6.夢の跡

6.夢の跡 その①:世代交代

 6.夢の跡


 反体制組織『怒れる民アルガーディブ』によるツォアル候暗殺とその過激な〝思想〟は、イリュリア王国の支配者層貴族階級に計り知れない衝撃を与えた。


 反乱自体は、これまでにも諸侯派貴族主導で度々あった。それこそ野盗レベルの小さなものから、国家を揺るがしかねない大きなものまで。


 しかし、そのいずれも最後はイリュリア国軍エクセルキトゥスによって打ち倒され、首謀者を断罪し関係者を処罰することで鎮圧されてきた。


 一方、今回の『怒れる民アルガーディブ』による反乱は、葬り去った歴史の闇から這い出てきた、建国時のよどみそのもの。いかに一夜にして『怒れる民アルガーディブ』を壊滅させたといえども、その裏で糸を引く諸侯民宗派は未だ健在である。


 反攻作戦における被害――死者十三名、重軽傷者四十三名。


 この惨憺たる数字にも見て取れる通り、国教会の教えを拒む頑迷固陋の少数勢力だと軽く見られていた諸侯民宗派は、魔法使いウィザードを打ち破り、貴族の喉笛にも届き得る牙を有していた。


 そして、その牙――月を蝕むものリクィヤレハは、一般人の眼に見えない感知できないのである。


 人は未知を恐れる。


 見知った人間の中に、月を蝕むものリクィヤレハが混じっているかもしれない。部下が、友人が、使用人が民宗派かもしれない。疑心が疑心を呼び、王党派貴族を中心に混乱が広がっていった。


 それはもう、酷い有り様だった。


 有力な貴族などは引退した魔法使いウィザードを客分として家宅に招く等の対策を取ったが、そういった手段を取れない木っ端貴族たちは家々に閉じこもり、一斉に職務放棄を敢行した。


 その結果、ありとあらゆる役所手続きが滞り、王都は完全に機能停止状態に陥ってしまった。


 これに焦った当時の宰相、シジズモンド・ディ・サヴォイア(王党派貴族)は、軍官や警官の魔法使いウィザードを総動員し、王都中に立たせて検問のような真似事をさせた。要は、王都の警備を増強し安全を確保するから仕事に戻ってくれという訳だ。


 悪くはない手だと思う。しかし、相手が悪かった。


 見えぬ敵への恐怖を払拭するには、治安維持の努力といった効果の目に見えにくい手法では不足だった。


 個人的には、シジズモンド宰相は限られたリソースの中で出来る限りの迅速な対応をしたと思う。書簡を届ける使者すら居ないと聞けば宰相自らが老体に鞭打ち馬を駆り、検問の人手が足りぬと聞けば魔法学院の生徒までもを動員した。


 しかし、その甲斐なく、結果から言えば状況は一向に改善しなかった。


 やがて、シジズモンド宰相の手腕を問う声が王党派内部からも上がり始めた。


『シジズモンドは宰相の器に非ず!』


 日々強まる批判、回らぬ公務。八方ふさがりの中で遂にシジズモンド宰相は精神に変調をきたし、自ら宰相の職を辞した。


 その退陣劇のどさくさに紛れ、空いた宰相の席に就いたのがロイ・アーヴィンだ。もともと次期宰相候補と言われていた、あのヘレナの実父である。


 ロイ・アーヴィンは、シジズモンド批判の最先鋒に立ち幾度となく強い口調で批難を繰り返していた。そんな男が念願の宰相の座に就き、さあお手並み拝見といったところで、彼が何をしたかというと……彼は、なんと


 一ヶ月ほど経ってようやく表舞台に姿を現したかと思うと、やれ「無責任なシジズモンドの性急な辞職によって引き継ぎに混乱が生じている」だの、「無能なシジズモンドの後始末に追われている」だのといった聞くに堪えない言い訳に終始する。


 そして、対策らしい対策を打ち出すことなく、しれっとシジズモンド前宰相の検問路線をそのまま引き継いだ。


 私は、彼自身が批判したものを利用する厚顔無恥さに怒りを覚えると同時、ほんのちょっぴりだけ感心した。彼は人間としては最低最悪の屑だが、政治屋としては最良最善の振る舞いをしたのだ。


 後に知ることだが、彼は表向き何もしてないように見えて、実は裏で密かに手を打っていた。


 まず、シジズモンド前宰相を療養の名目で隔離病棟へと入院させた。貴族らがよく使う長期入院用の病棟だ。これにより、彼はシジズモンドに全てを押し付ける言い訳に対する当人からの抗弁を封じた。


 死人に口なし。政治屋としては死んだようなものであるシジズモンド前宰相の発言権は無に等しく、家族が上げた抗議の声も黙殺され、その名声は地に落ちた。


 しかし、それで当面の体裁は保てたとはいえ、根本的な解決をした訳ではない。このまま状況が悪化してゆけば、いずれはロイ現宰相にも批判の矛先が向くであろうことは自明の理。


 だが、抜け目ない男であるロイ・アーヴィンは、この件に関してでの解決が不可欠であると心得ていた。そして、ということも。


 彼が表舞台に姿を現したのと同時期、一人の『天才』による発明が世に産声を上げていた。


 その名も『魔力偏差検出器バリオメーター』。周囲の魔力反応を読み取り、人間に由来する魔力とそれ以外に由来する魔力を識別することができる魔道具アーティファクト


 これこそ、ロイ現宰相の切り札――での解決である。


 これまでの彼の動きは、全てこの魔道具アーティファクトの量産体制が整うまでの時間稼ぎだった。


「見事だねぇ……ロイ君は」


 新聞を読みながら、シジズモンドさんは安楽椅子の上でうんうんと何度も頷く。その姿には、孫の成長を喜ぶ祖父のような、悟った風な諦めがあった。


 シジズモンド前宰相が入院させられた病棟は私と同じところだった。両者ともに、この国のVIPであるから、これは必然的なことである。


 横断面トランスアキシャルで真っ二つに両断された私は、一週間にも及ぶ集中的な治癒魔法の行使によって体をくっつけてもらい、最近ようやく車椅子で動けるようになった。


 入院中の私の日課は勉強である。今回の功績で実技科目を免除されているので、今のうちに少しでも座学の成績を伸ばそうと病棟の図書室に通っていた。


 その図書室で、元から精神以外に大きな異常はないシジズモンドさんとは度々顔を合わせるようになり、読書という共通の話題を通じて私たちは交誼を結んだ。今や私たちは「シジズモンドさん」「リン君」と呼び合う仲だ。


「凄いねぇ……儂のような無能とは大違いだ」


 いくら自分を追い落とした政敵であろうと、流石に認めざるを得ないのだろう。実際、ロイ現宰相の手腕を見てからでは、シジズモンド前宰相の対応は極めて場当たり的で、近視眼的なものに映ってしまう。


 その先見性、正に機を見るに敏。実に政治屋向きで、私が一番嫌いなタイプだ。


「……確かに、ロイ宰相は有能ではあると思います。ですが、政治屋としての能力の高さが、必ずしも人々の幸福に繋がるとは限りません。少なくとも、私は善性ある人物にこそ宰相になって欲しい」

「慰めてくれるのは嬉しいのだけど、善性があろうと能力がなければ、ね……人々の幸福には……繋がらないんじゃないかなぁ……」


 シジズモンドさんは眩しそうに目を細め、新聞の見出し文を親しげになぞった。


『天才技師、ナタン・メーイールの発明が我が国を救う!』


 ナタン・メーイール――純正土着民レヴァントの血を引く男性の魔法工学技師だ。


 イリュリア王国の魔法工学界は、植民者ゴイ出身者がその大半を占めている。別にそんな法律がある訳でもないのに、土着民レヴァント出身者は魔法工学の道を歩もうとはしない。


 なんとなく、そういうものなのだ。そうするものなのだ。


 しかし敢えて露悪的にも言葉にするなら、植民者から入ってきた技術は植民者外の人のものだと、土着民レヴァントの人々が心のどこかで思っているからだろう。劣等感、というと聞こえが悪すぎるかもしれない。土着民レヴァントの人々の心の中には、まだ植民者ゴイに対する反発が薄っすらと残っていた。


 そんな中、土着民レヴァントでありながら魔法工学の道に進んだ奇特な才人が、タイミング良くエトルリア留学から帰ってきたところへ、ロイ・アーヴィンは秘密裏に接触していたのだという。そして、『魔力偏差検出器バリオメーター』の開発を依頼した。


 シジズモンドさんは読み終わった新聞を畳み、元あった机の上に戻した。


「シジズモンドさん。けれども、昔の人はこうも言ってますよ。善を知る哲人王による統治が最善だと。私も、そうあって欲しいと心のどこかで思っています」

「若いなぁ、リン君は。それは理想主義だよ」

「……いけませんか、理想を語っては」


 私が不貞腐れたように言うと、シジズモンドさんはたしなめるように首を横にふった。


「いいや、理想を語るのは大事なことさ。しかし、それだけではいけない。かといって、逆にただ現実的であり続けるというのも、それはそれで健全とは言えない。大事なのは『バランス』だ」


 シジズモンドさんは、すうっとを指差した。


「上ばかり見ていては、足元が疎かになってしまう」


 そして、今度はすうっとを指差した。


「だからといって下ばかり見ていては、向かうべき方角を見失ってしまうだろう」


 彼の言う「上」とは理想の比喩だろう。そして、「下」は現実の比喩。つまり、どちらにも偏ることなく『バランス』を取り、足元を固めつつも向かうべき方角を見据えることが大事、と。


「しかし、それだと結果的にどっち付かずになってはしまいませんか? 中庸といえば聞こえは良いですけど、妥協するだけに終わるのでは」

「――妥協! そう、それで良いのだよ。人類は妥協を続け、もんどり打ち、苦しみながらジリジリと前に進んできたのだから」


 完璧主義のきらいがある私は、長い年月を経て成熟したシジズモンドさんの〝思想〟に、なかなか共感できないでいた。私に取って妥協は忌むべき存在であり、常に最高・最善を目指して努力を重ねてきた私のこれまでの人生が、それを受け入れることを拒否していた。


 すると、シジズモンドさんはそんな私の心情を汲み取り、ふっと微笑んだ。


「若い……若すぎるな、リン君。それはどこか狂気的ですらある」


 私は「うっ」と言葉に詰まった。


 狂気……そのワードはマネにも言われた。ヘレナみたいな変人と接するうちに、徐々にその影響を受けてしまっているのかもしれない。或いは、単に増長しているだけか。


 痛いところを突かれ考え込む私に、シジズモンドさんは静かに、だが快活な笑みを浮かべた。


「しかし、ね。その若さこそ、世の中には必要な力だ。儂は、近い将来に大輪を咲かせるであろう萌芽をこうして一目見られたのだから、これ以上ない幸せ者だよ」

「やめてください。縁起でもない」

「はははっ……」


 シジズモンドさんは杖をついて椅子から立ち上がり、矍鑠かくしゃくたる足取りで図書室を去っていった。


「さようなら。リン君」


 それが、私が見たシジズモンドさんの最後の姿となった。


 私に全く死期を悟らせることなく、彼は翌日ベッドの中で静かに息を引き取った。気力の切れた人間とはこうも脆いものなのかと、私は愕然とした。


『後に続く者のために』


 シジズモンドさんが宰相時代に掲げていた政治的スローガンだ。


 子々孫々、後に続く者のために。我々が未知を切り拓き、道を整えてやらねばならない。それが人類の本懐であるがゆえに。


 シジズモンドさんは、常々周囲の者にそう言っていたという。


 その言葉が本心からであることを裏付けるものに、教育関係への出資額増加がある。また、五年を目処に平民を含む全国民向けの教育カリキュラムを整備する『五ヶ年計画』なるものもあったそうだが、それも今回のゴタゴタで立ち消えとなるのだろう。


 ただただ、時代が悪かった。


 シジズモンドさんは間違いなく治世の能臣ではあった。しかし、乱世を治められるような器ではなかったのだ。


(どうして、善良なる人から死んでゆくのか……)


 ツォアル候に、シジズモンドさんに、そして……。


「……シンシア」


 私は一歳年下のちょっと変わった女の子のことを思い出し、居ても立っても居られず車椅子を動かした。


 辿り着いた病室にノックもせず入ると、彼女は驚いたように手元の本から視線を上げて私の方を見た。


「――いきなりどうしたんですか? リンお姉様」

「なんか、アンタの顔が見たくなっちゃって」


 大怪我を負い意識不明状態にあったシンシアだが、治癒魔法士の懸命な治療のおかげで何とか一命はとりとめた。私と違って怪我の範囲自体は狭かったので、あと一、二週間もすれば退院できるという。


 今だからこそ、良かった良かったと彼女の生存を手放しに喜べるが、彼女の意識が戻ったのはごく最近の話だ。それまで一体、私がどれだけ気を揉んだことか。


 シンシアが意識を取り戻してから、私たちは今までの「利用する方」と「利用される方」という他人行儀な関係を改めるべく、少しずつささやかな言葉を交わし合った。


 彼女がさっきまで読んでいた本も、私が薦めたものだ。


 算術が苦手というので、私が四歳の頃にパパから誕生日プレゼントとして貰った『初等算術入門Ⅰ・Ⅱ』という本を病院の図書室で借りてきた。これで算術に対する彼女の理解が深まると良いが。


「良いんですか? さっきまでシジズモンド前宰相の葬儀に出席していたんでしょう? まさか、退屈で抜け出して来ちゃったんですか?」

「まあ、そんなトコ……」


 私は車椅子を漕いでベッドに横付けする。それを見ながら、シンシアは悪戯っ子のようにくすくすと笑った。


 シンシアの顔を見て満足したが、本当に顔を見て帰るのでは味気ない。退屈は退屈なのだ。入院生活というものは。


 何か話題はないかと考え、私は「あっ」と声を上げた。


「ねえ、そろそろアンタの容態もそろそろ落ち着いてきたみたいだし、あの時のことを聞いても良い?」

「あの時?」

「ツォアル候を狙う刺客と戦った時のこと」


 そう言うと、シンシアは難しい顔をした。だが極端にネガティブな反応ではなく、死にかけたというのにさほど尾を引いている訳ではなさそうだった。トラウマとかにはなってないようで安心した。


「良いですけど……別に大した情報は出てきませんよ? 見たまんまですから……」

「そういうんじゃないわ。戦闘内容に関しては期待してない」

「は、はっきり言いますね……」


 シンシアは、「なら、何を?」と聞き返してくる。


「……正直、アンタが命を賭してまで戦うタチには見えなくてね」


 私に私闘を挑んできた時は、眼玉の一つや二つであれほどビビリ散らかしていたシンシアが。まさか、命を賭してまで戦うなんて。


 王党派のため、ヘレナのため、ツォアル候のため、国のため、鉄道のため……色々と考えてはみたが、どれもしっくりこなかった。


 シンシアは、尊敬に値する同性には「お姉様」と敬称を付けて呼ぶ。至極分かりやすい敬意の表し方だ。けれども、そんな分かりやすさとは裏腹に、その心の中では誰からも一線を引いているように見えた。私からも、ヘレナからも。


 王党派貴族とその使用人との間に生まれた私生児という出生からしても、王党派のためではないだろう。ましてや、ツォアル候や国や鉄道のためだなんて、シンシアはそこまで頭が回る奴ではない。


 では、どうして?


「あの時、何を考えていたの?」


 私は、これから彼女と付き合ってゆく上で、どうしてもそれを知っておきたかった。


「シンシアは何を考えて……ツォアル侯を襲った刺客と戦ったの?」


 シンシアは、再び難しい顔をして暫く唸ってからポツリと答えた。


「……なにも?」


 後ろに疑問符をつけて。


「『なにも』ってことはないでしょう……」


 自分のこともわからないのかと私は呆れ気味だった。すると、シンシアはしどろもどろになって言い訳する。


「いえ、あの、ホントになにも考えてなくて……」

「怖くはなかったの?」

「それは……はい。屋根裏から見てたらツォアル候が襲われそうになって……『危ない!』って思ったら、身体が勝手に動いて……後はもう、無我夢中でした」


 嘘を言っているようには見えなかった。彼女は、心の底からそう言っている。あれほどビビっていても、いざとなったら何時も通りに勢いに任せて突撃か。そんなだから、大怪我を負う羽目になるんだ。考えて戦えと言ったのに。


 らしいっちゃらしい。そう得心すると、不思議と笑いが込み上げてきた。


「ふふっ、あはははっ!」


 そうか、これがシンシアか。


 ヘレナが、シンシアを理由も今なら分かる。阿呆すぎて私はシンシアを警戒しなかったし、その動きを正確に読むことが出来ていなかった。きっと、彼女自身もをさせられているなんて、自覚すらしていなかったことだろう。


 全く、馬鹿らしい。


 こんなことにも気づけなかった自分が、だ。


「あっははははは!」

「そ、そんなに笑うことですかぁ!?」

「ふふっ……そうね。悪かったわ。……プッ! あっはははは!」


 その日、私はシンシアの顔を見る度に笑ってしまい、マトモに話せるようになるまで何日か時間を置かなければならなかった。

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