5.愛国者 後編 その⑤:死活

(マズイ……アメ玉を奪われた……!)


 ドッと冷や汗が吹き出てきた。今度という今度は本気で不味い。アメ玉の残数を計算しながら戦っていたというのに、これでは補給ポイントまで間に合わない……!


(どうする……!?)


 必死に脳みそを回転させる私の眼前で、サフルは余裕をもってポーチの中身を物色する。


「アメ……か? これが、その『スライム』の燃料エネルギーだな」


 サフルはポーチを思い切り振りかぶり、その腕力に物を言わせて遥か遠くへ投げ飛ばした。


 これはもう、駄目かもしれない。そんな考えが頭を過ぎった、その時。


「退くぞ、リン! もう勝てねえ!」

「……は、はぁ?」


 発した声は震えていた。しかし、それは怯えからくる震えではなかった。


 これは――武者震いだ。


 私は震える脚で一歩、サフルへ向けて踏み込んだ。


「ア……アンタ、私を説得したいなら言葉を選びなさいよ……」


 用意していた道具は殆ど使った。アメ玉も失った。


 それでも、まだ――『勝機』はある。


 いや、例え『勝機』がなくても……私は勝たなければならないのだ。


「勝てない? そんなこと言われたら、私はじゃない……!」


 なぜなら――『天才』に敗北はないのだから。


 サフルが顔を歪める。彼の私を見る眼は、まるで奇異な珍獣を見るような眼だった。


「理解できないな。ほうにそこまでする理由があるのか?」

「アンタは私を舐めた。それはきっと、私にとって命を賭してそそぐべき恥辱なのだと思うわ」

「そんな理由で……! 我々の崇高なる目的を妨害しようというのか! 狂っている……!」


 困惑と怒りの入り混じった表情で、サフルは率直な罵倒をぶちまける。


(もう少し、時間稼ぎできそうね……)


 覚悟を決めたおかげで、既に私の頭は冷静さを取り戻していた。取り敢えず、気になったワードを拾って話題を振ってみる。


「崇高なる目的ねぇ……そもそも、私たちはアンタたちの目的なんて知らない訳よ。支持を得たいなら演説でもしてみれば?」

「……良いだろう。時間稼ぎが望みと知ってなお、それに付き合ってやる。ほうに譲れぬものがあるように、この俺にも譲れぬものがあるのだ!」


 私の考えは見透かされていたらしい。だが、付き合ってくれるというのなら好都合。そのまま話して貰おうではないか。


「我々の目的――それは建国だ!」

「はぁ? 建国……? アンタたち、たった数十人ぽっちで? そりゃ、おめでたい話ね」

「否! 我々は民族自決の精神に則り、大移動以前の版図をもとに諸民族の分離・独立を目指す者である!」


 これが、彼の〝思想〟――予想以上に大きく出たなというのが率直なところ。


 到底、実現可能なものとは思えない。だが、その言葉に秘められた熱量は半端なものじゃなかった。実際、ズラーラはまんまとその熱にあてられ、民族のためと盛り上がってしまったのだろう。どうせ、これまでの人生で一度たりともそんなことを考えてこなかっただろうに。


「で、それとツォアル候を暗殺することに何の関係が?」

「この国の構造は歪んでいる! 植民者ゴイの大量植民により我々は隷属を強いられ、あるべき姿から歪められてしまった! しかし、数百年の雌伏の時を経て、その歪みもようやく正される時が来たのだ! 昨今の諸地方の興隆を見よ! 我々の優れた資質が実を結び、既に中央と諸地方の力関係は逆転した! にも関わらず、時流に逆らい王党派貴族に媚びる裏切り者がいるではないか!」

「……それが、ツォアル候って訳ね」


 王党派と諸侯派、その力関係の逆転傾向については反論の余地はない。彼ら『怒れる民アルガーディブ』が台頭してきた経緯は知れた。無軌道にツォアル候を殺した訳でもないのも分かった。


 だが、一つ分からないことがある。


「建国して、どうするのよ。一体、誰が統治するというの? そういう将来的なビジョンもないのにそうそう賛同者が集まるものかしら」

「その点は問題ない。俺は、野蛮な植民者ゴイどもによって最初に亡ぼされた国……ペリシテ都市州を治めていた元首の正統後継者だ」

「へえ! そりゃ求心力は申し分ないわね。旗手としてはこれ以上ない適任よ」


 でもね、と即座に私は続ける。


「そのペリシテ人も元々はクレタ島辺りから入植してきた民族と聞くわよ? ペリシテ人に国を持つ権利があるというなら、副次的に大移動で入植してきた植民者ゴイにも同様の権利も保証することにならない?」

「戯言を……! 国を丸ごと分捕るのと一地域を占有するのでは規模が大違いだ!」

「そうかしら。それに混血の扱いもどうするか聞きたいところね。何を隠そう私がだから。まさか、植民者ゴイと一緒に叩き出す訳? 住処を追い立てられて、黙っていられる人間ばかりじゃないのは皮肉にもアンタたちが証明しているわ。その再現になるだけよ。で、争いになったらアンタたちは敗北する」

「……なぜ、そう言い切れる」

月を蝕むものリクィヤレハは、魔法使いウィザードに勝てないから」


 私はカラギウスの剣を構え、最後のビットをマネに渡した。それに応じて、サフルも腰を落として槍を構える。


 どちらからともなく私たちは互いに呼吸を合わせ、限界まで緊張を高めてゆく。


 そして、緊張が弾ける――その寸前、私は彼の気勢をくじくべく口を開いた。


「ところで――まだ、刺激臭はする?」

「何……?」


 サフルは怪訝な顔をして、いつのまにか気にしなくなっていた刺激臭を探し……そして、激しく咳き込んだ。


「ぐっ――ゲホッ、ゲホッ!」


 これまでは脳内物質アドレナリンの分泌によって痛覚が麻痺していて、気付けなかったのだろう。


(ようやく、効いてきたようね)


 サフルの身体を侵しているもの――それは酸だ。


 私が投じた酸の中には揮発性の高いものも多く含まれていた。当然、それらを吸い込んで無害な筈もない。


 塩素、フッ化水素などの水溶性ガスは、吸入から数分以内に鼻腔、口腔、気管などに熱傷を起こす。だが、それぐらいならで、もし肺腑の奥底まで吸い込んでしまった場合は細気管支炎や肺水腫などを引き起こす危険性もある。


 それを踏まえた上で彼の症状を見ると、血液まじりの咳、嘔吐き、息切れなどが生じ、呼吸困難にも陥っているように見える。


 ――殺せる!


(これが、私の見出した最後の勝ち筋……!)


 遺構群に突っ込んだ時、サフルは砂煙に咳き込んでいた。酸を投げつけた時、『刺激臭がする』と言った。これはつまり、彼が常に吸気を濾過フィルタリングしている訳ではないということを意味する。


 とにかく、私はその一点にのみ期待した。投げつけた酸がサフルの呼吸器官を介して、彼の内部を侵し尽くすことを。


 時間稼ぎのために無駄話をした甲斐があった。


「おいリン、見ろよ! 石が剥がれ落ちてくぜ!」

「絶好の機会チャンスよ、ここで仕留めに行くわ!」


 サフルの石の表皮がぼろぼろと崩れ落ち始めたのを見て、私は猛然と間合いを詰める。やはり、常に魔力を巡らせている理由は石の表皮を保つためだった。予想と準備が全て上手く行き、私は有頂天になってサフルへ飛びかかる。


「――首から上に撃てェ!」


 私は射線を確保するために、地面に蹲るサフルの直上へ跳躍する。そして、剥き出しになった地肌へ照準を合わせさせる。


「くたばりやがれッ!」


 最後のビット射出シュートされる。その狙いは、マネにしては完璧なものだった。


「ぐっ――!」


 しかし、サフルはギリギリで間に右手を挟み込む。それによりビットは、サフルの右手を縫い止めるように首元に突き刺さりこそしたが、致命傷は回避されてしまった。


 残存ビット数――ゼロ


(ここで追い打ちをかけなきゃ、いつかけるッ!?)


 私は落下しながら首元に突き刺さるビットめがけて手を振り下ろす。このまま、カラギウスの剣の柄を叩きつけて打ち込んでやる。


(これで……私の勝ちだッ!)


 気を付けるのは最後っ屁だけ――そう、意識はしていた筈だった。


 勝利を目前に控え歓喜の起こりは感ずれども、それに浮かれてしまうような驕りは捨てたつもりだった。


 しかし、その上で現実にということは――やはり、私の中にも恥辱程度では拭いきれない、月を蝕むものリクィヤレハに対する侮りがあったのだろう。


「――爆破装甲テマザク


 ボン、と火薬の弾けるような音がした。


 何が起こったのか、すぐには理解できなかった。ただ腹部を突き抜けていった燃えるような感触と、ズレ落ちる視界の処理に私の脳は追われていた。手づから打ち込んでやろうと振り降ろした手が、てんで見当違いの方向へ流れてゆく。


 視界の下端に何かが飛び散っていた。


 これは――血?


(私の血……?)


 鈍い衝撃を感じながら私の体は地に落ち、転倒した視界は墨を塗り込めたような夜空を仰いだ。


「――戦術――二――七――」


 マネが何ごとか話している。しかし、その何一つとして鮮明に聞き取れぬまま、視界が意識ごと暗転してゆく。


「……全ては先祖の無念を晴らすために」


 全ての感覚が闇に閉ざされつつある中、その声だけは妙に鮮明に聞こえた。苦しみながら立ち上がるサフルが微かに視界の端に見える。もう私の方を見向きもしない彼の身体には、一つの表皮も残っていなかった。


(石の表皮を……?)


 ここで、ようやく状況を理解した。サフルは爆弾のように石の表皮を炸裂させ、私を横断面トランスアキシャルで両断したらしい。そして、上下で泣き分かれた私の体が、ズレ落ちたのだ。


 なんて威力の隠し玉を持っていやがる。だがその分、相応に消耗は激しいのだろう、サフルからはもう魔力の気配を感じず、また新たに石の表皮を纏おうともしない。


「其の方も……ツォアル候も……恭順は望むべくもないにしろ、我々の警告を聞き入れさえすれば死なずに済んだものを……」


 サフルは、右手と首に突き刺さるビットを引き抜いて投げ捨てると、地面に転がる石塊の槍ロムフを拾い、足を引き摺りながら我々の本陣を目指し始める。彼は、その体でまだ戦うつもりらしい。


 彼の姿が朧気な視界から完全に消え去ると、視界の暗転は急速に進行していった。


 暗い。

 暗い。

 暗い。


 ……――視界が完全に暗転する。


(暗い……死んだのか? 私は……)


 そもそも思考が、できているのかいないのか。生きているのか、いないのか。それすらも曖昧でハッキリとしない。


 ただただ、冷たい暗闇の中に私はあった。


「――もう――救援は――間に合わない――? 時間――稼がれすぎて――」


 ふと、サフルの声が聞こえた。


 まだ聞こえる。


(……私はまだ死んでいない)


 なぜだか分からないが、私はまだ生きているようだった。しかし、動こうにも動けないので、私はじっと耳を澄ませた。それ以外にできることもなかったから。


「――良い勉強に――。魔法使いウィザード――子供とはいえ――侮っては――」


 認めてくれた……? あのサフルが? 大人の魔法使いウィザードを何人も屠っている強大な彼が?


 生死の狭間で、私は確かに喜びを抱いた。


 しかし、それもサフルの次の言葉で敢えなく吹き飛ばされることとなる。


「だが――だ」


 ――は?


「負けて……ない」


 カッと全身に熱が巡る。それに呼応するかのように、グググ、と油の差されていない車軸のように鈍い動きで私の身体が持ち上がり始めた。


 熱い。

 熱い。

 熱い。


 これは――命の熱だ。

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