第9話:君も堕ちてよ

 それから二年後。決行日の少し前。


「ねぇ月子、ビデオメッセージ撮らない?」


「ビデオメッセージ?」


 私の提案で、ビデオメッセージを撮ることになった。同性婚が法制化される未来が来ることを想定とした、美夜の結婚式で流すビデオメッセージ。そのためのドレス選びに、海もため息を吐きながら付き合ってくれた。


「……なんか月子、凄いえっちね。胸元開きすぎじゃない?」


 私が月子に選んだのは真っ赤なドレス。露出度は少し高め。


「……帆波が選んだんじゃん」


「海がいやらしい目で見てるから着替えましょう。もうちょっと露出控えめなやつにしよう」


「いや、見てるのは君だろ」


「見るでしょ! あんなえっちな格好してたら!」


「選んだの君だろ。てか、結婚祝いなんだから、色と露出度考えろ馬鹿」


「け、結婚式のご出席用でしたら、確かに派手すぎますね」


 店員に苦笑いされてしまう。月子のドレス選びが楽しくて趣旨をすっかり忘れていた。


「ですよね」


「えー。似合ってるのに」


「主役より目立つだろうが。馬鹿」


「むぅー。……わかったよ。月子、次探してくるから着替えててー」


「はーい」


「はぁ……僕も一緒に探す。帆波に選ばせてたらいつになるかわからん」


 いくつか試着をし、最終的に露出度の低い黄色いドレスを購入する頃には、外はもうすっかり暗くなっていた。私は一旦、自分のドレスを取りに家に帰った。


「友達と家でパーティするんだ」


「家なのにドレス着て?」


「そう。雰囲気だけでも味わいたくて」


「ふーん」


「じゃ、行ってきまーす」


 父も母も、そして姉も私がもうすぐ死ぬなんて、考えてもいないだろう。私が死んだ後、自分を責めるのだろうか。想像すると少しだけ罪悪感が湧いてくる。でも私はもう後戻りはしない。月子と二人で旅に出る。もう、そう決めた。誰に何を言われたって、私はもう止まらない。止まれない。

 ドレスの入った紙袋を揺らしながら、軽快な足取りで海の家に向かう。上を見上げると、ベランダでタバコを吸う海を見つけた。その隣には月子。手にはタバコ。

 エレベーターで上がり、玄関のドアを勢いよく開き、ベランダに一直線に向かう。


「ちょっと海!私の月子口説かないでよ!」


「口説いてねぇよ。ただの世間話」


「どうだか。海、節操無いから」


 昔はそうではなかった。だけど、高校を辞めてから海は変わった。荒れてしまった。美夜からよく愚痴を聞かされていた。『別れたい。けど、手を離したら居なくなってしまいそうで怖い。どうしようもないくらい好きなの』と泣いていた。共依存だったのだろう。私達もきっと、人のことは言えないけど。


「人の女に手出すほど飢えてねぇよ。むしろ女なんていくらでもいるし。そもそも月子は僕のタイプじゃないし」


「最低! クズ!」


「うるせぇ。はよ着替えろ。撮影始めるぞ」


「まだ着替えてるから振り向かないで! えっち!」


「はいはい。急いでくださーい」


「月子ー。ジッパーあげてー」


「はいはい」


「月子。終わったら呼んで」


「はーい」


 ベランダの窓を閉めて、私の着替えを手伝ってくれた月子は、少しタバコ臭かった。海の匂い。私の月子から海の匂いがする。ちょっと妬いてしまっていると、彼女は私を呼んだ。


「ん?」


「……法律、変わると思う?」


「……私は信じてるわ。私達の死が議論を進めるきっかけになるって。海が、その他の心優しい人達が、私達の悲劇を希望につなげてくれるって」


「……そっか」


 死んだらどうなるのだろうか。もし残れるなら、世界の変化を見届けたい。


「海、呼んでくる」


「ん」


 呼ばれてやってきた海は、淡々と三脚を立ててカメラをセットした。


「じゃあ、撮るよ」


「海は入らなくて良い?」


「僕は直接伝える」


「その頃には音信不通になってそう」


「……だろうね」


「ちゃんと渡してよ?」


「大丈夫だよ。僕、顔広いし。なんとかなる」


「なんとかって。もー」


 カメラの正面に置かれた、隣り合って並ぶ椅子に二人で座る。彼女は合図をして、一枚写真を撮ってから、ビデオカメラを回し始めた。撮った写真は式に出席する時用らしい。


「美夜、久しぶり」


「久しぶり。美夜」


 カメラに向かって手を振り、祝いの言葉を紡ぐ。この国で同性と結婚する友人へ。今はそれが不可能でも、いつか可能となる未来を信じて。


「結婚おめでとう。美夜。……どうか、幸せになってください。私達の分までとは言いません。私達は、私達なりの幸せを掴むための選択をしたから。後悔は、ありません」


 きっと世間は私達を可哀想だと言う。両親は責められるかもしれない。けど、後悔なんてない。しない。もう今更止まらない。止められない。何があっても。


「以上です。それでは、さようなら」


 美夜にはもう二度と会えない。なのに、悲しさを感じない。涙も一滴も流れない。私の心はもう、すっかり乾ききっていた。


「……いつか、流せる日が来ると良いね」


 ビデオメッセージを撮り終えると、月子が涙声で呟く。


「きっと、海が実現させてくれる」


「僕にそんな権力ねぇよ」


「権力はなくても、海は沢山の人に影響を与えたじゃない。私と月子が付き合えたのは海のおかげだし、美夜が自分を同性愛者だと認められたのも、同性愛は病気なんかじゃないって海が堂々としていたおかげでしょう? きっと、海に勇気をもらった人は沢山いるよ。ありがとう海。君に会えてよかった」


「私も。君に会えてよかった。君が居なかったら、私は帆波と付き合えていなかったから」


「……身近な人間数人に影響を与えたところで、国は動かんだろ」


「ううん。きっと、君からもらった希望を、別の人にあげる人が出てくるよ。そうやって、希望のバトンはどんどん繋がっていく。……だけど……差別が蔓延るこの世界では、誰もが殺人者になりうる。それを知らしめるためには、多少の悲劇が必要だと思うんだ。希望だけじゃ、世界は変わらない。だから私達は悲劇を作る。海は、私達みたいなマイノリティがこれ以上差別に殺されてしまわないように、希望を振り撒き続けて。私達の選択を、可哀想な二人の同性愛者の悲劇で終わらせないために。悲劇から続く希望の物語を描いてほしい」


 ホッチキスで止められた一冊のノートを海に渡す。中身を見て、海は顔を顰める。ノートには私の遺書と計画の全容が綴られている。月子の想いもそこに少しだけ載っているが、ほとんどは私の恨みつらみだ。


「今日はありがとう。海。計画書は海が保管して。映像は、時が来るまで誰にも渡しちゃ駄目だよ」


「……あぁ。大丈夫だ。隠しておく」


「あ、分かってると思うけど、この家は多分危ないよ。私達が最期に会うのは君なんだから。事件性があると判断されれば、必ず、警察が事情を聞きに来る」


「遺書の原本を渡さなかったのはなんで?」


 月子が私に問う。


「海の家から遺書が見つかったら、計画知ってたのになんで止めなかったのって、海が責められちゃうでしょう?」


「あぁ、なるほど……」


「だからあれは、私の家から発見されることにする。海、渡した遺書のコピーも映像と同じく、ほとぼりが覚めるまでは隠しておいてね」


「分かってる」


「海は何も知らなかった。この計画は全て二人で行った。そういうことにしないと、海が自殺幇助で捕まっちゃうかもしれない」


「直接手を下さなくてもそうなるのか?」


 海が首を傾げる。そんなこと聞かれたって私にはわからない。


「それは私も法律に詳しいわけじゃないからわからないけど……法が許してくれたとしても、きっと、世間が許さないと思う。何も知らない生きることが幸せだと信じて疑わない幸せな偽善者達に、海のことを悪人にされるのは嫌だし、その偽善者達にのせいで私達の死がただの不幸な死になってしまうことは避けたい。私達の選択を、可哀想な同性愛者の物語として偽善者どもに消費されたくはない。だから海、警察やマスコミに何を聞かれても『知らなかった』で通すんだよ。証拠さえ出なければ大丈夫。美夜には手紙書いたし、彼女なら私達の気持ちを汲んでくれると信じてる」


「……あぁ。分かっている。僕は何も知らなかった。知っていたら止めていたはずだ。大事な親友だからな」


「……うん。お願い。じゃあ、私達は一旦帰るね。また今度。次はXデー前日の夜に」


「おっさんに店を貸し切れるように頼んでおくよ。最期に乾杯しよう。……三人で」


「ありがとう」


 月子と一緒にお礼を言って、海の家を出る。家までの道を歩いていると、ふと、派手なネオンが光るホテルが視界に入った。


「ね。月子」


 隣を歩く月子の指に、指を絡める。彼女は私の視線の先を見て、察したのか俯いた。


「……女同士って、入れるの?」


「行ってみて断られたらお家でしよ」


 入店拒否はされなかった。

 彼女はもうすぐ死ぬ。私と一緒に。そんなこと忘れさせてあげるくらい激しく、熱く、そして甘く彼女を抱く。


「あっ……」


 彼女の首に手をかけて、ゆっくりと絞める。彼女は苦しそうに喘ぎながらも、抵抗はしない。このまま殺されたってまわないと言うように、愛おしそうな目で私を見つめてくれる。そんな彼女を見るとたまらなくなる。私の中の苛立ちも、怒りも、呪いも、劣情も、狂気も全て受け止め、受け入れてくれる彼女がたまらなく愛おしい。このまま彼女の命さえ奪って私のものにしたい。だけど殺さない。まだ、殺さない。死ぬ時は私も一緒だから。きっとそれも分かっているから抵抗しないのだろう。


「げほっ、げほっ……絞める時は一言言ってからにして……」


「……ふふ。ごめん」


 少し震えている彼女を抱きしめる。彼女は抱きしめ返して、こう囁いた。


「大好きだよ。帆波」


「私もよ」


 深い闇の海に、彼女を引きずり込む。真っ暗で何もない、一切光の差さない闇の底に。だけど大丈夫。ここには私が居る。私がいれば、あなたはもう、何も要らないでしょう? 私のその問いかけに彼女は、こくりと頷いた。

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