第30話 偽物の大旦那
金魚屋の応接室。
と言っても、他より多少広いというだけで特別な装飾がされているわけではない。しかも普段使っていないせいか埃っぽい。
そんな場所に、鯉屋の大旦那と紫音、鈴屋、依都、神威、そして累と結が集合していた。
四人掛けの座卓に大旦那と紫音、累、結。大旦那の後ろには鈴屋が腕組みをして立っている。結の腰辺りで錦鯉の臨が泳いでいて、その後ろには依都を隠すようにして神威が立っているが、その手は破魔矢に掛けられている。
「神威君、何もしないってば」
「信用できねえ」
「え~。ひどいよー」
すっかり神威の信用を無くした結は、ぷうと頬を膨らませて累の右腕にしがみ付き、あんな事言うよー、とゴロゴロ甘えている。
当初は依都も、仲の良い双子だなと微笑ましく思っていたけれど、今となっては累も結の手のひらで転がされているように見えていた。だが当の累も、俺がいるからいいじゃないか、と言って結を撫でている。
大旦那は全力で兄に甘える結の幸せそうな様子を見てくくっと笑った。
「破魔屋を丸め込んだらしいね」
「え?ニコニコ笑顔で請けて下さいましたよ?」
「君のその図太さは僕好みだよ」
結は大旦那と真正面から顔を合わせて話をするのは初めてだった。
基本的に結の世話を焼くのは紫音とその女中で、経営も学ばされたがそれは大店の経営者が入れ代わり立ち代わり講義をしていくだけで、直接鯉屋の経営に携わるわけでは無かった。
つまり結は鯉屋の経営的な跡取りとしては受け入れられておらず、放流をする事だけを求められていたのだ。
だから今日は武装して力づくで連れ戻しにかかるんじゃないかと累も神威も心配をしていたし、結もその可能性はあると思っているので臨を放していた。少なくとも紫音は罰せられここには連れて来てもらえない予想もしていたが、見る限りやつれたり怪我をしているわけでもない
こうして向き合っていても、誰にも何もしてこない。
「僕は何のお咎め無しなんですか?」
「何故私がわざわざ?死にたければ勝手に死ぬがいいよ」
錦鯉の餌にして良しというのならそれもそうだろう。
しかし跡取りが必要だから召んだ以上、死んでも放置しても良いというのが結には納得がいかなかった。
全く興味無さそうな大旦那を見て、結は何か確信したように小さく頷きニヤリと笑う。
「ま、あなたじゃ決めらないですもんね。鯉屋に対して何の決定権も持って無いんですから」
「おやおや。鯉屋は私が経営してる事を知らないのかい、跡取り君」
「え?経営してるのは大旦那様でしょう?あなた偽物じゃないですか」
結はさらりと言うと、いつものように微笑んだ。
反射的に、えっ、と思わず声に出して驚いたのは依都だった。依都の記憶ではこの男は間違いなく大旦那で、鉢で累に暴力を振るったのもこの男だ。そんな馬鹿なと思う反面、結が言うのなら真実ではないのかとも思ってしまった。
依都はどういう事だと紫音を見ると、紫音は驚くというよりも不愉快に思ったようだった。美しい顔を歪め、前のめりに結に詰め寄った。
「生け簀の件でお怒りなのは分かっております。けれど失礼な事を言うのはお止め下さい!この方は間違いなく大旦那様です!」
「生け簀は別にいいですよ。累に会えたし。でもこの人は偽物です」
何て事を、と結の言葉を信じない紫音は呆れたようにため息を吐く。
けれど依都は結がそんな無意味な嘘を吐くとは思えず、じいっと大旦那の顔を観察した。
「あなたは表に立ってるだけ。経営方針を決定してる人間は他にいますね」
「君は賢い子だと聞いていたのに残念だよ」
「理由は幾つかありますけど、決定打はあなたが累を助けた鈴屋だからです」
二人はお互いの発言など聞かなかったが、鈴屋、と言われて大旦那はゆっくりと結を睨んだ。
累は数回に渡り鈴屋に助けられてきた。鉢の活性化が叶ったのはほぼ鈴屋の協力があったからだ。そのおかげで大店に商売を持ち掛ける事もできるようになった。
とんとん拍子に進んで鉢の人間が救われる事を依都は涙を流すほど喜んでいたが、結がこの話を聞いた印象は『話がうますぎる』だった。
「紫音さん。大旦那様の印鑑は鈴屋さんでも持ち出せますか?」
「いいえ。幾重にも鍵をかけ保管しております。鍵の一つは大旦那様がお持ちですので、大旦那様以外は持ち出せません」
「では卸鈴は鈴屋の独断で配布できる物ですか?」
「いいえ。必ず契約書に大旦那様の捺印が必要です」
ですよね、と結はにこりと微笑んだ。
そしてルイをちらりと見て頷くと、累は腰に下げいてる革袋から一枚の髪を取り出し結に渡す。
それは鈴屋から卸鈴を譲り受けた時の累契約書の控えだった。そこには現代同様に、朱色の円とその中に漢字で個人を証明する印がされている。
「この捺印は大旦那様がするわけですが、印鑑を持ってるのは大旦那様のみ。でもどういうわけか……」
「鈴屋は俺の目の前でハンコを押した。大旦那のハンコをな」
それは、あの時あの場所にいた人間が大旦那だったという証拠に他ならない。
何も答えずじっと結を睨み返すだけの大旦那を庇うように、紫音が再び身を乗り出してきた。
「ですが結様、この方だからこそ鯉屋は皆着いてきたのです。それを」
「この人の正体はどうでもいいんです。問題はこの人が累に手を貸したせいで鯉屋が権威失墜した事です」
鯉屋は鉢を虐げてきた。手など貸すはずもなく、死に逝くさまには見向きもしない。
当然鯉屋に従う大店はそれに倣うが、その中から鉢に仕事を与える店が出て来てしまった。鯉屋の言う事を最優先で従ってきた大店は少なからず累の提案に乗り、従業員として鉢の人間を迎え入れてしまっている。
鯉屋が積み上げた『鉢は犯罪者収容所』という意識が崩れ始めたのだ。けれど鯉屋はそれを咎める事もしない。
それは暗に鯉屋には従わなくて良いと知れ渡ったという事でもあった。
「これは裏切りですよ。こんな事をした理由は何ですか?」
「あんた言ってたよな。理の壊れるところが見たいって。分かってたんじゃないのか?鯉屋のやり方が悪い事に」
結は回答を待ったが大旦那は何も言わなかった。
口を横一文字に結んで、怒っているともいないとも取れる、本心は隠しきった表情で真っ直ぐ結を見つめ返している。
破魔矢の旦那ならいざ知らず、この人はこのネタを突いても煽っても感情的に動かす事はできないな、と結は感じ取った。
「じゃあ答えたくなるようにしてあげます。累は僕に巻き込まれて来たんですよね、紫音さん」
「はい。本当に申し訳ないと……」
「これが多分嘘です。偽大旦那様、あなたわざと累を連れて来ましたよね」
紫音は急に嘘つき呼ばわりされ、不愉快そうに目を細めた。
ツンと口を尖らせて、いつも涼やかな鈴のような声を濁らせる。
「跡取りを呼ぶのは鯉屋にしかできないとお教えしたはずですよ」
「いいえ。そう思わされてるだけで実は誰でもできるんですよ」
結は紫音の事はちらりとも見ず、大旦那と睨み合った。
「なーんかあなたは行動が妙なんです。鈴屋が累に目を掛けたっていいますけど、目を掛けるの早すぎません?しかも与える物が大きすぎます。前に卸鈴が出たのって五十年以上前で、理由は大店の大改修をしたから。それを水路程度で出します?しかも卸鈴譲渡専用の契約書持ってたんですよね。最初から渡す気満々じゃないですか。どうみても最初から累を持ち上げる準備をしてたとしか思えないんですよね」
「でも水路は本当に凄い事ですよ!」
「鯉屋だってその程度は考えてたよ。やらなかっただけで。あえて凄い人を上げるならめちゃめちゃ掘った神威君かな」
依都は驚きと困惑、そして鉢を見捨てていた事に怒りを覚え、えう、と感情の入り乱れた鳴き声を上げた。
傷付いたような表情になっていく依都を見て、神威は一層きつく結を睨んだ。しかし結はそれを恐れる事はなく、神威君って累と似てるね、と軽く笑って流した。
「しかも神呼鈴って!神様呼べる伝説の鈴、出します?劇場程度で。それこそ見合う報酬は卸鈴ですよ。大体、何となく持ち歩かないでしょう神様呼ぶ鈴。事前に準備しないと」
神呼鈴を累が手にしたのは、事前に議論し合ったわけでも手続きをしたわけでもなく、会話の流れで急にだ。
累の要求は結に会わせてもらう事で、そんな鈴の事は存在すら知らなかった。
「一番気になるのは、累が自分を金魚屋に連れて行った黒狐面が鈴屋さんだと思ってるとこです。よりちゃん、累を連れて来たのって誰?」
「分かんないです。でも白い狐面は鈴屋様で、黒い狐面は鈴屋様のお使いです」
「累は何で鈴屋さんだと思ったの?」
「会話が繋がってたから。黒狐は俺に世界を学べって言ったんだ。んで、白狐が学んだな、って。声も同じだったし」
「しかも黒狐は僕と累が召ばれた現場から直に累を金魚屋に連れて行った。あの現場にいるってそれ相当偉い人だよね。鈴屋本人ならともかく下っ端が許されるとはちょっと考えにくい。これって累が来るって分かってて、すぐよりちゃんのとこに連れて行ける準備をして待ってたように見える」
矢継ぎ早に記憶を掘り返さなければならない話をされ、当の依都も累も考えが追い付かず目をぐるぐるさせている。
混乱していないのは依都を守る事以外は考えない神威と、責められている本人だけだ。
結は手持ちの巾着から何かを取り出し大旦那を名乗っている男の前にそれを置いた。
「あなたですよね、これ」
それは、累が報酬として破魔屋の旦那に支払った大店の卸鈴だった。
「裏切りの理由は方向性の違いですか?大旦那は僕を選んだけど、あなたは累の方が良いと思った。だから偶然を装って連れて来た。どうです?」
大旦那を名乗る男は何も言わなかった。
全員が沈黙を重苦しく感じたけれど、結だけは表情を崩さない。
「沈黙は肯定ですよ。わざと黙ってます?」
それでも大旦那を名乗る男は何も言わなかった。そして結はこれで確定と判断した。
何しろ結が言った事はもっともらしいが、全て証拠の無い推論にすぎない。裏で連絡を取り合って同一人物を装った、鈴は常に持ち出せるが紫音はそれを知らないだけとシラを切られたらそれで終わりだ。
けれどそうしないのは図星を付かれてリアクションに迷ったか方針の一致する結に寝返った方が良いかを迷ってるからで、そして累を求めるのならこちらに付くと判断した。
それでもすぐには頷かないのは迷いがあるからだ。ならばこちらに勝機ありと思わせれば良い。
「じゃあ取引きしましょうか」
「取引き?」
「あなたの望む改革をやってあげます。だから今の主を捨てて僕に付いて下さい」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます