18

「困りますよ。あまり長居されては」


柔らかな口調で、それこそ、「いい天気ですね」「調子はどうですか」と言うのと同じくらいの温度で、警備員は話す。真横ににいっと伸びた唇、目を細めて愛おしいものでも見るように微笑んでいる。それが不気味で、桔花は全身に鳥肌がたった。


「あら、すみません。今、この子に会えたもので」


侑名に肩をつかまれ、ズイッと前に出される。男を見るのが怖くて、桔花は足元に目線を落とした。下から上まで、舐めるように見られているのを肌で感じる。何なんだろう、この人は。これで普通の人間としての生活を送っているところが想像できなかった。彼の手に光る結婚指輪も全て、この世界に上手く溶け込むための小道具に見えた。彼は人間なのか。何度目かになる疑問を飲み込む。


「そうでしたか」

「ええ。でも、もう帰りますから。……またね、桔花ちゃん。夏休みに会いましょ」


侑名は警備員に頭を下げて、颯爽と外の世界に出て行く。この門を越えて、彼女は彼女の日常へ帰るのだ。私も連れて行って。桔花は今になって、叶いもしないことを願ってしまった。

関わってはいけない女に、気味の悪い警備員。これだけで済む気がしなかった。そんなものと遭遇するくらいなら、恥を忍んで、退学した方がずっといい。母はやたらと架秋女学園にこだわっていたから、きっとすごく怒るだろう。

一人娘の命に関わることだと言っても、許してくれるかどうか。桔花は、地団駄を踏んで怒り狂う母の姿を想像する。それだけで、退学するという選択肢が消え失せていくようだった。


「この道を真っ直ぐ、突き当たりまで。T字路を左に行くと爽籟館が、右に行くと『人喰いが止まる』場所です」


桔華が考え事に夢中になっている横で、知里は警備員に道を教えてもらっていた。彼は親切にもマップを広げて、指でなぞりながら説明してくれる。その顔にさっきまでの異様さは感じられない。至って普通の、気の良い男の顔だ。


「人喰いが止まる場所っていうのは……?」

「架秋女学園の七不思議の1つです。

『行き止まりぃ、行き止まりぃ。人喰らうには丁度いいぃ』……」

「あっ、もう結構です。さ、さようなら!」


調子外れた音で、変な節をつけながら歌う警備員に恐怖がマックスを振り切った。知里は桔花の腕をとると、もつれる足を必死に前へ出す。


「知里、歩きにくいよ」

「我慢して、寮までだから。そこまでだから」


彼女の声は微かに震えている。


「ね、しりとりしながら行こうよ。それか何か歌いながらでも」


桔花の返事を待たずに、知里は1人でしりとりを始めた。りんご、ごりら、らっぱ……。

最後にらーめんと言って終わらせると、間髪入れずに歌い出す。それには理由があった。

彼女は無言の時間を、音のない時間を作りたくなかったのだ。一瞬でも黙ろうものなら、警備員の歌声がどこまでもついてきているような気がするからだ。

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