11

 静かに舞い降りる雪はまだ続いていた。


 親方の家を出て南西に向かう。途中、先ほどの酒場がある。そこまでの道すがらスズメがいないか道端や、屋根の上に目をらした。


 名前を付けておけばよかったと後悔したが、もう遅い。声を出して呼ぶことはできない。まして追われる身ともなれば目立つことはできない。


 ここを左に行けば少女の住む路地裏へ回り込むことができる、だけど親方は少女のところへは行くなと言っていた。


「俺の言いつけを守るんだぞ」

親方と最初にした約束だ。でも、気になる。


 ちゅんちゅん……


 えっ? と振り向くとすぐそこの窓枠にスズメが縮こまってちょこんと留まっている。手を伸ばすとすぐに乗ってきた。


「ごめんよ、さっき走ったときに振り落としちゃったんだね」

慌ててふところに入れる。が、スズメは羽ばたいて肩にとまると、また頬をツンツンした。


「そこにいたいのかい? そこじゃ寒いのに……それに急いでいるんだ」

懐に入れようと手を伸ばしても、今度は乗ってこない。仕方ないな、と歩き始める。


「落ちるんじゃないよ」

 フルフルと体を震わせ、頬に身を摺り寄せてくる。見つけられてよかった、心からそう思った。その時……


 スズメは飛び立ち、オイラが行こうとする道とは違う道に向かっていった。驚いて立ち止まると、ちゅんちゅんと鳴きながら羽ばたいてオイラを待っているようだ。


 その道は少女がいたあの路地へと続いている。少女に会いに行けと言うのか? 迷いはわずかだった。今を逃せば、もう二度と会えないだろう。


 親方ごめん、言いつけを守れない。オイラはスズメの後を追った。


 とうに番頭さんが役人のところへ連れて行ったはずだ。少女に会える確率は低い。それに……ひょっとしたら少女はもう、死んでいるかもしれない。番頭さんも間に合わなかったかもしれない。


 そうだとしたら猶更なおさら、番頭さんが少女をそのままにしておくはずがない。不安が胸をよぎる。それでもスズメにはげまされ、オイラは足を急がせた。


 雪の中だと言うのにスズメはひるまず飛んでいく。近づいた時、薄闇にスズメの吐く息も白くなっていることに気が付いた。オイラの息ももちろん白い。


 悪い予感は胸一杯に広がっていたが、オイラはえて良いことを考えようとした。


 あぁ、そうだ、母ちゃんが帰ってきたかもしれない。だとしたら、あの子をちゃんと見つけたはずだ。雪が降る中、隠れられる空き家はきっとあそこしかない。


 誰がたき火に火をけたんだろうといぶかるかも知れないけれど、おかげで助かった、と思ってくれることだろう。今頃、家で「母ちゃんのスープ」を楽しく二人食べている。美味しいね、と言いながら……


 そしたら、やっぱりオイラはあの子に会えないけれど、いいんだ、そんなことは。あの子が無事であれば。オイラはそれでいい。


 そうか、親方は今、こんな気分なんだ。別れは辛いけれど、見届けることはできないけれど、思う相手に幸せでいてほしい。


 あの子はオイラがそんな気持ちでいるなんて知らないだろうけど、親方、オイラは知っているよ。だから、今だけ、これ一度だけ、親方の言いつけを破らせてね。あの子を見届けたら、オイラ、その後は親方の言う通り、頑張るから。


 最初に見かけた路地に少女はいなかった。その場所はさっさと通り過ぎ、スズメはあの廃屋の壊れたドアに飛び込んで消えた。一足遅れてオイラも中に入っていった。すると……


「お兄ちゃん」


 そこは雪が白く輝き、外よりずっと明るかった。立って真っ直ぐこちらを向く少女は先ほどより、ずっと健康そうに見えた。


「お兄ちゃん、見てみて、可愛い? よく似合うでしょ?」


 気が付けば少女の服はとび色に輝く真新しいものに変わっている。


「うん、いいね、母ちゃんが買ってくれたんだね」


茶に黒と白がところどころ混ざり、どこかで見た事があるような模様だ。少女には少し地味だったが、表面が少し波打って羽毛のように見える。きっと暖かいに違いない。母ちゃんには精いっぱいの買い物だったのだろう。


「これを買うために遅くなったって言ってた。帰ってきて、すぐスープも作ってくれたの。まとまったお金が入ったから、もう暫くはどこにも行かないって」


 そうかそうか、良かったね、もう寂しくないね。


「お兄ちゃん、すぐに戻るって言ってたから、母ちゃんが寝た後こっそり抜け出してここで待ってたんだよ。来てくれて嬉しい」


親方を裏切って来た甲斐かいがあったと言うもんだ。


「オイラは……街を出なくちゃならないんだ。親方の言いつけで、遠くに行く」

少女がオイラを見上げている。


「でも、いつか帰ってくる。だから頑張るんだよ」


少女の瞳に涙が浮かぶ。

「うん、約束ね。待ってるよ ――」


 いつまでたっても名残なごりきることはなかったが、追われる身だ。そろそろ切り上げて旅立たなきゃならない。


 部屋(と言えるかどうか)を見渡してスズメを探すが見つからない。たき火はとうに消えたようだ。


「スズメを見なかったかい。オイラより少し早くここに入ったはずなんだけど」


あぁ・・・と少女が空を見た。


「あそこから飛んで行っちゃったよ。あっという間に ――」


 そうとなると今さら探すのも難しい。いや、あのスズメのことだ、ちゃんとオイラを見つけてついて来るだろう。悪いことばかり考えてはいけない。


「それじゃ、行くね」


 元気でね、と別れると、廃屋の外はやはり暗く、なぜ中はあんなに明るかったんだろうと不思議に思いながらもオイラは歩を速めた。


 南西の国境へ。行く先は決まっていた。

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