6.夢の跡 その③:涙の理由

 ヘレナは深い頷きをもって、私の答えが正しかったことを肯定する。


(やはり、内通者が……!)


 これに気を良くした私は、調子づいて更に私見を述べた。


「当時、このことを知り得た人間はかなり限られてくる。警備増強の話ぐらいは漏れてても自然だけど、その裏で『指輪』のやり取りがあったことまで知っていたとなると……」

「ああ、王党派のに内通者は潜んでいる。私はいち早くその存在を察知したがゆえに、情報の無分別な拡散にブレーキをかけさせたのだ」

「……そこが分からない」


 なぜ、秘す必要があった? 早期に気付いていたのなら、内通者の特定は容易だった筈である。特定ができていたなら、その情報を積極的に共有して内通者を除くべきだ。そうしない理由が見当たらない。


 つまり逆説的に、内通者の特定はできていないということになる。


 しかし、ヘレナからは内通者が誰か分からない焦りだとか、そういう感情が全く読み取れない。


 ならば、内通者の特定ができていないという私の考えは間違っているのか?


「どうして、内通者を探し出そうとしないの? もし、内通者が分かっているのに情報を止めたのだとしたら、それはなぜ?」


 ヘレナは含みを持たせた笑みを浮かべる。


「高度な政治的判断というやつだ。つまり、内通者の特定自体はとっくに済んでいるが、その事実を大々的に公表してしまうとデメリットの方が大きいと判断した」

「大勢の死人を出す以上のデメリットってなんなのよ」

「決まっている。せっかく掴んだ民宗派の尻尾を簡単に切らせる訳にはいかないだろう。今は泳がせておくのが得策なんだ」


 私は車椅子の背もたれに体重を預け、長い長いため息を吐いた。


 今回の一件における、ヘレナのスタンスは見えてきた。それと同時に彼女との間に横たわるの深さも。


「ふう……やっぱり、私たちは分かり合えないようね」


 もう、怒る気力もなかった。決定的に、目の前の人間とは違う視点・違う次元で思考しているのだと理解してしまった時の、この無力感、無気力感。それは極めて抗い難いものだ。


 私は、これ以上ヘレナの顔を見る気にもなれず、車椅子の片輪を漕いで百八十度の方向転換をした。


「愛想が尽きたわ。もう、好きにやりなさいな。私は降りる」

「『』? それは、どういう意味だ?」

「チッ、察しの悪い……王党派を離脱するって言ってんのよ」

「何? それは……困るな」


 珍しく、本当に困った顔をしたヘレナを横目に見て、私はちょっぴりだけ胸がすくような気持ちになった。


「これから、どうするつもりなんだ? 王党派を離れて」

「どうもこうもないわ。諸侯派にも行きづらいし、中立派としてやっていくしかないでしょう。今回の功績で私は入院生活中の実技科目を免除された訳だし、残る分を自力でやっても特進クラスプロヴェクタ・クラシスへは入れるでしょう」

「ふむ……なるほど」


 思案顔で顎をさするヘレナを尻目に車椅子を漕ぎ出す。


 さようなら、と心の中で唱える。もう、二度と振り返らないつもりだった。しかし、そんな絶縁の決意も次のヘレナの言葉によって容易く翻されてしまう。


「――しかし、困ったな。せっかく、学院長に頼み込んでを認めさせたというのに、今度はその取り消しを頼まねばならないとは」

「……? 何のこと?」


 振り返ると、さっきの困った顔はどこへやら、見るに堪えない嫌らしい笑みがそこにあった。


「実技科目を免除し、なおかつ平均レベルの評価点を与えるという、本来のキミからすれば分不相応の待遇を得られたのは一体、誰のおかげか。本来であれば病欠扱いで評価点が付かないところを、現宰相にして私の実父、ロイ・アーヴィンが直々に学院長と面会し、キミの功績を手放しに称賛したからこそのなのだぞ」

「……何が、言いたいの」

「その特例措置も所詮は口約束でしかなく、何か形に残るものもない訳だ」


 私はヘレナが言いたいことを察した。つまり、彼女は「王党派を離脱するなら実技科目の免除と評価点の付与という特例措置を取り消す」と言っているのだ。


(それは……困る)


 もし、特例措置とやらを取り消されてしまうと、割と確定的に見ていた『特進クラスプロヴェクタ・クラシス』への進学が一気に危うくなる。ひいては、その先の高等魔法士官ポストへの『推薦』を得て『星団プレイアデス』に入るという夢も。


「アンタ、私を脅す気? 前にグィネヴィアが似たようなことをした時は辛辣に嘲ってみせたその口で?」

「人聞きの悪いことを言わないでくれないか。これは『確認』だよ」

「はぁ? ……『確認』?」

「ああ、キミが不義理を働くような人間ではない――ということの『確認』だ」


 その瞬間、私の脳裏では様々な計算が駆け巡った。


 利害得失、夢、道義、プライド――その全てが複雑に干渉しあい、咄嗟には答えが出せなかった。


 悩み、悩んで、ふと気が付いた時、ヘレナはいつの間にか私の背後に回って車椅子のハンドルを握っていた。そのままゆるやかに車椅子が前に押し出され、屋上の転落防止柵の前にまで来ると、ヘレナはそこで押すのを止めて私の隣に並んだ。


「見給え、リン。世界でもっとも美しい街並みだ」


 眼下に広がる雄大な王都の街並みに眼を移し、私は素直に感嘆の念を抱いた。普段、何気なく歩いている街から、計り知れないほどのエネルギーを感じたのだ。最盛期を過ぎたとはいえ、そこに蠢く人と人、彼らの織り成す力は未だ健在である。これこそ、人間の力だ。


「東西の文明の衝突。それは悲劇も生んだが、同時に進化も促した。現在の王都は東西の建築様式が混じり合い、他国にない独自の風味を醸し出している」


 実に美しい、とヘレナは何度も確かめるように呟く。私はその言葉に心から同意しながらも、どこか拭いきれない『嘘臭さ』をヘレナから感じていた。


 ヘレナは、恐らく王都の街並みを美しいものだとは認識している。だが、それは知識として知っているだけで、実際にそう感じてはいない。例えるなら、芸術作品の感想を言う時に専門家が評論した言葉をそのまま借りて語るような空虚さがあった。


 しかし、次の言葉だけは違った。


「私はこの美しい街をより美しくしていきたい。本当に……それだけなんだ」


 真っ直ぐに街並みを見据えるその横顔に狂気の色はなかった。本当に純粋な心から言っているのだと、彼女に何度も辛酸を嘗めさせられてきた私でも疑心を抱く余地なくそう思えた。


「キミの言いたいことも……重々理解しているつもりだ。今回の件は私の判断ミスもある。政治的な事情でどうにもならなかったこともある。しかし、これだけは信じてくれ」


 ヘレナは、私の両肩を掴んでぐっと顔を近づけた。


「私は常にこの国のことを想っている。ひいては、この国に住まう人々のことを」


 それは、極めて実直な風ではあった。前の私なら、その言葉を聞いただけで再び身を委ねてしまいかねないほどの。だが、今の私にはシジズモンドさんとの対話が色濃く刻まれている。


「……志だけ立派でもね。やり方を間違えれば傍迷惑な奴でしかない」

「私が『革命』の内容を話したがらないことを言っているのか? しかしな、大体、『気に入らなければ潰しにゆく』と本人を前に憚りもせず言い放つような相手に、誰が計画を話したいと思う?」


 それはそうだ。しかし、取り繕えというのなら無理だ。特にヘレナの相手は。ムカつくから。


「過ぎたことを嘆いても仕方がない。今回は結果として多数の死傷者を出してしまったが、これは見ようによってはプラスの側面もある」

「どんなよ。葬儀屋は儲かるでしょうけどね」

「民宗派への警戒度が王党派・諸侯派ともに上がった」


 平民の中から独立自治を求める声が上がったという事実を、王党派貴族たちは極めて重く受け止め、警戒の度合いを上げていた。


 またその衝撃は王党派内に留まらず、諸侯派貴族にも波及していた。


 イリュリア王国の建国以来、数々の反乱を経て現存する諸侯派貴族の大半は国教会を信仰する『イリュリア国民』としての自覚を生まれ持った世代だ。


 最近の王党派の凋落と諸侯派の興隆により、発言権などが増したことは感じていたものの、概ね現状に満足し停滞を良しとするものが大勢たいぜいであった。フェイナーン伯やツォアル候のような貴族は、言ってみれば例外中の例外なのである。


 そんな彼らは、今回の一件によって一つの『恐れ』を抱いた。


 それは王党派のような月を蝕むものリクィヤレハという見えない敵に対する恐怖ではなく、自らの領地に住まう平民からのだった。


 実行犯である『怒れる民アルガーディブ』は壊滅させたものの、その背後で糸を引く民宗派には至れておらず、更に〝思想〟という厄介な置き土産まで残されてしまった。


 その〝思想〟に、平民が呼応しない保証はどこにもない。


 皆、自分の領地で第二第三の反乱が起こるのではないかと、そればかりに恐々としていた。


 しかし、その一方で疑問がある。


 ここで言う反乱とは、大波の余波で生まれた小波のようなもの。『怒れる民アルガーディブ』と比べれば、遥かに少ない労力で鎮圧できる筈だ。


 では、なぜそのような取るに足らない反乱を諸侯派貴族は恐れるのか。その理由は、反乱によって誘引されるが怖いからである。


 もし、領内で反乱が起こり、少しでも彼ら平民に譲るような動きをしようものなら、国教会の連中はダボハゼのように食いついてきて、神の名のもとに『異端審問』を開廷するだろう。


 一度、異端の嫌疑をかけられれば、例え無罪放免となろうとこの国では社会的に死んだも同然の扱いを受ける。家督も権益も名誉も何もかもを失ってしまう。諸侯派貴族は、それをこそ真に恐れたのだ。


「共通の敵を立てることは集団の結束に繋がる。下らぬ派閥争いの手を休め、王党派・諸侯派の両派閥が対民宗派という大目標のために共闘するというのなら、これは歓迎すべきことなのだろう」

「……それは、アンタの思う美しいことなの?」

「私の思う美しさの中に派閥争いはない。あるのは、出生のしがらみを超越した『融和』の未来だ」


 ヘレナの口調は滔々と語る。さながら、空想じみた夢を語るあどけない少女のように。


植民者ゴイ土着民レヴァント……その両者にどれほどの違いがあるだろうか。私は、この街並みの如く人々の心からも余計な垣根を取り払いたいだけなんだ。それこそ、私の思う『革命』の終着点の一つでもある」


 その言葉は極めて理想論的でありながら、インテリ特有の衒学的な色合いは伴わず、妙にくすぐったい純粋さだけがそこにあった。


(……本当は、私も分かっている)


 ヘレナの判断にある程度の妥当性があることは。


 しかし、失ったものがあまりにも大きすぎて、多すぎて、それを言葉にして認めてしまうと、私はこの身に降りかかる責任の重さに挫けてしまいそうだった。


(信じたい……)


 彼女の言う『革命』とやらが、この凝り固まった現状を解きほぐせるというのなら、私はきっと協力を惜しまないだろう。この国の為、国民の為に、いけ好かないヘレナの手足となって働いてやることもやぶさかでない。それぐらいの良心、愛国心はある。


(信じたいよ……ヘレナのことを……)


 この糞溜めのような世界にも、まだ正義があるのだと、まだ正義を履行しようとする者がいるのだと、どうか、この無知蒙昧なる私に信じさせてほしい。


 弱気なことを言うようだが、それもまた私の本心だった。


 それから無言の時が流れ、私はその間にゆっくりと落ち着いて今後の身の振り方を考えた。


 そして、答えを出す。


「私は……今度とも王党派に身を置かせてもらうことにするわ。でも、それはアンタを信用したことを意味しない。そのことをしっかりと肝に銘じておくことね」

「分かっている。分かっているとも……」


 ヘレナは今日一番の優しい声音を発し、緩やかに私から視線を逸らした。


(なぜ、私は泣いているのだろう……)


 この美しい街並みに感動しているのか、それとも王党派に居続けることを選択させられて敗北感を覚えたのか、そのどちらも違うような気がする。


 私は今、そういう個人的な感情から離れた超然的な感覚に陥っていた。


「幸せに……なりたいわ。世界中の人々と一緒に」


 ああ、どうしてか、それが無理だと分かっている。


 きっと私はそれが悲しくて仕方がないのだ。


 悪人ばかりでも善人ばかりでもないこの世界で、私は不条理を抱えて生きてゆかなくてはならない。そんな、当たり前の、とっくの昔に分かっていて、悟っていた筈のことに、今更になって咽び泣くほどの純粋さが私に残っていたとは驚きだった。


 不条理など、王都に来てから数え切れないほど直面した筈なのに。


 私は、どうしてか涙を拭うことがその不条理に屈したように思えて、涙が収まるまでぐしゃぐしゃに歪んだ景色をじっと睨み続けていた。ヘレナもまた、私にハンカチを差し出すというようなこともせず、視線を逸らしたまま静かに街並みを見下ろしていた。


 何も言わずにいてくれるその気遣いが暖かくもあり、鬱陶しくもあり、私はより一層ヘレナに対する反発を心ひそかに深めてゆくのだった。

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