第二話 噂

「んんー! 正当な理由がある暴力ってキモチー! やっぱ悪いことしてるやつはぶっ飛ばすに限るわ。暴力最高!」


 蓮華は物騒なことを言いながら満足げに体を伸ばす。


「てか、『灰の目の悪魔』とか呼ばれてるって噂、本当だったのかよ……恥ずかし」


 汚れた制服を払って正し、黒く戻った目元にメガネをかけ直した。


「あー……結局遅刻しそうじゃん……。久し振りに余裕を持って登校できそうって思ってたのに」


 蓮華は気怠げな足取りで学校へ向かう道に戻る。


 なんとか遅刻ギリギリで学校に着くと、校門で派手な赤い靴を履いた男と鉢合わせた。短い黒髪を立たせた、蓮華とは対照的な爽やかな好青年。蓮華の数少ない友人――千堂秀太せんどうしゅうただった。


「おっすー。蓮華」

「おう、おはよう秀太」


 秀太は蓮華と同じ城南じょうなん学園の二年A組だった。必然的に二人で並んで昇降口まで歩いたわけだが、その間に秀太はすれ違う男女いろんな友達に声をかけられていた。


 秀太は蓮華とは反対に交友関係が広く、ファッションにも気を遣っていて、つまりリア充というやつに分類される人種だった。どこに居ても見つけられるような目立つ赤い靴も、「見てくれよコレ、予約してようやく買えたんだぜ」と先週蓮華に自慢してきた靴だった。その時蓮華は「予約だけに?」とつまらないボケをかまして場を白けさせた。


 また、蓮華と違って秀太は部活にも所属していた。リア充の筆頭とも言える部活動、サッカー部である。だから蓮華が朝に校門前で秀太と鉢合わせるのは、実はあまりないことだった。


「珍しいな、秀太がこんな遅刻ギリギリなんて。サッカー部の朝練はどうしたんだ?」

「まあ、ちょっとな」


 なんだか歯切れの悪い返答だったが、蓮華は「ふぅん」と流して追求はせず、教室に向かった。


 教室に入ってすぐ、女子グループで談笑していた内の一人が蓮華たちに気がつき、輪を抜けて駆け寄ってくる。


 彼女は真っ直ぐと蓮華に接近すると、まるで匂いを嗅ぐように全身を隈無く観察し始める。


「……蓮華、またケンカしてきたな?」


 ずいっと鼻先がぶつかるほどの近さで蓮華の顔を覗き込んで、その少女は問い詰めた。ほっぺを膨らませてムスッとしている。


(あ、良い匂い……)


 と蓮華は関係ないことを考えて鼻の穴を少し膨らませる。


「服が乱れている。裾が汚れている。唇に怪我をしている。ケンカした後はいつもそうだ。君はいつも、


 落ち着きにある黒髪のロングヘアーに、見つめた相手を焦がしてしまいそうなほど情熱的でぱっちりとした瞳。色白で細身で、でも出るところは出ているモデルのようなスタイル。おしとやかでいて妖艶な、大人の顔つきをした美少女。蓮華の数少ない友人の二人目(というか最後)、漆戸穂花うるしどほのかだった。


「仕方ないだろ。一方的にやり過ぎると何故か僕が怒られるんだ。だから少しは正当防衛感を演出しないといけないんだよ」

「そんなこと言って、本当は私に心配して欲しくて怪我をしているんじゃないのか? そうだ、傷を舐めてやろうか?」

「ふ、ふざけんな! バカなこと言ってんじゃねぇよ!」


 蓮華は穂花を振り切って席に向かった。秀太は愉快そうに笑ってからその背中を追って、穂花もそれに続いた。


 秀太は教室の一番左後ろである窓側の角の席につき、蓮華はその前の席に腰掛ける。穂花の席は蓮華の右隣で、彼女が腰掛けると、またふわりと花のような匂いが鼻を掠める。


 穂花はバッグから絆創膏を取り出し、蓮華の頬をくすぐるように差し出した。


「さっきのは冗談だ。ほら、痛むならこれを使って。……まあ、君が望むなら冗談じゃなくてもいいんだけどね?」


 最後に耳元で囁くように言われ、蓮華は耳を真っ赤にして絆創膏を奪うように受け取る。


 穂花はそんな蓮華の反応を楽しむようにクスクスと笑った。


 そんないたずらな穂花の笑みを見た、その時だった。蓮華は唐突に、脳裏に異様な光景がフラッシュバックした。


 燃え盛る森林、赤く燃える異形の鬼、そして、血を流して倒れる穂花――


 頭痛が掠め、その景色は砂嵐に飲まれるように消える。


(――なんだ、今の……?)


 酷い動悸がした。何故だか胸の奥に焦りに似た感情が湧いてくる。


「……穂花。お前、どこか怪我したりしてないか?」

「……? どこにも怪我なんてしてないけど……」

「だよな……。いや、ごめん。なんでもない」


(何言ってんだ、僕……)


 自分をおかしく思った。それに、もう先ほどの光景を思い出せなくなっていた。


「心配なのは君の方だ、蓮華。君は私の下僕なんだから、あまり主人をハラハラさせないでくれ」

「いつから僕はお前の下僕になったんだ」

「私の方が君より一ヶ月早く生まれている」

「誇らしげに何言ってんの?」

「知らないのか? この世には年功序列という考え方があってね、それで言うと君は私より一ヶ月分格下なんだ。だから君は私の言うことに絶対従わなければならない」

「そんな年功序列制度があってたまるか!」


 穂花は掌を差し出した。


「ほら蓮華、お手」

「誰が――」


 と怒鳴りかけて、蓮華は穂花の掌に書かれた文字を見て戦慄する。そこには『黒歴史バラしちゃうぞ』と黒のサインペンで書かれていた。語尾にハート付きで。


(まずい……それだけはダメだ。秀太にだって知られていないのに……!)


 あれは、そう、中学二年生の頃だった――


 蓮華は魔法が使いたくて掌に魔法陣なんか書いちゃったり、黒魔術を習得しようとしてカーテンの締め切った暗い部屋でロウソクを焚いて魔術を唱えちゃったりしていた。俗に言う中二病である。理由はわからないが、なぜだか頭が『呪文』という文明で一杯になってしまったのだ。そんな過去は今となっては闇に葬り去りたい黒歴史である。


 蓮華と穂花は家が隣同士。さらにお互いの部屋が二階にあり向かい合っている。そのため、穂花にはその辺の事情が筒抜けというか、何ならカーテンが少し開いていて現場を目撃されていたことがあった。高倍率ズームの証拠写真付きで。蓮華はあの日ほど科学の進歩を、カメラの進歩を怨んだことはなかった。ズームでもバッチリ高画質で写っていたのだ。プライバシーもクソもない。


 蓮華は今にも砕け散ってしまいそうな自尊心を必死に接着剤で補強しながら、穂花の手に手を重ねた。柔らかくて温かい手だった。恥ずかしいやら照れくさいやら、やたらと胸がドキドキしてむず痒い。


「ふふふ。よくできました」


 穂花は満足げに蓮華の頭を撫で回す。まるで犬か猫でも甘やかすように。蓮華はもう羞恥心で絞め殺されそうだった。


 後ろで「ぷっ」と秀太が吹き出した。蓮華は恨めしく振り返る。


「……なんだよ、秀太」

「いやぁ、なんだかお前たちを見ていると胸の奥が甘酸っぱくなるなぁって。それに穂花も、蓮華の心配なんていらないって。こいつバケモノみたいに強いから」

「知っている。蓮華はいつだってケダモノだ」


 透かさず蓮華は「バケモノね?」と訂正を差し込んだ。意味合いが全然違ってくる。


「そうか、では最近の行方不明事件は蓮華の仕業だったか……。いつかやるとは思っていたけれど、ついに犯罪に手を染めるとは……」

「何で僕を犯罪者予備軍だと思ってんだよ……。てか、行方不明事件? 何それ」

「これだけ噂になっているのに、知らないのか? ……ああ、ごめん。君には噂話をするような友達がいないのか……」


 本気で憐れみの視線を向ける穂花に蓮華は「余計なお世話だ」と突っぱねた。


 実際、蓮華は秀太と穂花以外に友人と呼べる存在がいない。何かと暴力で解決する問題児として見られ近づきがたい空気が出ていることも原因の一つだが、一番の原因は蓮華自身の中にあった。そもそも、人付き合いというものが億劫で、苦手なのだ。気を遣うのは疲れる。しかし大概の場合、親しき仲でも気遣いがなければ関係は成り立たない。


 その点でいうと、小学校からの付き合いで所謂幼馴染みである秀太と穂花だけは、気遣いが無用だった。彼らはそれでも許して、ありのままの自分を受け入れてくれる。だから蓮華は、この二人だけは胸を張って言える。大切な友達だ、と。


 穂花は話を戻す。


「実は、金曜日から昨日までの三日間で、この学園の生徒が立て続けに三人も行方不明になっているらしい。一日に一人……消えているということだ」

「三人も?」

「噂によると、この学園だけじゃなく、最近このあたりで行方不明事件が連続してるみたいなんだ。でもニュースにはならない。だから神隠しとか、バケモノに食べられちゃった、なんて怪談めいた話も広がっているよ」

「なんだそれ……。いかにも女子高生が好きそうな話だな。一気に嘘臭くなったわ、アホらし。ま、僕なら本当にバケモノが出ようと負けねぇけどな!」

「君は熊も素手で倒したことがあるくらいだからな……」


 実話だった。中学三年生の夏休み。穂花と秀太の三人で山奥にキャンプに行った夜、なんだかテントの周りを歩く影があるなと思ったら、熊だった。皆が危ない、と思った蓮華はあろうことか、迷いなく素手で熊に立ち向かった。そして素早い身のこなしで懐に潜り込み、胸に強烈な一撃。その一発で熊をノックアウトしてしまったという伝説のような話がある。


「あれはさすがに驚いた……。あの日、初めて君を人間じゃないと思ったよ」

「助けてやったのに酷い言われようだな、おい」

「秀太だってあの時はドン引きしてたぞ。ねぇ、秀太?」

「……え? あ、ああ、そうだな」


 生返事で、秀太は繕った笑顔のような、どこか浮かない顔をしていた。


「なんだか元気ないね。どうしたんだ? 体調でも悪いのか?」

「まあ、ちょっとな。体調悪いと言えば悪いかな」

「風邪か? なんかやつれてるような……。ちゃんとご飯は食べれてるのか?」

「大丈夫大丈夫。たいしたことないから」


 秀太は本当に何でもなさそうに笑っていた。だから蓮華は安心してしまった。その笑顔にすっかり――騙されてしまった。


 気付いてやるべきだった。友人の些細な異変に。そして、もっと親身になって肩を支えてやるべきだった――蓮華がそんな後悔を抱くことになったのは、そう遠くない未来どころか、翌日のことだった。


 秀太が行方不明になった。

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