ロジハラ幼馴染がクンカーの変態で俺の衣類をオカズにしてるってマ?
ミソネタ・ドザえもん
言い訳
『部活動退部届理由』
先日テニス部の顧問からもらって来た堅苦しい書類の見出しに書かれた、仰々しい文字列。それに、日頃気だるげな気持ちばかりを抱いている俺の気持ちも少しばかり緊張しているのがわかった。
俺がテニスを始めたのは、今より十二年前も前の四歳の頃だった。丁度、一人の日本人テニスプレイヤーが世界的な活躍を見せ始めた頃で、その人のプレイをテレビ観戦しながら、その人のように猛々しくも華麗なプレイをしたいと思ったのがきっかけだった。
それから高校二年になる今年まで、毎日毎日テニスばかりをしてきた。それを苦痛に思ったことは一度もなかった。好きなことをし、その好きなことがどんどん上手くなる状況はとても楽しかったし、嬉しかった。
でも、もう限界だった。
だから俺は、今この書類に向かい、ボールペンを握りしめていた。
所属部活動。退部理由。一文字一文字、丁寧に文字を刻む。なるべく余計なことは考えないようにしていた。ただ、それこそスーパーで響く業務連絡のように、淡々とペンを走らせていた。
しかし、中々そう上手くはいかなかった。十年を超すこれまでの軌跡が、たった数文字の文字列で終わってしまうことに、俺は少しずつ躊躇するようになっていた。
いつの間にか、退部届は書き途中のまま、俺は帰路に着いていた。道中、思わずため息が漏れた。中途半端なことをしてしまっていることを理解していたから、どうにも気分が晴れなかった。
帰路に着きながら、ようやく校門が見えてきたところで俺はなるべく顔を上げないようにして歩く。
ウチの学校は、丁度校門の目の前にテニスコートがある。だから、そこにいる元同士に俺は合わせる顔がなかった。
俯き、足早に歩いた。
誰にも気づかれることなく早く去りたい。
ただ、それだけだった。
「ちょっと」
しかし、呼び止められた。
甲高い聞き馴染みのあるその声は、今最も俺が見つかりたくなかったまさしくその人だった。
「……結衣」
彼女の名前は、橘結衣。
この学校のテニス部のマネージャーを務める女子。
そして、俺の幼馴染である少女だった。
「何コソコソしてるのよ」
結衣は言った。まるで盗人を働いた人を咎めるように、鋭い声で。
「別に、コソコソなんてしてない」
「してるじゃん」
「してないってば」
少し、声を荒げてしまった。こいつの言うことは、いつも正しい。でも、こいつの言っていることが正しいのであれば、俺は間違ったことをしていることになる。
だから、俺はつい声を荒げてしまうのだ。自分の間違いを認めたくなくて、抗うように。
「……辞めるんだ」
「ああ、そうだ」
既に、結衣の耳にも届く程、俺の退部の話は広まっているようだった。
あっさり認めたことが気に入らなかったのか、結衣は不機嫌そうに顔を歪めていた。
「皆あんたに期待しているのに、なんで辞めるのよ」
結衣の言葉は、いつだって正しい。
「天才少年なんて呼ばれたのに、どうして辞めるなんて言えるのよ」
しかし、それは最も俺が認めたくないことだった。
天才少年。
小さい頃、まだテニスを始めて一年も経っていなかった頃、俺は五歳にしてテニスのジュニア大会に参戦した。
初めて間もない頃、かつ他の子達よりもひと際小さな体で挑んだ人生初の大会。
俺はその大会で、好成績を収めてしまった。
それからだった。俺がその異名で世間に知られることになったのは。
自分より体の大きな子に一目置かれ、色んなクラブから勧誘され、テレビの取材だって来たこともあった。
そうして、確固たる実力で俺はテニス街道を突っ走ってきたのだ。
しかし、今では俺をその異名で呼ぶ人はいない。
世間は今、俺をこう呼ぶ。
「元天才少年に、一体誰が期待しているって?」
元天才少年。
それが俺の、今の現状だった。
小さい頃は気にならなかった体格差。それは、年を増すごとに確実に運動能力に影響していっていた。
有望株が順調に身長を伸ばしていく中、俺の身長は百七十センチを超える素振りすら見せていなかった。
その体格差が、徐々に俺のテニスの足かせとなっていった。
今や、俺は当時の栄光など持っていない。全国大会に出ることは出来ても、中堅どまり。それが、かつて天才と呼ばれた男の現状だったのだ。
これ以上の成長はない。
そう思ったら、これ以上テニスを続ける気は起きなかった。
いや、それは嘘になる。
最初は、それでも足掻いたさ。
何とかなるって。身長差を覆せるって。
でも、策を弄したって。手を尽くしたって。絶対に覆らない一線があるとわかってしまった。それを知ったら、途端に全てが苦しくなってしまったのだ。
だから、俺はテニスを辞めることを決意した。
「……あんたの気持ちはどうなのさ」
苦しそうに、結衣は言った。俺の気にでもなったかのように、深海に沈んでいくかのように、苦しそうに言った。
ただ、俺からしたらそれこそ愚問だった。
この苦しさを味わうくらいなら、辞めた方が良い。そう思ったから俺は、退部届をもらったのだ。
「じゃあな」
踵を返して、結衣に言った。
結衣は……、
「言い訳するな! この馬鹿野郎!」
俺の背中に、怒声を浴びせてきた。
俺は、結衣が嫌いだった。
彼女はいつだって正しい。今回の件だけではない。
朝練に遅刻してくるな。
勉強を真面目にやれ。
周囲とちゃんと仲良く接しろ。
彼女の言うことは全て正しい。そして、正しい彼女は他人だけではなく自分にもその正しさを突きつける。彼女は、正しい選択を取る少女だった。
俺はそんな正しい行動しかとらない彼女が、妬ましい。だから嫌いだった。
俺は自分が完璧に出来る正しい行動を他人にも強要する彼女が、腹立たしい。だから嫌いだった。
だから俺は、彼女の顔も見たくない。
そう思っていた。
足早に家に帰った。それはまるで、あの正しい少女から逃げ出しているように思えた。それも、酷く不快だった。
「ただいま」
家に帰ると、パタパタと足音がした。
「お兄ちゃん、お帰り」
出迎えてくれたのは、妹の加奈だった。
「今日は早いね、部活は?」
「……休んだ」
「え、大丈夫なの?」
「何が?」
「いや、結衣ちゃん怒ってないの?」
思い出したのは、休んだ、とは別の理由で怒っていた少女の顔だった。
「怒ってたよ」
「ちゃんと謝っておくんだよ?」
「……うん」
曖昧に頷きながら、その機会はきっとやってこないだろうと俺は思った。
自室に戻ると、俺は机に退部届を広げたまま、ベッドに寝転がっていた。最初は退部届に向かっていたが、どうにも教室の時と同様にペンを走らせきることが出来なかったのだ。
窓を半開きにさせていたのは、部屋の中が蒸せるように暑かったから。まだ四月だと言うのに、今日は長袖の裾をまくってしまうくらいに、今日は蒸し暑かった。
弱い風が窓から入り、カーテンを微かに揺らした。
それをぼーっと眺めていた。
虚無の時間が、辛かった。
でも、この虚無が心地よかった。
いつの間にか、目を閉じて眠ってしまっていた。
目を覚ましたのは、家のチャイムが鳴り響いたからだった。ベッドから体を起こすことはなかった。加奈がそれに応答する声が、二階の自室にも聞こえたからだった。
「あ、結衣ちゃん!」
楽しそうな加奈の声。
だけどその声に、俺は酷く動揺していた。隠れるように、タオルケットを頭から被っていた。
談笑の声が、玄関の方でしばらく聞こえた。
その時間が、ただ辛かった。
ようやく声が止んだ。
心の底から、俺はホッとしていた。ただ、何もやる気は起きなかった。辛い目に遭ったから、動きたくない気分だった。
でも、空腹を我慢することは出来なかった。
階段を下って、リビングに顔を出すと、加奈が夕飯を作ってくれていた。呑気な顔の加奈を見ていると……心が揺れた。
「なあ、加奈?」
「ん、何?」
調理の手を止めて、加奈は甲斐甲斐しく俺を見ていた。
その邪気のない眼差しに、一歩後ずさった。でも、止まってしまうことはなかった。
「……さっき、結衣来た?」
「え?」
加奈の瞳が動揺したことを、俺は見逃さなかった。その時、あいつが全てを話したことに俺は気付いた。
たったそれだけで、俺の気持ちは荒んだ。
家族には、なんとなく全ての処理が終わるまで、黙っているつもりだった。
「……何話してたの?」
時すでに遅し。それでも、確認せずにはいられなかった。
「別に? ……その、世間話かな?」
動揺する加奈に、俺の考えは確信に近づく。
「へえ、どんな?」
「……えぇと、お兄ちゃんの部活のこと、とか?」
はぐらかす加奈に、心臓が掴まれる。
もう、加奈も全てを知ってしまった。俺がテニスを辞めようとしていることを。
なし崩し的に、両親もその内その事実に気付くだろう。
結衣の奴、余計なことしやがって。
……いや、違うか。
あいつはいつだって正しい。家族に隠そうとしている俺こそ、間違っているのだ。
「結衣ちゃん、お兄ちゃんのこと凄い心配してたよ?」
何かを隠すように、加奈は演技がかった風に言った。
「……俺のことを?」
でも俺は、その加奈の仕草に気を留めることはなかった。
結衣が。
……いつだって正しい結衣が。
この俺なんかのことを心配してくれている。
その事実が、心に響いた。
彼女はいつだって正しい。
だから、いつだって間違っている俺は彼女の言葉が嫌いだった。
そうだ。俺は、いつだって間違っているのだ。
……今回だって、きっと。俺は、間違っているのだ。
苦しかった。
どれだけ練習してもどんどん有望株に抜かれていき、かつての地位も失い、築いたプライドを全てズタズタにされる日々が、苦しかった。
だから、テニスを辞めようと思った。
……でも、俺はその辞めようと思ったテニス部の退部届一枚、満足に書くことが出来なかったのだ。
本当は、辞めたくなんてなかったんじゃないのか。
テニスを。
ずっと続けてきたテニスを……!
これからもずっと、続けていきたいと思っていたんじゃないのか。
『……あんたの気持ちはどうなのさ』
それを結衣は、とっくの昔から気付いていたのだ。
だから結衣は、俺にテニスを辞めるなと言ってくれていたのだ。
だから結衣は、わざわざウチにまで来てくれたのだ。
「くっ」
「ちょっ、お兄ちゃーん?」
不思議な気持ちだった。
加奈の制止も振り切って、俺は一目散に家を飛び出していた。靴も履かずに、隣の家に住む幼馴染に会いたいと思った。
顔も見たくないあの女に、会いたいと思ったのだ。
間違っていた、と。
テニスを続ける、と。
謝罪して、そう宣言しようと思った。
あの正論しか吐かない、俺に厳しいあの女に……そう言うために、俺は走った。
家の鍵は掛かっていなかった。不用心だなんて思わなかった。そう思えない程、今の俺は猪突猛進だった。
扉を開けて奴の家に侵入し、二階にある奴の自室へ走った。
奴の部屋の扉を開けると……。
俺は目を疑った。
奴の部屋は、小さい頃に入った時とどこも間取りは変わっていなかった。
ベランダに繋がる窓の傍にベッド。ベッドの向かいにテレビ。
ただ一つ、違和感があった。綺麗に整理されている室内なのに、テレビの前に無作法に置かれた紙袋。
そして、ベッドに横たわる奴。
奴は、口元に何やら布切れを当てていた。
その奴が口元に押し当てる布切れを見て、俺は目を疑ったのだ。
「ママ? そんな勢いよく扉開けないでよぅ」
惚けた声で、こちらも見ずに奴が言った。
……えぇ?
それはさすがに。えぇぇぇ……。
「お前、何やってんの」
一瞬の制止の後、バッと奴がこちらを振り返る。
目を丸めて俺の顔を見た奴は、それでも口元に運ぶそれを外そうとしていなかった。
今の俺は、果たしてどんな顔をしていただろうか。
なんとなくわかるが、出来れば違うと思いたかった。
ただ一つ思ったことがある。
いつだって正しいと思った奴だが……それはどうやら大間違いだったらしい。
奴が、口元に運ぶ布切れ。それに俺は見覚えがあった。と言うか、間違えるはずもなかった。
「それ、俺のテニスウェア……」
震える俺の人差し指が、奴が握りしめたそれを指さしていた。
無言の時間が流れた。
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