第24.5話 死にたい俺の現実

「……寝たか?」


 琴葉ことのはさんが目を閉じて十数分。言葉をかけても反応を示さない。どうやら眠ったらしい。


 名残惜しいが琴葉ことのはさんの右手を布団の中に入れて席を立った。


「おやすみ」


 部屋の電気を消して部屋を後にする。途端に緊張の糸が途切れ息が零れた。


 ほんとうに理性が持ってくれてよかった。琴葉ことのはさんは俺のことを男と見てくれてるのだろうか。一緒に風呂へ入ったり、寝るまで付き添わせたり。もし俺が襲ったら……なんて考えないのか?


 それだけ信頼を寄せてくれてるってことなんだろうけどさ。


 複雑な心境のまま靴を履いて外に出る。そこで重要なことに気付いてしまった


「そういや鍵どうするんだ?」


 もちろん俺は鍵を持っていない。つまり俺がこの家から出れば、一晩ここの出入りが自由になるのだ。


 女性のひとり暮らしで夜に鍵が閉められていないなんて、不用心極まりない。だったら安全面を考慮して俺がここに泊まるべきか?


 …………なんて、家に帰りたくないからか変な言い訳考えてしまったな。


 自分の思考回路に呆れて白い息を吐く。


 この現代日本において空き巣はそう多くない……はずだ。データがあるわけではないがそういう事件をあまり耳にしない。一晩ぐらいこのままでも大丈夫だろう。


 それともこういうのを平和ボケと言うのだろうか。


 浮かれていた心を冷ませるように夜風が襲いかかってくる。今では温かかった手も随分冷たくなっていた。まるで先程までの幸せな記憶が夢だったかのような錯覚を覚える。


 でも、夢じゃなかったんだよな。


 最寄り駅に向かう電車に乗り、確かめるように両手を見つめる。


 俺よりひとまわり小さくて、柔らかくて、温かい手。少し力を込めれば壊れてしまいそうで怖くもあり、だからこそ守りたくなる。


 『フォレスト』で全部じゃないだろうけど、過去の話を聞いたのも原因かもしれない。


 世の中あんなにも凄惨な過去を持っている人だっているんだ。それに比べて俺の家庭の事情なんてありふれたもの。そんなものに絶望するなんてアホくさくなってきた。せめて高校卒業ぐらいまでは耐えてみせる。


 今を立派に生きている彼女に敬意を示すように、力強い一歩で電車から降りた。


 そのまま住宅街の歩き慣れた道を辿る。自分の家に赤い車が止まっていても俺は迷わずドアを開けた。


 『ただいま』は言わない。どうせ『おかえり』が返ってこないんだから。


 リビングに足を向ける。部屋を開けてまず感じるのはアルコール。換気をしていないせいか、匂いが篭っていて頭がクラクラする。


「あ~? やっと帰ってきたのか」


 あぐらをかいていた”男”がのそり立ち上がりこちらへ近づいてきた。俺が何もせずに見ていると”男”は大きく拳を振り上げる。


「──かはっ!?」


 拳が見事に腹部へ直撃し思わず膝を付いた。激痛に顔を歪めても”男”はやめず今度は横腹に蹴りを入れられる。


「まったく、何度言えば分かるんだ。オレが帰るまでに粗方家事は終わらせろ」

「す、すみませ……」

「声が小せえ!」

「ぐっ……」


 変な抵抗はせず、されるがまま理不尽な暴力を受け入れる。普段ならここで終わるはずなのに今回は攻撃が緩まない。


「くそっ! くそっ! あの上司、オレにクレーマー押し付けやがって! オレをこき使いやがって!」


 暴言を吐き散らし、日頃の鬱憤を晴らすように踏みつけられる。どうやら今日は仕事でトラブルがあったようだ。


 いつ終わるか分からない暴行に必死に耐える。全身の痛みで痺れてきた頃、スッキリしたのかタバコの匂いと共に足が退けられた。


「はぁ……とにかく飯作れ。風呂上がる前に用意できなかったら分かってるな?」


 一方的な言葉を吐き捨てられて俺は痛む体を起こす。このまま自室に戻り休みたいが、そんなことは許されない。冷蔵庫から食材を取り出して夕食の用意を始める。とはいえ、時間がないので簡単な生姜焼きだが。


 ご飯は炊いてないので昨日冷凍していたものを解凍し、サラダを生姜焼きの横に盛り付けて一人分の夕食完成。俺の分は時間があれば後で作ろう。食事より今は休みたい。


 俺はすぐ部屋に向かうととベッドに全体重を預ける。このまま眠ってしまいたい……が日課があるのでまだ眠らない。


 ただ、まだ今はこのまま休ませてほしい。

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