第14話 神呼鈴
卸鈴を得て累の生活は一変した。
「あれが鈴屋直々に卸鈴を与えられたっていう」
「じゃあれが跡取り様の?へえ、男前じゃないか」
「本当に卸鈴を持ってやがる。くそう、俺もあれがありゃなあ」
大店をほんの数歩歩いただけで周りの人間が皆累をみて声を上げた。
累は生意気な事をしたと袋叩きに遭うような事も想定していたが、商売人の多い大店ではゴマすりをしてくるか大仰な呼び込みをしてくる者がほとんどだった。
累は大店が鉢の人間を働かせてくれればまずまずと思っていたが、卸鈴を持つ累に近付きたいがために頼んでもいないのに鉢の人間を採用させてほしいと近付いてくる。試しに住み込みで三食付けてくれれば力自慢を紹介する、と言ったらあっさりそれも叶った。女性は掃除や洗濯をするといった家事手伝いのような仕事を与えてもらう事ができて、鉢の人間は一気に就職が叶ったのだ。
それほど鈴屋が卸鈴を与えたというのは意味のある出来事だった。
引く手数多となった累は、ある目的があって依都の案内で街の商店を歩き回っていた。
その中で累が足を止めたのは一人の少女が店先で楽しそうに歌っている店だった。店内には着物や小物がずらりと並んでいて、入り口に置かれた花手水は質素な街のなかでとても美しく見えた。
少女は累と依都に気が付くと、歌っていたのを聞かれたのが恥ずかしかったのか顔を真っ赤にした。
依都はふふ、と笑って少女に近付いていく。
「咲楽ちゃん、こんにちは」
「いらっしゃい。今日は神威君一緒じゃないんだね」
累が依都と街を歩くと大体これを言われる。
神威は依都にべったりしてるつもりは無い等と言っているけれど、もはや知らない人間はいないのではないだろうか。
「この方が累様ですか?」
「そうだよ。卸鈴の累さん」
「何でだよ。せめて跡取りの兄貴にしてくれ」
「あはは。そうそう。結様と双子なんだって」
「まあ。今度の跡取り様はとてもお美しい方だと聞きましたけど、本当ですね」
「お。商売心得てるじゃん。じゃあそこの花買おうかな」
お世辞じゃないですよ、と咲楽は笑って花手水の傍に活けてある花を手に取り累へ差し出した。
「これは売り物じゃないから自由にお持ちになって下さい」
「え?そうなの?こんな綺麗なのに」
「大店が捨てるお花を頂いて活けてるだけなんでです。もったいないから」
「へー……」
累は花をじいっと見てから咲楽の顔をまじまじと見る。
咲楽はその視線に困ったようで、おろおろと依都に助けを求めた。
「ちょっと累さん。失礼ですよ」
「あ、ごめん。咲楽だっけ。ちょっと頼みがあるんだけど」
「はあ。できる事であればなんなりと」
累はにっこりと笑っていくつか耳打ちをすると、ええ、と咲楽は驚いて声を上げた。
「累さん、それ本気ですか?」
「もちろん」
依都はうう、と困ったように唸って咲楽と顔を見合わせていた。
*
どこまでも荒野の鉢に広場というのは有って無いような物だが、一応「中央広場」と銘打たれた場所がある。
いつもは閑散としていて無人の事が多いが今日は違っていた。どこにこれだけの人数がいたのか、百数十人は集まっている。
彼らが見ているのは、広場に作られた謎の設営だった。
「ありゃあ何だい。舞台みたいだけど」
「さてな。けど累様が作ったんだ。無駄なモンじゃねえよ」
「後ろの黒い布なんだろうな。何か隠してるぞ」
累は卸鈴の一件ですっかり有名人になり、鉢だけでなく街や大店も含めた大勢がその動向を気にするようになっていた。
特に鉢は命の恩人だと言って崇める人間も少なくない。
その累が数日かけて木材やら水やらを運び込み、それには依都や神威だけでなく一部の鉢の人間も参加していた。
一体何だろうなあとソワソワしていると、その時、カーン、カーン、と何かを叩く金属音がした。
無音の鉢にその音は遠くまで響き渡った。次第に音程の違う金属音がいくつも重なり合い、どんどんと太鼓を叩くような音もし始める。
「何だ、まさか祭りでも始まるのか」
「鉢でそんなんあるわきゃねえ」
「けどこの音はまるで大店みたいじゃないか」
年中お祭り状態の大店には様々な音がする。
商売人の掛け声や飲食で盛り上がる人々の声、喧噪は絶えることなく響いている。富裕層である証明にもなるそれは鉢の憧れでもあった。
そんな大店を彷彿とする音に鉢の住人は色めきだし、ざわざわと明るい声が立ち始めた。
するとその時、ピイ、とひときわ高く美しい音が響き渡った。
「おい、あそこ!誰かいるぞ!」
「累様か!?」
「いや、違う。ありゃあ女の子だ」
舞台にしずしずと出て来たのは両手の扇で顔を隠した一人の少女だった。
ステンドグラスのように鮮やかな柄の着物は十二単の様に裾が長く、舞台を美しく染め上げている。少女が中央に立つと、ピイー、と笛のような音が鳴り響く。いくつもの美しい音色が重なりそれは音楽になっていく。
そして少女は舞うように扇を広げ顔を見せた。
「咲楽ちゃん!ありゃあ咲楽ちゃんか!」
「顔の彩りは何だろうな。なんとも愛らしい」
「お着物可愛いー!いいなあ!」
咲楽は化粧を施していた。
鉢には化粧品など無いし、街ですら持ってる人間は少ない。日常的に使うのは大店の人間だけで、これもまた鉢の女性が憧れる物の一つだった。
女性陣は近くで見ようと舞台に噛り付いた。
真っ白な肌にぷっくりとした印象を作っている桃色の口紅。深い赤で縁取られた目は妖しくも美しい。
咲楽が身を翻すとしゃらしゃらと装飾品が涼やかに音を立て、その煌めきに男も女も釘付けになる。
美しい音と雅やかな咲楽の姿はまるで神聖な儀式を見ているかのようだった。
そして咲楽は舞を終え深々と頭を下げた。
途端に人々は大声を上げて舞台に詰め寄ろうとした。けれど彼らが走り出す前に、大きな音が鳴り響いた。ドオン、ドオン、と身体の芯まで震えるような太い音で、うわあ、と子供が驚いてころんと転んでしまう。
何だ何だとざわつくと、ひゅうっと何かが空から落ちて舞台に降り立った。それはいつも通り黒尽くめだけれど、肩から腰にかけて咲楽と同じようなカラフルな布を掛けている。それは神威が飛び跳ねるたびにひらひらと揺れて美しい。
「神威君じゃねえか。じゃあこりゃ破魔屋さんがやってんのか?」
「いやあ、累様だろう。神威さんは依都坊ちゃんの言う事なら聞く」
「ああそうだった。累様は金魚屋様にいるんだったか」
その言葉が聴こえたのか神威は少し恥ずかしそうな顔をした。
しかし、ごほんと咳ばらいをすると、神威はきりりと表情を整えて客席を見渡した。破魔矢を抜くとじわじわと淡く光り始め、それをひゅんひゅんと振り回しながら踊る。
戦うようにして踊るそれは剣舞だ。整った顔立ちと長身が舞台上を飛び跳ねる。
まるでサーカスを見ているかのような盛り上がりで、特に小さな男の子は格好いい、と目を輝かせた。
咲楽とはまた違う美しさで大いに盛り上がり神威の剣舞は終了した。
終わってしまった事を悔やむ声が上がったが、けれど今度は今までで一番と言っていい美しい音が高らかに響き渡った。
「鈴?鈴の音じゃないか?」
「まさか。鈴なんて鈴屋様しかお使いにならない」
「じゃあこりゃあ累様か!」
「おい!なんだこりゃ!金魚が集まってるぞ!」
シャンシャン、と金属がぶつかる音がした。
その音に導かれるようにして舞台上は無数の金魚で埋め尽くされ、ルビーのような輝きが舞台を照らす。
人々がきらきらと漂う金魚に見惚れていると、舞台中央に誰かが立っていた。金魚がその姿を隠すように周囲を泳ぎ回る。見えるのは真っ赤な着物だ。けれどそれは丈が短く、細い足が見えている。裾から乳白色の布が見えていて、赤と白がひらひらと漂うのは金魚のようだ。
鈴は小刻みに鳴り続け金魚が舞うように泳ぐ様を彩っていたが、ふいに、リイン、と強く鳴り響いた。すると金魚はするすると舞台中央を空ける。そこに立っていたのは――
「依都坊ちゃんじゃないか!」
「あの着物はなんだ!?破魔屋さんとこの服か!?」
「女の子の服じゃないのかい?いやあ、可愛いねえ」
「よりちゃーん!かわいいー!」
依都は金魚を呼んでくるくると踊った。
咲楽のような神々しさではなく、丈の短い着物で金魚の様に踊る姿は人々を熱狂させた。
「っ……」
「神威。耐えろ」
舞台裏で累が神威の首根っこを掴んでいた。
ぶるぶると拳を震わせて目を血走らせている。
「あの着物止めろって言ったろ!!!」
「あれが一番可愛いんだよ」
「は!?依都は何だって可愛いんだよ!!」
「いや、依都本人じゃなくて服の話だよ。つーかお前依都好きって隠す気ねえな」
怒りなのか舞台を正面から見れない悔しさなのか、神威は袖から凝視する。
「おい。お前の仕事終わってないだからな」
「わーかってるっての!」
神威は、くそう、と悔しそうに舞台袖から裏に回った。
依都は踊り終わると舞台中央に立ち、再び金魚を呼びよせた。
再び舞台が金魚の光で彩られたのを見届けると、累は舞台裏で待機している神威に合図を送り黒い布をばさりとはぎ取った。
そこにあったのは巨大な水槽だった。突然現れた水槽に人々はどよめいた。
それもそのはずだ。鉢に水槽など設置された事は無いし、大店でも水槽は珍しい物だ。魂である金魚達を扱う事を許された者にしか与えられない物で、鯉屋と金魚屋にしかない物なのだ。
そんな物を鉢で見る事になるとは思いもせず、光を弾く水の美しさに人々はどよめいた。
「こりゃあ凄い!」
「金魚か!」
「き、金魚か?けど色がいっぱい飛んでる。ありゃ金魚の色じゃねえぞ」
「本当だ。一体何が光ってるんだ」
「あれじゃねえのか。水槽のど真ん中の丸いやつ」
水槽の中では金魚達が悠々と泳いでいるけれど、いつものように赤いだけではない。
黄色や紫、青、緑、様々な光がぶつかっている。その正体が分からずざわついていたがその裏では――
「おっまえ、破魔矢を灯り代わりにするとかあり得ねえだろ!」
「いやー、綺麗だと思ってたんだよ」
累が作ったのはミラーボールだった。
大店から光を反射する金属廃材を集めて砕いて貼り付けて簡易的なミラーボールにしたのだ。
だが問題はライトだった。この世界には派手な照明器具はなく、蝋燭などの小さな灯りだけだ。
そこで目を付けたのが神威の破魔矢だった。淡く光る物かと思っていたが、本人次第で強い光も放つと知りこれをライト代わりにした。大店にはカラフルなガラスもあったのでそれを組み合わせたのだ。
「簡易版、アクアリウムだ」
何だよそれ、とぶちぶち言いながらも神威は破魔矢で光を放ち続けてくれた。
人々は大いに賑わい、もう一度踊って見せてくれと依都と咲楽にねだり、それじゃあと二人で舞台に立って踊り出す。
神威はうずうずとして耐え切れず、ついに破魔矢を放り投げて依都のステージを見に行ってしまった。その様子に鉢の人達も大笑いをしていて、そんな歓声の絶えない様子に累も笑顔になった。
すると、その時鈴の音が鳴り響いた。皆は累の演出だと思い喜んだが、それは累の演出ではなかった。
(鈴の音。まさかこれは……)
累は鈴の音が鳴っている場所を探すと、同時に客席後方がざわざわとどよめいた。
それに気付いて累もそこに走ると、そこにいたのは狐面の男だった。鈴屋は手に括りつけてあるリンリンと鈴を鳴らし、依都と咲楽の舞台を盛り上げた。
鈴を振る様はまるで踊っているようにも見えて、しいんとしていた人々も次第に笑顔を取り戻す。
「粋な事してくれるじゃん。大店が泡拭くぞ」
「娯楽には美しい音がなくてはな。寄せ集めた廃材の音じゃ色気も無い」
「音が出りゃなんでもいいんだよ」
舞台を盛り上げた音楽は楽器ではない。累が大店の廃材から集めた物を叩いたり穴を開けて笛にしたりといった楽器もどきだった。
音楽担当は鉢の数名で、主に子供に演奏をしてもらっていた。我が子の活躍に親は涙して喜び、子供も自分が人々を笑顔にしたのだという喜びできゃあきゃあと走り回る。
「咲楽ちゃんのお化粧可愛いわ。よくそんな高価な物買えたわねえ」
「これはお花を潰して加工しただけ。うちのお店の新商品」
「ええ?本当に?いいわね、私も欲しいわ」
「見に来て。いつも通り物々交換で大丈夫」
「その着物も素敵。羨ましいわ。それもお店に並ぶ?」
「うん。色んなのがあるから見に来て。試着もできるから」
「よりちゃんのはー!?」
「あるよ。たくさんある」
「お母さん!わたしよりちゃんのがいい!」
女性陣は咲楽と依都にむらがって、わいわいと盛り上がっていた。
累が咲楽に協力を頼んだのはこれが目的だった。
「化粧品と服を売るのか。しかしそんな余裕は無いだろう。食うので精いっぱいのはずだ」
累はふふんと笑い、口角を吊り上げにやりと笑った。
そしてみんなに向けて手を広げた。
「よーし!みんな!こっから一仕事だ!」
「おお!」
待ってましたとばかりに、男達が飛び出して来た。
盛り上がる女性陣を置いて、累と依都から離れたがらない神威を引きずり、ぞろぞろと大店へ向かった。
大店に向かった男達は大八車を幾つも引いていた。
そこにはごっそりと可燃ごみが乗っていた。
累は大店の一軒に立ち寄り、たのもー、と声をかける。中から三十代後半ほどの男が出て来て、累を見るなりにこにこと微笑んだ。
「こりゃあ累様。今日はどんなご用件で」
「取引をして貰いたくてね。その相談に来た」
「おお、累様にお声掛け頂けるとは光栄です。どんなお取引でしょう」
「ゴミを買い取って欲しい」
「……へえ?」
にっこりと笑顔で言う累に、さすがに男は顔を歪めた。
「もちろんただのゴミじゃない。大店は焼却に困ってたよな。そこで、燃料になる物を作って来た」
「ふむふむ」
この世界は火力が弱い。蝋燭など天然の火しかないので人口に対して焼却速度が全く追い付いていないのだ。
特に大店は鯉屋と金魚屋に挟まれ非常に湿気が高い。かといって街が乾燥してるかというとそうでもなく、特に金魚屋付近は水気が凄くてカビも多い。
そのためこの世界では焼却燃料の確保はどの店でも急務となっていた。鉢の人間を採用する業務もゴミの焼却要員である事が多い。
そこで累は燃えやすい物を集めて買い取ってもらおういう事だ。
「松ぼっくりは良い燃料だ。枯草に麻縄。乾いた物が鉢にはたっぷりある」
「こんなのが燃えるんですかい?火をつけるなら紙でしょう」
「ならやってみようか?」
累は焼却場へ行き持って来たゴミで火を付けた。同時に従来のやり方で焼却をしたが、それの火が大きくなる前にゴミでの焼却は終わっていた。
「速い。それに火が大きい」
「湿気まみれの紙なんかよりもっとよく燃える。これなら店の廃棄はすぐに済むし、そうなれば店も拡大できるんじゃないのか?」
「確かに、うちの半分はごみ置き場だからな……」
うーん、と男は少し考えたけれど、累が首から下げている卸鈴を見ると、よし、と大きく頷いた。
「いいでしょう。大八車一台分で飴十個でどうです」
「二十くれ」
「そりゃあ……いえ、十でも高いくらいですよ……」
「もちろん相応の提供をするさ。今後定期的に納品をする。けど納品数が二台分でも三台分でも飴二十で構わない」
「ふむ。山が少ない場合はどうします」
「その時も二十だ。その代わりにあんたのとこの金物廃棄物を引き取るよ」
「あれを?ありゃあそうそう燃えないし厄介なもんですよ」
「ならそっちは得だろ?それにあんたが埋める時も鉢の人間を採用するなら同じ事だ」
「ふむ。給料より安上がりですな。なるほど、いいだでしょう。それなら飴二十なんて安いものです」
「交渉成立。じゃあ今日はこの五山だ」
「二十でいいんですね」
「どうも。ついでに金属廃棄物持って行くよ」
「いいんですか?そりゃ助かりますよ」
累のやり取りを見ていた鉢の人々は皆ぽかんとしていた。
何でゴミと飴を変えてもらえたのか分かっていないようだが、さすが累様だ、とその功績を称えた。
しかし何故新たにゴミを引き取ったのか分からず、首を傾げている。
「この廃棄物はどうするんです?埋めるんです?」
「いいや。遊ぶんだよ」
鉢に戻ると、引き取った金属ゴミをがらがらと広げた。
その中から幾つか取り出すと、怪我をしそうな物は角を丸めたり縁を削り、穴を開けたり布をかぶせたりと細工を施していく。それは咲楽達の舞台を盛り上げた楽器もどきだった。
累は子供を中心にそれを配ると、舞台に熱を上げていたので大喜びで遊び始めた。親子で歌を歌ったりバンドのように歌と楽器に分かれたりと、鉢は一気に様々な音が鳴り始めた。中にはうるさいと言う者もいたが、しかしこの鉢でうるさいと思える日が来るなんてな、と笑いだす。
「まさか鉢がこんなに活気づくとはな。見事だ」
「それはどうも。じゃあ見事ついでにあんたにも交渉だ、鈴屋」
「ほお。このうえ何を望む」
「この舞台を鉢のあちこちでやってほしい。できるだけ広く」
「利益が無いな。断る」
鈴屋は検討の余地無しでスパンと切り捨てた。
けれどそれくらいは予想していた累はにやりと笑った。
「やるのは鉢だけじゃない。観覧有料の劇場にして大店に作るんだ。劇場内では踊り手と同じ服や安価な類似品を売ってもいい。そうすればそこで得た利益はあんたの物だ」
「その代わり鉢では無料でやれと」
「そうだ。ただしそれは先行投資だ」
「というと?」
「大店の劇場ではアンタが選んだ歌い手と踊り手を立たせるんだ。そうなればそこは鈴屋に認められたという評価を得る場になる。報酬に新しい鈴を作るのもいいだろう。けど若手が育たなきゃ競争は生まれない。そこで、歌と踊りを勉強する場を作る」
「鉢の舞台を下積みにするのか」
「そう。ただし、そこで出る廃棄物は鉢に引き取ってもらう。でもそれは」
「大店に買い取らせると」
「そ」
鈴屋はくくっと肩を揺らして笑った。
「乗った。いいだろう。その提案受けよう」
「よっしゃ」
「俺をこうまで利用するとはよくよく頭の回る男だ。だが鉢活性化の慈善事業で終わるつもりじゃないだろう?」
きた、と累は息をのんだ。
表情は見えないが、きっと鈴屋は笑っているだろう。きっとこれくらいは想定内なのだ。
「結に会わせて欲しい」
「難しいな。跡取りに関して俺は何の権利も持たない。だが力になって下さるであろう御方を紹介してやる」
「御方?」
「これを持って行け」
鈴屋は懐から一つの鈴を取り出した。
また鈴かよ、と累は不満げに口を尖らせる。
「どんな効果の鈴なんだ、それは」
「これは神呼鈴(しんこれい)。一度だけ神に語りかける事の出来る鈴」
「神?そりゃまたなんつーか……」
累にとって、この世界は現実と非現実が入り乱れていた。
魂だの空飛ぶ金魚だのは明らかに非現実だが、大店で見る十進法や一週七日制は現代と同じだ。精神的な物のみの世界であればそんな制度は必要無いし、鈴屋の様に利益を追求する事などないだろう。
それを考えると神様なんてあり得ないし、だが魂が金魚になる時点で神様くらいいる気もする。
いずれにせよ今目に見えない物を報酬にされるというのは割に合わない気がした。
「本当にそんな価値があるのか?」
「それで手を打たないのならさっきの話は無しだ」
「……ったく」
乗せたつもりが乗せられたのかもしれない。
累は大きくため息を吐いて鈴を受け取った。
「人のためならば神は応えてくれるだろう。有効活用するといい」
では、と言って鈴屋は背を向けた。
しかし累は疑問だった。
現時点では鈴屋が手に入れた物理的報酬は何も無い。将来性を見込んだとしても、成功するか否かの提案だけで神を呼べる鈴なんて貴重な物を与える。
それはまるで累の背を押してくれているようだ。
「なあ。あんた何で俺に手を貸してくれるんだ?」
「理の壊れるところが見たいからさ」
そう言って、鈴屋は大店へ消えていった。
そして、今回の一件は大店から鯉屋にまで届き、女達が花手水を作り各々披露をし始めていた
現世の花手水を知る結もその輪に入りどんなデザインが良いかを語り合っていた。
「これは美しいこと」
「捨てる花をこのように使うとは。洒落てますわねえ」
「ほんに。こりゃあ活ける者の趣味が問われる」
「こういう色合いはどうですか?鯉屋は赤が多いですし」
「ええ、ええ。素敵ですわ」
鯉屋と大店は捨てた物を再利用はしない。
花は大きく活けなければ意味が無いとされてきたためこんなささやかな使い方をする人間はいないのだ。けれど誰でも手軽に花を活けられるというのは娯楽を求める女の興味を強く引いたようだった。
わいわいと賑わっていると、そうだ、と一人がぽんと手を叩いた。
「聞きましたか?鈴屋様が大店に劇場とやらを作る聞きましたわ」
「聞きました聞きました。鉢で美しい舞台があったとか。大層美しく賑わったそうじゃないですか」
「ええ?じゃあそこに立てば鈴屋様が目を掛けて下さるという事?私お目にかかった事ないわ」
「鈴屋様にご挨拶できるのなら私も行きたいわ。ねえみんなで行きましょうよ」
「でも鈴屋様に直接見て頂けるのは一握りだそうよ。歌い手の募集に大勢が押しよせてるけどその中から数人だけって」
「じゃあ歌と舞の練習が必要じゃないですか」
わあわあと賑わい、その楽しそうな声に引かれて鯉屋の住人が大勢集まって来た。
花手水を教えてくれと一人また一人と結を取り囲む。跡取りは高貴な存在とされるがために距離を置かれがちだった結も人との会話が楽しくて、花の色合わせやどんな形が良いかを語り合った。
「しかしまあ、結様の兄君は大層な人気のようですねえ」
「大店も累様の興味を引こうと必死の用ですよ」
「累は昔からそうです。いつも人の中心にいて、累を嫌いな人はいません」
「ほほ結様もお兄様のようにおなり下さいませ。人々に愛され愛を返す。それこそ跡取りに求めるものでございますよ」
「あ、ああ、はい……」
結は累が広めた花手水をじいっと見つめた。
劇場に立ちたいという者は師を探さねばと情報交換をし始める。舞台に立つための衣装も作らねば、大店に衣装作りの店があるはずだから調べなければ、そうして誰もが累の作った物に魅了されていた。
賑わいの中心で、結に振られる話題は累の作り上げた物ばかりだった。
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