだレイカ先輩か。驚かせないでくれよ」

「んん~? チカンかと思った? まあ、アツシくん結構かわいい顔してるからねぇ~。暗い道には気を付けないと」

「いや、先輩の方こそカワ……女子なんだから気を付けないと」

「そーだね。じゃあ、一緒に帰ってくれるかな?」

 レイカが可愛らしく小首をかしげて尋ねてくる。それに合わせて長いポニーテールがゆらゆらと揺れた。憧れの先輩に誘われて、断る理由はなかった。

   ***

 薄暗い歩道をレイカと一緒にとぼとぼと歩く。

 レイカの家もアツシやエイジの家の比較的近所にある。だから、バドミントンクラブの帰りにエイジと三人で一緒に帰ったことは沢山あった。だが、二人きりというのは初めてかもしれない。しかも今は二人とも制服のブレザー姿だ。なんだか不思議な感覚だった。

「ねぇアツシくん、部活の方はどう?」

「どうって……まあ、普通ですかね。まだコートに入れてもらってもないし。よく分かんないです」

「あ~、そういやそうだね。うちの部、強いは強いんだけど、方針が昔っぽいんだよね~。実力ある人はすぐにでもコートに入れればいいのに」

「そういう先輩の方はどうなんです? 先輩くらいの実力があれば、やっぱり一年の頃からレギュラーなんじゃ」

 レイカの実力は、クラブの同年代の中でもピカイチだった。中学に入っても十分に通用していることだろう。そう思ってアツシは言ったのだけれども、レイカの表情は暗かった。

「ん~、そうか。アツシくんには、まだ言ってなかったね。実はね、アタシ選手やめたんだ。今はマネージャー」

「ええっ!? な、なんで?」

「えへへ、ちょっと色々あって……ね? 一番はやっぱり、『よけいなお肉』が付いちゃったことかなぁ。なんだか、体全体のバランスが悪くなって、上手く動けなくなってきたの」

 言いながら、レイカは自分の胸の辺りを両手でモミモミと動かし始めた。

 ……今まで気にしないようにしてきたが、レイカの「それ」はとても大きいようだった。よく見れば制服の上からでも分かる大ボリュームだ。それが今、彼女自身の手の中で変幻自在に形を変えていた。

 ――ドキドキして、顔どころか全身が熱くなってくる。

「ンンッ! 先輩、あの……オレも一応男子なんで、目の前でそういうことされると……ちょっと……」

「あっ!? ご、ごめん! アツシくんとは小っちゃな頃から一緒だから、つい……」

 慌てて手を引っ込めると、レイカは顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。

 そこからしばらくは無言のまま、なんとなく気まずい空気が流れる。

 いつの間にか県道も近付いてきている。つまり、楽しい下校時間は気まずいまま終わってしまうらしかった。レイカと楽しくお話していただけなのに、どうしてこうなった? と、アツシは答えのない自問自答を心の中で繰り返していた。

「あ、いっけない! アタシおしょうゆ買ってくるように言われてたんだった! ちょっとスーパー寄っていくから、今日はここでね! また明日~」

「は、はい。また明日……」

 県道近くのスーパーの前まで来たところで、レイカはわざとらしくそんなことを言って、逃げるように駆け出して行ってしまった。

 目と鼻の先には、多くの車や人が行き交う県道があって賑やかなのに、何だかとても寂しい場所にいる気分になる。

「……オレも、コンビニでも寄ってから帰るか」

 なんとなくまっすぐ家に帰る気にならず、アツシは少し寄り道をして県道沿いのコンビニへ向かうことにした。

 そこに「運命の出会い」が待っているとは、知らないまま――。

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