第15話

「……ここにいたの」

 真っ暗な公園で、つぶやく声が聞こえた。俺は目を開けて、ゆっくりと声のする方へ視線を向けた。そこには月海がいた。

『よぉ』

 いつも通りに月海に返事をしようとするが、俺の声は震えていた。ただ、今の俺は猫だ。だから、きっと声が震えていても気づかれないはずだ。

「これ、今日の」

 そう言って月海は、俺の前に餌の乗った皿を出してきた。いつもと変わらない猫の餌だ。俺はお礼を言いながら、無言で食べ始めた。

 いつもなら、俺が餌を置いた辺りから帰ろうとする月海だが、今日はめずらしく俺の前にしゃがみ込んで俺を見つめていた。

 何か言いたそうな目をしているが、とりあえず俺は無言で食べ終えたのだ。

『……ご馳走様ちそうさま

「……お粗末様そまつさまでした」

 餌の置いてあった皿を月海に渡すと、月海は手に取った。だが、未だにしゃがんだままで俺を無表情な顔で見つめている。

『……なぁ』

「……何⁇」

 あの日、俺が初めて猫になった日、夜の公園で月海と再会した。占い猫が言っていた月とは月海のことかと思っていた。だから、猫の身体に入った俺と会話できたと思っていた。だが、リーダー猫の言っていた月海が、俺の目の前にいる月海だとすれば……俺は意を決して、月海に確認することにした。

『月海さ、リーダー猫って覚えてる⁇』

「リーダー……猫⁇」

 不思議そうな顔をしながら、月海は首をかしげていた。そりゃあそうか。リーダー猫が言うには、あの当時はまだリーダーではなかった。だから、もし月海と話をしていたとしてもリーダー猫と名乗るはずがない。だって、リーダー猫はその時、黒いリーダー猫を探していたのだから。

『じゃあ、噴水の前で猫に会ったことは覚えている⁇』

「クロのことでしょ」

 俺と月海がクロと出会ったのもその場所だ。だが、それではない。言葉にするのは躊躇ためらわれるが、知らないままではいられない。

『クロが死んだ後……噴水の前で会った猫だよ』

 その言葉に、月海は目を大きく見開いた。なぜお前がそのことを知っているのだと言いたそうな顔をしていた。

『月海もさ、言われたんじゃないのか⁇』

「……誰に⁇」

 驚いた顔をしたまま、月海は発した。その声が先ほどの俺と同じように、震えているのが分かった。

『今日の夜、あんたの一番大切な思い出の場所の水たまりを見なさい。そこに、あんたを導く月があるから……って』

「なんでお前がそれを知っているんだ!!⁇」

 強張った顔をしながら、月海は立ち上がった。息を荒げながら、俺をにらんでいた。

 その言葉を聞いて、俺は確信した。リーダー猫が探していた黒いリーダー猫、それは月海の飼っていたクロのことだ。

 月海に何があったのかはわからない。だがクロが死んだときに月海も生死を彷徨さまよっていたと言うことだ。何をしているのかわからない状態の月海は、ただ町を歩いていたんだと思う。そこで、占い猫に出会った。

 占い猫に言われた言葉を頼りに、俺と同じようにこの公園の前に辿り着いたのだ。そして、に出会った。


 、とはよく言ったものだ。

 俺にとっては月海が、月海にとってはリーダー猫が月だったと言うことか。名前に月が入っているからかと思っていたが、そうではなかった。彷徨っているものを導く月の光だったのだ。

『なぁ……俺って死んだのか⁇』

 月海は返事をしない。ただ、うつむいたままその場に立っているだけだ。リーダー猫が月海をどう導いたのかわからない。だが、現時点で月海は生きている。つまりはリーダー猫の導きが上手くいったと言うことだ。

「……忘れ物」

『えっ⁇』

 突然月海が呟いた。忘れ物とは、何なのか。

「あの時……僕は忘れていたんだ。自分がどうしてこうなったのか、すべてを。あの猫に大切なものを失ってはいけないって言われて、探したんだ……」

 そう言うと、月海はまたその場にしゃがみ込んだ。顔を隠したまま、話を続けた。

「探して……見つけたと思ってたのに」

 そう言って月海は顔を上げた。俺を睨みながら、涙を流していた。俺は何も言うことができずに、ただ月海を見つめているだけだった。

「……行こう」

 何処どこへと言う言葉を発しないまま、俺は頷いた。月海は立ち上がり、歩き始めた。

まるでついて来いと言うような歩き方だったので、俺もその後に付いて行った。


『……ここは⁇』

 目の前に見えるのは、この町で一番大きい総合病院だった。病院の中には入らずに、周りを歩き始めたのだ。何をするのだろうと俺は着いて行くと、入院病棟に辿り着いた。それでも中には入らずに、病棟の周りを歩くのだ。

『なぁ⁇なにかあるのか⁇』

 そう言っても、月海は返事をしないまま歩き続けた。

『ってか、猫の俺がこんなところに来ても怒られないの⁇確かにここは外だけど、病院に動物って良くないんじゃ……』

 俺が一人で話をしていると、月海は突然立ち止まった。そして、上を向いて指差したのだ。

「五階のあの窓、目の前の木を上れば見えるから」

 そう言うと、月海は歩き始めた。次は先ほどとは異なり、足早に歩くのだ。

『えっ⁉おい、ちょっと!!』

 俺の言葉も虚しく、月海は去ってしまったのだ。一人でこんなところに置いておかれるとは……俺はどうしようかと迷ったが、先ほど月海が言っていた言葉を思い返した。

『五階の……あの窓』

 もしかしたら、俺が死んでいるのかもしれない。それか昏睡こんすい状態なのだろうか。それとも、俺とはまったく関係ない何かなのだろうか。

 月海がそこに誰がいるのかを言わなかったので、俺の予想でしかない。だが、もしもそれが自分なのであれば、元に……戻れるのだろうか。疑問だけが心に突き刺さる。


『……行くか』

 そう言うと、俺は木の前まで行き、両手、両足を上手く使いながら、木登りを始めた。

 小さい頃、お前は人間じゃなくて猿の子かも知れないと言われるくらい、木登り名人として有名だった。

 だが、猫になった時は塀に上ることすらままならなかった。人間だから当然と思うかもしれない。だが、数日で俺は環境に対応できたようだ。木の割れ目に爪を刺して足で蹴ると同時に次の手を木に刺して……まるで忍者のようにサクサクと木を上ったのだ。

 五階まではあっという間だった。人間だったら、もう少し時間がかかっただろう。

 俺は上り切ると、窓の方に身体を向けて目をらして中の様子を見た。

 誰か人がいるのだが、真っ暗で何も見えないのだ。中が見えるよう集中していた時だ。

『……親父⁇……母さん⁇』

 真っ暗な中にいるのは、俺の父親と母親だった。母親は誰かの手を握っていた。

 俺はその手の人物をじっと見つめた。


 その人は首元まで髪がある茶髪の男だった。見た感じ、背が大きそうだ。眠っているからだろうか、母親が握っている男の手は細く見えるのだ。

『……まさか……俺⁇』

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