二話、出会い(2)



「ただいまぁ」


 スーツ姿の女性がドアを開け電気を点けた。

 明るくなった部屋は、汚部屋ではないのだが、コイツは整理整頓と言う言葉を知らないのか、と思えるほどには散乱した部屋であった。

 彼女は[川雲百合(26歳)]ごくごく一般的な会社で中間管理職に就いている。


「あーメイク落とすのだるいわー」


 日々、業務ではクレーム処理に追われ、休み時間には部下の愚痴を聞き、退勤する際には上司の表情伺う。

 そんな生活に辟易していた百合は、気だるげに独り言を零した。


「今日もだるかったわぁ、部長も働けよなぁ」


 彼女はコンビニ弁当をレンジに入れ、スーツをハンガーにかけ、シャツを脱ぎ捨てた。


(今日は積んでるゲームやろうかなぁ、っあ、そういやあの漫画の新刊って今日だっけ?)


 慣れた手つきが、毎度のことなのを物語っている。

 彼女は最後に、スマホの電源を落とした。


(これで仕事の連絡も来ないっと、最高の休日の始まりね!)


 百合が休日に連絡を受け取らないのは会社では周知の事実。

 おかげで彼女自身、大きなクレームにあったこともあるが、どんな面倒になろうとも業務中にやればいい、そう思っていた。


(さて、と……どうしよっかな)


 百合は、メイクを落としに洗面台に向かうか、積んでいるゲームに向かうかを軽く悩む。


「たまにはいっか、ゲームにしよっ! 今日こそはハーレムルート見ないと!」


 その時!! パッと光が弾け、一瞬で暗闇になった。

 条件反射で百合はグッと目を瞑る。


(うわっ停電!? 最悪だわー、ゲームできないじゃん)


 少しビックリはしたが、停電などそう焦る必要はない。

 慌てずに百合は目をつぶったままその場に留まる、そして暗闇に慣れて来た頃に目を開ける。


「うわっ……真っ暗過ぎて何も見えない、だるいわー」

「儂は大魔導士ベクター、お主をこの世界へと転移させよう、選ばれし魂よ」

「うわっと!」


 暗闇に、やけに大きな声で老人のようなしゃがれた声が響く。


(っは? なに? 魔道士?)


「儂は大魔導士ベクター、お主をこの世界へと転移させよう、選ばれし魂よ」

「なになになになに? わたしTVのリモコンでも踏んだ?」

「察しの悪い奴じゃの、お主はこのベクターに召喚されたのじゃ!」


(召喚って言った? ってことは)


「い、異世界転生ってやつ……です、か?」

「正確には転移じゃな、無知なる者よ」


(はぁ? 言い方に棘があるんだけど)


 百合の頭の中では、異世界への妄想と魔導士の態度へのイライラがせめぎ合う。

 しかし状況も状況、精一杯に平静を装い、仕事モードで質問を投げかける。


「質問ですが、何故わたしなんでしょうか?」

「たまたまじゃ」


 百合の問いに対して、魔導士はぶっきらぼうに答えた。


(はい? たまたまって何? 『選ばれれし魂』って言ったわよね?)


「転生特典など……は、あるのでしょうか?」

「特典? なんじゃそりゃ、あるわけがなかろう?」


 魔導士のひどい態度と提案された内容に、百合は最初から感じていた苛立ちを隠さず、吐き出した。


「ふっざけんな! 勝手に呼んでおいて!」

「無いものは無い、あってもお主になんぞやらん!」


(コイツむかつくわー、異世界に行くならチート無双や、逆ハー作ったりするぐらいは、夢見てもいいじゃない)


 苛立ちを吐き出すと少しだけ楽になったのか、百合は思考を切り替え、別の質問をする。


「……じゃあ目的は? わたしに、なにをさせようっていうの?」

「それは教えられん」


(こんな異世界転移ってある? 夢も希望もないじゃない)


「......帰る、もぅいいわ!」

「帰る?」

「転移なんでしょ? なら前の世界で死んだわけじゃないのよね?」

「そうなるな」

「じゃあ、チートみたいな贅沢は言わないので、元の世界に帰して貰ってもよろしいですか?」

「仕方のない奴じゃ」

「……ありがとうございます」


 どっちがだよ、と百合は思ったが得意の営業スマイルで、内心を改めて覆い隠す。


(暗闇で見えているのかは分かんないけど、ここでヘソ曲げられても困るし、我慢よ百合、我慢)


 しかし魔導士は「ちょっとコンビニ行ってくる」とでも言うかのようにあっさりと


「お主を帰すことはできん」


 と、答えた。

 百合の自制は意味がなかったらしい。


「っは?」

「ちょっと考えればわかるだろうに」

「いやいやいや、わかるわけないでしょ?」

「まぁよい、お主を帰すことはできん」


 二度も言われると本当な気がしてくる。

 それなら、なんとか自分に都合が良くなるように出来ないか、と頭をひねる。


「横暴だー! 滅茶苦茶だー! ふざけるなー!」

「うるさい小娘じゃな」

「異世界転生ってもっとこう……あるじゃない?」

「転移じゃ、お主はそんなこともわからんのか?」

「こっちの世界には魔法なんてないんですー」


 お互いが嫌味をたっぷりと含ませて言い合う。

 すると、拍子抜けするほどあっさりと魔導士が折れた。


「めんどくさい奴じゃ、器の種族は選ばせてやる、それでいいじゃろう?」


(勝った! あるんじゃない特典!)


「エルフがいい! 可愛いのね!」


 先程の態度は演技だったとはいえ、百合は気持ちの切り替えが早いらしい、既に意識は異世界に飛んでいた。


(ファンタジーと言えばエルフ! 魔法がある世界なら魔法も強いだろうし、どうせなら美形になって、逆ハーレムよ!)


「はぁー、本当にわがままな奴じゃな」

「当然の権利じゃない?」

「お主の言う、可愛いらしい妖精族にはしてやる」

「やりー!」

「じゃから、そのうるさい口をつぐむんじゃ」

「……っ!」


(このじじぃ悪びれもせず、よくここまでいうわよね)


 不本意だがベクターに従うしかない、押し黙る百合はあれこれ考える。


(転移なのに身体をいじれるんだ、どういう仕組みなんだろ?)


 何が起きたのかはよく分からないままだが、妖精族へと変わることになった。

 そこだけは確かなので、少し安堵していた。


(まぁあれこれ考えても始まらないし、ベクターは情報をくれそうもない、行き当たりばったりでやるしかないわよね)


「なんでかんだで異世界ファンタジー、魔法に冒険、イケメンとスローライフ! ワクワクしてきたわ!」


(まだわたしには現代知識がある、知識チートにエルフの外見を使えば、まだなんとかなるわ)


 百合は気楽なことを思いながらも、心の中で決意する。



 これから起こる苦難も知らずに……

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