4.決着 その③:三手目

「ロクサーヌ、そこから西進して」

「かしこまりましたわ!」


 例によってマネの体組織で連絡を繋ぎつつ、私はロクサーヌとも別行動を取る。


 今現在の位置関係を説明すると、私から見て北方向にグィネヴィアが、南西方向にロクサーヌがおり、そして北西方向が本拠地アジト中央、標的『ルクマーン・アル=ハキム』が逃げ込んでいるだろうと目星を付けている『研究室』といった感じだ。


 本来なら作戦に参加する全戦力を挙げて包囲し、逃げ道を無くした敵を磨り潰す構想だったところを、私たちはこれからたった三人でやらなければならない。しかも、全員が見習いの身分。


 しかし、これは全く無謀な試みではないと大胆にも言い切らせてもらう。あっての独断専行だ。


 マネの偵察や、ロクサーヌとグィネヴィアの交戦頻度から推測するに、我々は完全に民宗派の不意を突くことに成功しているらしく、本拠地アジト内にはロクな戦力が残っていないようだった。


 組織立った反抗は全くと言って良いほど見られず、なけなしの残存戦力は全体に均等にバラけてそれぞれが孤立してしまっている。つまり恐らくは、これまでの道中で倒した敵が、ほぼ敵の全戦力と言っても過言ではない。


 後は、標的『ルクマーン・アル=ハキム』の周辺を固める出涸らしのような護衛を倒せば、悠々と奴の喉笛に手が届く筈だ。


「――凍らせたわよ。次はどうすれば良い?」


 ここでグィネヴィアの方から連絡が入った。私はすかさず次の指示を飛ばす。


「次は保持して。せっかく凍らせたところを壊されないように敵を倒しながら保持。そっちに追い込むから」

「フン……分かった。上手くやりなさいよ」

「任せなさい!」


 それから、ロクサーヌからも「所定の位置に着いた」という報告が入る。


「ロクサーヌ、そこから徐々に北進しつつ、通過したドアを通れないように天井でも壊して塞いでおいて」

「北に――居るのですね?」

「ええ、これから奴を追い立てる」


 私は進路を北西へ取る。古くから伝わる猟法にならい、獲物を袋小路に追い立てることで仕留めようというのである。慎重にロクサーヌ、グィネヴィアとの位置関係を気にしながら、一気呵成に包囲を狭めてゆく。


 すると、まるでそんなこちらの動きを察知したかのように、本拠地アジトが軋音を上げてき始めた。だが、そこに仕込まれた回転ギミックが機能することはない。重要なポイントは既に破壊・凍結済みだった。


(よし! このまま一気に――!)


 だが、この時に頭の中に展開していた勝利のイメージは、思わぬ形で霧散する。


 ――中には研究員が一人だけだ。月を蝕むものリクィヤレハでもない。


 先行させていたマネの報告を聞くと同時、私はドアを蹴破って次の部屋に飛び込んだ。何を躊躇うことがあるだろうか? 今まで散々斬り伏せてきた取るに足らない研究員が一人いるだけなのだから。


 しかし、これまで快足を飛ばしていた私の足は、他でもないその単なる一研究員によってピタッと止められてしまう。


「――久しぶりだな、リン」


 声も出なかった。


 覚えが、ありすぎた。


 その声も、その容姿も、その立ち居振る舞いも、何ならその白衣の着こなしすらも、私には覚えがあった。多少老けてはいるが、間違いない。間違えようもない。決して断ち切ることの出来ない血縁えにしが、私に教えてくれていた。


「パパ……?」

「ああ、お前の父さんだ」


 そんな馬鹿なことがあるか。父は、確かに死んだ筈だ。恐らく実験中の不幸な事故か何かで発生した火災によって、離れの実験室で資料や実験器具ともども焼け死んだ筈だ。


 私は確かに見た。ようやく近付けるほど収まり出した炎の中に、黒焦げになり、焼死体特有のファイティングポーズにも似た滑稽な姿形で転がる父の死体を。


 だから、絶対に有り得ない。


 そう思う一方で、「でも」「しかし」「もしかしたら」と、そんな淡い期待が頭から離れてくれない。だって、あの義手が付いている右手首から先は……私が斬り落としたものに違いないのだから。


「ほ、ほんとに……パパ、なの……?」

「お前が信じられないのも無理はない。だが、本当のことなんだ。大きく、なったね……」


 マネが私の身体を引っ張り始める。言いたいことは分かるが、それでも尋ねずにはいられなかった。


「で、でも、どうしてこんなところに……」

「父さんは、もともとは一般人を魔法使いウィザードにする研究をしていたんだ」


 初耳だった。父の研究内容は、研究室と共に資料なども火事で全焼してしまったので、今の今まで何も知らなかった。母も、詳しくは聞かされていなかったようだし。


 父は、その研究の中で呪祷士カーヒンが用いたという〘人魔合一アハド・タルマ〙の術に辿り着いたと語る。


「私が〘人魔合一アハド・タルマ〙の術に辿り着いたのは、ある意味で既定路線とでも言うべきものだろう。研究を進める上で、遅かれ早かれいつかは必ず行き着く通過点だった。それからの私は、衰退した多神教の史跡や呪祷士カーヒンの秘術の研究を進めていった。そんな時だ。民宗派からの接触を受けたのは」


 父さんは、昔を懐かしむように遠くを見つめて眼を細めた。


「民宗派を潰しに来たイリュリア王家の尖兵だと疑われてね、最初は手酷くヤラれたものさ。しかし、私の研究結果を見せたら彼らの顔色が一変した。あの時の感動は今でも覚えている……! なにせ、学会では白い目しか向けられなかった私の研究に、まるで初めて絵本を読む子供のような食いつきぶりを見せてくれたのだから!」


 高らかに、歌い上げるように語る父の眼には私の姿はどこにも映っていない。陶酔に歪んだ過去の美しき思い出の情景があるばかりだ。


 その眼が、不意に私のもとへと帰ってくる。


「――だから、すまない」

「えっ……」


 次の瞬間、私の視界はによって強制的に上を向かせられた。何が起こったのか、鈍い思考で考えていると父の底冷えするような声が耳朶を叩いた。


「私はの理念に共感し、研究のためにとなった。あの離れに火を投じた時に、私は過去は捨てたんだ」


 少し遅れて状況を理解する。私の首は、背後から襲ってきた襲撃者の剣によって身体との接続を失ったのだ。


 ぐるぐると回転しながら地に落ちてゆく視界の外で、襲撃者と父が会話する声がかすかに聞こえてくる。


「……良いのかい? こいつはって話してた長女だろ? なんでも才能があったとか」

「ああ……リンには剣の才能があったよ。思わず、研究を忘れてしまうぐらいには。しかし、個人の武勇でどうにかなる時代でもあるまい? 今の世の中を動かすのは〝思想〟だよ」

「仰るとおりだ、主任研究員サマ。――全ては〝思想〟のために」

「――新しき未来のために」


 私の頭部は地面をごろごろと転がって、不意にピタッと止まる。そして、脳内にマネの声が響いた。


 ――だから言ったろうが、「後ろから来てる」ってよォ。

 ごめん、何も聞こえてなかった。


(ああ――)


 さっき、ロクサーヌの奴にあんなことを言ったばかりなのに。私は今、任務のことを忘れていた。


(責任を、取らなくては)


 私は首をさせながら立ち上がり、こちらに背を向ける異形を一刀にて斬り伏せる。図らずしも、さっき私がやられた不意打ちをそっくりそのまま仕返した形になった。


 呻き声も上げず倒れゆく異形の向こうに、激しく狼狽する父の顔があった。


「なっ……んだ、それは……!? そんなことができるだなんて聞いていないぞ……!?」


 その一言で全ての事情を察した。私が斬首程度で死なぬことなど、向こうの天才アン=ナービガが知らぬ筈もない。恐らく意図的に伏せられていたのだ。時間稼ぎの捨て駒に、己の死期を悟らせぬために。


「あー、あがっ」


 喋ろうとして、顎が外れていることに気が付いた。地面をバウンドした時だろう。触った感じでは脱臼だけでなく、ヒビも入っているようだ。つまるところ軽傷な訳だが、このままではプラプラと揺れて鬱陶しい。


 私は、カラギウスの剣の柄でガンガンと顎を叩いて強引に嵌め直した。


「あー、あー……お父さん、こんな時ですが貴方と再会できたことは望外の喜びです。今の話は聞いていましたよ。私は、なのだとか」

「そ、それは……」


 道理で、魔力量が人より阿呆ほど少ない訳だ。天然物ではなく養殖物だったのか、私は。


(まあ、今更そんなことを知ったところでね……)


 特にどうこういうことはないが、感謝はしておこう。この〝力〟の所為で苦労したことも多いが、総合的に言えば『プラス』だったと思うから。


「その節は、どうもありがとうございました」


 首と身体の接着を密にし、確固たる足取りで一歩踏み出すと、父は冷や汗をかきながら一歩下がった。


「ところで、覚えていますか?」

「な、なにを……!」

「貴方の残した形見の指輪のことです。今も大事に仕舞ってありますよ。覚えていないのですか? 赤褐色セピアの小さな宝玉を戴く指輪です」

「ゆ、指輪……あ、ああ、覚えている」


 覚えていない、と父の顔にハッキリと書いてある。


「王都の宝石店で買ったものを、妻に贈った記憶が――」

「なぜ、嘘を吐くのですか」

「う、嘘など……」

「では、どうしてあの指輪は大門パスの鍵である『指輪』に似ているのですか?」


 そう問うと、父は歯を食いしばって閉口した。落ち着きのない視線を見るに、今まさに気の利いた返答を探しているところなのだろう。眼は口ほどに物を言うとはこのことだ。


 私は、父の言い訳に先んじて真実を言い当てる。


「――『試作』したのではないですか?」

「うっ……」


 答え合わせをするまでもなかった。


 恐らく父は、研究室に火を投じる前には大門パスの研究にも携わっていたのだろう。そして、大門パスの鍵である『指輪』を複製できないか試作し、その一つを母にくれてやったのだ。


 私は、カラギウスの剣のスイッチを指で弾き、魔力刃をさせた。


「な、なにをする気だ!? それ――まさか、しているのか!? お、お前は……! 父親を……こ、こ、殺す気なのか……っ!?」


 私は答えなかった。これが、私の最初で最後の親孝行だ。


「あの指輪は捨てません」

「や、やめ……やめてくれ……! まだ、研究が――!」

「思い出の中の貴方は、あの日あの時あの場所で死にました。そして、その思い出はいつまでも指輪と共にある」


 私は父に語りかけながら一歩、また一歩とにじり寄り、怯える父を袋小路まで追い詰める。ゆっくりと、実体化させた魔力刃を天高く振り上げながら問う。


 言いたいことはないのか? と、私自身に問う。


 今生の別れとなる父に対して、他に伝えておくべきことは何かあるか。


(ああ……一つだけ……)


 一つだけ、言っておきたいことがあった。


「さっき、会話の中で私の剣を褒めてくれたこと……嬉しかった」

「……リン」


 決定的なまでに道をたがえてしまっても、この時だけは、この瞬間だけは、私たちはただの二人の父と娘だった。


「――ァァァァアアアアアア!」


 気が付けば、私は獣のような雄叫びを上げていた。これは踏ん切りを付けるための雄叫びだ。過去の甘い妄執を退け、現在に決着を付けるためのものだ。


 私は、振り上げた剣が落ちてゆく先を、その剣が齎す結末の始終を、眼を逸らすことなく全て見届けた。


 生暖かい肉親の血飛沫に浴しながら、私は瞑目した。


(……個人の武勇でどうにかなる時代ではない。その言葉に異論はない……だけど、私は私なりに精一杯やってみせるから……)


 だから、あの世で見守っていて欲しい。


 私は、ただただ死者の安寧を祈った。


 どれくらいそうしていただろうか。永遠にも思えたその時は、ロクサーヌの呼びかけによって終わりを告げる。


「――さん! リンさん! 大丈夫ですか!?」

「……どうかした?」


 私の声が、ぽーんと部屋に響き渡る。他に音はない。


「どうもこうもありませんわ。さっきからさっぱりお返事が途絶えていましたので……」

が居た。けど……今居なくなったところよ」

「あら、? わたくしも今、手練れの敵を打ち倒したところですわ」

「……敵は時間稼ぎを図っているわ。でも、これはイタチの最後っ屁みたいなもんよ。焦る必要はないわ」


 ゆっくりと着実に、しかし出来る限り迅速に事を進める。


「行くわよ、マネ!」

「……おう」


 私が感傷に浸っている間、小うるさくガタガタと騒がなかったマネに心の中で感謝しつつ、私は後ろ髪を引く過去を振り切り先を目指した。

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