第二章 結編~鯉屋の跡取り~
第25話 鯉屋の跡取りと破魔屋の旦那
破魔屋の屋敷の中央は、パキリとくり抜かれたような正円の池になっている。
その直径は直線に歩いたら五分はかかるほどだが、中心部に向かって朱塗りの低い橋がかけられている。
橋の先には正方形で黒光りする台が浮いているように建てられているのだが、その台には柵も何も無いので余所見をしていたら池に落ちてしまうだろう。
そんな不安定な場所にも関わらず、ドンと黄金の屏風が置かれている。
その前にはわざとらしく扇子で大袈裟に仰ぎ、肘置きにだらりともたれ掛かる男がいた。
「さぁ~て。お坊ちゃま方もお目覚めになられたようですしぃ~?話を始めても良いですかぁ~?」
イラついているのよく分かる嫌味な口調と表情で問いかけるのは破魔屋の旦那だ。
そしてその言葉が投げつけられているのは、泣きつかれて眠ってしまった結と、その寝顔に癒され一緒に眠ってしまった累だ。
あの後すっかり寝入った二人が目を覚ましたのはそれから三時間後だった。体調の良くない結のために、神威が気を使ってわざわざ部屋に足を運んでもらったというのに当の二人はぐっすりと眠り込んでいたのだ。
旦那はあ~あと面倒くさそうに声に出して溜め息を吐き、煙管でコンコンと床を叩いた。
「旦那。報酬貰ってんだからいいじゃねえか」
「別に駄目とは言ってねえよ。ただ、屋敷の主に挨拶もせずお寝んねとは礼儀をわきまえた優秀な跡取り様だな~と思ってよ。なあ?」
「ご、ごめんなさい……」
ぎょろりと見開いた目で睨みつけられて、結は思わず累の腕に捕まり顔を隠す。
「おい。結をいじめるなら俺が相手になるぞ」
「いじめぇ?ンっとにガキだなてめぇら」
「年なんて関係無い!結を泣かせる奴は許さないんだ俺は!」
「それがガキだっつーの」
「累、いいよ。僕が悪いんだ」
「お前は悪くない!悪いのは鯉屋だ!」
怒りをあらわにする累だったが、その手は結をぎゅうっと抱きしめて頭を撫でている。
なんだこいつら、と旦那は呆れ顔で神威に説明を求めるが、神威は何も言わずただ頷いていた。
鯉屋と鯉屋に味方する奴が悪いんだ、と噛みつこうとする狼のような形相で警戒する累だったが、旦那はハァとため息を吐いて身体を横に倒し寝転がった。
「鯉屋な。まあそりゃそうだ。跡取り召ぶなんて面倒な事しやがって」
「……あなたは反跡取り派なんですか?」
「なんだそりゃ」
「跡取りを嫌いな人は鯉屋にもいました。そこそこ、結構」
「嫌うって、何でだよ。跡取りは大事なんじゃないのか?」
「分かんない。味方は紫音さんと、あとは僕と遊んでくれる女の人達くらいだと思う」
何でだろうとこてんと首を傾げる結に、遊ぶだァ?と旦那はバシンと膝を叩いて身を起こすが、イラついたように煙管でガンガンと床を叩きながら結を睨みつけた。
「あのな!お前にゃ莫大な金額が使われてる!豪華な部屋に高価な着物!貰うもん貰って放流しねえ奴に味方なんぞするか!アホだろお前」
「……僕が放流しないって、こんな外の人にまで知られてるんですね……」
「あァ?破魔屋をそこらの人間と同列だと思うなよクソガキ」
「す、すみません」
ふざけんなと吐き捨てられて結はびくりと震えて累の袖をきゅっと握った。
結を守るという使命感に燃える累は結を抱きかかえて旦那を睨み返す。
「跡取り跡取りって、そんなのお前らの都合だろ。勝手に巻き込んだくせに好き勝手言いやがって」
「大旦那様も跡取り嫌いみたいだしね……」
「大旦那が?何でだよ。鯉屋が俺達を召んだんじゃないか」
「でも僕を生け簀に入れて良いって言ったのは大旦那様で、紫音さんは知らなかったんだ。それに僕大旦那様って会った事無いし」
「マジか。それでアイツ俺の顔見てもすぐ気付かなかったのか」
累は以前鉢で鯉屋の大旦那に遭遇している。
しかし大旦那は結と瓜二つの累が誰だかすぐには気付かなかった。同じ店の中で顔を合わせていれば初見で驚くだろうに、何でだろうかと累は不思議に思っていたがようやく合点がいった。
「破魔屋さんに会うのも初めてだから、そんな嫌われる理由が無いと思うんですけど……何でそんな怒って」
「は~!?俺は甘ちゃんが嫌いなんだよ!いつまで兄貴の後ろで丸まってんだテメー!」
結が言い終わるより早くに旦那は額の血管が千切れるほどに怒鳴った。
言われて結はぴゃっと飛び上がるようにして累から手を放し背筋を伸ばして正座した。
「あの、やっぱり今までの跡取りはしっかりしてたんですよね」
「お前よりはな」
「……えっと、僕じゃなければ跡取りを応援してくれましたか?たとえば累だったら」
「は?何で俺が。俺は跡取り自体嫌いなんだよ」
「結。俺とお前でどっちが良い悪いじゃないって言ったろ」
「うん……」
そうだね、と結は抱きしめてくれる累の腕の中でほんわかしてしまったが、旦那が不穏な空気を放ちイライラしているのが見えて慌てて座り直した。
話が遅々として進まず、最初にしびれを切らしたのは旦那ではなく神威だった。
「なあ。話長くなるか?俺依都ンとこ行きてえんだけど」
「好きにしろよ。むしろ行け」
「むしろ?何でむしろなんですか?」
「神威は依都が好きなんだよ。ガチ惚れ。アブないから近付くなよ」
神威はいつも通り、うるせえ、と睨んだけれど、それ以上構ってはいられないようで、駆け足で去って行った。
依都が親のような存在でもあると知った今となっては、依都の傍を離れてここまで連れて来てくれた事には感謝しなくちゃな、と累は神威の背を見送った。
「破魔屋さんはみんな金魚屋さんと仲良しなんですか?」
「お前みたいにおんぶに抱っこじゃねえから個人の行動まで知らねえよ。ンな事より分かってんだろうな!ひと月したら出て行ってもらうからな!」
「ひと月!?何でだよ!お嬢さんから報酬貰うんだろ!?」
「バァカ。鯉屋の大旦那と揉める火種が安いわけねえだろ。華美なだけの屋敷一戸程度、ひと月でも長いくらいだ」
ぐ、と累は言い返せずに言葉を呑み込んだ。
確かにこれだけの敷地に整備された池に巨大な屋敷を構える旦那にしたら屋敷なんてわざわざ貰う必要も無いだろう。
売り飛ばそうと思っても、そもそも鯉屋の所有物を購入したり交換できる人間がどれくらいいるだろうか。そう思うと屋敷というのは報酬としてはいまひとつよろしくないのは何となく想像がついた。
「あの、じゃあ何か考えるので聞いてもいいですか?」
「報酬」
「え?」
「情報は何よりも価値のある商品だ。欲しい情報に見合う報酬を寄越せ」
出せるものがあるならな、と旦那は馬鹿にするように笑った。
現世からこの世界にやって来て、養われてるだけの累と結は与えられた物しか持っていない。ましてや累は生活ギリギリの金魚屋にいるのだから破魔屋が喜ぶような物品など有るわけもない。
けれど結は、それなら、と来ていた黒い羽織を脱いだ。
「これは駄目ですか?鯉屋でもらった着物ですけど」
「ああ~。何もしない跡取りサマの高価なお着物な~。報酬も貰いモンたぁ優雅なこった」
「おい!あんたいちいち嫌味言わないと会話できないのかよ!」
「俺がお前らに優しくしてやる道理がねえな」
累は結を守ろうと興奮気味にぎゃんぎゃんと食いつくが、旦那には好きに喚けと相手にもして貰えない。
けれど結の着物には興味を示したようで、真剣な目つきで表生地を撫で裏地を撫で、全体の肌触りを確かめる。
陽に透かすように掲げると、よし、と小さく頷いた。
「いいだろう。何でも一つだけ答えてやろう。何が知りたい」
「跡取りについて知ってる事を全て教えて下さい」
「全て?もうちょい絞れよ」
「絞りました。全て知りたいんです。僕は放流だけすればいいって聞いてたんですけど、本当にそれだけなのかなって」
「他にできる事なんて無いだろ。結は頭良いけど、そういう個人的な事じゃないだろうし」
「でも変じゃない?放流すればいいだけならもてなす必要ないじゃない」
「鯉屋の権力誇示じゃないのか?俺達が頂点だぞって」
「そうなのかなあ」
結は納得いかないようで、んーん、と低く唸った。
そうだなあ、と旦那も考え込んでしまい、カンカンと煙管で肘置きを叩く。
全てか、と小さく零してからちらりと結を見た。
「……この世で出目金を放流できるのは跡取りだけ、とされている。俺が知ってるのはそれだけだ」
「何だよ。新しい情報無いのかよ」
「それが全てなんだよ」
跡取りだけとされている、と結は小声で繰り返すと眉間にしわを寄せた。
そうなのかなあ、と首をかしげて旦那にずいっと一歩にじり寄る。
「じゃあ放流は何をするものなんですか?」
「出目金消すんだよ」
「ああ、えっと、どうやって消すのかなって」
「結がやってたんじゃないのか?」
「やってたけど、何をやって放流に繋がってるかよく分からないんだ。何にもしてない気がするの」
「何もって、勉強してるとか言ってたろ。放流の勉強じゃないのか」
「あれは経営についてだよ。大店の売上がどうとかこうとか。放流は踊ったり歌ったりするんだけど、あれが何になるんだろうなって」
こんな風に踊るよ、と結は立ち上がりくるりひらりと舞って見せる。
累は放流がどうかなどという話はスコンと頭から抜け落ち、弟の愛らしい姿に歓喜し拍手した。けれど旦那はじいっと観察するように結の舞う姿を見つめた。
「……悪いがそれは知らねえな。だが跡取りが放流で生贄にされるのは本当だ」
「生贄?そんなの鯉屋では聞いた事ないですよ。紫音さんだって、そんなの知っててやるとは思えないけど」
「そりゃそうだろ。俺が言ってるだけだしな」
「は?そうなの?」
旦那はくくっと馬鹿にしたように累を鼻で笑った。
「生贄とは認識されてない。だが十回も放流すりゃ死ぬってのに鯉屋は見てるだけなんて、生贄同然だ」
「放流した後って凄く気持ち悪くなるんです。魂削ってるのかなって思ったんですけど」
「は?魂なんて金魚湯飲めば回復すんだから死なねえよ。それに踊りが放流って、お前が今そこで踊ったのは何なんだよ。吐くか?」
「あれ?そうですね。何もないや。踊りは関係無いのかな」
「さあな。けど跡取りがいつ来ていつ死んだかは鯉屋以外真相を知らねえ。鉢からすりゃ伝説だ。それなのに放流の仕組を知ってる人間がいるとは思えねえな」
鉢、と聞いて累は苦い顔をしたが、結はきょとんとして首を傾げた。
「あなたは鉢の味方なんですか?鯉屋は鉢を嫌ってますけど」
「おっと、質問は跡取りに関してのみだ。それ以上は追加報酬を貰う」
「え、これ報酬が必要な質問なんですか?えっと、じゃあ旦那さんの名前は何ですか?」
「はあ?何でだよ」
「お世話になるのに名前も知らないのは何かなーって。あ、僕は棗結です。よろしくお願いします」
「知ってるよ」
「え?知ってるんですか?」
「ああ、もうごちゃごちゃうるせえな。名前なんざ呼ぶ必要は無い。破魔屋は名を明かさないからな」
「神威は名乗ったぞ」
「神威は名前じゃねえよ。号だ。破魔屋で最も腕の立つ人間に与えられる号。依都もだ。ありゃ金魚屋当主の号」
「へー。何で号があるんですか?それはどのお店もそうなんですか?」
「他の店の事まで知るかよ」
「え?でも金魚屋さんの事は詳しいんですね。へえ。そっかあ。破魔屋さんと金魚屋さんはニコイチなんだ」
「あ?」
「ん?仲良しなんですよね」
結はにっこりと微笑んだけれど、旦那は一瞬表情を硬くして、コン、と煙管で膝を叩いた。
「ケッ。関係無い話ばっかしやがって。報酬が無くなったら出て行ってもらうからな」
「はあい」
有難う御座いました、と結は輝くような笑顔で不機嫌そうな旦那にぺこりと頭を下げた。
累は急に機嫌が良くなった弟に目をぱちくりさせたけれど、結はにっこりと笑顔でお散歩しようよー、と猫なで声で累に抱き着いて話を終わらせた。
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