1.スライム その③:――どいつも、こいつも!

 期日ギリギリで【契約召喚パクトゥム】の課題を終えたのは三組トレースでは私だけだったらしく、授業開始前から要らぬ注目を集めてしまった。


 担任教師は空気も読まずに「見せてほしい」などと言ってきたが、「手間なので」と正直に答えるとようやく察した。「見捨てられたんでしょ~?」と何処からか意地の悪い野次が飛んできたが、努めて無視した。その後の割れんばかりの馬鹿みたいの笑声も。


 確かに『スライム』が勝手にどこかへ行ってしまった時は焦ったが、どうしても必要になった時はゲートを開いて再召喚してやればいい。それは、私のような落ちこぼれにとっては非常に手間な作業だが、学院中を闇雲に探し歩くよりは確実だ。しかし、今のところ再召喚の予定はないのだから放っておけばいい。


 とにかく、今日も無事に学院生活が終了した。その事実だけが私の心に安寧を齎してくれる。今日は実技の授業がなくて良かった。更なる恥の上塗りをせずに済んだのだから。


 しかし、そうして得た安寧の時は脆くも立ちどころに崩れ去る。いくらか軽くなった足で学院の敷地内にある第三学生寮テルティウム・ドルミトーリウムへ向かう途中、顔も見たくない連中と出くわしてしまった。


 そのグループの先頭を行く、いかにも名家の令嬢然とした金髪ロールヘアの女――ロクサーヌが、さも今気付きましたという風にわざとらしい驚嘆の声をあげた。


「あら、そこにいるのはリンさんではありませんこと?」


 本当だ本当だと取り巻きの女どもが口々に肯定する。誰かと会話する気分ではなかったので、無視してその横を通り過ぎてやろうかと勘案していると、ロクサーヌが手前勝手にべらべらと話し出す。


「ここのところ、『剣術クラブ』の方に顔を出してくれないんですもの。わたくし、とっても心配していたんですのよ!」


 魔女ウィッチの本分は魔法だ。魔力切れや杖の紛失など万が一を想定して、多少は近接戦闘の心構えも求められるが、それでも授業として習うのは徒手格闘の基本的な体術のみ。剣だ槍だ弓だなんてのは殆ど趣味クラブ活動の領域だった。


 だから、欠席しても責められる謂れはないし、実際に責められている訳ではないのだろうが、それでも言い訳せずにはいられなかった。


「……バイトで、忙しかったからね」


 それは折れ曲がり、摩耗し、もはや原型を留めぬ私のちっぽけなプライドの発露だった。


 【契約召喚パクトゥム】の課題は、中等部二年生への進級と同時に担任教師から申し付けられる。期日は二ヶ月。その期間中、私は契約に捧げる代価探しと、その資金調達に奔走しており、クラブ活動アクティビティにはめっきり顔を出せていなかった。


 もちろん、【契約召喚パクトゥム】については誰もが知っている常識なので、私は以前から時間を見付けては資金調達と代価探しに励んでいた。だが、そんな努力の甲斐なく、今日を生きるのがやっとの苦学生に用意できる金額や物品なんて、たかが知れていた。


 そういう訳で、さんざん思い悩んだ挙げ句、結局は断腸の思いで父の形見の指輪を契約の代価に選んだ訳だ。


 ロクサーヌの耳元で、取り巻きの一人が内緒話を囁くように言う。


「ロクサーヌ様。ほら、彼女は実技の成績が悪いものですから、国からの支援金も少ないんですの。その上、実家も貧乏なので仕送りも見込めず、毎日あくせく働かなければ生計を立てることすらままならないのですわ。無理を言ってはいけません」

「ああ……そうでしたわね」


 思わずチッと舌打ちが漏れる。相変わらず嫌みな連中だ。ロクサーヌは不必要に声がデカくて煩いし。なぜ、そんな喧しいぐらいに元気なんだ。聞いてるこっちが疲れてくる。


「ところで、噂は聞きましたわ! 【契約召喚コントラクトゥス】は無事に終えられたそうですわね」

「……悪いけど、ここで使い魔メイトを披露してあげられるほど暇じゃないの」

「あら、それは残念ですわ!」


 いい加減に嫌気がさしてきて、もう無理矢理にでも帰ってしまおうと強引に歩みを再開させたところで、ロクサーヌが私の腕を掴んで引き止めてきた。


「お待ちになって」

「……なによ、世間話ならもういいわ」

「リンさんが知らないであろうことを、わたくしが親切心で教えて差し上げましょう!」


 精一杯うんざりとした表情を作ってロクサーヌに向けてやるも、彼女は全く取り合うことなく続ける。


「まあまあ、お聞きになって? そろそろ、前期・大魔法祭エスタス・フェストゥムの季節ですわ! 去年までは他国の猛者たちと鎬を削る先達を指をくわえて見ているだけでしたが、今年からはわたくしたちにも参加資格があることをお忘れでなくて?」


 忘れてはいない。が、正直どうでもいいと思っていた。剣術クラブに所属している私は、今後どこかのタイミングで行われる代表選考試合に勝ち抜けば、国際的なイベントである大魔法祭フェストゥムの剣術部門に出場できる。


 しかし、代表選考試合に限らず、これからの授業やクラブ活動アクティビティの試合は原則、使い魔メイトも共に戦うものなのだ。魔法使いウィザード使い魔メイトは一心同体。二人で一人。どこへ行くにも何をやるにも一緒だ。


 私は違うようだけど。


 ともかく、代価探しにぎりぎりまで時間を費やしていた所為で、私には二ヶ月のハンデがある。仮に運良く有用な使い魔メイトを召喚できていても、連携を磨く暇がないので代表選考試合は棄権するつもりでいた。


「私は棄権するわ。二ヶ月のブランクとハンデがあるしね。昨日今日で追いつけるとは思ってない」

「ええ!? それはとても残念ですわ……」

「どうしてよ。剣術の試合なんて、どうでもいいじゃない」


 なぜ残念がる。ロクサーヌのその感情は本物だったので、全く意味が分からず反射的に聞き返してしまった。だが、そのことを私はすぐに後悔した。帰るなら今のタイミングだったのに。


「三日後に行われる代表選考試合のカードは既に組まれていますの。そして、一回戦第三試合のカードは――なんと! わたくしとリンさんなんですのよ! わたくし、久しぶりにリンさんと試合ができると思って楽しみにしていましたのに……」


 ロクサーヌは悲しそうに眉を寄せる。唐突なラブコールだが、私の内心は白けきっていた。


 よく言うよ。そうまで自信があるということは、ロクサーヌは有用な使い魔メイトを召喚できたのだろうか。いや、ロクサーヌはいつもそうか。いつだって自信過剰だ。張っ倒してやりたいよ。できるものならね。


 私には普段話すような友人もいないので、自慢気に見せびらかして歩いている生徒の使い魔メイト以外はあまり把握できていない。当然、ここのところ剣術クラブという唯一の接点を欠いていたロクサーヌの使い魔メイトも。


 私が何も言わないでいると、ロクサーヌの取り巻きどもが出場するように無言の圧力をかけてくる。人の気も知らずに、何を勝手な。


「そう、私とアンタがね。残念、出ないから。じゃあ、私はもう行くから――」

「――そうですわ!」


 腕を振り払い、再び会話を打ち切って帰ろうとするも、耳元で叫ばれたロクサーヌの大声に竦んでしまう。耳を抑えながら振り向くと、ロクサーヌの顔には良いことを思いついたとばかりに満面の喜色が広がっていた。それを見て、私はなにかとてつもなく嫌な予感がした。


「折角の機会を棒に振るなんて損ですわ! 大損ですわ! ですから、こうしましょう! わたくし、リンさんとの試合では使い魔メイトを召喚せずに戦いますわ! これで、棄権する理由はなくなりましたわね?」


 それは良いアイディアだと阿呆の取り巻きたちがロクサーヌを褒め称える。しかし、私に取っては寝耳に水の提案すぎて頭がまだ付いていかない。


「いや、急に何を……」

「もし、リンさんが勝ったら二回戦目から棄権すれば良いのですわ! ――ああ、これはわたくしが勝手にやることですので、別にリンさんは使い魔メイトを召喚しても構いませんわよ?」

「――は?」


 早口に捲し立てられる言葉に反応しきれず固まっていると、ロクサーヌは「それでは用事がありますので。ごめんあそばせ!」と最初と同じく手前勝手に早足で歩き去っていった。その後ろを、金魚のフンみたいに取り巻きたちがぞろぞろと追いかける。


 『スライム』に続いてまたまた取り残された私は、遠ざかってゆくロクサーヌの背中をただ呆然と見送ることしかできなかった。




 ――どいつも、こいつも!




 『スライム』も、ロクサーヌも、その取り巻きも、教師連中も、同期生も、上級生も、果ては下級生でさえ!


 どいつもこいつも私を軽んじている。下に見ている!


 しかし、投げかけられる心ない言葉に対して、何一つ言い返せない自分が余計に惨めで腹立たしい!


 ――全て、事実だからだ!


 胸くその悪い面罵をぶつけられる度、私はいつしか納得を覚えるようになっていた。なぜなら、その全てが純然たる事実の列挙に過ぎないと気付いたからだ。


 だからといってムカつかない訳ではない。


 ムカつく。ムカついてしょうがない。『スライム』との喧嘩別れと、ロクサーヌの舐めた提案をキッカケに噴出した激情は、時間と共に際限なく膨らみ続けて気付けば私の思考を支配していた。


「舐めやがって」


 寮の自室に戻った私は一直線に机へと向かう。そこには、忙しさにかまけて放りっぱなしにしていた『剣』が無造作に転がっていた。


 通常の剣から刃と鍔を外し、柄だけにしたような見た目のこの『剣』は、内蔵された『魔石ノクティルカ』のエネルギーを利用し青白い魔力刃を展開する非致死性武器――通称『カラギウス(魔法士)の剣』と呼ばれる魔道具アーティファクトだ。


 攻撃対象の肉体や衣服を傷付けず、果ては魔力を付与していない武器や鎧すら透過しアニマだけを断ち斬る魔法の剣。アニマを斬られた者は、一時的な行動不能状態に陥る。魔法使いウィザードなら一時間、一般人なら丸一日。


 その性質上、競技や訓練、暴徒鎮圧など広く使われる。また、必要とあらば出力を上げることで魔力刃を実体化させ殺傷することも可能。


 極めつけは、使い手の魔力に依存しないので、そこらの一般人であろうと私のような非才な魔女であろうと問題なく同じように使用できるという、まさに文明の利器だ。欠点は本体も魔石ノクティルカもいささか値が張るから一般人の護身目的には適さないぐらいか。


 代表選考試合は三日後の予定だ。今から少しでも動いておかないと、鈍った体はマトモに動いてくれないだろう。


 自分の中の冷静な部分が、やはり棄権した方がいいと囁く。また負けて恥をかき、惨めな思いをするだけだと。しかし、その極めて現実的な公算に反して、私の手は淀みなく机上のカラギウスの剣を手に取っていた。


 負けたくない。舐められたくない。軽んじられたくない。


 どれも偽らざる私の本音。弱さを理由にずっと押し殺してきた生の感情が、限界を越えて表に溢れ出してきていた。


「私は……『根性なし』なんかじゃない……!」


 フラストレーションの赴くまま、私は自室を飛び出した。

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