婚約者である令嬢は今日も僕の前でサングラスをかける

めぐめぐ

前編

 僕——マルク・アド・カランドには、アリアナ・ティス・エレヴァメンテという婚約者がいる。

 両家の利益の為に結ばされた婚約ではあるが、僕は彼女を深く愛している。


 初めて顔合わせを行った時、様々な縁談を蹴りに蹴って来たという噂に違わない意思の強そうな瞳を伏せつつも、時折こちらの様子を伺うようにチラチラと見上げる仕草に、唇が緩むのを抑えられなかったのは尊い思い出だ。


 婚約を快諾し、彼女と過ごす日が多くなる程、美しく、真っすぐで聡しい彼女が好きになっていった。


 一見完璧だと思える彼女であるが、一つだけ問題がある。


 それは――


「今日もご機嫌うるわしゅう」


 現れた僕の婚約者は、今日も可憐で愛らしい。少しウェーブかかった茶色の後ろ毛が、さらりと頬から流れ落ちる。本来なら僕が出迎えるべきなのだが、迎えを寄越す前にこの広い庭園の中で彼女が先に僕を見つけ出すのが申し訳ない。


 僕も彼女に挨拶を返すと、美しい婚約者の顔に相応しくない物体を見た。


 澄んだ青い瞳を隠す黒いサングラスを……。


 何故だか分からないが、アリアナは僕と会う時、サングラスをかけて来るのだ。

 一応表向きの理由として、『目が光に弱いから』とは聞いている。視力に問題ないという事だったので、サングラスをかける事を許した。


 しかし、彼女が僕以外の人物を会う時にはサングラスをかけていない事を知ってから、別の理由があるのではと疑いをもつようになる。


(もしかすると、僕の顔を見たくないから?)


 そう思うと、心の中に冷たい風が吹き抜ける。

 大好きな彼女から嫌われているのではないかと思うと、気が気でならない。


 完全にアリアナに心を奪われている今になって、実は貴方が嫌いです、と言われた日には、僕の心は多分死ぬ。


 世の中には、政略結婚だと割り切っている者たちも多くいるが、それでも僕は、彼女と愛のある結婚生活を送りたいと思っている。


 結婚式も近い。 


 だから、今日こそハッキリさせようと思う。


「アリアナ、ずっと気になっていたんだけど、何故君はサングラスをかけているの?」


 同じくカップに口をつけていた彼女の動きが止まった。

 しかしすぐさま唇に笑みを作る。


「以前にお伝えいたしましたが、私の目は光に弱く——」


「でも他の人と会う時は、サングラスはかけていないんだよね? ……悪いけど調べさせて貰ったんだ」


 僕の言葉に、アリアナが弾かれるように顔を上げた。この反応を見て、僕の言葉が正しいと悟る。


 彼女の艶やかな唇が震えている。

 アリアナの口からどのような理由が飛び出すのか、怖くて堪らない。


 その時、彼女が息をのむ音が聞こえた。サングラス越しの瞳が、僕の後ろに向けられる。


 次の瞬間、僕は後頭部に強い衝撃を受けた。目の前の景色が真っ白に染まる。


 薄れ行く意識の中で、


「マルク様、マルクさまぁぁぁっ‼」


 僕の名前を絶叫する愛しい婚約者の声を聞いた気がした。


 


 気が付くと、僕は暗い場所で横になっていた。


 体を動かすと、至る所が縛られている状態で狭い箱の中に閉じ込められているのが分かった。板と板の隙間から、薄っすら光が漏れ出している。


 どうやら、僕は誘拐されたらしい。


(アリアナは? 彼女はどうなったんだ?)


 誘拐現場にいた彼女と、最後に聞いた声を思い出すと、気が気でならない。


 もしかすると、僕と同じように彼女も——


 その時、笑いを含んだ男の声が上から降って来た。

 

「よう、目覚めたか?」


「……彼女は、アリアナはっ‼」


「第一声が婚約者の安否か? ははっ、安心しな。あの女は俺たちが、美味しく頂いてやったからよ」


「美味しく……頂く?」


 その意味を理解した瞬間、頭の中が真っ白になった。


 全身が縛られ、自由を奪われているのにもかかわらず、男の声に向かって僕は体を乗り出すと、箱を叩き潰そうと何度も体当たりする。


 殺気を放ちながら壁にぶつかり続ける僕に、男は大笑いした。手を叩き、ヒィヒィと引き笑いをしている。


「おもしれー。こんな事なら、本当に女を連れてこれば良かったな。嘘だよ。俺たちが連れて来たのは、お前だけ。あの女、お前に縋りながら倒れちまったから、そのまま放置してきたのさ」


 それを聞き、僕の全身から力が抜けた。怒りが強かった分、腰が抜けるほどの安堵感が全身を支配する。


 良かった。


 自分が誘拐されたのにもかかわらず、心を満たす強い気持ちはそれだけ。


「お前は依頼人に引き渡られた後、恐らく殺されるだろうな。ま、残り短い時間を、せいぜい楽しんでくれ」


 男との会話は途切れた。僕が大人しくなったから、興味がなくなったのだろう。シャっと刃物を研ぐ音が聞こえてくる。


 僕は大きく息を吐くと、箱の角に座った。


 もう少しすれば、僕は引き渡され、殺される。きっと依頼人は、敵対する派閥の貴族か。


 恐怖で身が竦むが、アリアナの笑顔を思い浮かべると、心が驚くほど凪いだ。それと同時に思い浮かぶのは、何故サングラスをかける、という小さな事を気にしていたのかという後悔。

 

 彼女と過ごした日々は、どれも全てが愛おしい思い出だ。

 サングラス越しに薄く見える瞳は、いつも嬉しそうに細められていた。


 それだけで十分だったのに。


 彼女を好きになればなるほど、裏切られる事が、失ってしまう事が怖かった。でも最期の会話が、あんなくだらない質問になってしまうなんて……


 突然、大勢の足音と怒声、そして部屋の外にいたのであろう男たちの悲鳴が響き渡った。


「何でここが見つかった⁉ 追跡も逃れ、目撃者もいなかったはずなのにっ‼」


 見張りの男の焦り声は、ドアが破られる音と同時に断末魔の叫びとなって途切れた。

 代わりに、鎧が擦り合う金属音と、


「マルク様は、あの一番奥にある木の箱の中です!」


 切羽詰まった女性の声が耳に入って来たのだ。


 心が大きく跳ね上がった。

 彼女の声を、僕が聞き間違えるわけがない。

 

「アリアナっ‼」


 解放された僕が一番に目にしたのは、サングラスと頬の隙間から涙を流しながらこちらを見つめる婚約者の姿。


 アリアナに駆け寄ると、僕は強く抱きしめた。あの男が言った通り、彼女に危害は加えられていないようだ。

 再び安堵の気持ちを抱きながら、傍にいた護衛騎士に声をかける。


「助けてくれてありがとう。それにしても、ここが良く分かったな。敵は、絶対に見つからないと自信満々だったようだが」


「アリアナ様がここをご案内下さったからですよ、マルク様」


「……え?」


 でも彼女は、気絶していたはず。

 

 アリアナは、僕から視線を逸らしていた。明らかに、まずい、という雰囲気を出しながら。


 僕は、意識をこちらに向けさせる為、アリアナのサングラスを取り上げた。

 

 久しぶりに見た澄んだ青い瞳が、大きく見開かれた次の瞬間、


「ま、眩しいっ‼」


 そう叫び、両手で目元を覆う婚約者。まるで、強烈な光を目にしたかの反応に、僕の方が驚いてしまった。


 扉が破られているからとはいえ、この部屋は薄暗い。


 一体何に対して眩しがっているのだろう?


 アリアナは観念した様子で、両手で顔を隠しながら消え入りそうな声で言った。


「あ、貴方様の魂が……眩しすぎるんですっ‼」




 ……え? 魂?

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