睦まじき変人夫夫に降りかかったとある幸福について
aoiaoi
小さな違和感
「……なんだか変だ」
俺は、最近気づけばよく口にするこの言葉を、また呟いていた。
頭痛と、軽い目眩。倦怠感。
まあ、誰にでもたまにはある、と言えばそうなのだが……
その症状が繰り返しやってくる、とでもいうのだろうか。
忘れた頃に再びやってきて、ふと気づけばそんな不快感にまとわりつかれている。
神岡工務店の採用面接を受け、俺が社会人としてスタートしたのは、去年の10月だ。
それと同時に、恋人である神岡とこの部屋での二人の生活も始まり……今は、2月の頭。新生活5ヶ月目、ということになる。
当然のことながら生活環境は目まぐるしく変わったし、それなりに仕事の疲労やストレスも蓄積してきてるし……多少の不調なんて当たり前、くらいにしか思っていなかったのだが……
定期的にやってくるそんな体調の乱れが、俺は少しずつ気になり始めていた。
「……三崎さん?」
神岡の秘書である菱木さくらへ依頼された書類を届けに来たのだが、今日も朝からずるずると頭が痛い。
スッキリしないまま、書類の中身を確認する彼女の手元を何となく見つめていたら、不意に書類から目を上げた菱木に名を呼ばれ、はっと我に返った。
「…………あ、はい?」
「どうかされましたか? 何だか冴えないお顔で……少し、いつもと様子が違うような……」
「あ、いえ……朝から何となく頭痛で。最近、時々あるんです」
鋭い菱木に体調を読み取られ、俺はボソボソとそう答える。
「あ、それ辛いですよね。女はそういうのしょっちゅうだから、よくわかります。
そうだ、私頭痛薬持ってますから、よかったら差し上げましょうか?」
菱木はそう言うと、パッと明るく微笑んだ。
こういう体調の時は、こんな何気ない優しさが有り難い。
「ありがとうございます。助かります」
「顔色もあまり良くないようですし……あまりご無理はなさらないでくださいね」
確かに……こんな風で仕事をミスったりしたら大変だ。
自分の席へ戻りながら、俺は取り留めなくそんなことを考えていた。
*
「柊《しゅう》くん、最近少し元気ないような気がするんだけど……どうしたの?
何か、心配事とか……?」
2月初旬の、ある金曜の夜。
夕食のテーブルで、神岡はいつもの優しい瞳を少し不安で曇らせ、俺の顔を覗き込んだ。
「……え?
あ、すみません。
いいえ、大したことはないんですけど……」
ちょっとぼーっとしていた俺は、彼の言葉にふっと引き戻され、曖昧に微笑みながらそう返した。
「……けど、何か気になってるんだよね?」
彼は、いつになく真剣な眼差しで俺の表情を窺う。
「——えっと……。
実は、最近時々体調がすっきりしないことがあって……頭痛とか、軽く頭がふらついたり……
仕事やいろいろの疲れかな、なんて思うんですけどね。何日か我慢するとふっと良くなるので、大したことじゃないんです」
彼の眼差しの強さに、俺は誤魔化しきれなくなってそう答えた。
「それは、いつ頃からなの?」
「うーん……去年の11月とか……その頃……かな?」
「そうか……」
彼は、手にしていた箸を置き、少し考えるようにしながら呟く。
「去年10月、うちに入社する前に、健康診断は受けたよね。
その時には何の異常もなかったから……こんな短期間に、何か深刻な状況になっていたりはしないはずだけど……
一度、うちの会社付きのドクターに診てもらってみようか?」
「…………」
俺は、気にしないようにしていた不安が目の前に現れたような気持ちで、神岡を見つめた。
「心配ないよ。大丈夫。
でも、大切な君の不調を放っておいたりはできない。
それに、うちの佐伯先生は、何でも相談できる信頼の置ける女性だ。
彼女には、僕と君の関係などもちゃんと前もって説明しておくから。……その上で診てもらえた方が、安心だよね?」
神岡は、そう言いながら俺を見つめ、いつもと変わらぬ笑顔で微笑んだ。
「……ありがとうございます、樹《いつき》さん。
それなら……一度、受診しようと思います」
彼の落ち着いた言葉に、俺の気持ちも急速に和らいでいく。
やっぱり、心のどこかで、いろいろなことがもやもやと不安だったんだ。
こうして、穏やかに心を支えてくれる人が側にいる幸せを、俺は改めて感じていた。
*
その2週間後。
俺は、社内にある医務室で診察を受けていた。
「初めまして、佐伯です。どうぞよろしく。
神岡副社長から、お話はお伺いしています。……副社長、こんな可愛い恋人が社内にいらっしゃったなんて。少しも知りませんでした」
表情も体つきもふっくら丸く優しげな中年の女性が、そう言ってふふっと微笑んだ。
「……三崎です。よろしくお願いします」
俺は、緊張と照れの入り混じった複雑な顔で挨拶を返す。
「問診表、見せていただきましたが……頭痛と倦怠感、軽い目眩……。そういう症状が時々、3ヶ月くらい前から……っていうことね」
「はい。
……それから……ちょっとそこには書かなかったんですが……」
「ん?」
「あの……ほんと変な話なんですけど……
それに合わせて、じっ、痔の症状も出る……とか……そういうことって、あります?」
俺は、思い切ってその奇妙な事実も伝えつつ、恐る恐る佐伯を見た。
「……っていうのは……
出血とか、そういうこと?」
「そうです。ほんのちょっとなんで、あまり気にしてはいなかったんですが……連動してることは確かなようなので、話しておいたほうがいいかな……なんて思って」
「……んーー……なるほどね」
佐伯は、カルテにそのことも書き記しながら、何か考えを巡らせているようだ。
「……三崎さん。
今すぐに結論を出したりはちょっと難しいみたいだから……一度、詳しく検査してみましょうか?」
しばらく考えた末にカルテから顔を上げると、彼女は穏やかに微笑んだ。
「えっ……そ、それは……」
自分の表情が、にわかに強ばるのを感じる。
「あ、大丈夫。そんなに心配しないで。
……んー、ちょっとピンときた感じはあるのよ。……でも、もしそうだとしたら、俄かには信じ難いことなのよね。
それに、検査もしてみないと詳しいことはわからないし……だから、今はまだ話さずにおこうと思うけど。
……もし、私の見立てが正しければ……もしかしたらこれは、喜ぶべきこと……になるのかしら?
あなたにも、副社長にもね……ふふっ」
佐伯は、そんな謎めいた言葉とともに、何やら悪戯っぽいウインクをぱちっと俺に投げてよこした。
その夜。
俺は、その日佐伯に言われたことを神岡に説明した。
「俄かには信じ難くて……君にも、僕にとっても、きっと喜ばしいこと……?」
心配ないとは言いながらも、気になっていたのだろう。神岡は、俺の言葉を真剣な面持ちで聞いていた。
「ええ。詳しい話はもっとよく検査してから、と言われましたが……先生、なんだかちょっと楽しそうな顔してたなあ」
「んー……なんだろう? まるでなぞなぞみたいで、見当もつかないな……
でも、とりあえず深刻な話をされたわけじゃなくて、本当に良かった」
そう言って、彼はやっと安心したような笑顔を俺に向けた。
この時は、俺も彼も、まだ知るはずもなかった。
俺の身体に、とんでもなくぶっ飛んだ異変が起こりつつあることを。
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