第53.5話 死にたい俺の過ち

「あ~疲れた」


 昼からのバイトを終えて家路につく。その足取りは軽かった。明日はクリスマスイヴで店が忙しくなるが、明後日は琴葉ことのはさんと映画を見に行く予定だ。


 あの映画は気になっていたので、見る機会を貰えてよかった。しかも琴葉ことのはさんと二人でクリスマスに。


 これで喜ばない男はまず存在しないと思う。


 気分よく玄関のドアを解錠して引っ張る。しかし開かない。嫌な予感がした。


 もう一度鍵を差し込んでみると、心なしか鍵が開く音が聞こえた気がした。つまり、先程は開いていたのだ。バイトへ行く際に締めたはずなのに。


 靴置き場で”男”のものを見つけてしまい、帰宅時の幸福感が消え失せた。思わず嘆息してしまう。


 今日の”男”は朝から遊びに出かけたので油断していた。もう帰っているなんて。また飯が出来てないことで怒鳴られるのだろうか。


 急いだところで無駄なので普段のように歩いてリビングの扉を開ける。するとこれまでにない程の強いアルコール臭が俺の鼻を刺した。


「うっ……」


 その臭いにやられ頭がクラクラする。床には様々な酒の空き缶や空き瓶が転がっており、何が原因かは明白だった。


 机にはおそらく酒とつまみが入ってるビニール袋。一目見るだけでいつもの倍は多いことが分かる。けど”男”がこの部屋にいないのは幸いだ。


 俺はすぐに窓を開けて部屋の換気をする……が。


「おい」


 声と共に背中から衝撃が走る。もはやその衝撃には慣れたもので痛みを感じても声は出ない。振り返ると顔を真っ赤にしている”男”がいた。


「オレがトイレに行ってる間に何やってんだ。部屋が冷えるだろうが。それより早く飯を作れ」

「……はい」


 しぶしぶ窓を閉めるとキッチンに向かう。後ろからビニール袋を漁る音の後にプシュッと缶を開ける音がした。あんなに飲んだのに今日はまだ飲むらしい。


 仕事が上手く行ったのか、はたまた今日が何かの記念日なのか。そんなのは俺には関係ないが。


 今すぐにでもこの空間から出たいため、すぐに作れる焼きそばの材料を冷蔵庫から出す。麺を炒め、野菜を切っていると足元に空き缶を投げつけられた。


「おい! 飯作るのが遅いんじゃないか?」

「すみません」

「あー使えねぇ。まぁ今日ぐらい許してやってもいいか。はっはっは!」


 豪快に笑って見せびらかすように白い封筒を振る。一体何がしたいのだろうか。


「いやぁ、お前に駄賃あげた記憶はないんだが、どうやってこんな額貯めたんだ? どうせ食費で浮いた分を自分の金にしてたんだろ? 元々は俺の金なんだから没収させてもらったぞ〜」


 まさかと思いその封筒を凝視する。そこら辺で売っているような白い封筒。しかしそれには見覚えがあった。


 杞憂であると願いたい。だが最悪の状況が頭に浮かんでしまい、その封筒を指す指は震えていた。


「それって、俺の部屋にあったのか?」

「何を当たり前のことを。せっかく大金が手に入ったんだから今日は豪遊しようと思ってな」

「じゃ、じゃあその金は今どこに?」

「ないぞ。ていうか、この金は俺の……」

「──違う! 俺がバイトで稼いだ金だ!」


 大声で反論する。しかし俺の必死の叫びもやつは笑って受け流した。


「ははは、何を言いやがる。お前にバイトの許可を出した覚えはねぇよ」


 確かにそんな話はしていない。でも人の部屋を勝手に漁ってお金を盗むなんて。しかも大学受験後の生活のために貯めていたお金を……。


 右手を固く握りしめる。その手に握っているものを見た瞬間、何かが壊れる音が聞こえた。


 もう貯めてきた金はない。受験が成功してもその後通えるかどうか分からない。こいつは俺に大学へ行かせない、奨学金の許可も出さないと言ったんだ。


 だったらこれ以上頑張っても……。


 俺は右手に持っていたものを構え、静かに無防備な背中へ近づく。


 そして――


 俺は飛び起きた。


「はぁ、はぁ、はぁ……くそ」


 またあの夢だ。手に染みついて離れない感覚、アルコールと血が混じった吐き気を催す悪臭。


「――かは、かは」


 胃液の酸味と苦味が口いっぱいに広がって気持ち悪い。喉が焼けるように痛む。


 走って洗面所に向かい口を洗った。


「ははは、情けない顔だな」


 鏡に映っている顔を見て自嘲気味に笑ってしまう。いつまでこんな思いをしないといけないんだ。


 自首したら消えてくれるだろうか。いや、いっそのこと死ねば……。


『うん、そのときはね』


 琴葉ことのはさんの声が脳裏によぎった。そう言えば俺、あんな約束したんだったな。今更だと思われるかもしれない。一度断ってしまったから来てくれないかもしれない。


 だけど俺は今の答えを聞きたいと思ってしまった。

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