1.寄合 その③:社会契約
「アンタさぁ、そうやって警邏の真似事がしたい訳? 裸で?」
「いいや、違う。確かに王都の治安悪化は懸念事項の一つ。しかし、自分の目的は別にある。それは――全人類の『
「は? 何から
「自分ら縛り付ける、この世の全て」
そう言って、変態はチラと王城の方へ意味深な視線を向けた。おいおい、まさか……この変態はよりもにもよって、王政を打倒しようという腹なのか? ……裸で?
「原始時代――人が人として産み落とされた時、アレはあったか。王は、貴族は」
「ないに決まってるでしょ」
「ならば本来、人は自由だったのだな。まるで、神のごとく振る舞う者も、その奴隷のごとく振る舞う者もなかった」
彼は身振り手振りを交えて熱く語り出す。
「想像できるか? 人はもっと単純な『愛』――『自己愛』と『他者愛』によってのみ生きていたのだ。それがどうしてこのような不平等を生み出してしまったのか」
「……そりゃ、アンタの言うところの、その『愛』とやらが働いた結果なんじゃないの」
私は、更に上の方へ視線を調整しながら応える。
「人一人じゃ限界があるでしょ。生まれつき体が弱い奴とか、病気した奴とか怪我した奴は、厳しい大自然の中では死ぬしかない。だから、人は群れることで弱者を救い、外敵や食糧、自然環境といった諸問題の解決に取り組むことで
「とんでもない、全くもって貴殿の言う通りだ。社会は素晴らしい! 人の編み出した叡智だよ……」
だが――と、彼は悲しそうに続ける。
「だが、そういった相互協力の副作用として、人の精神は複雑に進化してしまった。もはや、人と人との関係は単純な『愛』という言葉では語り尽くせない。社会の中に私的財産が生まれ、そこに価値がつき、やがて人は彼我の私的財産の価値を比較するようになった。そして、他人より抜きん出たいという欲望が人の心に根差し、それは救いがたい『悪徳』を齎した! よいか、不平等は決して社会の仕組みの一つと看過できるものではない! 自分らが正さんと欲すれば正されるシステムの不備に過ぎないのだ!」
王党派として政争の一端に関わるようになった私としては、身につまされる説教だ。確かに世界には、社会には『悪徳』が蔓延っている。
(だけど、全裸で社会問題を論じられてもねえ……)
いまいち説得力に欠ける。はたして、どこまで本気で言っているのか。
「自分の目的は人々をその『悪徳』から救い、肉体的にも精神的にも
「フンッ……要は理由つけて脱ぎたいだけじゃないの? この変態が」
「変態ではない! これは
方法や将来のビジョンはさっぱりだが、コイツはただの変態じゃなく思想ある変態だったらしい。ヤバそうな奴がもっとヤバくなっただけだ。
「リン、戻って来たぞ」
「そうね」
警察署の方角から複数人の足音が聞こえてきた。もう時間稼ぎは十分だろう。正直、精神にきていたから助かった。
「今宵、貴殿と対話ができてよかった」
変態の耳も足音をとらえたか、音がする方へ視線を向けながら話を切り上げようとする。
今度は逃げる気か? だが、みすみす逃がしてやるつもりは毛頭ない。
「あっそ……じゃあ、そろそろお縄についてもらおうかしら」
「そういう訳にはいかない。自分はまだ道の途中なのだから……皆、後は頼む!」
「皆?」
その時、違和感に気づいた。
(……足音が違う。警察制服のブーツじゃない!)
不揃いな足音だった。駆け付けてくる集団の靴底の種類がそれぞれ違う――つまり、警察ではない! 振り向くと、そこにいたのは警察などではなく正体不明の黒衣の集団だった。
視界の端で変態が
「フハハハハハッ! また会おうではないか。リン殿!」
不愉快な笑声を聞き流す。不意を衝かれたのは事実だけど、乱された思考はとっくに落ち着きを取り戻していた。大丈夫、十分に対応可能な範囲だ。
「問題ないわ。マネ」
「うーっす」
やる気のないマネの声に合わせて、カラギウスの剣を振るう。実体化させていない非致死性の魔力刃だから躊躇うことはない。一刀で集団の先鋒三人を斬り伏せた後は、その勢いを殺さず逃げる
「おっと!」
「よし、ベストポジション! ――
「ッ――何ィ!?」
屋根から勢いよく
狙い通り、その後ろ足に体重をかけていた
「さぁて、と」
襲いかかってくる黒衣の一人に裏拳を食らわせ、急いで姿勢を立て直そうと激しくもがく
「これで終わりよ!」
「――だから、言ったのに。『負ける』ってぇ」
だがその時、突如として緊張感のない間延びした幼気な声が聞こえたかと思うと、壁からにゅっと生えてきた子供のものと思しき小さな両腕が
「壁の、中に……!?」
幽体の
「そう言うな、ワキールよ。自分は勝ち負けの勝負に来た訳じゃない。しかし、結局は予定にない場面で君の手を借りる羽目になってしまったことは詫びよう」
他の皆も頼む、と
「見込みが甘かった事は反省しているが、リン殿は我が同志である。どうしても早いうちに顔を合わせなければならなかったのだ。分かってくれ、ワキール」
「同志って露出のぉ?」
「ふっ……違うさ、ワキール。違うさ……」
変態は、壁の中にいるであろうワキールと、まるでもう全てが終わったかのように呑気に会話している。
(舐めやがって……)
確かに認めたくはないが、ワキールとやらの力の正体が分からない以上、ここからどうにかする手段は思いつかない……だが、このままみすみす帰してしまうのは癪だった。
「アンタたち……一体、何者よ。諸侯派、じゃないわよね」
さっき聞かされた話を統合すると、社会に反感を持つ不穏分子が諸侯民宗派に目をつけられ、
「その通り、自分らは諸侯派ではない。訳も分からず
「いつまで話してんの。早く入れよぉ、変態」
「すまんすまん……リン殿、再び会う日を楽しみにしている。その時は、貴殿の心持ちも変わっていよう。――それだけだ! 今日はそれだけを伝えに来た! 覚えていておいてくれ、イリュリアに我々のような者がいるということを!」
意味深な言葉を残し、変態――『
気が付けば、黒衣の集団の方も完全に消え去っている。唯一、変態が
(そういえば、警察署に向かった商人風の男はどうしたのだろう。あの怯えようは、演技ではなかったと思うんだけど……)
嫌な想像が脳裏を過り、黒衣の集団が駆け付けてきた方の路地を覗き込む。すると、遠くに商人風の男らしき人影が倒れているのが見えた。慌てて駆け寄るも息はあったので、どうやら気絶させられているだけのようだ。
ほっと一安心すると、今度は怒りが湧いてきた。
そもそも何の目的で接触してきたのか。向こうがやった事といえば一方的にしゃべくり倒して逃げただけだ。私のことを『同志』だのなんだのと言っていたが……本当に露出のことじゃないのだろうな?
「――って、そんなことよりも!」
「んだよ、急に考え込んだと思ったら今度は叫びやがって。忙しねえやつだな」
「なんで、私がこの後処理までしなきゃなんないのよ~~~~~!」
私は地面に蹲る商人風の男と、それから不逞の輩たちを見下ろした。自立できない成人男性はさぞ重かろう。溶かしてしまってはいけないから、マネの助力を借りることもできない。運搬の手間を考え、迂闊に首を突っ込んだことを後悔した。
私は早々に自力で運搬することを諦め、アーシムさんのいる警察署へ助けを求めに向かった。
(ああ……それと、王党派だけでなく『
重い溜め息を溢しながら、私は眠気を抑えて懸命に走った。
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