第2話 邂逅

『ろ……楼ヶ峰研究所からたった今!!!い、一体のホムンクルスが脱走しました!!』


外を往来する研究員や学生たちは皆一様に驚嘆し、戦き、逃げ惑う。キャスターからも笑みは消え、目の前に現れた巨大なゴシップの種に意識が切り替わる。


そして埜乃華は……皆逃げていく中、一人ホムンクルスの下へと静かに歩みを進め始めた。



『ち、ちょっと…‥樋口さん!?』



「おいおいマジかよ!!危ねぇって埜乃華!逃げろ逃げろ!!」



思わずテレビに飛びつき、届きもしない声を上げる。すると、再びスマホから彼女の声が聞こえてきた。



『ひっどいなぁ……怪物扱いじゃん。そんなに埜乃華が心配?』


「お、お前……この画面に映ってるホムンクルス……なのか!?」


『そうだよ?言ったじゃんテレビ見ててねって!ほら!今手振ってるよー!』



その声とほぼ同時に。画面上のホムンクルスも手を振る。……間違いない。今俺が話しているのは、たった今日本最高峰の研究所から脱走を遂げた一人のホムンクルスだ。



「ほぼ完全な言語習得と異常なまでの身体能力………って……ホムンクルスの中でも最上位ランクだぞ……!それが拘束措置ホルダー無しで脱走なんて……」


『最上位ランク!?い、今褒めてくれたの私の事!?照れるなぁ~~!ふふ、直接会ったらもっと褒めてね?』


「は!?ち……!?ど、どういう意味だよ!!」


『そのままだよ?今から哉太の家に行くね。すぐ着くからちょっと待ってて!』


「何訳分からんことを……!!早く研究所に戻れ!!これ以上被害出すな!!……お前だって下手すりゃ殺処分になっちまうぞ!!?」


『あは……優しいなぁ哉太は。ホムンクルスなんかの心配までしてくれるんだぁ。……だから好き。大好き。絶対に会いに行くからね』



その時、テレビに視線を戻すともう既に埜乃華はホムンクルスの眼前へとたどり着いてしまっていた。


カメラに背を向けており距離もあるためはっきりとは聞き取れないが、微かに会話の内容が耳朶に触れる。



『”哉太”って言ったの……?今……。何故アナタが哉太の事を……』


『当たり前じゃん。私は埜乃華から造られたホムンクルスだよ?……史上最年少で、史上初めてホムンクルスを生み出した、天才科学者の埜乃華ちゃんから……ね』


「自分の体細胞から!?………人間から直接生み出す行為は……禁忌の筈じゃ………」




ホムンクルスは、国家で管理するから生み出される必要がある。それは遥か古に生きた怪物と、当時の人間との混血種、その遺体から採取した細胞。


この段階でも極めてグレーであるが……現段階で生きている純血の人間の細胞を用いたホムンクルスは、生命倫理的にクローンとほぼ同義になってしまうため、原則禁忌とされている。




『埜乃華の記憶も全部私は引き継いでる。哉太との記憶もね。……これを機に言っておくけど、私の邪魔するなら普通に皆殺すから』


『どうして……?培養液の中に閉じ込めていた訳じゃない。私達と同等の食事や娯楽物を提供していた筈でしょ!?不満があるなら最大限の事は……』


『どーでもいい。環境の問題じゃない。……埜乃華が一番分かるでしょ。んじゃ、もう行くから』


『待っ………ねぇ!!!待って!!』



彼女を嘲笑うような笑みを浮かべて、ホムンクルスは地を蹴る。その跳躍と速度は凄まじく、十数メートルはある左方の研究棟に飛び移り、瞬く間に這いあがって屋上へと去って行ってしまう。




『くっ………!』




放心する事無く、埜乃華は右耳に装着している黒いイヤーカフを二度指先で叩く。……どうやら通信機の機能を兼ねているらしく、明らかに焦りを孕んだ声色で通信先の人間に向かって声を上げた。




『東棟警備班、たった今南棟からホムンクルスが脱走。麻酔針搭載の追跡ドローンを飛ばして、半径10キロ圏内の市民対象の避難警告。そして今から言う区域3ヶ所にそれぞれ50人体制の処理班を送って散開させて。……最悪の場合、行動不能状態までの攻撃を許可する』


「………埜乃華………」


『それと……』



唐突に、彼女は振り返り元居た場所へと走る。未だ興奮気味で実況を続けるキャスターを容赦なく突き飛ばすと、カメラを思い切り掴み……画面に鼻が付きそうなほど近づいて、懇願するように訴え始めた。



『富和哉太!!一度電話切って!!!』


「えっ!!?は……はい!!?」


反射的に、ホムンクルスと繋いでいた電話を切ってしまう。


『彼女の電話相手が哉太なら、一部始終見てたでしょ!!?……多分あの子は哉太の所に向かってしまった。君にだけは傷を付けないだろうけど、絶対とは言い切れない!!今すぐ逃げて!!』



「にっ………逃げるったって………!どうすりゃいいんだよ………埜乃華……」




さっきからもう訳が分からない状況が続き、脳のキャパシティはもう一杯だった。突然の脱走、埜乃華の倫理規則違反、そして何故か俺の所へ向かってくるホムンクルス。現実に今起こっている事なのか!?


どうしていいか分からず部屋の中を徘徊するようにウロウロする。


取り敢えず外に………




「見ぃーーーーーーーーつけた」




方向は背後。ベランダのガラス戸一枚を隔てて声が聞こえる。絶対にあり得ないと必死に己を騙そうとするがその声は、通話越しのノイズが取り除かれ明瞭になった……あのホムンクルスのものに違いなかった。




「ごめんね!遅くなっちゃった!……悪いんだけど、ちょっと開けて貰えるかな?」


「………ハァ………ハァ……」



どこかで夢か何かだと思っていた事が今こうして現実として叩きつけられている。俺の後ろにいるのは、一瞬にして超堅牢なセキュリティで守られた楼ヶ峰研究所から脱走し………数十キロも離れたこの場所へとほぼ1分以内に辿り着いた………最上位のホムンクルス。



「ねぇ哉太ー?あけてーー?うーん……壊すとガラス飛び散っちゃって危ないから、中から開けてーー?」


「………開けなかったら……どうするつもりだ」


「え?あ、開けてくれないの!?どうして……?……………あ!もしかして照れてる?……ふふ、埜乃華の記憶を見るに……哉太って彼女とかいたことないんだもんね!!あはは!大丈夫だよ?私が哉太の初めての彼女になって、色々教えてあげるから!…………でも、どうしても照れちゃって開けられないんならー……取り敢えず管理人さん的な人を殺して鍵貰って玄関から上がらせてもらうね!!」


「っ………!!」



……戦慄した。という発言そのものにではなく、その発言の意図が事に。彼女はあくまで、俺の部屋に入るための通過すべき手段として……当然の様に殺害が選択肢に入っている。


異常では済まされない彼女の力を以てすれば、数十人どころか数百人単位での殺人すら造作も無いだろう。……そしてそれが実行されるかどうかは恐らく……俺の行動次第だ……。




「わ、分かった。今……今開ける」


「ほんと!?じゃあお願いしまーす!」



………静かに、錆びた歯車の様に後ろを振り返る。


そこには、先程テレビで見たままの……白い布に覆われた、埜乃華の姿をしたホムンクルスが……無邪気な笑みを浮かべて立っていた。




「………」



固唾を飲みながら近づき、掛けられたロックを外す。………震えそうになる手でガラス戸を開けると、その瞬間、彼女は即座に部屋へと入り……あろうことか俺の身体に思い切り抱き着いてきた。



「うぅぉおっ!!?」


「ああぁああぁ………!!哉太ぁ………!………会いたかったぁ!!」



首の後ろに手を回し、何から何まで密着され身動きが取れない。と同時に、こんな切羽詰まった状況でも……女性の容姿をしたホムンクルスに抱き着かれているという事実に本能的な動悸が起こってしまう。なんて情けないんだ。



「えへ……本当は押し倒しちゃいたいけど、そんなことしたら危ないもんね。安心して?絶対に痛い思いさせないし、何から何まで私が護ってあげるからね?」


「ぐっ………!!!ちょっ………っと一旦待てぇ!!!」



全力で恐怖と一抹の煩悩を跳ね除け、彼女の拘束から逃れる。


………彼女が本気を出せば、俺なんぞの力では到底逃げられないし、一瞬で体など潰されているだろう。そのことからも、少なくとも現段階では俺に危害を加えないという発言は真意である可能性が高い。



「あーあ、また照れちゃって。でも確かに……いきなり抱き着かれるのはハードル高かったかもねー」


「そういう事じゃねぇ!!!お前……今どういう状況か分かってるのか!?さっきのテレビの映像で、全国民にホムンクルス脱走が知れ渡った!!しかもあんだけ攻撃性アピールぶちかました逃げ方しちまったら捕獲班じゃなくて班が来る………!世論含めてお前の安全が消え去っちまったんだぞ!?」


「いいよ?別に。多分全員殺せるし。どのみち研究所にいても哉太に会えないんじゃ死んでるのと一緒だしねー」


「また……殺す……なんて言いやがって………」



………いや、彼女の一連の行動を見るに、研究所は彼女の教育に対して”戦闘能力”という一点に絞って取り組んでいたのかもしれない。対人における倫理観など一切度外視して。


だとしたら……、ここで一方的に恐怖するのは愚行だ。死に急いでいる彼女をなんとか庇護し、殺処分だけは避けさせなければ……。



「ん?どうしたの哉太……難しい顔して……」



堅く決心した俺は、徐に彼女の手を掴み詰め寄る。



「えぇっ!!!??ど、どうしたの!?か……哉太……?」


「逃げよう!!出来るだけ遠くに!」



何故か顔を赤らめ始める彼女。手に汗も滲み、全身を震わせ体温も次第に上昇しているのを感じた。どうしたんだ急に。




「は…………はい……」


「だがこれだけは約束してくれ。絶対に民間人や研究員達に危害は加えないと。無論、殺すのなんて絶対にダメだ。お前と同じく、皆尊い命なんだから。……頼む」


「かっ…………哉太ぁ…………!」



再び、俺に重力場でも発生したかの勢いで抱き着いてくる。醜い呻き声を上げ抵抗するが全く剥がれない。………そんな中、はるか遠くの方で……微かにだがサイレンの様な音が聞こえた。



「まずい……早速動き始めた………!!!おい!!行くぞ!!………ぐっ………ぐぉ……おおおぉぉおお!!」



密着の限りを尽くす彼女をなんとか体勢だけでも無理やり変えさせ、正面から抱える所謂横抱きの状態にまでもっていくことに成功した。

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