4.回収戦争 その③:狂気とは

 私は、本隊から割いた兵を自ら率いて、ハトラへと侵攻した。


 プラトゥム川からもイディギナ川からも距離の遠いこの都市ハトラは、元は僅かな草原と砂漠しかないような場所だったという。しかし、長い年月をかけて治水工事を行い、プラトゥム川から農業用水を引いたことで、『理想郷ユートピア』たる豊かな土壌と湿潤な気候の本領を発揮し、今や辺り一面を小麦畑が埋め尽くしている。


「――火を放て」


 到着早々、電光石火の攻撃で僅かな警備兵を片付けた私は、兵らに命じて小麦畑に火を付けさせた。警備兵には魔法使いウィザードも混ざっていたが、それでも寡兵に過ぎなかったので大した障害にはならなかった。


 この地には小麦が腐るほどある。ハトラ周辺の畑が全焼したところで、私たちが略奪する分には困ることはないだろう。


 出来るならば、こんなことは私だってやりたくない。この小麦の一粒一粒を農民が丹精込めて育ててきたのだなと思うと、悲しい気持ちになってくる。


(あ、今ちょっと良い匂いしたかも)


 そんなことを考えながら、小麦畑を無遠慮に食い尽くしてゆく炎をぼうっと眺めていると、歩兵中隊長が農民を一人縛り上げて私の前へ連れて来た。


「ご命令通り、農民を連れて参りました」

「はい、ご苦労さま」


 私はその農民のもとへ歩み寄り、命乞いをする間も与えず斬り付けた。死んで貰っては困るので、痛みは感じても傷口は浅くなるようにしておいた。


「ぐううっ……!」

「ねえ、この都市の長を呼んできてもらえる?」

「うっ……はぁ、はぁ……!」

「返事」


 私は傷口に手を突っ込んで、を少し暴れさせた。すると、農民は藻掻き苦しみ悲鳴を上げながら「分かった」と連呼する。部下に命じて解放してやると、農民は一目散にハトラの街へ走っていった。


 それから暫くして、腰の曲がったジジイが数人のお供を引き連れて早足でやってきた。


 燃え盛る炎が暑いのか、それとも老体にはここまで歩くだけでも堪えたのか、或いは単純に切羽詰まっているのか、とにかくジジイは頻繁に顔の汗を拭いていた。


「きょ、今日は……どういったご用件で……?」

「さあ、何だと思う?」

「こ……こっ、ここには何も御座いませぬ! イリュリアの軍人方!」

「いや、小麦があるじゃない。……ああ、もうなくなるけど」


 小粋な征服者ジョークをかますも、笑ったのは私だけだった。部下ですらドン引きしていた。


 私は肩をすくめて場を仕切り直す。


「この街をそっくり明け渡してもらうわ。住民たちは全員、今日中に荷物を纏めてアッシュルへ発ちなさい」

「……呪われろ! イリュリアの野蛮人どもめ!」


 即座にカラギウスの剣を抜き打ち、ジジイの素っ首を斬り飛ばす。このジジイの萎れた脚では、到底アッシュルまで歩き切ることはできないだろうと思って、親切心で斬ってやったのだ。


「足弱は置いていきなさい」

「くっ……外道め!」


 お供として来ていた一人が、恐怖を怒りで塗り潰し大声で吠える。


「今に見ていろ、必ずやファラフナーズ様が天誅を下してくださるわァ!」

「仮にそうなるとしても、今じゃないけどね」


 その時、街の中から悲鳴が聞こえてきた。驚いたように背後を振り返るお供一同。


「なっ――!」

「あんまりトロトロされても困るからね。急かさせてもらうわ」


 兵らには略奪を許可している。


 略奪でもしなければ彼らはロクな給料も得られないのだから、それぐらいの役得がなければ士気に関わる。ちっぽけなその命を張っているのだ。今日は好きなだけ乱暴狼藉を働くと良い。


「――で、どうするの。抵抗してみる? 逃げ出す猶予は上げるわよ。三十分だけ、それを過ぎたらまた兵を差し向けるわ」

「くっ……そぉ!」


 お供一同は、踵を返してハトラの街へ戻り、急いで住民たちの誘導を始めた。


 三十分待つという約束は守るつもりなので、私は中隊長を通じて兵らを呼び戻させた。ついでに彼らに通達しておくこともある。


「殺して奪う分には良いけど、街の施設なんかはあまり壊さないでね。無益だから。飽くまで目的はよ」


 兵らは、「そんなこと分かってるよ」とばかりに血走った眼で猛々しく返事をする。本当に分かっているのか? まあ、煩くは言わないが。


 きっかり三十分経ってから、兵らを使って『追い立て』を開始する。


 兵らは、勢い勇んで銃口を弾かせながら住民たちに襲いかかっていった。銃弾は一人三十発までなら発砲を許可している。それ以上は、住民たちの反乱でもない限りは禁止だ。補給がキチンとできるかどうか分からないからである。


 私も、適度に足の遅い老人なんかを斬って、住民たちの追い立てに参加する。


 小一時間ほどかけて、街の中程まで来ただろうか。


 私は退屈な追い立てにも飽きて、兵らがサボらず仕事をしているかどうか後方から監視するだけになっていた。


 そんな時である。逃げ惑うハトラの住民たちの中に、があるのを見付けたのは。


 私は、その見知った顔に乱暴狼藉を働こうとしていた兵に背後から近付き、その首を刎ねた。


「こんにちは、イーナースさん」


 息絶えてもなおイーナースさんの腕を掴んだままだった兵の体を引き剥がし、彼女へ声をかける。


「よくよく襲われがちな人ですね。貴方は」


 向こうも見知った顔であろう私の登場にも関わらず、以前に助けた時とは違ってイーナースさんは安堵することなく、今も怯えたように五、六才くらいの子供と抱き合って震えていた。


 この子供は、恐らく成長したムナちゃんだろう。どことなく顔つきに以前の面影がある。


「元気にしてました? ――ムナちゃんも」


 私は屈んで挨拶するが、ムナちゃんは以前にも増して俊敏な動きでイーナースさんの後ろに隠れてしまった。相変わらずの反応に少し和む。どうやら、すくすくと健康に育っているようで安心した。


「リ、リンちゃん……どうして、こんな……」

「ああ、すみませんね。まさか、こんなところに居るとは思っていなくて。でも、あらかじめ『ここを攻めます』なんて言えないですし、ちょっと災難でしたね」


 旦那さんの故郷というのは存外にイリュリアに近いところにあったのか。そういえば、旦那さんはどこに居るのだろうか? まさか、家族を置いて一人で逃げ出した訳ではあるまい。


「旦那さんは?」

「……殺されたわ、たった今!」


 イーナースさんの指さす方向には、ボロ雑巾のようになって人相も判別できない惨殺死体があった。


「あらら」


 そんな真剣味のない声が口から漏れた。


 本当に「あらら」だ。心の底からそう思ったからこそ、無意識的にその言葉が口を衝いた。


(あーらら、やっちゃったわね)


 イーナースさんがパルティア王国に移住したことは知っていた。だから、可能性としてこうなることは常に頭の片隅で意識していたが、まさか本当に現実のものとなってしまうとは。


 こういう時、なんて言ったら良いのだろう。


 ……分からない。


 しかし、分かる奴がいるのかとも思う。恩義ある人間の大切なヒトを、そうなるかもしれないと思いながらも、目的のため副次的にってしまった時の言葉なんて。


「……許してくださいね、イーナースさん。こっちも殺したくて殺してる訳じゃないんですよ」

「嘘っ……!」

「ごめんなさい、嘘でした」


 兵らは、きっと楽しんで殺しただろう。そんなことは死体を見れば分かる。


 これ以上、下手な言い訳を重ねても、ますますイーナースさんの不興を買うだけだろう。私は開き直って心に思い浮かんだ嘘偽りのないまことの言葉をそのまま発することにした。


「一つだけ言わせてください。私は、今もイーナースさんとその家族の幸せを真剣に祈っていますよ」

「そんな、デタラ……っ!」


 イーナースさんは恐らく「デタラメ」と否定しかけて、ふと言葉を詰まらせた。


「まさか、本気……で、言ってるの……?」

「はい」

「く、狂ってるっ……!」


 そうだ、私は狂っている。


 あの時――イスラエル・レカペノスの抱擁を受けた時に、私はのだ。そして、狂気を己が血肉とした。


 まただ。また、イーナースさんが悲しそうな眼をしている。以前、助けた時と同じように。


 色々と話したいことはあるけれど、悠長に旧交を暖めているような暇は生憎とない。理解を得られたかどうかは分からないが、イーナースさんがどう思おうと私はと心に決めている。


 だから、もう話はお終いだ。


 しかし、いざ別れを告げようという段になって、あることに気付く。


「あれ、もしかして……ガキ、ちょっと撫でさせなさい」


 強引にムナちゃんの腕を掴んで引き寄せ、その頭を撫でる。イーナースさんもムナちゃんも驚いて抵抗したが、月を蝕むものリクィヤレハになった私には関係なかった。


「――やっぱり、『魔力持ち』なんですね」


 六歳前後の歳だろうに、こんなにも近くでないと感じ取れないぐらい魔力量が少ないなんて、将来は死ぬほど苦労しそうだ。


 しかし、私はムナちゃんを解放しながら、愛情を込めて言祝ことほいだ。


「良かったですね」

「……何も、良くなんてないわ。魔力なんてあっても、戦いに駆り出されるだけじゃない……リンちゃんみたいに」

「ふふふ、そうかもしれませんね」


 イーナースさんの言葉もまた正しい。だが、私は決して魔力が良くないものだとは思えない。


「知ってました? 実は私、天然物の魔法使いウィザードじゃないんですよ」

「……どういうこと?」

「実験で生み出された養殖物の魔法使いウィザードだったんですよね。だから、魔力量がクソほど少なくてめちゃくちゃ苦労しました。ムナちゃんも、魔力量が少なそうなので将来はきっと苦労するでしょう。けれども、苦労の原因となったその〝力〟には、やっぱり感謝しています」


 全く無いよりは、僅かでも有った方が良い。


 どうせ皆、死ぬのだから。

 人間、それまでに何を成すかだろう。


 そのためには〝力〟は有れば有るほど良いに決まっている。だから、私はこの〝力〟と、それをくれたパパに心から感謝している。


 イーナースさんは、いきなり実験で作り出されただとか与太話に近いことを言われて面食らっているようだったが、話を飲み込むにつれて眼に浮かぶ悲しみの色を殊更に深めていった。そして、その眼は私だけでなくムナちゃんにも注がれていた。


「さあ、イーナースさん。急いでアッシュルへ向かってください。群衆に紛れて最後尾に立つことがなければ、兵らに手を出される可能性は少なくなる筈です。私が兵らに命じたのは『追い立て』ですから」

「……分かったわ」


 ムナちゃんを抱きかかえて、逃げる群衆の中に突進してゆくイーナースさん。少しでも生き残れる可能性を求めて、必死に群衆を掻き分けてゆく彼女の後ろ姿を見ていると、不思議と一つの言葉が口を衝いた。


「美しい」


 イスラエル・レカペノスの美の感性を今、少しだけ理解した。


 必死に生きようとする個人の生存本能。そして、それと相反するように思えるを思う母性本能。その二つが、イーナースさんの中では渾然一体と混ざりあって、反発することなく共存している。


 その様が、とてつもなく美しく思えたのだ。


 私は、イーナースさんに聞こえていないだろうと思いながらも、彼女に向かって誓いの言葉を口にする。


「信じてください。私が今、この瞬間を生きる理由は、全ての人間の幸福を願うからであることを」


 イリュリアの民も、パルティアの民も、その他――人種・性別・民族の垣根を越えた全ての人間の幸福を私は願っている。


 そして、当然その中にはイーナースさんとムナちゃんだって含まれている。


「貴方たちの行く末に幸多からんことを」


 私は、銃撃と悲鳴と兵らの野卑な猿叫が響き渡る中、真摯に祈りを捧げた。

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