第3話〔おこもりの元旦〕

明神男坂のぼりたい


03〔おこもりの元旦〕   





  良くも悪くも忘れっぽい。


  友だちとケンカしても、たいてい明くる日には忘れてしまう……というか、怒りの感情がもたない。


 宿題を三つ出されたら一つは忘れてしまう。


 まあ、忘れないのはコンクールの浦島の審査ぐらい。昨日も言った(^_^;)? 


 いいかげんしつこい。



 で、忘れてはいけないものを忘れていた。


 去年の七月にお婆ちゃんが亡くなったこと……。



 夕べお母さんに言われて、仏壇に手を合わせた。



 納骨は、この春にやる予定なんで、お婆ちゃんのお骨は、まだ仏壇の前に置いてある。


 毎朝水とお線香をあげるのは、お父さんの仕事。実の母親なんだから、当たり前っちゃ当たり前。



 お母さんは、お仏壇になんにしない。むろんお葬式やら法事のときはするけど、それ以外は無関心。


 鈴木家の嫁としては、いかがなものか……と思わないこともないけど、そのお母さんに「喪中にしめ縄買ってきて、どうすんの!」と言われたから、あたしも五十歩百歩。



 お婆ちゃんは、あたしが小さい頃に認知症になってしまって、小学三年のときには、あたしのことも、お父さんのことも分からなくなってしまった。


 それまでは、盆と正月には石神井のお婆ちゃんとこに行ってたけど、行かなくなった。


  最後に行ったのは……施設で寝たきりになってたお婆ちゃんの足が壊死してきて、病院に入院したとき。


「もう、ダメかもしれん……」


 お父さんの言葉でお母さんと三人で行った。


 そのときは、電車の中で、お婆ちゃんのことが思い出されて泣きそうになった……。


 保育所のときに、お婆ちゃんの家で熱出してしまって、お婆ちゃんは脚の悪いのも忘れて小児科のお医者さんのとこまで連れて行ってくれた。


 無論オンブしてくれたのはお父さんだけど、あたしのためにセッセカ歩くお婆ちゃんが、お父さんの肩越しに見えて嬉しかったのを覚えてる。


 粉薬が苦手なあたしのために指先に薬を付けて舐めさせてくれたのも覚えてる。その後、お母さんが飛んできて、一晩お婆ちゃんちに泊まった。お布団にダニがいっぱいいて、朝になったら体中痒かったのも、お婆ちゃんの泣き顔みたいな笑顔といっしょに覚えてる。



 それから、お婆ちゃんは脳内出血やら骨盤骨折やら大腿骨折やらやって、そのたびに認知症がひどなってしまった。



 お祖父ちゃんも認知症の初期で、お婆ちゃんのボケが分からなくなって放っておけなくなった。


 最初は介護士やってる伯母ちゃんが両方を引き取り……この間にもドラマがいっぱいあるんだけど、それは、またいずれ。


 伯母ちゃんも面倒みきれなくなって、介護付き老人ホームに。


 そして、お婆ちゃんは自分の顔も分からなくなって「お早うございます」と鏡の自分に挨拶し始めた。


「しっかりしろ!」


 お祖母ちゃんの認知症の進行が理解できないお祖父ちゃんは、お祖母ちゃんにDVするようになってしまい、脚の骨折を機に、お婆ちゃんだけ特養(特別養護老人ホーム)に引っ越すことになった。



 それが三年のとき。


 お父さんは介護休暇を取って、毎日お祖父ちゃんとお祖母ちゃんの両方を看ていた。


 

 お祖父ちゃんの老人ホームと、お祖母ちゃんの特養は二キロほど離れていた。


 お祖父ちゃんを車椅子に乗せて、緩い上り坂のお婆ちゃんの特養まで押していった。むろんあたしはチッコイので、手を沿えてるだけで、主に押してるのはお父さん。


 だけど、道行く人たちは、とてもケナゲで美しく見えるらしく、みんな笑顔を向けてくれた。お祖父ちゃんもあたしも気分よかった。お父さんは辛かったみたいだったけど。


 その日は、たまたまお母さんが職場の日直に当たっていて、あたし一人家に置いとくことができなかったので、お父さんが連れて行ってくれたんとだと分かったのは、もうちょっと大きなってから。



 お父さんは、三か月の介護休暇中毎日、これをやっていた。



 お祖父ちゃんは11月11日という覚えやすい日に突然死んだ。中一の秋だった。


 あたしはお婆ちゃんが先に死ぬと思ってた。


「お祖父さんが亡くなられた、お父さんから電話」


 先生にそう言われたときも、お祖母ちゃんの間違いかと思った。


 そして、二年近くたった、去年の七月にお婆ちゃんが一週間の患いで亡くなった。


 見舞いは行かなかった。


 お父さんと伯母ちゃんが相談して延命治療はしないことになっていたので、亡くなるまで特養の個室に入っていた。


 お父さんは見舞いに行きたそうにしてたけど、お父さんは鬱病が完全に治ってない(このことも、チャンスがあったら言います)こともあって、伯母ちゃんから言われてた。


「あんたは来ちゃダメ」

 

 で、七月の終わりにドタバタとお葬式。


 それなりの想いはあったんだけど、昨日は完全にとんでしまってた。


 我ながら自己嫌悪。


 で、お仏壇に手ぇ合わせて二階のリビングに。


 で、観てしまった。



『あの名曲を方言で熱唱 新春全日本なまりうたトーナメント』


 

 東京で見る雪は こっでしまいとね♪


 とごえ過ぎた季節んあとで♪


 去年より だっご よか女子になっだ♪


 

 普通に歌っていたら、どうということもないんだけど、方言で歌われるとグッとくる。


 熊本弁の『名残雪』なんか涙が止まらなかった。



「なんでだろ……」


 呟くと、お父さんが独り言のように言った。


「方言には二千年の歴史がある。標準語とは背負ってる重さがちがう……」


 背おってる……


 なるほどと思った。


 方言は普段着の言葉で、人の心に馴染んで手垢にまみれてる。歴史を超えた日本人の喜怒哀楽が籠もっている。そうなんだ……。


 そう納得した瞬間に、お祖母ちゃんのことも、読まなきゃならない台本も飛んでしまった。



 かくして、おこもりの元旦は日が暮れていった……。




※ 主な登場人物


 鈴木 明日香       明神男坂下に住む高校一年生

 東風 爽子        明日香の学校の先生 国語 演劇部顧問

 香里奈          部活の仲間

 お父さん

 お母さん



 

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