第二話 リンリンの生涯(下)


 魔法使いの体が光だし、地面に赤い血で描かれた幾何学模様が浮かび上がった。


「お父様。これは?」


「リンリン。ワシは嫌な予感がする」


「私もです」


 最悪なことに、父とリンリンの予感は的中してしまう。


 幾何学模様の中から、まるで水中から飛び出すクジラように現れたのは――。


「お父様!」


「うむ。最悪だ」


「グギャァァァァ!」


 この世界で、生態系の頂点である白いドラゴンだった。

 大きさは目測だが、リンリンの住むお城と同じ50メートル近くはあるだろう。

 その姿を見たリンリンの頬からは一粒の汗が流れ落ちた。


(この感覚。幼い頃に、初めてオオカミと出会った時を思い出します)


 久しぶりに感じる死の恐怖。

 ただし、今目の前にいるのは、オオカミとは次元の違う正真正銘の化物だ。ますますリンリンの顔が強張ってしまう。

 そのドラゴンが父とリンリンを視界に入れると、挨拶とばかりに尻尾を叩きつけてきた。


(早い! それにこの大きさは――)


「リンリン!」


「きゃっ!」


 父に思いきり押されて、吹き飛ばされるリンリン。


「後は、頼んだぞ!」


「お父様!」


 ズズズズズン!


 巨木をいくつも束ねた大きさの尻尾の一撃が、父や一緒にいた兵士ごと押し潰した。


(そんな、お父様と兵士の皆様が……)


「お父様! 皆様!」


 リンリンの叫びが響き渡る。


「グギァァァ!」


 白いドラゴンが尻尾を離すと、そこには原型の無い兵士と、両腕がへし折れた父が倒れていた。

 その無残な光景に、リンリンは口を抑えて吐き気を必死に堪えた。


(うぷっ……吐いちゃダメです。せめて、生き残っているお父様を助けるのよ!)


 無理矢理自分に言い聞かせて、闘志を漲らせて立ち上がるリンリン。

 父は人類で最強の存在だ、そう簡単には死なない。

 だが、そんな父でも、今のドラゴンの一撃で瀕死の重傷を負っていた。

 父の傷ついた姿に、改めて、ドラゴンは人類にとって、別次元の強さだと把握する。


「お父様!」


「あ……ぐ……」


(せめて、お父様だけでも助けないと!)


 傷だらけの父を助けるため、動くリンリンだが。


 ゴオオオオオオ!


「きゃっ!」


 父のいた場所を、巨大な白い閃光が通り抜ける。それは、父だけでなく、国を覆う巨大な壁も、その先にある山も貫通し、遥か彼方まで飛んでいった。


「あ……そん、な……お父様……」


 光線が消えた後。さっきまで父のいた場所の光景に、リンリンは膝から崩れ落ちる。

 光線を放ったドラゴンは、リンリンをひと睨みするも、興味がなくなったように無視して国を破壊しだした。

 幸いだったのは、『まほうつかい』を討伐するため、周囲の人間は避難していることとだった。


 ドゴン! ドゴン!


 ドラゴンが国を破壊しても、まだ地面に崩れたままのリンリン。


(お父様が死んだ。お父様が、お父様が……)


 厳しくも、優しかった父が死んだことで、もはやリンリンからは、戦う意志が消えていた。


「姫様? 姫様! ご無事でしたか」


「……アン、どうしてここに……」


「そうです、アンです。ここに来たのは、姫様が心配で心配で!」


 リンリンに声をかけてきたのは、生まれた時からお付きの侍女である、アンだった。


「そうだ姫様。ご一緒だった国王様は? 国王様はどちらに?」


「お父様は……」


 顔を沈ませながらリンリンは震える手で、父のいた場所を指差す。


「まさか! あの光に巻き込まれて!? そんな、あの国王様が……」


 アンの震える声を聞いて、ますます沈むリンリン。


(お父様。私は一体、どうしたら……)


「姫様。国王様亡き今、もう貴女が、この国を守るのです」


「え?」


 アンがそう言い、リンリンの腕を引っ張って、無理矢理その場に立たせた。


(守る? アンは何を言ってるの? 守るって何?)


 アンの言葉に混乱するリンリン。


(守るとは? あのドラゴンからってこと? そんなの……そんなの……)


 その時、幼い頃から、父に言い聞かされた言葉を、リンリンは思い出した。


『いいか、リンリン。ワシもリンリンも、この国の国民を守るために存在するのだ。だからワシらには、決して、逃げることは許されない。死んでも国と民を守るのだ。ワシらが背を向けて逃げること、それすなわち――』


(『国が、ひいては世界が滅ぶ』ですよね。お父様)


「姫様?」


「ありがとう。アン。私はもう落ち込まない!」


「姫様。信じておりました!」


「私はこれから、あのドラゴンを倒しに行きます」


「わかりました姫様。王国を、民を頼みます」


「言われなくても。私に全部任せて。アン」


(アンと、国民の為にも。私はっ!)


 リンリンは覚悟していた。これから死ぬことを……。


 ドゴォォォォォン!


「グギャァァァァ!」


 リンリンの視線の先には、50メートルはある巨大な白いドラゴンが国を破壊している。


「どうしてこんなことに……」


 そう呟くも、もう過ぎたこと。キッっと覚悟を決めた瞳でドラゴンを睨みつけながら。


「リンエスターが最終奥義。《闘神の光極拳》!」


 最終奥義を繰り出すことにより、リンリンの体はキラキラと輝きだした。


(これでもう後には引けません。私が光となって消える前にドラゴンを倒します!)


「行きます! はあああっ!」


 リンリンはドラゴンへと駆け出した。それに気がつくドラゴンは、その姿から脅威を感じ取ったのか、口を開き、ブレスを放つ。


 が。


「そんなもの。今の私には通用しない!!」


 リンリンが真正面からブレスを殴り消し去った。


「はあああああああああっ!」


 勢いそのままに、ガラ空きのドラゴンのお腹に必殺の一撃をくらわせた。


「グギァァァァァァッ!」


 ドラゴンは拳を腹に受け、苦しそうに鳴き出した。それも当然で、リンリンが繰り出した一撃は自分の全生命エネルギーを拳に宿すことでのみ使用できる最終奥義だ。

 その力は凄まじく。たとえドラゴンであってもまともに喰らえば消滅される。まさに究極にして最強の一撃。

 ただそれだけに、代償は決して軽いものでは無かった。この技を繰り出した者は、例外なく光となり消滅してしまう運命が待っていた。


「ぐっ。まだ消えないで私の体!」


「グァァァァァァッ!」


 徐々にだが、キラキラと消えていくリンリンの体。

 それはドラゴンも同じで、殴られた腹部がガラスが割れるように次々と崩壊している。


(ぐっ、思ったより、体の消滅が早いです。あともう少しなのに…………こうなったら一種の賭けです。私が先に消えるか、ドラゴンが消滅するか!)


「私の生命力を全て、この拳に込めます! いっけぇぇぇぇっ!」


 キラキラと消滅する自身の体を見て、(このままでは倒すのは難しい)と判断したリンリンは、全ての生命力を注ぎ込み、最後の賭けにでる!

 それにより、ほんの一瞬だけ太陽の如く輝くリンリン。

 その輝きは国中を越え、ほかの国、大陸、全世界へと駆け巡った。

 しかし、その輝きも、リンリンの生命力が弱くなるにつれどんどん弱まっていき、ついには――。


「ァァァ……」


 ひび割れた箇所が全て崩壊し、白いドラゴンは消滅した。

 その光景を、顔以外はもう形を保っていないリンリンが、満足そうに見ていた。


「私頑張ったよ。国を、民を、世界を守ったよ、お父様。これでいいのですよね」


 その言葉に死んだ父は答えるわけもない。しかし、リンリンには父の声が聞こえた気がした。『よくやった』と……。


「お父様。ありがとうございます……」


「ぐすっ、ご立派でしたよ、姫様……」


 最後は笑顔で、キラキラと消滅していくリンリンを、アンは遠くから見ていた。

 それも侍女になり、お世話してる頃から一度たりとも、リンリンに見せたことのなかった涙を流しながら、完全に消えた後もずっと……。

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